3-2 証拠証明サイコキラー

 なんともまあ、落ち着かない。

 安藤はソワソワする。こんなの柄じゃなかった。やはり調査部隊は安藤に向いていないことを再確認。確認したからなんだという話ではあるけども、とにかくもっかい確認した。うん、確認は大事である。

 確認したところで、現実を直視しようじゃないか。

 只今安藤はずいぶん簡素な部屋にいた。

 ドラマでよく見る取調室に近い。近いっていうか、そのものなんだけど、とにかく似ていた。部屋の外からこちら側を観察できるような覗き窓や、おどろおどろしい鉄柵のついた窓もないけど、とにかく取調室であった。

 白い机に白い椅子が二脚。それぞれ向かい合うように設置されたソレにそれぞれ座りながら、安藤と──生存者、兎内沙羅とないさらは、確認作業をしていた。

 いやはや、この言葉は正しくないのかもしれない。取調室でやることなんて取調以外にあるか? ない。あるわけがない。ここで誕生日パーティをするようなやつはいないし、突発的に訪れた小さなお客さんのためにプレイルームに改造しているわけでもないんだから。だから正しく取調である。


「それでね、先生が……先生はね、お名前が井上いのうえりいなっていうんだけどね、りいなってお名前がとってもかわいいの。もちろん笑った顔もすてきよ。ほんと。りいなちゃんが赤い宝石のついた指輪をくれたの。とってもうれしくて……」


「……それはいつの話?」


「うんとね、二ヶ月前?」


「今は一週間以内に起こったことを話してほしいわ。お願い」


 この調子だった。

 安藤は別にコミュ力が高いとか、社交性があるとか、カリスマ性を持っているとか、そういった人間関係において必要となるスキルが特段高いワケじゃあない。そりゃ人並みにはあると信じたいけどとりあえず扇動者になることはできないのだった。

 だから、安藤は疲弊している。話があっちこっちに飛んで、時間が巻き戻りまた進み、人物がいつの間にか置き換わっている兎内の話を聞いて、これ以上ないほど疲弊していた。

 安藤は手に持ったボールペンをくるくる回しながら、頭を捻る兎内を観察する。

 兎内は心底不思議そうに言った。


「特に何もなかったよ?」


 時間返せ。



 ……



 兎内沙羅と言う少女は不思議な少女である。

 少なくとも、安藤から見たらそうである。主観的も主観的だが、事実である。安藤は兎内に何か不思議というか、ぼんやりしているというか、なんだか形容できない感情に苛まれる。人物像がうまく掴めない。捉えられない。安藤はメモした兎内の証言を流し読みしながら、今回の悪魔について思考を巡らしつつ歩いていた。夕刻、烏が鳴いている。夕日により廊下が赤く染まっている。


「あー、安藤先輩」


 顔を上げ、前方から佐山が歩いてくるのを確認する。


「兎内沙羅の取調はどうでしたー?」


「……ほっとんど関係ない話で終わったけど?」


「そりゃあご愁傷さまですねー。でも大体そうらしいですよー? 兎内沙羅を担当した人は口を揃えて進まないし与太話が多いし関係ない話をするって評価でしたからねー。進みませーん。進捗ゼロでーす」


「情報屋は? 何か掴めた?」


「ああ、そうそう、ご忠告しようと思っていたんでしたー。手遅れでしたけどー」


 手をパンッと合わせて佐山は笑った。笑い事じゃない。報連相はしっかりきっちりちゃんとしろ。手遅れでしたじゃないのだ。


「あの子……今の兎内って苗字はまあ、最初の苗字でしてねー? 父親が死んだのをきっかけにあの施設に入ったようですが、何回か養子にはなってるんですよー」


「……それじゃ、なんでまだ施設に? 引き取られたんでしょう?」


「死んだんです」


「……?」



 佐山は重苦しい口調で続ける。


「完膚なきまでの怪死です。被害者……と呼んでいいのかわかりませんがー、とにかく被害者。この場合は兎内沙羅を引き取った家庭ですか? 家族で、殺し合ったそうですよー……。家の中は血塗れの惨劇状態。家族を殺して笑ってると、何も知らない兎内沙羅だけが残っていたそうですー」


 安藤は止まりかける思考をなんとか再起動させて、情報を噛み砕いて聞かなければいけないことを聞く。無意識に火傷痕を触る。


「……なんで教会に情報が入ってこなかったの? 明らかに悪魔の仕業でしょう。調査部隊が派遣されるはずじゃあない?」


「それがですねーが自分が殺したって言っちゃってるんですよー。完璧に、自分が殺したかったから殺したんだーって。常日頃から恨めしくてしょうがなかったからー……」


「殺した?」


「そんな感じですねー。犯人が自供しちゃってる以上、そりゃただの殺人事件ですー。おれらが出る幕はありませんよねー」


「その時、兎内沙羅はなんて言ってるの? 一つ屋根の下で殺し合いが起きたとなれば、重要参考人ぐらいにはなるでしょう?」


「知らない、と。自分は寝ていたから、または遊びに行っていたから、または学校に行っていたから、知らない、ですってー」


「そりゃ、またケッタイな……」


 なんの工夫もない感想を捻り出し、安藤は息を吐く。

 兎内沙羅。彼女はなんなんだろう。まるで貧乏神のような荒らし方じゃないか。深い関わりを持ったら死ぬ。理不尽だ。どうしたらそんな人生になる。


「ご忠告でーす、安藤先輩」


 佐山が改まった表情で。


「兎内沙羅に同情しないでください。同調しないでください。親交を深めず、ただ他人として接してください。最悪の場合──」


「……死ぬ?」


「ええ、眉唾ですが。でも兎内沙羅の周りでたくさんの人が死んでいるのは事実なんですー。ジンクスは信じない方ですがー、万が一ってやつですねー。死にたくないんですよ、おれ」


 いやに真剣な声色と顔に気押されて、安藤はとりあえず頷いた。佐山はそれではと言って安藤とすれ違い消えていく。

 安藤はとりあえず情報屋の元へ向かう。知りたければ自分で調べるより情報屋に聞いた方がよっぽど効率的なのだ。

 足取りは重い。



 ……



「安藤さんですか……」


 栗色の髪を持つ少年、情報屋はなんとも機嫌が悪かった。

 扉をノックし返事が返ってくる前に開けて中に突撃したら、超絶不機嫌な顔でパソコンをいじる情報屋の姿があったのだ。舌打ちでもしそうな勢いだった。あ、した。たった今した。態度の悪いやつだ。

 しかしいくら機嫌が悪くとも仕事はする情報屋の性格をよく知っている安藤は怯むことなく仕事を頼み、もう調べてあったので情報屋の語りを聞くことにしたのだ。

 相変わらず薄暗い電子機器の倉庫。モニターを凝視しながら、彼は淡々と伝える。


「兎内沙羅……えー、桃山ももやま一条いちじょう山崎やまざき遠藤えんどう沙羅でもあるワケなのですが、ま、兎内沙羅で統一するのです。今の戸籍はこれなのですし。……で、事件の概要ですが……もうウィキでも読んでくれって感じなのです」


「仕事じゃない。早く続き」


「……面倒な。これ以上は観覧者アウトサイダーとして許せないのです」


 情報屋はオールマイティな脇役になるために己の人格を六つに切り分けた変わり者である。それぞれの役割、役目、やりがい、目的を達成するために、彼は日夜奔走するのだ。機嫌が悪い理由は、ただ物語の聞き役に徹する観覧者アウトサイダーとしての人格が強いからだろう。物語に干渉することを嫌い、物語を鑑賞することを好む厄介な人格である。


影響者インフルエンサー伝達者ポストマンとしては恰好の役目でしょう? いいから、続き」


「今のボクは観覧者アウトサイダーなのです」


 舌打ちをして、それでも情報屋は不機嫌そうに続ける。


「桃山、一条、山崎、遠藤。それぞれの家族が、兎内沙羅を引き取った一週間後に殺し合っているのです。第一発見者は大抵他人です。たまたま訪れた配達員や、友人、知人、親戚なんかですね。兎内沙羅は、殺し合った現場を、一ミリたりとも目撃していないのです」


「……また何度も言うけど、おかしいわね」


「おかしいのです。寝てた? 遊びに行っていた? 学校に行っていた? だからなんだって話なのです。言い訳にもなっていないのです。血は繋がっていないとか、この際関係ないのですよ。……殺し合うほどに緊迫した家庭状況を、感じとれないほど鈍感な人間がいるのですか?」


「それはいいわ。犯人……勝者だっけ? なんて供述してるの?」


「愛されたかった」


「……は?」


「ただ愛されたかったと、一番になりたかったと、そう言っていたのです」


 おかしい。

 だって、佐山の話じゃ。


「ああ、初めは殺したかったって言っていたのですが、じゃあなんで殺したかったかというと、恋人により愛されている、または愛される可能性があるソイツが恨めしかったから、らしいです。意味がわからないのですよ」


 安藤はカラカラに乾いた喉を駆使して、情報屋に質問を重ねる。


「犯人は、その後どうなったの?」


「死にましたのです」


 情報屋はなんてことないように。


「全員、自殺したのです」


「そりゃ、なんとも……」


「ぶっちゃけ、こんなのは序の口なのです。兎内沙羅の父親……兎内絢斗とないけんとですね。兎内絢斗が死んだあと、兎内沙羅はしばらく親戚の家から学校に通っていたのですが、兎内沙羅が所属するクラスで殺し合いが起きたのです」


「えーっと……それは、クラス全員で?」


「兎内沙羅を除く全員、二十九名です。死体は二十八体、勝者が一人、それと兎内沙羅ですね。お隣のクラスもなりかけた……となっていて、負傷者が出てるのです。カッターや鋏を振り回したそうなのです。ま、実際は殺し合いが始まる前に教師か誰かが止めたってことなのでしょうが、です」


「奇怪が過ぎるわね……。親戚はどうなったの? 殺し合った?」


「いや? 殺し合いが起きたすぐに兎内沙羅を施設に預けたそうなのです。その後不審火による火事で全員死んだのですがね」


 死人が多い。

 これまでとは比べ物にならないぐらい、死人が出ている。今まで露見しなかったのがおかしいぐらいの人数だ。兎内沙羅が関わった人間は全員死んでいる。本人が知り得ないところで殺し合っている。

 兎内沙羅は。

 あの少女は、何者なんだ?


「まだ露見していない被害者だっていると思うのです。ただの事故、事件、不幸にもお亡くなりになったって、そう解釈されて、悪魔なんて入る余地もない完璧で人為的なイベントに成り果てるのです。……悍ましいのです」


「……兎内沙羅の周りで人が死に始めたのはいつ?」


「兎内絢斗が死んだあたりですね。……安藤さん、関わらない方がいいのですよ。死ぬのです。統計学者じゃなくてもわかるのです。兎内沙羅と関わった人間はみんな死んでいるのです。もう、ジンクスとか、そういった次元の話じゃないのですよ、安藤さん」


 情報屋はいつになく真剣な顔で。


「はっきり言って異常なのです。磁場が狂っているとでもいうのですか、とにかく兎内沙羅の近くにいれば死ぬのです。くれぐれも、お気をつけくださいなのです」



 ……



 兎内沙羅は死神のような少女らしい。

 情報屋から貰った書類を眺めながら、自室のデスクで安藤は考える。思考を回す。少なくとも五十人以上……いや、下手したら三桁になるかもしれない人数が周りで死んでいて、その全てが不審死、殺人、自殺。非日常にも程がある。意味がわからない。


「……はあ」


 ため息を吐いて書類を床に落として、安藤はベッドにダイブした。修道服に皺ができようが、この際どうでもいい。

 なぜか、頭が重い。

 大した労働はしていないはずだ。兎内沙羅がいくら奇怪な人物だからと言っても、そんな人間はこの世界じゃあ日常茶飯事である。一度は壊れた体だってもう治っているはずで、だからこんなに倦怠感を感じるのは初めてだった。

 外はもう暗い。

 夕方から夜に移り変わる瞬間ぐらいの時間である。のそりと起き上がった。安藤は安藤らしくないことがしたくなったのだ。

 部屋に取り付けてある一台の黒電話。ダイヤルを回す。

 安藤は受話器を耳に当てて、待つ。


『……もしもし?』


 男の子の声が聞こえた。

 控えめで、取り慣れてない電話に少し怖気付いているような声だった。


『えっと、だれ、ですか? おばあちゃんが、迷惑電話なら切れって、言ってて』


「……久しぶり」


 安藤は一言だけ発した。電話の相手が息を呑む。


『おねえちゃん……?』


 男の子は──安藤の弟は、恐る恐る聞いてきて、すぐに歓喜の声を上げた。


『お、おねえちゃん?! ほんとに? ほんとのおねえちゃんなんだよね?!』


「落ち着きなさいな、本物よ。安藤陽葵。あなたの姉。……元気だった?」


『ぼくは元気だったよ! お、おねえちゃん、今どこにいるの?』


「……学校」


『学校? でも、学校やめたって、おじいちゃんが』


「私立の学校よ。寮暮らしだから、帰れないだけ。気にしないで。元気にやってるから。……それだけ、伝えたくて」


『で、でもお母さんは、すごく心配してるよ』


「……」


『帰ってきてよ……』


「……ごめん。もう切る。また電話するから」


 慌てたような懇願の言葉が聞こえたけど、無視して受話器を置いた。

 安藤陽葵はただ家族のために働く。

 たとえ病気の母が心配していても、弟が帰ってきてと懇願しても、安藤は家族のために戦場を駆け回る。それが仕事で、それが生きがいだ。それしか生き方がわからなかった。安藤はただ、人殺しが得意だった。

 たくさん嘘を吐いた。

 それでいいはずだ。

 こんな世界のことは、一生知らないでいてくれ。


「なにやってんだろ」


 安藤陽葵らしくもない。安藤は笑って殺していればいい。そのほうが楽だ。己の薄汚え、狂い切った欲求を家族を養うという綺麗事で実践している方が楽だ。気分がいい。楽ちんで、楽しくて、何より安藤らしくいられる。らしくいたくてここにきたんだから、らしくいろ。人殺しを快楽と捉えてしまうどうしようもない本心を受け入れて、それが安藤陽葵であると笑っていればいいのだ。


 安藤陽葵は安藤陽葵を拒絶したくなくてここにきたんだから。


 これでいい。らしくないことはやめよう。慣れない仕事は、辞めさせてもらおう。レイモンドは起きている……だろうな。寝ているところ見たことないし。

 安藤は部屋を出て、レイモンドの書斎を目指す。

 そういえば。

 そういえば、自分からレイモンドのところへ向かうのは久しぶりだなあ。



 ……



 レイモンドは相変わらず煙草をふかしていた。

 煙たい書斎に不躾に突撃した安藤は、挨拶もほどほどにレイモンドに向き直る。直球に要求を伝える。


「もう、辞めたいのですが」


「なにを? 主語が抜けている。しっかり言え。話はそれからだ」


「調査部隊から、討伐部隊への移動をお願いしたく」


「却下だ。セドリックに怒られるのは私だ。考えてからモノを言え」


 修道服の裾を、ぎゅうと握りしめる。


「もう、やめたいんです」


「セドリックが許可してからにしろ。私の独断で決めていいことではない」


「これ以上は、あたしじゃない。あたしは人を殺したくて、殺すためにここで働いているんです。あたしがあたしらしくいられる場所を求めて、たまたまここが目についたってだけなんです。あなたみたいに神を信仰してるワケじゃない。神崎くんみたいに、アルベルトくんみたいに、ここしか居場所がないワケじゃない。佐山くんみたいにちゃんとした目的があるワケじゃない。あたしは、ただ、あたしを」


「その『あたし』とやらは随分脆いのだな。たかが人殺しを一ヶ月やめろと言っただけだろう。そんなに脆いのなら捨てておけ。それが社会だ。個性なぞいらん」


「あたしは、別に、ここじゃなくてもいい……! 人が殺せるなら異国の戦争にだって行ってやります。でもここにいるのは、単純に神崎くんのことがあるからです」


「……脅しか。ガキだな。神崎なぞどうとでもなる。主の愛子だろうが、精神性は単なるガキだ。子守は他のヤツでもできる」


 安藤は、ただレイモンドを睨む。煙草の煙が薄く立ち上っている。


「やめてえならやめろ。貴様は絶対条件ではない。そんなに人を殺したいのなら、戦争にでも行ってこい」


 安藤は袖口から小さな果物ナイフを取り出して煙草に火をつけようと目線を外したレイモンドの首筋に突きつけた。

 お行儀悪く机の上に乗って膝をつく。至近距離で睨みつける。


「……戻してください。そうすれば殺さないであげます」


「脅しか。野蛮だな」


「喋っていいなんて誰がいいました? 口を閉じろ。てめえはただ、首を縦にふっときゃあいい」


「戦争賛美者が聞いて呆れる。貴様はただ人を殺したいだけだ。理由をつけて、意味を込めて、人を殺したい。合法的に、もしくはスレスレのルール違反で、殺したい。殺したくてたまらない」


「……あたしは!」


「貴様はただ、狂っているだけだ」


 レイモンドは動じず、ただ加えた煙草を下ろす。箱に戻す。


「人間として、完膚なきまでに狂っている。失敗作だ。主に愛されていないのも納得できるな。……貴様は生まれてくるべきではなかった」


 正論。常識。真実。安藤が耳を塞いできた、真っ向からの意見。一般論だ。

 手元が狂いそうになる。突きつけたナイフを首筋に突き刺したくなるのを堪える。手が震えて、安藤は唇を噛んだ。


「生まれてくるべきではなかったんだよ」


「……あなたは、この場所は、あたしを受け入れてくれたんじゃなかったんですか」


「受け入れたさ。あくまで従順な駒ならば、私は貴様を歓迎する。そういう契約だと思ったが?」


「そうですよ。でも、あたしを否定するような仕事はやめろとも言ったはずです」


「……言ったか? とりあえず、やめてえならやめろ。移動したいならセドリックに許可を取れ。話はそれからだ」


 結局レイモンドは最後まで冷静だった。



 ……



 安藤らしくもない。

 そう、らしくないのだ。上官の言うことには従うのが安藤で、上官に逆らわないのが安藤で、言われたことを淡々とこなすのが安藤である。もちろん人を殺すのが好きなのも安藤だ。しかしそれを踏まえても先ほどの安藤の行動は安藤らしくなかった。


「……なに、やってんだろ」


 たかが一ヶ月の、自業自得な謹慎が、イヤに癪に触った。

 そんなに安藤は子供っぽかったのだろうか? わからない。自分のことは誰よりも理解しているはずなのに、わからなかった。不安定だ。

 安藤はただ廊下を歩く。結局無駄だったレイモンドへの直談判。その帰り道。廊下は暗い。しかしいつものことだから、迷うってほどでもない。


「あ、安藤先輩」


 呼びかけられた。


「さっきぶりですねー」


「……佐山くん」


 佐山祥一郎だった。

 彼はカラカラ笑いながら、安藤に近づいてくる。なぜか手元には女児向けのおもちゃを抱えていた。新品のドールハウスである。定価で買ったら一万はくだらない、なかなかのお値段を誇るでっかいヤツ。


「……なにそれ?」


「沙羅ちゃんにプレゼントですー、安藤先輩」


 違和感があった。

 あんなに兎内沙羅を警戒していた佐山がなぜか親しげにちゃん付けで読んでいて、その上お高めのおもちゃを買っている。心変わりにしては早すぎやしないか? まだ半日も経っていないはずだ。


「えっと、なんで?」


「もちろん好かれるためですよー。もっと詳しい話が聞けるようになるために、好感度上げでーす。どんな恋愛シュミレーションゲームでもプレゼントってのは欠かせないですからねー」


「ああ、なるほど……。大変ね」


「他人事みたいに言わないでくださいよー」


 ぶーと口を尖らせて佐山は反論する。


「それに、沙羅ちゃんにゾッコンってヤツ、結構いるんですよー。庇護欲? 保護欲? なんでもいいですけどー、血に塗れた経歴がなければ可愛らしい子ですから」


 同意はできるが、理解はできない。ちゃんと過去を見たのか? ゾッコンって、どういうことだ? 残念ながら安藤は兎内にあまりいい感情を抱いていない。


「というか、兎内沙羅ってここで保護するの? 危険じゃない」


「なーに言ってるんですか、安藤先輩。まだそんなジンクスを信じてるんですかー。危険なんてありませんよー」


 ……?

 言っていることがおかしい、ような。


「ただの一般人ですー。悪魔とはなんの関係もない、被害者ですー。しばらくは教会で保護って形になってー、なにも関係がないことがわかったらまた別の養護施設にって感じですねー。いなくなったら寂しくなりそうですー」


 おかしい。

 佐山は兎内沙羅を警戒していたはずだ。あまりにも不審死が多い彼女の身の回りを訝しんで、怪しんで、関わるなと警告してきたはずで、だから、兎内沙羅を擁護するような物言いは相応しくない。


「でも、兎内沙羅は」


「もー行きますねー、安藤先輩。おやすみでーす」


 急ぐように、佐山は兎内の元へ小走りで向かっていく。安藤は取り残された。

 安藤は放心する。違和感が消えてくれない。なぜか倦怠感があって、思考がまとまらず、安藤らしくない行動をとってしまうことからもわかるように、安藤は本調子ではない。だから、違和感なんて普段の安藤から見たら大したものではないのかもしれない。しれないけど、それでも違和感は安藤の心を支配する。


 兎内沙羅が来てから、ずっとこの調子だ。


 とにかく休もう。もう、考えるのはやめにする。いいことがない。行動に移したところで結果は分かりきっていて、だから意味がないのは理解しきっている。安藤はずっとずっと、殺し以外の自分の行動が、どれだけ価値のないものか知っているから。

 安藤は歩を進める。こんなに足が重いのは久しぶりだと思った。



 ……



 電話がかかってきた。

 安藤が部屋に入ってベッドに寝転がった瞬間、黒電話が甲高い音を発したのだ。渋々受話器をとる。目を擦り、火傷跡を撫でる。


「もしもし、こちら一番隊見張り役、安藤陽葵、ご用件は?」



『久しぶりだな、陽葵くん』



 安藤は部屋に放置されていた拳銃を手に取った。


「天にいらっしゃいます父なる神様。哀れなる信徒をお救いください……」


『一旦ストップだ陽葵くん! 落ち着いてくれ! 今回は戦争ではない!』


「私たちに仇なす……って、なによ傲慢の悪魔使い。エクソシストに電話をかけてくる時点でそれはもう宣戦布告でしょう? ゴタゴタくだらないこと言ってんじゃないわよ。気分が悪いわ」


 安藤陽葵は電話口の相手に──傲慢の悪魔使い、皇五十鈴に、毒を吐いた。

 彼女は一言で言えばクソガキである。暇つぶしに人の命でチェスをやるような腐れ外道である。安藤と同等の存在で、金持ちのお嬢様で、学園の支配者で、傲慢の悪魔ルシファーを従えるイカレ野郎である。


『そう警戒してくれるなよ、陽葵くん。此度はただの皇五十鈴、単なる先輩として電話をかけたんだ。悪魔使いとエクソシストなんて物騒な関係は一旦忘れ、平和的牧歌的な先輩後輩として話をしようじゃないか』


「嘘吐きは天使の器に燃やされるんだけど、そこんとこどう?」


『燃やされる人間は可哀想だなと思う』


「いけしゃあしゃあと他人事にしたわね」


『実際他人事だからな』


 そう言って皇はクスクス笑った。声だけ聞けば相変わらず可愛らしい。


「……要件は」


『……』


「一旦信用してあげる。情報屋に捕捉されるリスクを冒してまでコッチに電話をかけてきたんでしょう? 聞いてはあげるわ。その後殺すかどうか判断する」


『……もの分かりのいい人間は実に好みだ。それでは、簡潔に』


 ゴホンと咳払いをして、皇は改まった口調で言う。



『──兎内沙羅と契約しているアスモデウスは、絶対に祓うな』



 情報を処理するのに五秒ほどかかって、それでも疑問で脳内が埋め尽くされて、安藤は素っ頓狂な声をあげる。


「……は、あ?! なにそれ! てかどういうこと?! アスモデウス……色欲の悪魔でしょう?! まだ出現したって報告すらないし、気配も感じない! なんで兎内沙羅と契約しているって……ああそれより! なんで兎内沙羅を知ってるのよ!」


『落ち着きたまえ、陽葵くん。私が何者か忘れたのかい? 天下の皇財閥次期取締役だ。財閥界では頂点に近い存在なのだよ? それしきの情報が、私の耳に入らないとでも?』


 はあなるほどと納得しかけるが、いくらなんでもそれは通らないだろう。安藤は情報が多すぎて混乱していた。落ち着いて、一旦深呼吸をして、皇に問う。


「……宗教がらみの話よ? 財閥とは関係ない。しかも保護したのは今日の昼。いくらなんでも耳が早すぎる」


『ああ、あそこの施設の支援をしていたのは私だ。私のポケットマネーから支払っていたのだよ。結構設備は整っていただろう?』


「ブルジョワね。イメージと合わないからやめたらどうかしら?」


『ヒドイ。……ま、支援した理由は兎内沙羅がいたからにすぎないからな。もう合わないことはしないさ』


「……兎内沙羅って、何者? あんたが目をつけてるならただものではないってのはわかったわ。でも、アスモデウス? ここ数十年出現していない、大罪の魔王でしょう? いくらなんでも突拍子がなさすぎる」


『あったことあるから。兎内沙羅と契約しているアスモデウスにな』


「……私たちが無辜なる民を守るように、貴方様も私たちを……」


『ストップだと言っているだろう! とにかく話を聞け!』


 安藤は渋々拳銃を置いた。唱えるのをやめた。今は話を聞こう。それから殺そう。


『……いいか? 不可抗力だ。私が救う前に、兎内沙羅は契約していた。もう手のつけようがなかった。というか、アスモデウスがいて助かったって感じだな』


「なにそれ。悪魔と契約していて助かった? そんな馬鹿な話がある? 理由を言ってちょうだい」


『……私は、ルシファーの権能により未来が見える』


「……言ってよかったの、それ」


『ダメに決まっているだろう。しかし説明できないから言った。……兎内沙羅を幸せにするには、こうするしかなかったんだ。幾千もの未来を見て、この道を選んだ。アスモデウスと契約させない限り、あの子は野垂れ死、または自殺、または人を殺して少年院行きだ。アスモデウスと出会ってしまった時点で、もう手遅れだったのだよ』


「……深くは聞かないでおいてあげる。兎内沙羅ってそんなに異常なの?」


『異常さ。世界のバグだ。エラーコードばっか吐き出してる欠陥品だよ。私たちと同じだな』


「嬉しくないお揃いね。で、具体的にどこらへんが異常なの?」


『ヤンデメンヘラレベル100』


「随分端的じゃない。もっと詳しく」


『言えるか阿呆。あれは経験しないと納得できないだろう。人のことをペットかなんかと思ってるんだ、あの子は』


 ああ悍ましいと、皇は珍しく震えた声を出した。コイツがこんな風に語るということは、まあ兎内沙羅は異常なのだろう。


『……話を戻すぞ? とにかく、アスモデウスは父親を失って荒れている兎内沙羅につけ込んで契約させた。今は、アスモデウスは兎のぬいぐるみに化けて沙羅と共にいるはずだ。そのままにしておけ。誰かが気付いても、隠し通せ。施設に預けろ』


「……ちょっと待って。兎内沙羅は父親である兎内絢斗が死んでからアスモデウスと契約したのよね? ……兎内沙羅の身の回りで起きた大量の不審死、殺人事件って」


『ああ、十中八九、兎内沙羅がアスモデウスへの生贄として仕掛けたものだ』


 …… それは。

 それは、防げなかったのだろうか。

 未来を覗き見るコイツは、もっと他の道を示してあげることもできたんじゃないか? 言いがかりもいいところであることはわかっている。でも、そう考えてしまう。元々は父親を失った単なる少女だったはずで、いくら安藤たちのようにイカレていると言っても、まだ、普遍的な人生を歩めたはずだろう。


『……オイオイ、またいらんことを考えているのか? 兎内沙羅がアスモデウスと契約しなければ、まだマトモな道を歩めたかもなんて思っているんだろう』


「……実際、そうでしょ。アスモデウスがいなければ、兎内沙羅はこんな非人道的な行為をすることはできなかった。殺人鬼の素質があったとしても、凶器を渡さなければ一般人よ。……凶器を取り上げなかったのは、あんたじゃない」


 皇が黙った。ため息が聞こえた。

 呆れたように、皇が口を開く。


『まだ兎内沙羅がマトモになれると信じているのか? 会って話してみろよ、すぐ異常性が理解できるぞ。少なくとも、私だって必要がなければもう二度と会いたくない。しかしそんな兎内沙羅だってアスモデウスといれば幸せになれるんだ。私はアスモデウスと兎内沙羅が共にいれるよう、できるだけ支援するだけだ』


「……悪魔と契約して幸せになった人っていると思う? あたしが見てきた限りじゃいないわ。いっぺんたりとも、幸せになったところを見たことがない。だから、兎内沙羅は幸せなんかじゃない。落ち着かせるため? なにそれ。麻薬中毒者に薬を与えて静かになったから異常なしって言っているようなものでしょうに」


『傲慢だな』


「あんたに、言われたく」


『私はただ、不幸にしかならない子供を幸福にするために生きている。私は使命を全うするために、幸せにするために桐生渚とユースフを殺した。生きててもいいことがないかわいそうな子供だったから、殺した。兎内沙羅はアスモデウスと契約すれば幸福になれた。だからほっといた。百人ぽっちの人間が死んだ? だからなんだ? 兎内沙羅が幸せになる方が重要だろうが。私は神とやらに見放された子供を救う。そのために生きている』


 皇は捲し立てた。安藤はほとんど耳に入ってこないソレを聞き流して、一言呟く。


「……傲慢ね」


『君に言われたくないな、陽葵くん』


 ああ、今更、わかった。

 コイツとは、分かりあえそうもない。


「……アスモデウスは祓わないでおいてあげるわ。あんたがそう言うなら、そうしといてあげる。でも、次、人を殺そうとしたら、止める。それでいい?」


『……ま、いいか。とにかく兎内沙羅に関わるなよ。他人になれ。それじゃあ、君に神のご加護がありますように』


 キザったらしい言葉を残して、電話は切られた。

 安藤はベッドに戻る。寝っ転がって、よく見えない天井を眺めた。


「らしくも、ない……」


 ここ最近、調子が出ない。今までの安藤だったら皇の話なんて聞かずに術式を使って撃っていただろうし、話を聞いたとしてもアスモデウスは祓っていただろう。一般人が被害を被るなら、安藤はどんな事情があっても容赦しない。

 安藤は考える。兎内沙羅の安全装置として機能しているアスモデウスを祓えば、どんなことになるか分からないらしい。じゃあ、安藤はどう動くべきなんだろう。優先順位は兎内沙羅か、その他の一般人か。

 安藤は。


「……たのしく、ないな」


 戦争が始まりそうなのに。

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