先代聖女が作った翻訳魔道具が、ときどき使い物にならない件
新道 梨果子
聖女、乃愛の場合
聖女がやってくる。
何年も前から、神殿はそのための準備を練り上げてきた。
「殿下、そろそろです」
「ああ」
魔力の揺らぎを感じる。こんなに膨大な魔力を、この十七年の人生で感じたことはない。
聖女を召喚するために、大神殿の広間の床に描かれた魔法陣を、皆が固唾を飲んで見守っている。
これはもしや、先代の聖女をも凌駕する力の持ち主かもしれない。
聖職者たちも、その力を感じているのだろう。驚愕と期待を表情に滲ませている。
「来ます!」
誰かが上げた声に呼応するように、魔法陣の上部に、光の球が顕現する。
あの中から、聖女が現れる……!
皆が注視する中、徐々に光の球はその輝きを失っていき、入れ代わるように、聖女がその姿を現す。
「ギャー!」
魔法陣の少し上あたりで浮かんでいた光の球の中からなにやら大声がして、それと同時に魔法陣に込められた魔力は尽きたようで、光は消え去り、聖女と思しき女性が陣の上に尻もちをついた。
そしてその場にぺたりと座り込んだまま、聖女はキョロキョロと辺りを見回す。
それからその姿勢のまま、異世界の言葉を話し始めた。
「なにこれ。ありえん。マジヤバたん!」
ん? 今、なんと発言したのだろうか。
おかしい。先代聖女であった祖母が、こちらの言葉を紡がぬであろう聖女のために、その強大な魔力を使って翻訳魔道具を作ってくれたのに、途切れ途切れにしか意味が理解できない。
だが、とにかく混乱している、というのは見て取れる。なんとかしなければ。
私は慌てて上着を脱ぎながら、へたり込んだ聖女の傍に駆け寄ると、彼女の膝元にその上着を掛けた。
なにせ、彼女は混乱のあまりか、その細く白い足を惜しげもなく晒していたのだ。うら若き女性に、それはあってはならないことだ。
というか、召喚の際に衣装が破れたのだろうか。彼女のドレスは、丈が太もものあたり、しかもかなり上のほうまでしかない。
過酷な旅をさせてしまったのだろうか、と胸が痛む。
「聖女さま、おみ足が。すぐ着替えを持ってこさせましょう。申し訳ありませんが、しばらくそれで凌いでくださいませ」
そう話しかけると、聖女はピタリとその口を閉じ、私をマジマジと見返してきた。
「誰?」
「これは失礼いたしました」
名乗ろうと口を開きかけたとたん、聖女はその煌びやかな長い爪で、ビシッと私を指差した。
「王子っぽー!」
なにが可笑しいのか、ケラケラと笑いながら私の身分を言い当てる。
「いかにも」
私は彼女に向かって首肯する。
さすがは聖女だ。なにもかもお見通しなのかもしれない。
「私はスヴェーテ王国第一王子、ラズムと申します。ご慧眼、お見それしました」
「……は?」
聖女は、その長い睫に縁どられた大きな目を何度も瞬かせ、そして言った。
「ウケるー!」
そしてまた、手をバンバンと叩き合わせながら、ケラケラと笑った。
◇
大聖堂内の貴賓室に聖女を案内し、向かい合って腰かけると、私は事の次第を語った。
「突然の異世界への召喚、戸惑われていることでしょう。まずはそのことについて謝罪を」
聖女は室内をキョロキョロと見回しながら、気のない返事をする。
「なにこれ。ドッキリかなんか? カメラどこ? セットすごくね? でも
ある程度の範囲は、私の首に掛けられたペンダント型の翻訳具が効く。しかしテーブルを挟む距離だとわからないのだろうか、聖女は私の謝罪を無視して、とにかく喋り続けていた。
予備の翻訳具はある。お渡ししよう、と上着のポケットに手を入れる。
ちなみにさきほど聖女に貸したこの上着は、「いらない」と返されてしまった。大丈夫なのだろうか、足を見せたままで。しかし、いらない、と言われたものを押し付けるわけにもいかない。
私が翻訳具を差し出すと、彼女は小首を傾げながら、それを受け取る。
「よく見たら、みんなこれしてんね? 流行ってんの?」
そして緩く波打つ明るい茶色の髪を掻き上げ、翻訳具を首に掛けた。
よかった、これで話ができるだろう。
「聖女さま。急な召喚、誠に申し訳なく思います」
「え? ドッキリっしょ? もういいって、そういうの」
「いや、ドッキリ……がなにかは存じ上げませんが、今起きていることは、現実です」
どうやら、夢の中かなにかだと思っているようだ。
聖女はしばらく腕を組んで考え込んだあと、ポンと手を叩いた。
「異世界転移とかそういうのだ! 聞いたことある!」
「ええ、そうです! その通りです」
やはり聖女は素晴らしい。話が早い。
「ヤッバ。乃愛、すごくね?」
「聖女さまですから」
「帰ったら自慢しよ」
そして彼女はソファに深く座り直すと、その長い足を組んだ。
いや、目の遣りどころに困るのだが。私は少しばかり俯く。
するとそんな私の様子を見たのであろう聖女は、わざわざテーブルに手をつくと、身を乗り出してこちらを覗き込み、ニヤリと片方の口の端を上げた。
「なになにー? 刺激が強すぎたあ?」
「その……」
「ふっふーん、坊やには早すぎたかなあ?」
坊や……どう見ても同年代だと思うのだが……。いや、異世界での常識は、こちらの常識とはまるで違うのだと祖母に聞いたことがある。
もしかしたら、寿命も違うのかもしれない。
「……本当に聖女なのか……?」
「聖女はいつも黒髪に黒い瞳、と文献にあるが……」
「まさか失敗……?」
私の後ろに控えている聖職者たちが、ヒソヒソと話し合っている。
確かに目の前に座る聖女は、明るい茶髪に、青い瞳だ。
数々の文献に描かれてきた聖女とはまるで違う。祖母も白い髪になる前は、黒髪であったそうだ。
「感じ悪くね?」
聖女はふいに声を上げた。
「言いたいことがあんなら、はっきり言えばあー?」
唇を尖らせて、そんな文句を口にする。
聖職者の一人が、慌てたように言い繕い始めた。
「し、失礼しました。あの魔法陣から現れたのなら、聖女であることは疑いようがないはずなのですが、その、黒髪に黒い瞳の少女が、今までは聖女に選ばれておりまして……」
しどろもどろなその返答に、聖女は小首を傾げる。
「黒いよ? これはあ、カラコン」
「カラ……?」
いけない、また翻訳具の不具合だ。
「わかんないんだあ、ウケるー!」
彼女は太もものあたりをバンバン叩きながら、また笑う。
なにが面白いのかはよくわからないが、楽しそうな表情をしているのを見ていると、こちらも肩の力が抜ける。
コホンと咳ばらいをして、彼女に向き合う。
「申し訳ありません。ではさっそく状況を説明させていただきたいのですが」
「よろー」
どうやら、話を聞いてくれるらしい。
「我が国は瘴気に蝕まれようとしております。50年に一度、魔山、ジヤウォールから噴出するのです。先代聖女も今は力が尽き果てております。聖職者たちでなんとか食い止めてはおりますが、このままではスヴェーテ王国全土に広がるかもしれません。ですので、ぜひとも聖女さまのお力をお貸しいただきたく……」
「ふーん」
「儀式が終了しましたら、元の世界にお戻りすることもできます」
「りょ」
「どうか……」
「がってんがってん。よくわかんないけど、いっとこ」
「えっ」
「どうすんの?」
すっくと立ち上がった彼女は、両の腰に手を当て、ニッと笑った。
◇
元の広間に戻り、聖女に儀式の説明をする。
「こちらの水晶に手を置いて、祈りを」
「おまかせー!」
聖女は言われるがまま、国宝である水晶に手を置く。
水晶が置かれた台の下の床には、魔法陣が描かれている。複雑に編み込み、王国中に広く聖女の魔力が行き渡るようになっている、巨大な魔法陣だ。この巨大な陣の隅々に至るまで、魔力を流し込まなければならない。
「こんなにあっさり了承してくださるとは……」
「まさかなにかの罠では」
「やはり彼女は聖女ではないのか」
ぼそぼそとした聖職者たちの呟きがそこかしこで囁かれる。
しかし、瘴気は王国内を蝕み始めているのだ。
これが罠だろうとなんだろうと、試してみるしかないのが現状だ。
過去最強と名高い祖母ですら、昼夜を問わず、
過酷な祈りを異世界人である彼女に強いるのは申し訳ないが、こちらも切羽詰まっている。
その代わり、できる限りの支援は行うつもりだ。
「えっと、祈るって?」
水晶に手を置いたまま、聖女はこちらを振り返る。
私は聖女の質問に答えるべく、口を開く。
「スヴェーテ王国を蝕む瘴気をなくすよう……」
「ショーキがなくなりますよーに!」
私が言い終わる前に、彼女は一声、そう声を上げた。
「ああっ……!」
「なんという……!」
瞬く間に、床に描かれた魔法陣に魔力が注がれ、神々しい光を発する。
「ヤッバ! エッモ!」
聖女は光り輝く床を見て、はしゃいだ声を上げた。
やはり言葉の意味はわからないが、どうやら感激しているようで、その場でピョンピョンと飛び跳ねている。
魔法陣の隅々に至るまで、その魔力が行き渡り、光の陣が完成した。
おお、という驚嘆の声が、そこかしこから上がる。
「聖女さま……!」
「真の聖女さまだ!」
その場にいたすべての人が、跪く。頭を上げるなどおこがましい、と思わされる。
これぞまさに、神の
「なんと神々しい……!」
「よくわかんないけど」
そして聖女は胸を張った。
「ざっとこんなもんよ!」
◇
「まさか、一日ですべての瘴気を消し去るとは」
「はあ? 乃愛を舐めんなし。舐めプすぎー」
またわからない言葉だ。
しかし祖母がいない今は、この翻訳具の不具合を解消できない。
なんとか自力で聖女の言葉を読み取ろう。まったくわからないわけではないのだから、推測は可能なはずだ。
それに……彼女の言うことを理解したい。
そして、知りたい。
常に笑顔で、自信満々で、周囲を明るい気持ちにしてくれる、この少女のことを。
「聖女さまのおかげで、我が国は救われました。感謝の念に堪えません」
「照れるう」
彼女はほのかに頬を染め、頭の後ろを掻いた。
不遜であろうが、可愛い、と思う。
「ではお帰りは、こちらの扉をお使いください」
大聖堂の地下室の壁に描かれた、祖母が作り上げた扉だ。
「元の場所に戻れるはずです」
「行きと帰りが違うんだ」
「行きは、聖女の適性があるかどうかを判別しなければなりませんし、少々……強引な手を使わせてもらいました……申し訳ありません」
「謝ったんなら許すよ。まあもう気にすんなし!」
そう言って、私の肩をバンバンと叩く。少々痛いが、なぜか心地良い。
「ありがとうございます。実は、先代聖女までは、帰りの門はなく……」
「ええ? なにそれ、ひどくない?」
「はい。ですので、先代聖女……祖母ですが、怒り狂いまして、この扉を作ったのです」
「あーね」
「祖母は、歴代の聖女の中でも大きな魔力を持っており、その力でもって、そちらの世界とスヴェーテ王国を行き来できるよう、この門を完成させました。また、この翻訳具も作りました」
「ヤバ、シゴデキすぎ」
どうやら褒めているようだ。シゴデキ、は褒め言葉なのだな。覚えておこう。
「とにかく召喚したら聖女の了承を取れ、と。そしてダメならこの扉を使ってすぐに帰せ、と」
「それでラズくん、最初に長い話したんだー」
長かったのか、あの説明……。簡潔にまとめたつもりだったのだが。
そしていつの間に、私はラズくんになったのだろうか。
「シゴデキばーちゃん、今なにしてんの」
「その話を私としている最中、祖父に『そこまで言わなくても……』と口を挟まれ」
「うん」
「『実家に帰らせていただきます』と、この扉を使って異世界に」
「マジウケるー!」
そしてまた、手をバンバン叩いて笑った。
ああ、この笑顔をずっと見ていたい。
けれど、それは許されないことだろう。
彼女には彼女の生活が、きっとあるのだ。
私は聖女の前に跪く。
聖女は不思議そうに目を瞬かせた。
「どした?」
「聖女さま、此度のこと、本当に感謝しております」
そして彼女の白い手を取り、唇を寄せる。
顔を上げたとき、聖女は顔を真っ赤に染めていた。嫌そうではない……とホッとする。
「願わくば、聖女さまの御心の片隅に、この愚かな男のことを、わずかにでも留めていただければと」
ほんの少し、ごくたまに、ふとしたときに、思い出してもらえると嬉しい。
すると彼女は口を開いた。
「きゅんです」
「え?」
それから彼女はハッとしたように顔を上げると、ブンブンと首を横に振ったあと、言い連ねる。
「あっ、好きピとかとは違うし! 乃愛はそんな軽くないし!」
「はい、聖女さまは偉大なお方ですから」
前半部分はよくわからなかったが、とにかく軽く扱うなということだろう。
だが彼女は釈然としないふうに、眉根を寄せる。
「偉大とかー……大げさすぎね?」
「そんなことは」
「まあいっか」
へへへ、と聖女は笑う。
「また会おうよ! 扉があんなら、こっち来なね。乃愛、案内したげる!」
「あ。それが……」
「なに?」
彼女は小首を傾げる。
「最初の魔法陣を使った召喚方法でやってきた方でないと、この扉は使えない設定になっておりまして……」
「はあ?」
「ですので現状、私のほうから異世界には行けないのです……」
だから、再び会うためには、彼女から来てもらわないといけない。
「ふーん、そういうことなら、しゃーなし」
そして彼女は私のほうを振り向き、ニッと笑った。
「ラズくんはー、うちのこと、乃愛って呼んでもいいよ」
「乃愛……さま」
「じゃあまたねー!」
大きく手を振り、彼女は扉を開けた。
そして扉の向こうに去ってしまう。
パタンと閉じられた扉は、異世界のどこかに繋がっている。その場所がどこかわかれば、また来れるはずだが、彼女はどうするだろうか。
もう二度と来ないかもしれない。
もしそうでも、それは仕方ないことだ。
でも、できればまた会いたい、と願う。
『きゅんです』が、どういう意味かはわからないが。
できればいい意味でありますように、と思った。
◇
数日後、また扉が開かれて聖女がやってきたという報告が入る。
私はいそいそと、彼女に会う準備を始めたのだった。
了
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