34 逃げ道

 「敵」はすぐに現れた。

「毎朝TVの者ですが」若い男がへらへらと笑いながら、朱夏に名刺をわたした。朱夏は緊張した面持ちでそれを受けとった。

「あの、うちに何か」

「ええ、実はこの村に人の言葉を話す猫がいる、という噂を聞きまして」男はスマホを見せ「動画もあるんですよ。熊を大勢の猫が倒す動画。しかも最後は、猫が人間になって熊を突き刺してるんですよ」凄い動画ですよね、と男は言った。

 朱夏が平静を装っているのが、居間にいた康介にもわかった。

「さあ、私はあまり詳しくはないのですが」朱夏は言った。「これ、フェイク動画っていうものじゃないですか? 人に化ける猫なんて、いるわけないし、私も見たことがありません」

「いやいや奥さん。奥さんもこの村の住人でしょう? じゃあ、祭りの現場にいたのではありませんか?」男はなおも食らいついてくる。「こんな凄いフェイク動画、作れるわけないじゃないですか。この村には化け猫がいるんですよ。それを村の人たちが総出で隠してるんじゃないですか?」

 男のもの言いは、あからさまな挑発行為だった。頭に血がのぼった康介は居間から飛びだそうとしたが、

「待って」

 茜に肩を押さえられた。「今怒って出て言ったら、向こうの言うことを認めるようなものよ。ここは、お母さんに任せましょう」耳もとでささやかれ、康介は深呼吸して気分を落ちつかせた。

「失礼ですが、スマホやパソコンで検索をしたことはないのですか?」朱夏は言った。「世の中には、この程度のフェイク動画、あふれてますよ。日曜日の特撮番組だって、今は凄いんですから」

「ですが奥さん、この動画は──」

「根鈴祭りには外国人の方が来ることも多いんですよ。そういう方が、動画を撮って、ハリウッド顔負けの特撮処理を施したのかもしれませんよ」

「こんな村に外国人ですか」

 こんな村と言いやがった。康介は胸が気持ち悪くなっていくのを感じた。

「ええ。毎年、ハワイに行く家もあるぐらいですから、向こうから来ることもあるんですよ。たしかオランダやフランスに知りあいがいる人もいたんじゃないかしら。どなたかは忘れましたけど」朱夏は笑みを浮かべた。「困ったものですね。こんな動画を作って。きっとその人ですわ」

「ああ、わかりました」男は言った。「奥さんはこの現場にいあわせてなかったんですね。では、このときに現場にいた人を紹介していただけませんか」

「そう言われましても」

「動画に映ってる方で、どなたか」

「勝手に名前を出しては叱られてしまいます」

「ではお子さんと話しをさせていただけませんか」男はにやりと笑った。「お子さんなら、正直に話してくれそうだ」

「なめてるわね」茜が小声で言った。「子供ならくみしやすいと思ってる。ふざけてる」茜の言葉には怒りがにじんでいた。

「とにかく、私ではわかりませんので」いい加減いらだちはじめたのか、朱夏の言葉には棘があった。「出ていってください」

 なおも押し問答があったが、朱夏はTVクルーを家から追いだした。ふう、とため息をつき、「面倒ね」と言った。

「これから、ああいうのが増えるのかな」茜が居間から顔を出した。

「そうね……増えるかもしれない」

「大丈夫、だよね」康介は不安そうに言った。「村の人たちは、猫たちを守ってくれるよね」

「そこは大丈夫よ」朱夏は言った。「猫は根鈴村の神様。その猫たちと共存するって道を選んだんだから、おかしなことはしないわよ」

「でも、寝屋川君みたいなのがまた出てきたら……」

「それはないでしょう」ふふ、と朱夏は笑った。「秋山君と康介が怒ったように、そんなことをする人が現れたら、村の人間が黙ってない。へたすると追いだされるわ」

「だといいんだけど」

「そういえば、康介、自由研究はどうなったの? まさか変なこと書いてないでしょうね」

「クロのこと書いたよ」康介は言った。「怪我をした猫はどうやって傷を治すのか、どんな薬を使うのか、回復までどれだけ時間がかかるのか、手術の内容は……っていうのを自由研究にした」

「こないだ隣町でクロの薬をもらいに行ったとき、看護師さんに熱心に訊いてたのはそのことか」茜が言った。「転んでもただでは起きないわね」

「転んだのは僕じゃないんだけど、考えてたことが全部駄目になったから……。クロからも話を聞いた」また近場ですませたな、と太一から嫌味を言われたことは黙っておく。

「ふうん。ところでクロは?」

「居間じゃないの?」

 茜は居間を見わたしたが「いないよ」

 二階かな、と思い階段を見あげると、クロが座っていた。玄関を一望できる場所だ。さっきの朱夏とTVクルーのやりとりは全部聞いていたようだ。

「クロ、どうしたの?」朱夏がおいで、と呼びかけた。

 クロは包帯がとれ、いつもの姿に戻っていた。こまめにブラッシングをしているため、毛は艶々だ。

 クロは朱夏の言葉にはこたえず、黙って階段をおりてきた。玄関の前で座りこむと、「にゃー」と鳴いた。

 普通の猫みたいなことしてる、と思ったが、まだTVクルーが家の近くをうろついているかもしれない。クロはあくまで、普通の猫を装っているようだ。

 朱夏はドアを開けると「病みあがりなんだから、なるべく早く帰ってきなさいね」とクロを送りだした。

 根鈴村の異変は、これだけにとどまらなかった。

 康介が学校で授業を受けていると、窓から見かけないワゴン車が見えた。中からマイクやカメラを持った人たちが出てきた。まっすぐに校舎に向かってくる。こんな小さな村の学校には、守衛室のようなものはなかった。

 校舎の入り口で、教師が彼らをとめた。TVクルーらしく、カメラを教師に向けて押し問答している。その声が二階で授業を受けていた康介たちにも聞こえてきた。

「ちょっと自習してて」そう言って担任の安藤教諭が教室を出ていった。

 康介と太一は気になって、教室から顔を出した。中学生にとがめられたが、彼らも興味があるらしく、同じように首を出した。一階で相当大きな声で話しているらしく、何もかも丸聞こえだった。

「だから困るんですよ、今授業中なので」安藤の声だった。

「少しでいいんです。子供たちからお話を聞かせてください」TVクルーらしき男性の声が聞こえた。

「お時間はとらせませんので」今度は女性の声だった。

「アポイントメントはとっているんですか」校長が声に怒気をふくませて言った。いつもの優しい校長の姿からは想像もできない声だった。

「ああ、いえ、それは」

「アポがないならお帰りください」校長が断ち切るように言った。

「……わかりました。では、先生方におたずねします。この動画、ご存じですよね」

「ええ。誰かわかりませんが、こんなものを作ったことぐらいは」

 康介と太一は時雄を見た。時雄は教室の隅で縮こまっている。

「作った? ではこれは偽物だと?」

「フェイク動画ですよ。猫が人間に化けるわけないじゃないですか」安藤が言った。

「ですが、猫が大挙して押し寄せて、熊を倒したのは本当なんですよね」

「熊が出たのは本当です。ですが、猟友会の方がしっかりしとめてくれました。この猫そのものがフェイクです。私は、見ていません」安藤は毅然と言いはなった。

「それはあなたが、太鼓台を担ぐ側にまわっていたからでしょう?」男が言った。男は根鈴祭りについて調べあげ、安藤の逃げ道をふさごうとしていた。「あそこにいた人を紹介してください。これは大事件です」

「何が大事件ですか。こんな、おかしな動画ひとつで」校長が言った。

「いいえ、大事件です。もし、猫が人の言葉を理解しているとするなら、大事です。私たちのまわりには野良猫がたくさんいます。私たちは猫に監視されていることになります」

「そんなことあるわけないでしょう。妄想もいい加減にしてください」安藤が強い口調で言った。「帰ってください。これ以上、学校の敷地にとどまるなら、警察を呼びますよ」

 その後、すったもんだはあったものの、TVクルーはワゴン車へと戻り、学校からはなれていった。

 太一は時雄をにらんだ。「お前のせいで、大変なことになったじゃないか。どうしてくれるんだ」

「ど、動画はもう削除したよ」時雄は弁解するように言った。

「無駄だよ。一度ネットに流れたものは一生消えない。デジタル・タトゥーってやつだよ」男子中学生が言った。「本当に、なんてことしてくれたんだ」

 高学年の小学生や中学生たちの厳しい視線が、時雄に突き刺さる。低学年の子供たちは不安そうに両者を見つめている。

 突然、時雄が、わっと泣きだした。

「仕方なかったんだよ!」時雄は泣き叫んだ。「みんな、僕のことは秋山君の腰巾着ぐらいにしか見てないし、立原みたいに頭よくないし……面白い動画を撮って、見返してやろうと思っただけだ!」

 それが本音か。だからいつもスマホを構えていたのか。康介が太一にいじめられているときも。

「まさかお前」太一も気づいたようであった。「俺が立原にやってることをネットに流したりしてないだろうな」

「するわけないだろっ! そんなの流したら炎上するに決まってるじゃないか!」

「そこまで考えられるのに、何で祭りのときの動画を流したんだ! あんなの流したら、炎上よりひどいことが起こるって、どうしてわからなかったんだ!」太一は本気で怒っていた。

「だから、ごめんよ」時雄は大声で泣きだしはじめた。「面白いと思ったんだよ!」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る