第20話 養花 5




 慧喬と孟起は胡服に着替えると、馬車で行けという行成から逃れて徒歩で宮城を出た。


「懇意にしている薬屋って?」


 孟起が慧喬の横に並んで楽しそうに聞く。宮城を離れると、多少畏まっていた雰囲気が元々のくだけたものに戻った。


「泰慈先生のところへ行く前、時々働かせてもらってた薬屋なんだ。あの頃は私のことは特に誰も気にかけなかったから一人でよく城下へ出かけてた」

「とんでもない公主だな」


 孟起が目尻に皺を寄せ、声を出して笑う。


「でも毒を扱っているような怪しげな店にも出入りしてたってことだよね? それは大丈夫なわけ?」

「いや、その薬屋は怪しいものは扱ってない。そこの店主はなかなか好奇心旺盛な爺さんで、外国の色々色々な薬や薬草を扱っていたから、何か知らないかと思って」

「へえ」


 孟起が感心すると、ちらりとそれを見遣って慧喬が言った。


「そこでの私の名前は草心高だから」

「わかった」


 楽しそうに孟起が頷いた。




 大通りを南下せず西に向かい、商店が並ぶ通りに出た。人で賑わう中、店や露店を素通りすると、慧喬は慣れた足取りで一本南への横道に逸れた。そして一軒の古びた外観の薬屋へと辿り着いた。


 戸をくぐった途端、様々な生薬の匂いが混じった独特な空気が出迎える。その狭い店内の奥で小さな抽斗ひきだしの並んだ薬棚に囲まれて薬研をひいていた老人が顔を上げた。

 入口に立つ客を見て驚いたように目を見開く。


「心高じゃないか。なんだ、生きてたのか」


 よいしょ、と声に出しながら立つと、その肌つやの良い矍鑠かくしゃくとした老人が慧喬の元へやってきた。


「ああ。生憎。爺さんもな」


 慧喬が口の端を上げて言うと、薬屋の主人もにやりと笑う。


「相変わらずだな」


 ふ、と肯定するように慧喬から笑いがこぼれる。

 その様子を孟起が慧喬の後ろから面白そうに見る。相当馴染みの薬屋のようだ。


「何処か行ってたのか」

「ああ、ちょっと。泰慈先生のところで修行させてもらってた」

「泰慈先生……って、あの紫紅峰のか!」


 薬屋の主人がわかりやすく驚いて感嘆の溜息を漏らした。


「ああ」

「お前、仙人にでもなるつもりか」

「いや。それでもよかったんだが……事情が変わってそうもいかなくなったから戻って来た」


 慧喬が言葉を濁すと、薬屋の主人は、ふうん、と顎を上げただけでそれ以上の詮索はしなかった。慧喬が訳ありなのを承知しているようにも見える。


「それで? 今日はどうしたんだ?」


 主人が脇の卓に手をついてぞんざいに聞いた。


「ちょっと爺さんに聞きたいことがあって」

「何だ」

「ある毒物についてなんだが」


 慧喬が言うと、店主は嫌な顔をした。


「うちで怪しげなものは扱ってないぞ。正規の用途に使うものだけを厳格な管理の元で扱ってる」

「わかってる。でも情報は集めてるだろう?」

「まあ、解毒剤は扱うしな」

「……新しい……変わった毒の話を耳にしてないかと思って」

「何かあったのか」

「身近で毒にやられた者がいたんだが、何の毒かわからなくて。爺さんなら何か知っているかと思って来たんだ」


 店主が、ふむ、と息を吐く。


「変わった毒ねぇ」

「ああ。遅効性の毒じゃないかと思う。効果が現れたのが二日以上経ってからみたいなんだ」


 薬屋の主人が記憶の隙間を覗くように目線を流し、顎を撫でた。


「二日かかるかどうかまでは知らんが、紫国から来た行商人から変わった毒の話を聞いたな」

「紫国?」


 慧喬の眉が上がる。


「ああ。何だったかな……。疫鬼が出たらしくて……」


 薬屋の主人が思い出そうと、顎を摩っていた指で額を叩く。


「……ああ、そうだそうだ。貝毒だ」


 横に立っていた孟起が驚いたように眉を上げて慧喬を見ると、慧喬も目配せを返す。

 どこかで聞いたような話だ。


「紫国の端っこの郷で貝毒が流行ったんだが、解毒薬がなくて困ったらしい。結局死人が何人も出たって話だ」

「貝毒というのは確かなのか。別のものを貝毒と間違えたのではなく?」


 明玉の村での雪花病のことが思い起こされる。ただし、雪花病に罹ると徐々に症状が悪化はするが、遅効性というのとは違う。


「いや、確かに貝毒だったらしいぞ。最初、貝毒とはわからなかったらしいが、西方の国から来ていた医者が貝毒とつきとめたんだと。その医者の母国で流行ったことがあるんだとさ」

「どんな毒なんだ」

「何でも、脳を溶かすんだそうだ」


 孟起が思わず、あ、と小さく声を上げた。慧喬が孟起をちらりと見て頷く。

 文承が陳婆さんに話していた貝毒だ。


「その貝毒に侵されると、自分が誰だかわからなくなったり、真っ直ぐ歩けなくなったりするらしい。やられる脳の場所によっておかしくなる具合が違うらしいから、毒に侵されたというのに気付くのに少し時間がかかるみたいだ」

「それは……その毒が紫国で流行ったのはいつ頃のことだ?」

「そうだな。聞いたのは二十日くらい前だが、流行ったのは……二月ふたつきか……三月みつき以上前みたいだぞ」

「……その毒が紅国に入ってきた可能性はあるんだろうか」


 慧喬の声が低くなる。


「さあなぁ……」


 腕組みをした薬屋の主人の細い目が閉じられる。


「心当たりはあるんだろう? 教えてくれ」


 閉じられた細い目がわずかに開き、催促する琥珀色の目を見る。


「売るかどうかはともかく、もし入って来てるとしたら、あいつんとこだろうなぁという店はあるが……」

「どこだ?」

「お前、確かめに行くつもりか」


 慧喬が頷く。

 店主が、うーん、と唸って頭を掻く。


「お前一人で行くんなら絶対に教えないが、そのガタイのいい兄ちゃんも一緒なら、まあ、大丈夫か」


 そう言って孟起を見ると、一軒の薬屋を教えてくれた。




 慧喬と孟起は、主人の「あまり無茶するんじゃないぞ」という言葉を背に、薬屋を出た。


「皆、君にああ言うね」


 笑いを堪えながら言う孟起を、慧喬が心外だと言う顔で見る。


「別に無茶をしてるつもりはない」

「そう?」


 孟起が耐えきれず声を出して笑った。



 再び大通りへ出ると、今度は東に向かう道で花街に入った。

 昼間の花街は人通りは多くないが、一見少年とガタイのいい若者が連れ立って歩く姿は場違いに見えた。

 教えられた目印の店の角を曲がると、目当ての店があった。

 小さな店構えで、文字が消えかけた小さな看板が合言葉の代わりのように掛かっている。知らなければ薬を売っているとはわからない。


 慧喬は看板を確かめると、中へと入った。入ってみても薬屋らしくはない。店内には、茶碗や衣類、置物など統一性のないものとともに薬棚があった。

 店番が居なかったので声をかけると、体格の良い禿頭の男が奥から出て来た。


「いらっしゃいませ」


 男は柔和な顔で出迎えたが、その視線は、花街にそぐわない一見いちげんの客を警戒するように検分した。


「何をお探しですか? ……申し訳ないんですが、生憎、今あまり品揃えが良くなくて、お求めのものがあるかどうか……」


 明らかな牽制が投げかけられる。

 慧喬はそれを受け流してしれっと先制攻撃を仕掛けた。


「脳が溶ける貝毒が欲しい」


 男の柔和を装った目が一瞬揺れる。しかし改めて微笑んで首を傾げた。


「何ですか? その物騒なものは」

「とぼけなくてもいい。先日ここで手に入れた者から聞いて来た。急いでるんだ。金は倍払おう」


 慧喬が言うと、男は慧喬を値踏みするように見たが、ふん、と鼻で笑った。


「子どもが何を言ってるんだか」


 そう言って背を向けた男に慧喬が言う。


「違法な毒物を売ったことを金吾衛に通報してもいいんだぞ」


 すると男は振り向き、つかつかと慧喬の元へやって来て睨みつけた。


「ふざけたことを言ってないでとっとと帰れ」


 そして追い出そうとしたのか、慧喬の肩に手を伸ばした。

 が、孟起がその腕を掴み、捻りあげると、そのまま男の体を倒して仕切りの棚の天板に押し付けた。


「な……何するんだっ……!」

「あー、すみません。つい反射で」


 孟起がけろりと言う。男はもがくが、天板にがっちりと押さえつけられた身体は身動きが取れない。

 慧喬は何事もなかったように男を見下ろしながら低い声で言った。


「大人しくこちらの質問に答えてほしいんだが」

「放せ!」

「脳を溶かす毒を買って行った者について教えてくれたらな」

「そいつに聞いて来たんじゃないのか」

「……やはりその毒をここで扱ってたんだな」


 慧喬が言うと、男は、くそ、と舌打ちをする。


「来たのは女か」


 慧喬が聞くと、男が、ちがう、と吐き捨てる。


「どんな奴だった?」

「兜帽を深く被ってたから顔なんかわからない。背はこいつよりは低かった」


 そう言って自分を押さえつけている孟起を睨む。


「いつのことだ」

「……ひと月くらい前だ」

「連絡先は」

「……知らん。えらい大金を積まれたから何も聞かずに売った。それに、そもそも聞いたとしても本当のことを言うと思うか」

「まあそうだな。じゃあ、そいつは何と言って来たんだ」


 慧喬が聞くと、男が答えるのを躊躇した。

 ん? と慧喬が冷えた目で覗き込むと、男は不貞腐れたように言った。


「……飲ませてもばれない毒をくれと」

「それで脳の溶ける毒を渡したのか」

「ああ。ぴったりの条件だからな」


 心なしか男の口調が自慢げになる。


「それを飲むと脳がやられて記憶や行動がおかしくなる。周りも訳がわからないうちに、身体もいうことをきかなくなって死ぬ。凄いだろう」


 毒のことを語り始めると、男の口は滑らかになった。


「どのくらいで毒の影響が出るんだ」

「飲んでだいたい二、三日経つと脳が溶け始めるみたいだ。溶けた場所によって出る症状も異なるらしい。だから同じ毒を飲ませても同じ毒だと気付き辛い」

「その毒はまだあるのか」

「……残念ながらもうない」

「本当だろうな」

「ああ」


 慧喬は心から残念そうに溜息をついた男を見ると、孟起に男を柱に縛り付けるように言った。


「おい、言ったら放すんじゃなかったのか」


 抗議する男を無視して、慧喬は店の薬棚の抽斗をあけて中を確認した。そこにはよくある生薬が申し訳程度に入っていた。

 慧喬は、「おい、やめろ」と言う男の声を聞きながら、奥の部屋へと入り込んだ。そこには鍵のついた扉のある棚があった。置いてあった薬研車の軸で鍵を叩き壊して扉を開けると、その中には薬棚が収まっていた。

 慧喬は薬棚の抽斗を順にあけて中を漁った。

 そして棚の扉を開けたまま店に戻ると、薬棚から取り出した薬草や散剤などを、柱に縛り付けられた男の目の前に積んだ。


「……お前……!」

「なかなかのものを集めてるな」


 男が慌てるのを冷ややかに見ながら、慧喬は棚の上にあった紙に何やら書きつけた。

 そしてそれを畳むと、孟起に言った。


「行こう」


 男をそのまま置いて店を出る慧喬の後を孟起が追う。


「いいの? あんな危ない薬屋、このままにしておいて」


 出て来た店を孟起が振り返ると、慧喬は前を向いたまま言う。


「あいつ、薬屋というより、毒の愛好家だ。奥の部屋の薬棚にいろんな毒を隠してた」


 そして慧喬が先ほど何やら書きつけていた紙を振って見せた。


「帰る途中に金吾衛の詰所に投げ文で通報していく」


 孟起が、なるほど、と横に並んで慧喬の横顔を覗き込む。


「それにしても、皆が心配するはずだ。君、やっぱり無茶なことするよね。ああいう段取りにするのなら、一応初めに言ってほしかったな」

「あれは成り行きだ。だけど完璧な援護、助かった」


 慧喬が微笑わらった。



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る