十四、紹介
この巨大な部屋を出ようとした時に、私の守護獣である火の鳥を隠さなければと気付いた。炎を纏っていなくても、赤い鳥は目立つ。それに、迷宮内への動物の連れ込み自体が禁止されているのに、迷宮から地上に出すなどもっての他だ。
誰かに見られるわけにはいかない。
「このリュックの中に入っててくれる? それと、私がいいって言うまで鳴いちゃダメよ?」
言って分かるかどうかは謎だけど、ちゃんと返事をくれた。短く「キョェキョェキョェ」と。キャキャキャ、の音の方が近いかもしれないけど。
「かわいー。キョエちゃんにしよう」
「優香。それを名前にするのかい?」
「そうだけど」
なおひこは人のペットの名前に、口出しするつもりだろうか。
「いや、なんでもない」
ともかく、キョエちゃんが大人しくしてくれていたので、迷宮受付けでの帰還報告は無事に済ませて、何事も無く家に帰ることが出来た。
それにしても今思うと、とんでもない探索になってしまった。
家に帰れたのが、奇跡みたいに感じる。
でも……私の不幸はここで終わりじゃなかった。
**
「おかえり優香! 無事でよか…………こちらの方は?」
しっかり夜も更けた暗がりの玄関先で、娘が「フードで顔を隠したボロいローブ姿の男」を連れ帰った、母親の反応。これは正しいものだと思う。滅茶苦茶警戒して、眉をひそめて渋い顔をしている。
「あ~っと、あのね、この人はすぐ帰るんだけど、挨拶っていうか……。ていうか、なおひこが説明してよ。私もうヘトヘトなの」
促されて、なおひこが隣から一歩前に出た。
「初めまして。優香さんのお母さん。僕は
そう言って、なおひこはフードをさっと外し、深く頭を下げた。それはかなり綺麗な、というか、どこか中世の貴族男性がするような、そういう礼を。うやうやしくも、毅然とした態度で風格さえ感じる。なによりも――。
「え?」
彼は金髪だった。染めたり色を抜いたりというわけではなさそうな、プラチナブロンドというやつだった。やわらかな、ほどよいウェーブを持っている。襟に掛からない程度の長さで清潔感もある。後ろ姿で顔は見えないけれど。
私はもっと黒髪の、ボサボサッとした感じをイメージしていたのに。
「まぁ……。まぁまぁまぁ! あらあらあら~! ちょっとパパ! パパ! 優香が彼氏さんを連れてきたわよ~!」
「ちょっとぉぉぉ! 何勝手に決めつけてるのよぉ! 走って行かないで! 戻ってきて!」
お母さんは、速攻ですぐそこのリビングに消えた。
「ハハ、何か勘違いされたみたいだね」
そう言って、全く動じずに振り向いたなおひこ。
「ひゃい?」
――めっっっっちゃくちゃイケメン!
外国人? 外国人だったの?
大きな青い目。彫りの深いぱっちり二重。スッと通った高い鼻。その造形の全てが、おとぎ話に出て来るような理想の王子様だった。
「ああ、そういえば優香にも、顔を見せるのは初めてだったね――」
「――君が彼氏君か!」
慌てて出て来ただろうお父さんは、リビングから出たその場で仁王立ちを決めていた。
「お、お父さん……パジャマ姿で威張らないで」
ヨレヨレのやつじゃなくて良かったね。まだおろしたての良い方だ。
「なっ、なっななななんだ、どこの王子様を連れてきたんだ優香!」
「私に怒らないでよ!」
なぜか私に怒るお父さん。
パニックじゃん。もう全員パニック!
「ハハハ。皆さん落ち着いてください」
「あ、あんたが一番ややこしくしてるのよ!」
なぜか私も、ハァハァと呼吸が乱れている。
「それは済まないね。えぇと、優香さんのお父さんお母さん、僕はすぐに帰るのですが、少しだけお話を聞いて頂きたくで来ました。実はこちらで、しばらく女の子を預かって頂きたくて」
「女の子ッ? こ、こここ、こども? お、お前、優香! まさかお前の子ッ――!」
その言葉を言う瞬間に、お父さんはお母さんに、頭をバシンと叩かれていた。
「パパ! そんなわけないでしょ!」
「い、痛いよママ……」
一気にしおれてしまったお父さんは、そのままリビングに追いやられた。と言っても、「どうぞお上がりください」と、お母さんに促されて私たちも一緒に入ることになった。
そこでなおひこは、薄汚れたローブを取ったのだけど……下にはなんと、仕立ての良さそうなグレーのスーツを着ていた。どこからどう見ても、若社長とか、成功した起業家とか、そういう身なりだ。
「あなた、迷宮にそんな服で潜ってるの?」
頭が追い付かない。
「いや、今着替えたんだ。あまりに失礼過ぎたと思ってね」
「どうやったのよ……」
その問いには答えずに、さっさと靴を脱いで上がってしまった。その靴も、オーダメイドらしき雰囲気が漂っていて、汚れひとつなかった。
いつも通りの、掃除の行き届いた綺麗なリビング。壁掛けの大きなテレビモニターには、迷宮に潜っていた中隊が半壊したらしい、というニュースが流れていた。それをお父さんは、そそくさとリモコンで消した。付けていたのは迷宮探索chだろう。もしかすると、私が迷宮に行って居ない時は、ずっとそれを見ているのかもしれない。なぜなら、たまたま付けていただけならお父さんが慌てて消すようなことを、しないから。
「お父さん……」
胸の奥が、きゅっと痛くなった。
「なんだ優香、立っていないで座りなさい。君も遠慮なく座ってくれ。だけど彼氏君。まさかとは思うが……」
「パパ!」
「ま、まだ何も言っていないだろう……」
たぶん、相当変な勘違いをしているけど、変になってしまうくらい心配してくれているのだろう。お母さんに弱いのは変わらなくて、私にはもっと弱いけど……いつも強がってる。さっきみたいに。
お母さんがお茶菓子と紅茶を淹れてくれて、ちょっとしたおもてなしの様子になった。私となおひこは、テーブルを囲んだ四つの椅子に、お父さんお母さんと向かい合う形で座った。
「いやぁ、お母さん、良い一撃でしたね! ハハハ。それで、話の続きなのですが」
座るや否や、なおひこは話をブッ込んできた。居心地が悪いのかもしれないけど、表情は平然としている。むしろ、本当に何とも思っていないような。
その説明は端的で、身寄りのないユカを偶然拾ったけれど、懐かれたので捨て置けなくなったという話になっていた。そういえば、どういう扱いにするかという話を、なおひこと一切していなかったなと思った。
でも、そうなると……強盗に入られた時に、お母さんは面識がある。私と少なからず関係があるというのも知られているようなものだし……辻褄が合うかどうか、不安だ。
「優香、ユカがもうすぐ来るんじゃないか?」
なおひこに促されて、私が呼ばないといけなかったことを思い出した。
「あ、うん。そうね、そろそろかなー」
「協会から連れて来るのか? あそこはいつも急だな」
お父さんは、もちろんお母さんもだけど、協会に対して少なからず不満がある。
私を連れ去ったのも、私が迷宮に潜らなくてはいけなくなったのも、全部協会のせいだから。
「今日はそうじゃないんだけど……ちょっと見てくる」
そう言って玄関を出て、ユカに伝わるか半信半疑のまま、念じてみた。もう来てくれてもいいよ、と。
「おそかったね。お姉ちゃん。呼んでくれないかと思った」
「わっ! どこから出て来るのよ」
いつの間にか後ろに浮いていて、耳元で声を掛けられると心臓に悪い。
「わタし、ずっと側にいたよ」
「ついて来てたの?」
「うん」
どうやら、姿を消すことが出来るらしい。そんな超能力があるなら、今度教えて欲しい……。
でも、いつもと違って、か細い返事だった。少し不安げな感じがするのは、私が呼ばないかもしれないと疑っていたのだろうか。
それでも黙ってずっとついて来ていた、というのなら、なんだかいじらしい。
「地上では浮かずに歩くのよ。いい?」
「わかった」
素直に降りた。でも、よく見たら裸足だ。
「明日、靴を買いにいこうね。お洋服もいくつか。あなた、ずっとそのワンピースだものね」
「お買いもの?」
「そうよ、お買い物」
「やったぁ!」
こうして見ると、普通の女の子だ。中学生よりも幼く感じるけど、見た目は恐ろしいほど綺麗な顔をしている。ちぐはぐな、辛い人生を生きた子のアンバランスな一面というやつだろうか。
そして、リビングに連れて入って、お父さんとお母さんに紹介した。
どこに座らせようかとリビングを見渡していると、ユカが私を椅子に座らせて、その上にちょこんと座ってしまった。
「な、なんだ。お前の子どもじゃなさそうだな。ハハ、安心したよ。もしもと思ってパパは……いやでも、随分と懐いているな」
「パパ? 優香の子なわけないでしょ? それにこの子よ、私を助けてくれたのは。あの時は本当にありがとう。なんてお礼を言ったらいいか……それにしても、まさかまた会えるなんて」
「そうだったのか。妻を助けてくれてありがとう。君のお陰で、私は大切な人を失わずに済んだ。本当にありがとう」
お父さんは立ち上がって、お母さんと一緒に深々と頭を下げた。こういうことは、相手が子どもだろうと誠心誠意で、本当の心からのお礼を言う。そういうところが大好きだから、たまに変なことを言っても、許してしまうのだ。
「それにしても、綺麗な子ねぇ……うちなんかで預かってもいいの?」
「そうだ。親御さんがいらっしゃるだろう。さっきの話も信じるとしたら、もし行方不明だったなら捜索願も出ているはずだ」
お母さんはすでに受け入れ態勢っぽいけれど、お父さんは流石に、聞かれたくないことを指摘してきた。
「お父さん、それはちょっと、色々と事情があって。今は話せないんだけど……」
「事情か……なるほど?」
「えっと、悪いことしてるとかじゃなくて、だけど今はちょっと、話せなくて」
「いや、反対というわけじゃない。優香の頼みなら構わないと思っている。だけどね、ここは優香の家だ。つまり、協会からは少なからず監視があると考えた方がいい。どこかでカメラがうちに向いているかもしれないし、ご近所さんの誰かが協会員かもしれない。そういう心配をしているんだよ?」
さっきまで私の子どもか、なんて言っていたとは思えない発言と冷静さに、私だけじゃなくてお母さんも呆気にとられていた。
「パパって、たまにはちゃんと父親なのね」
「そこは素直に褒めてくれよ、ママ」
その二人の間に、ハートが飛んだような気がしてつい、
「娘の前でイチャイチャしないで」
と言ってしまった。でもそれは、余計な一言だった。さらに二人の空気を出してきたので、始末が悪い。
「ハハハ。仲良しのご夫婦には憧れます。しかし、お父さんがご指摘されたことを、僕も失念していました。申し訳ありません」
「コホン。そうだね、だから彼氏君には、まだうちの優香をやるわけには――」
――バシッ。とまた頭を叩かれた。
「ママ……痛いよ」
「パパのせいで話が進まないのよ。せっかくカッコイイと思ったのに」
彼氏という誤解は、確かに早く解いておきたいけれど。それよりもユカを預かれないというのは、予想していなかった。ずっと家の中で過ごさせるというのは可哀想だし、だけど、お父さんの指摘したことを考えると、外に出してあげられない。
「どうしよう……ユカ、うちで預かってあげたかったのに……」
「お姉ちゃん。わタしは迷宮で一緒にいるだけでも、いいよ」
「それじゃ、今までと同じじゃない。家族の温もりを教えてあげたいの。もっと大切にされる幸せを、知ってほしいのよ」
「よく、わからない」
「うん。だからこそ……」
膝の上の、思っていたよりもさらに軽いユカを、ぎゅっと抱きしめた。私ではまだ、なにもしてあげられない。私のせいで、この家にも置いてあげられない。このもどかしい状況が、どうしようもなく悔しい。
「お姉ちゃん、くるしい」
「あっ、ごめん」
それを見ていたお父さんお母さんも、心苦しそうにユカのことを見ていた。何か察するものがあるのかもしれない。まぁ、さすがにちょっと、小汚い姿ではあるけど。
「……この際だ。別荘でも買おうか、ママ」
「どこにそんなお金があるのよパパ。気持ちは分かるけど」
世知辛い。でも、それなら私がもっと、迷宮でお金になる魔物を倒してくれば、すぐには無理でも……。そう考えた時だった。
「あーっと、そういうお話でしたら、僕に提案があるのですが」
そう言って、なおひこが懐から名刺を出してきた。スーツの内ポケットに手を忍ばせる仕草も、同に入っている。まるで商社マンのような、でもそれよりも、随分と貫禄を感じるけれど。
差し出されたそれを受け取ったお父さんは、無言でテーブルに、お母さんにも見えるように横手に置いた。
「……当社もお世話になっております。まさか、ashiyaコーポレーションの会長でしたとは。娘のこと、よろしくお願いします」
テーブルに額がつきそうなくらい、深々と頭を下げている。
「えっ、あっ、そうなの? あら~。あらあら、まぁ~。優香は可愛いだけが取り柄ですけど、一途な子ですので。どうか末永くよろしくお願いしますねぇ」
「お父さん! お母さん! 何言ってんのよ、もう! 付き合ってないってば!」
「あら~。素直じゃないわねぇ」
――話が進まない。
いや、まさか大企業の会長だとか夢にも思わなかったけど。でも、詐欺かもしれないし……ああ、そうじゃない。そういうことじゃない!
「ええと、僕がご提案したいのは、僕の別荘に住んでもらってはいかがかと。郊外に建てたので敷地も広めに取ってありますし、部屋も十分にあります。ご近所さんも離れていますから、見られる心配もほとんどありません。庭くらいなら、外に出ても大丈夫でしょう」
「そこに、娘も一緒に住む、と?」
「お父さん何言ってんの?」
「あ、いや、あー。もちろん可能です。ご希望されるなら」
「するわけないでしょ!」
「お姉ちゃんも一緒じゃなきゃ、嫌」
……だめだ。頭が回らない。
「ならば、ここで娘との婚姻届けに記入してもらいますが」
「パパ。もうひといきよ」
「お母さんまで!」
このカオスな状況に、ユカが拍車をかけた。
「なおひこ、お姉ちゃんと結婚するの?」
「ハハハ……困ったな」
「みんなもう喋んないで!」
――誰か、これを捌けるツッコミはいないの?
私じゃ無理。話が滅茶苦茶じゃないのよ。私じゃどうにも出来ないわ……。
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