23 生死の境

 車の後部座席で、康介と茜はクロを見守っていた。クロを毛布につつみ、できるだけ揺らさないようにする。

「頑張って、クロちゃん」茜は声をかけ続ける。「きっと助かるから」

 短く息を吸い、吐く音がかすかに聞こえる。それが返事のように、康介には思えた。

 国道をぶっ飛ばし、きっかり一時間で康介たちは隣町の動物病院に到着した。看護師にクロの姿を見せると、すぐに医師を呼んでくれた。医師は「急患が入った」「今すぐ手当てしないと死んでしまう」と告げ、クロを診察室へ入れてくれた。待合室で待っていたほかの飼い主は何も言わなかった。康介たちは待合室の人たちに頭をさげ、診察室に入った。

 すぐに手術が行われることになった。朱夏と茜が話しをしているが、康介にはよくわからなかった。暑い中、水分もとらずに走ってきたせいで、頭が少しくらくらしている。だが、クロの姿を見ると、頭の中がはっきりした。毛にへばりついた赤黒い血は、康介に現実を思いださせるのに十分だった。

 康介たちは待合室に戻り、クロの手術が終わるのを待った。途中、朱夏が看護師に呼ばれた。康介たちも行こうとしたが、朱夏にとめられた。

「お昼、食べてないでしょ」朱夏は茜に一万円札をわたし「これで何か食べてきなさい。たしかこの通りに、おそば屋さんがあったと思うから」

 康介はクロのそばにいたかったが、自分には何もできないし、むしろ邪魔になってしまうかもしれないと思い、黙って朱夏の言うことに従った。

 病院を出て五分ほど歩くと、そば屋が見つかった。昼時だが、大して混んではいなかった。

 康介があまりに暗い顔をしていたからか、茜が「とにかく何か食べよう。クロが元気になっても、私たちが暑さでへばってちゃどうしようもないじゃない」と言った。

 茜の言うことはもっともだ。自分たちは、できるだけのことはしたのだ。あとは、医師と母に任せよう。

 康介は両頬をぱちんと軽く叩き、運ばれてきたお茶を勢いよく飲んだ。

 茜はざるそばの大盛りを、康介はざるそばと天丼のセットを注文した。テーブルに食事が並べられると、腹がぐうと鳴った。気持ちは急っていても腹は減るんだなと、康介は当たり前のことを思った。

 食事が半ばまで進んだところで、茜が「どこでクロを見つけたの?」と問いかけてきた。

 康介はフタが家に来たこと、クロが女帝のもとを訪れていないこと、子ウサギをかばって熊と戦った可能性があることなどをつつみ隠さず話した。

 はは、と茜は苦笑した。「子ウサギを助けて、ね。うちのクロは勇敢ね」

「無謀だよ」康介はうつむいた。「熊になんか勝てるはずないのに。ウサギなんてほっとけばよかったんだ」

「でもその現場を見ちゃったら、見て見ぬふりはできなかったんでしょうね」茜はそばをすすった。「クロに子ウサギを助ける責任なんてないけど、助けないって選択肢はなかったのよ、きっと」

「でも、死んじゃったら」康介の声は沈んでいた。「死んじゃったら、意味がないじゃないか」

 茜はハンカチで、康介の目もとをそっと拭いた。康介は知らず知らずのうちに、涙をこぼしていた。

「クロは責任感の強い子よ。猫たちを助けるために、腹もくくった。無謀なことをするな、なんてお説教はお門ちがい。むしろほめてやるべきよ、康介」

「……ねえ。僕らは、責任感を持ってクロを飼えてたのかな」

「……そうね。餌はだいたいお母さんがあげてたし、飼い方もはなし飼いだった。責任ある飼い方とは言えないかもしれない」茜は言った。「でも、私たちなりにクロのことは気にかけてたし、かわいがったりもしてた。もし、それで不十分だったって思うなら、クロが戻ってきたら心を入れかえればいいじゃない」

「戻ってくる……かな」

「戻ってくる」茜は断言した。「クロは強い子だから」

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