5-3 聖女と清めの儀式


 ベルデさんについて詳しく説明したかったけれど、リリエさんから私たち以外はすでに揃っていると聞いて、艶やかな黄色の衣装と紅色のたすきを身につけると清めの儀式が行われる別棟に急ぐことにした。

 

「姫さま、リリエです。かれん様をお連れしました」


 どうぞ、と凛としたお姫さまの声にリリエさんが夏障子を開くと、村の女性たちが着飾った華やかな様子に目を奪われた。

 清めの儀式というくらいだから厳かに行われるかと思ったら、みんな好きな場所に座りゆったりくつろいで思い思いに話をしている。リリエさんに案内されている間も、数日の間に知り合いになった村の人たちに和やかに挨拶をされながら、空いている席に腰を下ろした。


「かれん様、どうぞ」


 着席するとお姫さまが勝利酒が入っているであろう白い酒壺——お姫さまの瞳と髪の色と同じ青空みたいな青色と金色で複雑な模様が描かれているものを手にしている。目の前に置かれている白くて同じ模様のお猪口を手に持つとお姫さまが酒壺を傾けて静かに勝利酒を注いでいった。


 注がれた勝利酒からは、若葉の香りを含んだような穏やかな薫風くんぷうみたいな爽やかな香りが漂ってくる。


「さあ、全員が揃ったことだし、清めの儀式を始めよう」


 お姫さまの声に、すうっと透明な静けさに包まれると、すだれの隙間から入る風はゆるやかに吹き抜けて頬を涼やかに撫でていく。


 乾杯の合図で勝利酒を口にする。目をつむり爽やかな夏風の香りが鼻を抜けるのを楽しんでいく。口あたりも柔らかくて、思いのほかすいすい飲めてしまう。清めの儀式が始まると、近くの人と自由に話す人たちや卓に並んだ村で採れたびわやそら豆、ちまきなどのご馳走に舌鼓をうつ人たちなど、好きなようにゆったりと過ごしている。


 そんな中、お姫さまだけは酒壺を持ち、村の女性たちのもとへ赴き、お酒を注いで少し談笑すると次の女性たちのもとへ移動をしている。


「姫さまは毎年必ずあのように、村の者たちに労いの言葉をかけてくださるのですよ」


 私の視線に気づいたリリエさんが教えてくれた。お姫さまの言葉を聞いた村の女性たちは、皆嬉しそうな笑みを浮かべていて、この清めの儀式は村の女性たちにとっては、苦労や喜びをひとつずつお姫さまと確かめ合い受け入れてもらう儀式なのかもしれない。目を細め柔和な表情をしたお姫さまは、村の女性たちから慕われているのがよくわかった。

 儀式が始まってからしばらくが経過した後、お姫さまが再び私のところへやってきた。


「かれん様には感謝しても感謝しきれません。かれん様の勝利草で、わたくしをはじめ村の多くの者たちが助かったこと、心から感謝いたします」


 真剣な表情のお姫さまがそろえられた膝に向かい深々と頭を下げたのを見て、ものすごく慌ててしまう。魔力池を見つけたのは三人だし、勝利草もロズに採り方を教えてもらったものだと、わたわたと思っている内に、すっと頭を上げたお姫さまのまっすぐな眼差しに見つめられる。


「うん、……よかった! お姫さまもみんなも無事で、本当によかったよーー」


 気づいたらその空色の瞳をまっすぐに見つめ返して、ただただ笑って答えていた。

 私からの視線を受けるとお姫さまは、つんと顔をそらした。丸見えになった耳は、やっぱりほんのり赤く染まっている。


「えっと、あの、ありがとうございます」

「かれん様は、おかしなことを言うな。これは、かれん様が準備してくださったものだろう?」

「あっ、えっと、お酒じゃなくて、この紅花で染めた衣装、です。お姫さまが準備してくださったとリリエさんからうかがいました。とっても色がきれいで、かわいいし、みんなとお揃いなのも嬉しいです!」

「べ、べつに……清めの儀式は、この衣装と決まっているだけだ」


 ますます顎を上向けて澄ましたお姫さまは、言葉をほんの少し濁したが、ほんのり赤い耳は真っ赤なりんごみたいに染め上がった。私は、白い酒壺を手に取るとお姫さまの前へ差し出した。お姫さまは最初の乾杯の音頭を取って以来、なにも飲み食いしていないのが気になっていたのだ。


「お姫さまも、どうぞ」

「いや、わたくしは、いい」


 空色の瞳を戸惑いで左右に揺らしながらも、きっぱりと断られてしまう。


「そうですか、ごめんなさい……」


 やっぱり私のこと嫌いなのかな、としおしおと肩を落としていると、くすくすと鈴を転がすような声でリリエさんが笑い声を上げた。


「あらあら、かれん様のお酒を断るなんて、いけない姫さまですこと?」

「べつに、そんなつもりではない」

「あらあら、それならお受けしなくちゃいけませんよ」


 リリエさんがお姫さまの手から酒壺を取り上げると、代わりにその手に白いお猪口を手渡した。戸惑っていたお姫さまは、迷いながらも私にお猪口を差し出してくれた。

 その様子が、懐かないのら猫が気まぐれに撫でさせてくれるみたいで、飛び上がりたいくらいに嬉しいけれど、はしゃいでしまったら逃げてしまいそうで、ふにゃりと緩みそうな頬をできるだけ緩めないように気をつけて酒壺を持ち上げる。


「お姫さま、どうぞ」


 口調はできるだけ冷静にしたものの、やっぱり嬉しくて仕方ない私は、複雑な紋様が描かれている酒壺から勝利酒をなみなみとお姫さまのお猪口へ注いだ。酒壺を置くとすかさずリリエさんが私にも勝利酒を注いでくれて、リリエさんの勧めでもう一度乾杯をした。


 ――口に含んだ瞬間。芳醇な香りが鼻を抜けていく。


 美味しい、と呟きながら勝利酒をうっとり味わっていく。お姫さまと一緒に飲むとまた美味しいと思いつつ、村で採れた今が旬のそら豆の茹でたものを口に運ぶ。そら豆はほくほくしていて、旨味がぎゅっと濃縮されていて、とても勝利酒に合うのだ。


「かれんしゃまは、そら豆がすきなのか?」


 そら豆と勝利酒の魅惑のハーモニーに夢中になっていたら、お姫さまから話しかけられた——。

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