37 別れ
風に冷たいものがまざりはじめ、眠りやすい日々が続いても、康介はあまり眠れなくなった。
村を歩けばよそから来た人間と出くわす。声をかけられることもある。野良猫は逃げる。家に帰ってもクロはいない。村はすっかり変わってしまった。
「一時だけだ。すぐにみんな、動画のことなんか忘れる」と大介は言っていたが、TVやSNSなどでいつ蒸し返されるかわからない。それに、マスコミは減っても、動物学者やUMAを信じるオカルト信者などはこの村のことを忘れないだろう。
何かいい手はないだろうか。村人たちも、三毛猫帝国のことを隠すのは限界だと言っていた。猫目当ての外の人間を遠ざけ、村に平穏をもたらす方法……何か、あるはずだ。
実を言うと、康介はひとつだけ、実現可能な方法を見つけていた。しかしそれは、実行に移したくはなかった。だからクロが帰ってきているときも、話をしなかった。
きい、と音を立てて、ドアが開く音がした。康介はベッドから身体を起こし、音の方を見た。
クロがいた。そういえば、今日はずっと家にいて外に出たがらなかったな、と思った。
「どうしたの?」康介は言った。こんな夜更けなら、クロに話しかけても大丈夫だろう。
クロはしばし目を伏せていたが、やがて康介をじっと見つめた。
「お別れを言いに来た」
ああ、そんな気はしてた。
クロは賢い猫だ。きっと、康介と同じ考えに行きつくだろうと思っていた。
「特異体質猫といっしょに?」
「ああ。女帝にトラ、フタ、俺、その他特異体質猫はすべて、港町に移る。この村には一部の野良猫だけが残ることになった」クロは言った。「三毛猫帝国はこの村を去り、北海道から来た野良猫たちに村を明けわたすことにした」
「そうだよね。そういう結論になるよね」
村人たちの頭を悩ませているのは、「しゃべる猫や化ける猫などいないという嘘をつかなければならない」というストレスだ。ならば、特異体質猫が村からいなくなれば、嘘をつく必要もなくなる。
村人たちはミケ十七世たちを決して疎んでいるわけではない。むしろ、村の守り神として、御華屋様に連なる存在として、大切にしているほどだ。だが、その存在がストレスになるというなら、自分たちは去らねばならない、というのがクロおよびミケ十七世の判断なのだろう。
「村の人たちはもう、嘘をつかなくてすむ。他の猫たちも、何人かの村人に、俺たちが去ることを伝えているはずだ」
「お姉ちゃんたちにはあいさつしたの?」
「ぐっすり眠っていたよ」クロは苦笑した。「本当はあいさつをしたかったんだが、港町への移動が急に決まったようなのでな。今晩、発つことになった」
「……そっか」
「康介。君には本当に助けられた。ミケ十七世の心を動かしたのも君だし、アイデアを出したのも君だ。深く感謝している」クロはこうべを垂れた。「君と茜さんに話して、よかった」
「やめてよ」康介はうつむいた。「僕は大したことなんかできてない。決めたのは女帝様で、実際に動いたのは村の大人たちなんだから」
「それでも、その端緒となったのは、君だ」
「……もう、会えないの?」
「俺は殺されない限り死なない」クロは言った。「いつか、また会えるときが来る」
クロは康介の布団の上に飛び乗り、頭を康介の顔にこすりつけた。今生の別れのように、何度も、強く、こすりつける。
クロは器用に網戸を開けると、窓枠の上に立った。
「それから、これも伝えてほしい。あの寝屋川という少年のことだが、気にしないでくれと伝えてくれ。それと、彼がやってしまったことを責めるのも、やめてあげてほしい」
「彼のせいなのに?」
「子供は何かしらの失敗を、たくさんやらかすものだろう?」クロは言った。何となく笑っているように思えた。「これもそのひとつだ。俺も、三毛猫帝国も、彼を恨んだりしない。そう決めたんだ」
「クロは、三毛猫帝国ではどういうあつかいになるの?」
「あの厄介な女帝にほれられたからな。おそらく、彼女といっしょになるだろうな」
「そうなったら、女帝様とクロの子供を連れてきてよ」康介は言った。「約束」
「わかった。約束しよう」
クロは窓から外へ出た。康介はあわてて窓から顔を出したが、もう姿は見えなかった。
その日、村から百匹以上の猫が消えた。三毛猫帝国の使いからの言葉を聞いた村人たちは、その内容を外の人間にバレないよう、しかし確実に伝えた。
翌朝、茜も大介も朱夏も、クロのことはいっさい話題にしなかった。普段のように振る舞ってはいるが、さびしいという気持ちがひしひしと感じられた。クロのことを話しだしたら、おそらくとまらなくなるだろう。泣きだしてしまうかもしれない。
今は我慢できても、いつかそんな日が来る。康介はそう思った。
時雄に対する風当たりは弱くなった。康介も太一も、時雄を責めることをやめた。時雄は十分反省しており、これ以上責めるのは酷というものだった。それに、クロの……三毛猫帝国の方針でもある。子供たちはその方針に従った。
村人のストレスはかなり軽減したようであった。何しろ、嘘をつく必要がなくなったのだから。
「この村にしゃべる猫や化け猫などと呼ばれるものはいない」
それは真実だからだ。これまでは隠しごとをしているという意識があったが、今は真実をそのまましゃべればいい。マスコミがどう言おうが、「いない」ことが真実なのだから、あとは知ったことではない。
マスコミも学者を名乗る連中も、次第にその数を減らしていった。ここにはもう、彼らの興味をそそるものは何もないのだ。欠伸をし、惰眠を貪る猫など、彼らは相手にしない。
「ありがとうございます。やっぱり御華屋様は我々のことをお考えになってくれた」ある老婆が御華屋神社でお祈りをしていた。康介も隣で手を合わせ、クロたちの旅の無事を祈った。
三毛猫帝国は港町に溶けこむことができるだろうか。町の猫たちと仲よくできるだろうか。それとも、ほかの土地を探さざるをえなくなるのだろうか。それだけが心配だった。人間なんかのために、身体を張って熊と戦ってくれたのだ。それが打算から来た決断とはいえ、村人は三毛猫帝国に感謝している。
願わくは、彼らが安住の地を見つけられますように。
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