第8話 すれ違う想い
そして迎えた放課後。ときことあかりは、亜子の居る教室へと向かう。
ときこは亜子の方へとまっすぐに進んでいき、前置きもなく話し始める。
「亮太くんが何に悩んでいるか、本当は分かっているんじゃないですかっ」
亜子はその言葉を受け、軽くうつむく。そして、何度かときこと手元の間で視線を動かし、とき小西線を固定して話していく。
「半分くらいは分かっている、くらいですね。亮太くんは、もうひとりの友人と勉強会をしているんです」
「勉強って、自分だけ伸びれば良くないですかっ」
「私に教えてくれたのは、邪魔だと思っていたんですか……? 親しい人のために教えるのは、大切な気持ちですよ」
一瞬だけうつむいた後、あかりはときこに笑顔を向ける。ときこが自分のために手間を掛けてくれた事実は消えはしない。ときこの内心がどうであったとしても。あかりはそう信じていた。
「そうですねっ。あかりちゃんに教えたのは、友達だからですねっ」
「実際、ふたりは親しかったんです。でも今は、その子と、美佳とギクシャクしちゃってて……」
「つまり、亮太くんは美佳さんとの関係で悩んでいると?」
「そういうことなんだと思います。でも、テストを破った理由が分からなくて……。何に怒りを抱いているのかが……」
その理由こそが、問題の本質なのかもしれない。あかりはそう考えた。ただ、亮太は美佳との関係に悩んでいることが全てで、ただの八つ当たりの対象がテストだった可能性もある。それを潰せるだけの根拠も必要だろう。
ときこは、相変わらず笑顔を浮かべたままだ。だが、その中でも何かを考えているのだろう。ほんの少しだけときこが目を細めていることに、あかりは気づいていた。だから安心しながら、亜子の心を軽くするための言葉を続ける。
「原因を調べるために、私達がいるんです。任せてください」
「お願いします。友達として、ふたりの関係が壊れる未来を避けたいんです」
そう言って、亜子は頭を下げる。その姿に、あかりは確かな友情を感じていた。きっと、3人で仲良くしてきたのだろう。亜子にとって大切な友人たちなのだと、あかりには確信できていた。だからときこの様子を確認すると、ときこは笑顔で頷いていた。
「なら、次は亮太くんに話を聞いてみましょうかっ。何か、手がかりがつかめるかもしれませんっ」
「できれば、明日にしてもらえませんか? 今からの時間は、あまり触れてほしくないんです」
その言葉に従い、今日の調査は切り上げると決めたあかりだった。ときこに視線を向け、外に向けて視線をずらし、出ていくように示す。そのまま、ふたりは帰っていった。
事務所に帰ってから、翌日の予定を考えていくあかり。ときこはベッドに入り、足をぶらつかせていた。そんなときこに、あかりは少し低い声でしかりつける。
「調査の手順は、しっかり確認してください! 相手にも、予定があるんですよ」
「完璧にこなしますから、問題ありませんっ」
あかりは額に手を当てながら、首を横に振っていた。呆れの感情を隠せないまま。それからもときこはベッドから出ず、あかりが最後まで予定をまとめていた。
そして翌日の始業前、ときことあかりは亮太の下へと向かう。曇り空の下、亜子は瞳をうるませながらふたりを見ていた。
空き教室には、真剣な目で教科書を見ている亮太が居た。ときこは迷わず亮太のもとに歩いていき、すぐに質問する。
「ずっと見ていればうまくなるのなら、恋も相手を見ればうまくなるでしょうかっ」
亮太はときこに視線を移した後、また教科書に視線を落とす。その様子を見て、あかりは亮太の代わりに返答した。何か、亮太の心を開くきっかけになってくれればと願いながら。
「ある面では正しいですね。相手の気持ちを尊重してこそですから」
その言葉を聞いて、亮太はあかりに視線を向けた。そして少しの間うつむき、息を吸ってあかりに話しかける。
「なあ。相手の気持ちを尊重するって、どうすれば良いんだ? 俺には、何も分からないんだ……」
亮太の姿は、あかりには迷子のように見えた。道を見失って、どうしたら良いのか検討もつかない。そのような様子に。
だからこそ、あかりは亮太に強く共感できた。あかり自身も、ときこと自分を比べ続けた時に何も分からなくなった時期があったからだ。ときこはいつも笑顔のままで、悩みなど感じられない。少なくとも、表面上は。
そんな相手に敵わないという事実は、かつてのあかりを追い詰めていた。別の悩みではあるが、同種の袋小路に居るのだろう。あかりは、そう確信していた。ゆえに、慎重に言葉を選んでいく。
「あなただって、相手を大切に想う気持ちがあるでしょう? それを伝えることこそが、一番の近道のはずです」
「でも、あの子は俺に視線も合わせてくれない……。どうしても、距離があるんだ……」
うつむきながら、か細い声で話す亮太。きっと、美佳に想いを届けることを諦めてしまっている。あかりには、そう見えた。
だが、きっと亮太の本当の望みは、自分の想いを伝えることのはずだ。亮太本人が伝えられないのなら、謎を解き明かした自分たちが伝えることも一つの手だ。あかりは、いつくしむような気持ちで亮太を見ていた。
「好きな人と距離ができたら、近寄りたくなるんですかねっ」
「ときこさん、物理的な距離の話ではありませんよ。結果としては、近寄りたいと思うでしょうけど。その気持ちは、私にも分かるつもりです」
「なあ、俺はどうすれば良かったんだ? 正解があるのなら、その通りにするよ……」
あかりは穏やかな顔と落ち着いた声を意識して、亮太に目を合わせて話していく。少しでも、亮太の気持ちに寄り添えるように。
「私達が、美佳さんに話を聞いてきます。あなたの想いが届くように、協力しますから。ね?」
「謎の答えも、気になりますからねっ」
「ははっ、俺の悩みはついでかよ……。でも、頼む。俺じゃあ、きっと無理なんだ」
そう言って、亮太は深く長く頭を下げる。それに強く頷いて、あかりはときこと共に、美佳が登校してくるのを待つために校門に向かった。
美佳は、どこか元気のない様子で登校していた。背が丸くなり、常に下を向いている姿で。ときこは特に気にかけず、話しかけていく。
「美佳ちゃんですねっ。亮太くんのことは、どう思っているんですかっ」
「もう、ときこさん。前置きくらいしてください。すみません、美佳さん。話を聞かせていただけませんか?」
美佳は少しの間目を閉じ、深呼吸した。あかりには、心の整理をしているように見えた。おそらくは、複雑な感情を抱えているのだろう。
やはり、亮太と美佳の問題は、自分たちが解き明かす必要がある。そうしなければ、亜子の言う通りに前に進めないのだろう。あかりは、そんな予感を覚えていた。
そして、美佳は決意を込めたような瞳で、ときこの方を見る。心の内を、吐き出すかのように。
「亮太くんがテストを破いている姿を見ちゃったんです。それが、どうしても怖くて……」
自分を抱きしめながら、美佳は語る。言葉通りに捉えれば、亮太の暴力性に怯えているというのが素直な解釈だろう。だが、あかりはそう考えていなかった。
なぜなら、美佳の瞳の揺れは、恐怖によるものではなく、罪悪感によるものに見えたからだ。バツの悪そうな顔というのが、あかりの素直な所感だった。
だから、美佳にも何らかの事情がある。それを聞き出すことが、問題の解決につながるだろう。そのために、あかりはゆっくりと言葉を選んで、穏やかに話しかけていった。
「怖いというのは、亮太くんが暴力を振るう人だと思っているからですか?」
その言葉に、美佳は即座に首を横に振った。あかりは、自らの感覚の正しさを確信した。何かのきっかけで、ふたりの関係は大きくこじれてしまったのだろう。それを解きほぐすためにも、美佳の心をひらいていくべきだ。そう考え、あかりは屈んで、美佳に視線を合わせた。
美佳は少しだけ視線を下に向けた後、あかりに目を合わせて、ハッキリと話し出す。
「亮太くんは、私に怒ってるんじゃないかって……。私が、ダメな子だから……」
亮太も美佳も、どちらも自分を責めている。おそらくは、お互いに優しい子なのだろう。あかりはそう感じた。だからこそ、本心を伝え合うことができれば、きっと関係は改善する。あかりは心から信じていた。
ならば、美佳の核心に触れるべきなのだろう。多少の痛みをともなってでも。そうすることが、結果的に二人の傷を最小限に抑える道筋になるはずだ。あかりは、まっすぐに美佳を見つめながら問いかけた。
「ダメな子というのは、勉強会についてですか? それが、うまく行っていなかったんですか?」
美佳はその言葉にうつむいて、瞳を揺らす。そして、足元をどこか焦点の合わない目で見ていた。しばらくして、目をぎゅっとつむり、あかりに視線を向けた。それから、か細い声で話し出す。
「もともと、私が勉強会をお願いしたんです。なのに、私の成績は伸びないままだから……」
美佳の声に力はなく、だからこそあかりには美佳の感情が強く伝わった。自分の無力が悔しいのだろう。手を借りている相手に申し訳ないのだろう。あかりは、かつて自分の成績が伸び悩んだ時のことを思い返していた。
ときこに勉強を教わって、その説明が何も理解できない。一足飛びに結論を告げられて、その過程が全く分からない。それは、自分の頭が悪いからだ。何度も自分を責めた記憶が、つい数日前のことかのように思い出せていた。
だからこそ、自分は美佳に寄り添える。あかりは強く信じていた。自分の気持ちを伝えるべく、優しい声を意識して話していく。
「勉強というのは、教わってすぐに伸びるものではありません。教える方だって、教師役は素人だったりするんですから。勉強会を始めて、どれくらいですか? 数学なら、最低でも三ヶ月は見た方が良いですよ」
美佳はその言葉を聞いて、唇を半開きにしていた。そのまましばらくが経過して、あかりに羨望の眼差しを向ける。
「私は、まだ教わって一ヶ月なんです。もしかして、焦りすぎていたのかな……」
「あかりちゃんなんて、半年かけても10点伸びただけなんですよっ」
ときこの率直な言葉が、今のあかりにとっては福音だった。おそらくは、思ったことを言っただけなのだろう。それでも、あかりが入った言葉に説得力が出る。
実際、あかりには、美佳は少しだけ明るい顔になったように見えていた。心のわだかまりが、少し解けたのだろう。あかりには、そんな実感があった。
「私、数学がとても苦手で……。赤点ギリギリだったんです。数字を見るのも嫌なくらいで……」
「嫌いな授業と嫌いな人なら、どっちの方が嫌なんでしょうねっ」
「人次第ですが、私は好きなもののことを考えたいですね。美佳さんは、どんなものが好きですか?」
美佳は少し目をぱちくりさせた後、ゆっくりと話し出す。
「私は、小説が好きなんです。別の世界に連れて行ってもらえそうで。少しだけ、書いたこともあるんです」
その言葉は、きっと美佳がほんの少しでも心を開いた証。そう考えて、あかりは頷きながら聞いていく。心が軽くなることで、未来に繋がるようにと。
「私が読みたいと言ったら、読ませてくれますか? どんなお話なのか、気になります」
「読ませるのは、恥ずかしいけど……。初恋を叶える女の子の話です」
「それは良いですね。物語みたいな恋を叶えられたら、きっと素敵だと思います」
「私も、その話の主人公みたいに勇気が出せたらって思うんです。告白するのって、きっとものすごく怖いから」
どこか羨ましそうに遠くを見ながら、美佳は語る。きっと、美佳の中にも勇気があるのだろう。それが陰ってしまっているだけで。だからこそ、自分たちが光を差せたら。あかりはそう考えていた。
「小説だと、想いがすれ違ったりしますよね。本当は相手が好きなのに、嫌な言葉を言ってしまったりとか」
「そうですねっ。亮太くんも、隠れた気持ちを抱えていたりしてっ」
あかりはときこの言葉に希望を見た。亮太だって、美佳のことを心配していた。テストを破いたのは、美佳に対してぶつけたい怒りではなかったはずだ。そう信じていた。
だからこそ、それを示すためにも一歩を踏み出す。まずはあかりから。そう決意して、穏やかに言葉を紡いだ。
「例えば、美佳さんに避けられていることに気づいた亮太さんが、テストに八つ当たりしたとかはどうですか?」
「それは矛盾していますよっ。亮太くんがテストを破いたから、美佳ちゃんは亮太くんを避けたんですっ」
「はい。だから、どうして亮太くんがテストを破いたのかが分からなくて……」
その答えこそが、ふたりの関係を大きく左右するだろう。だが、それでもきっと未来は明るいはずだ。そうすることが、自分たちの役割だろう。そんな思いを胸に、あかりはときこを向いて口を開いた。
「まずは、状況を整理しましょう。そうすれば、手がかりが見えてくるかもしれません」
「そうですねっ。情報は、きっと十分に集まっていますよっ」
「なら、本当の答えが……。そうですね。知りたいです」
美佳は軽くうつむいた後、あかりに真っ直ぐな視線を向ける。その仕草に、あかりは美佳の決意を感じ取っていた。だからこそ、しっかりとときこに情報を伝える必要がある。言葉に力が入るのを、あかりは自覚していた。
「まずは、亮太さんが美佳さんに数学を教えていました。そして、亮太さんはテストを破いた。亮太くんは、美佳さんとの関係で何か悩んでいたようです」
「そして、美佳ちゃんは成績が伸び悩んでいましたっ。ダニング=クルーガー効果のように、自信を失っていたんですっ。そうか、自信……」
ときこはあごに手を当て、下を向く。その姿を見て、あかりは安心していた。美佳の成績に目の前で言及した怒りすらも、吹き飛んでしまいそうなほどに。
そして数秒が経過し、ときこは顔を上げる。そのまま、堂々と宣言した。
「中村亮太くん。あなたの想い、届きましたよっ」
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