がたんごとんと車輪が線路の継ぎ目を踏み越える音だけが

 互いに謝りはしたものの、車内は気まずい雰囲気で満たされており、張り詰めた沈黙の中をがたんごとんと車輪が線路の継ぎ目を踏み越える音だけが妙にうるさく響いている。

 向かいの車窓から見える田舎の風景は、もうすぐ春も終わりそうな時期だというのにひどく寒々しく感じてしまう。


 隣の夏陽は先程と変わらず手でお腹を押さえたままじっと俯いた姿勢でしょげている。

 小柄な夏陽の身体がいつも以上に小さく見えた。

 顔色も唇の血色も冷静になってよく見ると随分悪い。相当体調が悪いのだろうか。


 脳内宇宙猫たちは呆れたような、蔑むような目で僕をじっと見つめ続けている。


「何か、何か僕に出来ることはあるか?」


 もう自分は怒っておらず、心底から心配しているのだと伝わるように意識して穏やかな声を発する。

 だけど少し顔を上げてこちらを見た夏陽は迷うように瞳を揺らして開きかけた口を閉ざしてしまった。

 日頃は無遠慮な夏陽の萎縮した様子に罪悪感がじわりと滲んでくる。


「どうすればいい?」


 もう一度だけ問いかけてみた。


 夏陽はわずかに逡巡したあとにおずおずと口を開く。


「じゃあ……肩、貸してください」

「いいぞ」

「あと、手も借りたいです」

「おう」


 夏陽は僕の肩に頭を預け、自分の腰を抱かせるように僕の腕をぐるりと回して、掴んだ手を自分のお腹に押し当てる。


「センパイの手、あったかいです」

「お、おう、そうか」


 変なことを言うもんだから服越しとはいえ夏陽の身体に触れていることを意識してちょっとキョドってしまう。

 脳内では宇宙猫たちが静かにミームダンスを踊りだした。


「ふへへ、センパイっていい匂いですねぇ」

「ちょっと変態っぽいぞ」

「んふふ、シドニウムを感じます」

「何だよシドニウムって」

「志藤優弥から放出される微粒子だからシドニウムです」

「頭の悪いネーミングだな」

「えっ、センパイって実はおバカなんですか?」

「お前だよ……」


 ふへへ、と緩く笑って夏陽は目を閉じる。

 ぐでっと預けられた体の重みは華奢で小柄な夏陽らしく軽いもので、きっとこのまま何時間この体勢でいても決して苦にはならないだろう。


「センパイ、ごめんなさい」

「ああん?」

「今日はちょっと調子に乗りすぎてました。失敗です。予定ではもうちょい可愛く甘えてるはずだったんですけど、しんどすぎて八つ当たりしちゃいました。サイアクです」

「いや、僕の方こそ体調悪い人への配慮に欠いてたから」

「……じゃあお互い様です?」

「お互い様だな」


 ふふっと笑った夏陽は閉じていた目を開いて僕の顔を観察するように眺めている。

 その視線がくすぐったくて、夏陽の綺麗な顔がすぐ近くにあるのが気恥ずかしくてそっぽを向いてしまう。

 そしたらまたふふっと笑われてしまった。

 ちょっと悔しい。


 それきり二人して黙り込む。

 がたんごとんと車輪が線路の継ぎ目を踏み越える音だけが響いている。

 車内に満ちる沈黙はさっきのそれとは違い、崩してしまうことをもったいなく思える心地よさがあった。


 車窓の向こうに見える田舎の風景が、もうすぐ終わる春を名残惜しむように夕焼け色に染まっている。


 静かで穏やかな時間は当然の如くやがて終わりを迎えてしまう。

 一度停車して再び走り始めた電車が次の停車駅をアナウンスしている。


「次ですよね。センパイが降りる駅」

「そうだな。次だ」

「じゃあ、もう、おしまいですねぇ……」


 肩に預けていた頭を持ち上げて夏陽は言う。

 なんでかちょっと寂しそうな、心細そうにしながらお腹に押し当てていた僕の手を剝がそうとする。

 そんな夏陽に、どうしてか僕は、抵抗するように腕に力を込めてしまう。


 何をやっているんだろうか。

 夏陽は驚いた顔をしている。

 脳内の宇宙猫も怪訝そうだ。

 僕だって驚いている。


「嫌じゃなければ、」


 なんか出た。

 口が自分のものじゃなくなったみたいに勝手に動く。


「嫌じゃなければ、お前が降りる駅までこのまま送ろうと思うんだが、どうだろうか?」


 僕は何を言ってるんだろうか。


 ああ。でも。ちくしょう。

 夏陽は戸惑いながらも、ちょっと嬉しそうにしている。

 それがわかってしまう。


「えっと、結構遠いですよ?」

「問題ない」

「帰るの遅くなっちゃいますよ?」

「問題ないさ」

「じゃあ、えっと、嫌じゃないので、お願いします……」


 夏陽の頭がぽすんと再び方に乗せられる。

 にまにまするのはやめてほしい。

 宇宙猫たちはハピハピハッピ―と踊りだす。


 電車は僕の最寄り駅に停まり、ドアが開いて閉じて、再び走り出した。


「んふふー。センパイはなんだかんだで優しいですよね」

「なんだかんだは余計だろ」

「やっぱり私ぐらいウルトラスーパーミラクルカワイイ美少女だと、ついつい甘やかしたくなっちゃいますよねー」

「体調不良の知人に気を使っただけだよ」

「むー、そこは知人じゃなくて大好きで大好きでしょうがないウルトラスーパーミラクルカワイイ美少女って言ってくだないよー」

「お前ってホント自己肯定感高いよね」


 当然の権利で宇宙の真理です、なんて嘯きながら夏陽は笑う。


 がたんごとんと電車は走る。

 先ほどまでと変わり映えしない田舎の風景は妙に新鮮なものに僕には感じられて。

 一つ二つと駅を通り過ぎながら夏陽の住む街へと近づいて行く。


「ねぇ、センパイ」

「何だ?」

「センパイは意地悪でズルいと思います」

「いきなり何だよ」

「だってそうじゃないですかぁ。思いっきり冷たくしてからこんな風に甘やかすなんて完全に悪い男の手口ですよ」

「誰がDV男だ。人聞きの悪い」

「こんな風に甘やかしちゃって、万が一にも私が惚れちゃったらどうしてくれるんですか。責任取ってもらいますからね」


 何言ってんだよ勘弁してくれ。

 女と関わるなんて真っ平だ。


 そう思うのになぜだろうか。

 肩に乗せられた重みが心地よいと、そんな風に感じる自分がいた。

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