幕間 少年コックによる栄養指導日記

 バカなんじゃねえのかなと、ユースフ・スライマーンは思った。

 バカである。アホである。自分のことなのに何も分かってねえドアホ。考えなしと言ってもいい。

 再度言うが、ユースフは呆れ果てていた。


 エクソシストの食生活に、ユースフは呆れていた。


 人間って栄養バランス考えて食事を取らないと死ぬんだぜーっていう基本のき、前提条件、世界の常識をガン無視して生活しているこの祓魔師どもに、ユースフは頭を抱えていた。


「転職の相談をしたいっす」


「一週間も経ってないが?」


 レイモンドの書斎。不健康一号ことセドリックに聞いたら転職にはレイモンドの許可がいるらしい。だから、ユースフは着慣れない修道服で直談判しにきていた。

 レイモンドは相変わらず不機嫌そうに煙草を吸いながら書類を睨んでいる。喫煙のデメリットを懇切丁寧に書類にまとめておいておいたのに、きっと一ミリも読んでくれていないのだろうなあ。ちょっぴり虚しかったり。


「貴様を幸福にするという条件でエクソシストとして雇ったのが一週間前。もう転職か? お眼鏡にかなわなかったかね」


「そういうワケじゃないっす。不健康二号」


「は?」


 本音が漏れ出た。思わず口を押さえる。


「失敬失敬。……専属コックとして雇い直してほしいんすよ」


「ああ……貴様の本業はコックだったか。別に構わない。そもそも、エクソシストとしての活躍は期待していなかった」


「辛口評価っすね」


 しかし、ユースフは才能の全てを料理に注ぎ込んでいるような人間なのでどうしようもない。反論はできない。


「で、いいんすか?」


「好きにしろ」


 レイモンドは興味がなさそうだった。実際ないんだろう。今はそれでいい。いつかこの生き急ぎヤローに健康のありがたみと重要さを叩き込んでやる。

 表向きだけは愛想笑いを浮かべて、ユースフは書斎から出て行った。



 ……



 大義名分を手に入れた。

 まずは不健康三号である。


「バカなんすか?」


「どストレートな悪口ね……っと!」


 射撃場である。

 黒髪のおかっぱが可愛らしいエクソシスト、安藤陽葵。彼女は拳銃の射撃練習の真っ最中であった。三百はくだらないであろう空薬莢が彼女の足元に転がっている。

 ぱん、となんとも軽々しい音が響いて、悪魔の形をした的のど真ん中に命中した。満足そうに安藤が頷いて、空になった弾倉を交換する。

 彼女が練習をはじめて、もう半日経っていた。

 それなのに、水分補給すらしていない。バカである。アホである。人間の限界を知らない愚か者である。


「せめて水ぐらいは飲んだ方がいいっす。てかここ数日マトモなもん食べてないっすよね? 食事ぐらいちゃんとしてくださいっす」


「よけーなお世話……あー、はずした」


 会話しつつ撃った弾丸は的のはじっこを掠める。ユースフ的には当たっているの範疇だと思うが、このお嬢さんはど真ん中じゃないとお気に召さないらしい。


「……ここ最近、何食べたんすか?」


「えっと……安売りされてたチョコバー? あとカップ麺……」


「バカなんすか? 栄養バランスって言葉知ってます?」


「固形物食べてるだけ健康だと思いなさい」


 パパパパパと繋がった銃声が聞こえて、全て的の真ん中を貫いた。今度は銃を持ち変える。ユースフに銃の種類はわからないが、なんだかファンシーな形をした銃だった。ああ、あれだ。吸血鬼退治の映画で見たかも。


「いいっすか? 今日から俺はこの教会の専属コックっす。この俺がいるからにゃあもう好き勝手なことはさせないっす」


「んー……難しいと思うわよ。なんてったってワーカーホリックの巣窟みたいな場所だもの。ああ、はずした……」


「当たってるじゃあないっすか」


「心臓に撃ち込まないと意味ないでしょう?」


 よくわからない。

 わからないが、とにかく安藤は不満げだ。どうやら連射ができないタイプらしく、一発撃っては銃弾を詰め込んでいる。めんどくさそう。


「とにかく、安藤センパイはもっと栄養バランスを考えて食事をするべきっす。ダイニングに常駐しますから、食べたいものあったら作るっすよ」


「そりゃ贅沢な話ね……っと! よし! 命中!」


 聞いてねえな?

 ガッツポーズをする安藤にため息を吐いて、まずはここの食糧庫から整頓しようと思った。



 ……



 食糧庫の中は地獄だった。

 健康的という言葉をドブに捨てて踏んづけたような中身であった。なんせ、中身のほとんどがエナジードリンクで構成されていたのだから。食糧庫からエナジードリンク保管庫に改名しろ。


「セドリック・ライトフット……!」


 犯人はもちろん、あのカフェイン中毒者である。

 過去の注文票を見たから間違いない。あの不健康一号はカフェインさえ取っとけば人は生きられると思っている。

 とにかくユースフは暗い虹色に彩られた缶を外に出す。


「ああ、ちょうどよかった……一本もらうぜ」


 犯人が現場に戻ってきた。

 疲れた顔をした金髪碧眼の神父、セドリックは大量に並ぶ缶を一本とってプルタブを開けた。独特の甘い匂いが広がる。


「不健康一号!」


「うわ、びっくりした。なにしてんだユースフ」


「最近のマトモな食事は!」


「なんですか藪から棒に……食事、食事?」


 顎に指をおいて考え込む。そのまま頭を捻って、捻って、結局思い出せなかったのか諦めたように一口飲んだ。

 重症である。

 一介の料理人として、ユースフは見逃せない。ユースフにもプライドってもんがあるのだ。食事の楽しさを忘れてしまった大馬鹿者の頭を叩いて思い出させてやる。

 ユースフはとりあえずセドリックをダイニングにあるテーブルに座らせた。


「セドリックセンパイ。ちょっと座ってくださいっす」


「えー……まだ仕事が」


「いいっすか、人間は食べ物を食べないと死ぬっす。これはオッケーっすか?」


「……そうか?」


「そうかじゃねえんすよ。ちょっと待っててくださいっす」


「おなか空いて……」


「待ってて、くださいっす!」


 念押しした。雰囲気に圧倒されたのか、セドリックは渋々待つことにしたようだ。机に突っ伏して仮眠をとり始める。

 何、まだマトモな調味料も揃っていないここのキッチンで作れるものなぞ限られている。簡単でいい。手軽がベスト。いきなり敷居の高い料理なんて出されても困惑するだけだろう。

 というわけで、サンドウィッチにした。

 挟んだのはハムとレタス。それとトマト。普遍的でなんの工夫もないが、ユースフの手にかかれば一級品となる。

 さささっと作って眠りこけるセドリックを叩き起こす。


「……いただきます?」


「はい、どーぞ」


 寝ぼけた顔で一口齧って、ちょっとだけ目を見開いた。


「……おいしいですね」


「そりゃドーモっす。このユースフ・スライマーンにかかれば当たり前っすよ」


「虚言だと思ってたんだが……ま、一ミリぐらいは信用してやりますよ」


「ひどくないっすか?」


 ユースフ・スライマーンはどこまでも誠心誠意正直者なのに、信用が地に落ちている。まったく、ひどい話だ。何度枕を濡らしたかわからない。

 もくもくとセドリックは食べすすめていく。リスみてえだなあと思いながら眺めた。


「……ごちそうさまでした」


「はい、お粗末さま」


 空っぽになった皿を片付ける。セドリックは心なしか満足そうな顔をしていた。


「いいっすか? 来てくれればなんか作りますから、一日一回は来てくださいっす」


「……ま、努力はしますよ」


 よし、とりあえずセドリックはこれでいい。仕事の都合もあるだろう。いつかは健康的な生活を送らせてやる。


 ここの皆さまが、ユースフを幸せにしてくれたら、ずっと仕えてやる。



 ……



 ユースフ・スライマーンは料理人である以前に裏切り者である。

 幸せになりたいから、裏切る。幸せにしてくれなかったら、裏切る。人間はいつだって幸せになりたくて、だからユースフはその努力を怠らない。誠心誠意、ユースフは真面目に嘘をつかずに裏切る。


 料理人という立場は裏切りやすい。


 真夜中。人が極端に減った教会。ユースフはボイスチェンジャーのスイッチを入れて、公衆電話にテレフォンカードを差し込んだ。十一桁の番号を打ち込む。リンリンと呼び出し音が鳴る。

 情報屋が『蜘蛛糸の魔女』の物見遊山に出ている今がチャンスだ。

 計三十回の呼び出し音の末に、電話から声が聞こえた。


『……もしもし』


 固い少年の声だった。

 ユースフは少しだけ落胆しながらも、にこやかに話しかける。


『こんばんわですニャー、傲慢の悪魔使いの関係者サマ』


『……あー。まず、名前を教えていただけませんか?』


 おや、冷静だ。

 自身の主人が傲慢の悪魔使いだとバレているのに、慎重に電話の相手を見極めようとしている。動揺の素振りもない。

 なかなかに話がわかるヤツかもしれない。


『名前は教えられませんニャー。ご勘弁だニャー。とりあえず、裏切り者ビトレイヤーって呼んでほしいニャー』


『何を企んでいるのですか』


『おっとっと、そんな怖い声出さないでほしいニャー。ニャーはただ、傲慢の悪魔使いサマのお役に立ちたいだけだニャー』


 ユースフはクスクス笑う。せっかく苦労して手に入れた傲慢の悪魔使いの電話番号。ここでおじゃんにするわけにはいかない。ここの教会にはあの情報屋だっているのだ。かなり危うい状況で、ユースフは裏切っている。今は『蜘蛛糸の魔女』の見物に行っているから隙ができただけで、情報屋が戻った時点で、ユースフの負けだ。

 バレたら一貫の終わり。なら成功させるだけ。


『ニャーはにっくき教会に勤めているコックさんだニャー。詳しいことはソチラで調べてほしいニャー。んで、本題ニャー。ニャーは傲慢の悪魔使いサマに惚れ込んでしまったんだニャー。まさに悪魔であり天使みたいなお方についていきたいと思ったんだニャー。ニャーを信用してくれたら、ニャーはニャーの立場を駆使して、傲慢の悪魔使いサマのサポートをするニャー。だから……』


『仲間に入れてくれと?』


『そうだニャー。話が早いニャー』


 数秒間だけ電話の相手は黙り込んだ。考えているらしい。このニャーニャー言っている人物を信用するかしないか。主人に伝えるかどうか。


『……何が目的ですか』


『幸せになりたいんだニャー。教会はニャーを幸せにしてくれなかったニャー。だから、裏切る。ニャーはニャーを幸せにしてくれる人に絶対の忠誠を誓いますニャー』


『随分と安っぽい忠誠心だ。惚れ込んだとか言っていたのは嘘ですか?』


『もちろん、本音だニャー』


 低い笑い声が聞こえた。なかなか信用をもぎ取るのは難しい。相手と傲慢の悪魔使いの詳しい関係性も見えてこない。相手は驚くほどに自身の情報を開示してこない。

 まだかかるな。

 電話からは忍び笑いのような、押し殺したような笑い声が聞こえる。ユースフはじっと待つ。


『いいですよ』


『……は?』


 上手く反応できなかった。


『お仲間にしてさしあげますよ、裏切り者ビトレイヤーさん。傲慢の悪魔使い様に仕える同士として歓迎いたしましょう』


『……ず、随分唐突だ、ニャー? なにか心変わりでもあったのかニャー?』


『心変わりなんてありません。ただ、私は傲慢の悪魔使い様のためだけに生きている者でございます。御心のままに、私は行動しているだけ。貴方を信用し、仲間に引き入れることさえ、あの方は予知してらっしゃった。それならば私は滞りなく、その通りに行動するだけでございます』


『……ああ、狂信者さんだったのかよ、ニャー』


『なんとでもどうぞ。……それでは、期待していますよ裏切り者ビトレイヤーさん』


 切られた。

 ユースフはため息を吐いて受話器を置く。テレフォンカードが吐き出される。

 疲れたが、ひとまずは成功である。あとは実際に裏切るだけ。

 なに、ソチラは簡単だ。ユースフの立場を存分に利用して、寝首を掻く。



 ……



 人間は食べないと生きていけない。

 どんな英雄でも、食べ物を食べなければ死ぬ。だからユースフはこの教会の惨状に呆れ返ったのだ。


 いざという時に毒が仕込めないから。


 ユースフはおにぎりを握りながら考える。怠惰の悪魔ベルフェゴール特製の、大量の睡眠薬が仕込まれたコレ。一口食べたら一週間は過眠症に悩まされる。なに、ユースフは料理人だ。錆び付いたネジだろうが腐りかけのガソリンだろうがおいしく調理してやるのがユースフ・スライマーン。料理人。どんな毒だって仕込んでやる。違和感なんて残さない。苦い毒の優しさを痛感するね。

 問題は、英雄の他に佐山も来たこと。

 佐山なんて元々眼中になかった。堕とすのは英雄だけでよかったのに、このままでは佐山も対象となってしまう。怠惰の悪魔使いは面倒事を嫌う。仕事が増えたなんて言ったら小言を言われてしまうではないか。

 ……ま、いいか。

 どうせ全員眠らせる。英雄が怠惰の悪魔使いの手を取った時点で、全員眠らせベルフェゴールに殺してもらう。晴れてユースフは正式に仲間入りだ。裏切り者はその特性故に簡単に信用してもらえない。だから、手柄が必要になる。

 ユースフは考える。佐山も巻き込むのはあまりいい手だとは言えないが、まあ誤差の範囲だろう。後のことを考えたらまさにそう。早めに退場してもらおうではないか。

 ユースフはおにぎりが乗ったお皿を持って、談笑するお二人に近づいていく。


 ただの料理人、ユースフ・スライマーンとして。

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