3-4 聖女は恩返しを求める
「あんたに……って、まだ名前聞いてなかったな」
ほんのり赤い顔でニカッと笑うベルデさんに釣られて笑い返す。明るくて人懐っこい人だなと思う。
「えっと、花恋です」
「カレン殿か、いい名だな。本当に助かった。では、俺はこれで失礼する」
「えっ! ベルデさん、怪我は大丈夫なんですか?」
「ああ、彷徨いの森の時間は外と違うからな。今日中に、俺は薬草を探して村に戻らなければならんのだ」
先程までの明るい笑顔はなりを潜め、厳しい表情に変わる。ベルデさんの言葉に、彷徨いの森の時間の流れが違うことを思い出した。でも、ベルデさんは知らないけど、回転球のかんざしの結界の中では、一日は一日なのだ。
「……だ、駄目です!」
思いのほか大きな声が出た。
驚いたベルデさんの目が大きく見開いている。
「ベルデさん、さっきラピスが魔物を倒さなければ、私がいなかったら、自分は今ここにいないって言いましたよね?」
「ああ、言ったな……」
「じゃあ、命を助けた恩人に恩を返してから行って下さい」
ベルデさんの眉間に深い皺が寄る。先程の人懐っこい声とは全然違う、這うような低い声が響く。
「……何をすれば、いいんだ?」
「ベルデさんの怪我の手当てをさせて下さい!」
私の周りに魔物はいないけど、大きな魔物はこの彷徨いの森に沢山いるのだ。
怪我の手当てをしたからと言ってベルデさんが無事にこの森を出ることが出来る保証はないし、これは私のわがままだって分かっている。だけど、死が身近に感じたことなんて、今まで一度だってなかった。まして、ラピスが倒さなければ目の前にいるベルデさんは死んでいたのだと思うと、すごく怖い。だから、このままベルデさんと別れるのは、絶対に嫌だった。
あまりに真剣にベルデさんを射抜くみたいに見つめていたら、視線をすっと外された。
「——助かる」
ベルデさんは困ったようにぼそりと小さく呟いたのが耳に届いた。
気が変わらない内にと思って、ベルデさんに腕を伸ばした筈が、ノワルに手を絡めるように繋がれていた。目を瞬かせていると、ノワルがにこりと笑う。
「花恋様、ベルデ殿の手当ては、俺がやりますよ」
「えっ、でも、私がやるって言ったし……。私、保健委員だったから消毒とか出来るよ」
ノワルが深呼吸をすると、とびきりにこやかな笑みを浮かべる。
「花恋様は、ベルデ殿の裸を見たいのですか?」
「……。へっ? は、はだか? ひゃああ! ち、ちちちがうよ!」
「なら、よかった。じゃあ、花恋様はロズを手伝っておいで。ベルデ殿は、あちらで手当て致しましょう」
ノワルとベルデさん後ろ姿を呆気に取られて見送っていると、悩ましいため息が後ろから聞こえ、振り返るとロズが立っていた。
「あれほど知らない人に注意して下さいと言ったのに……カレン様は、仕方がない子ですね」
小さくため息をつくと、するりと腰に腕を回される。ロズの色気纏い警報が発令している。ぶんぶんと首を横にふって違うんだと伝えているつもりが、ロズの腕の力が篭って、密着度が増していく。恥ずかしさがこみ上げて来て、痛いくらいに顔が熱い。
「ふあああ……! ほ、ほら、知らない人じゃないよ? ベルデさんだよ?」
「——カレン様」
「うう、ごめんなさい……。でも、怖いの。あのまま怪我をしたベルデさんと別れて、それで死んじゃったらって思うと、すごく怖いの……」
ロズがぴたりと動きを止めたあと、軽く片方の眉を綺麗にあげると、柔らかく微笑んだ。
「なんだ、それならいいです。てっきり、カレン様は緑色の鯉のぼりが、良かったのかと思ったものですから……」
ふいっと顔を横に向けたロズの耳がほんのり赤らんでいるのを見た途端に、胸がきゅうっと甘く締めつけられる。いつも意地悪を言うロズが、甘えてくれたみたいで、すごくすごく愛おしい。
「私、ロズの赤い髪と瞳が、大好きだよ。たっくんの鯉のぼりの三色が大好きなの……っ! 他の色は、要らないよ!」
ぎゅっと抱きついて言うと、若葉の瑞々しい香りに包まれる。ロズが耳元で柔らかく笑った気配がした。
「カレン様、もう少しこのままいたいのですが、腹ぺこ青鯉のぼりが味見を始めそうです」
「ええっ! それは駄目だよっ! ロズのご飯美味しいもん……っ」
ぱっとロズから離れ、ロズと一緒に火の番をしている腹ぺこ青鯉のぼりのラピスのところへ急いで走った。
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