2-6 力比べと数の暴力


「きっもちわる……!」


 情報屋はうめいていた。

 ユースフ・スライマーンという裏切り者ビトレイヤーを始末するため、乱奏者ノイズメイカーとしての務めを果たすため、情報屋は全力で術式を使ったのだ。数えきれないほどの鶴を折った。送り出した。音こそが彼の武器であるから、とにかく大量に。

 んで、今は術式の代償でうめいていた。

 船酔いと車酔いと飛行機酔いがいっぺんに来たみたいだった。地面が揺れる。視界が揺れる。三半規管が悲鳴をあげている。

 でも、まだだ。

 まだ、やれていない。


「ああ、ゴキブリみたいなヤロウなのです……おええ」


 ハックした教会の監視カメラ映像。そこには、大量のユースフ・スライマーンが映っていた。百人はくだらないであろう大軍。いや、大群。

 ユースフ・スライマーンが元エクソシストであることを、すっかり忘れていた。

 てへぺろりん。うっかりうっかり。啖呵切っちゃった自分がちょっぴり恥ずかしかったり。ま、そんなうっかりさんは水に流しておいて。ここでユースフの大群を殲滅すればチャラだろう?

 つまりは、数の暴力。それこそ削り合いだ。分身の脆さは確認済み。なら、やれる。できる。ファイトだ自分。一発はしないが、とにかくファイトだ。

 モニターに表示されているユースフたちは、どうやら情報屋を探し回っているらしい。彼が裏切り者ビトレイヤーだってことは情報屋しか知らないから、ここで口封じをしようとしているのだろう。なぜだか蜘蛛の巣塗れ(多分シャーロットの仕業)になった教会の居住区。蜘蛛の糸で開けられなくなったドアをこじ開けようとしている彼らを見ながら、情報屋は恍惚とした笑みを浮かべる。


「ふふふっ! ボク、たくさん注目されちゃってるのです。影響者インフルエンサーとして誇らしいのです。えへへ。もっともっと探すがいいのです」


 情報屋は鶴を折る。もういっそ全自動鶴折り機でも開発しようと思ったが、術式の関係上そうはいかなかった。うまい話は売り切れだったね。

 コピー機から永遠と流れてくるゴシップ記事。折りながら、情報屋は鶴を飛ばしていく。


「ま、探している間に皆殺しにするのですがね。乱奏者ノイズメイカーとしての役割なのですから」


 居住区に、大量の鶴が到着した。

 ユースフたちはなすすべもなく倒れていく。シャボン玉のように弾けて消える。あまりの大音量に監視カメラが揺れて、ところどころノイズが走った。


「……偽物だと死体が残らないのですね。メモっとくのです。あー、気持ち悪い」


 気分が悪い。

 今にも吐きそうだ。

 しかし手は止めない。押し続ける。たとえコチラがどれだけ優位に立っていても、情報屋は気を抜かない。手加減なんてしてやらない。

 だから、人出を増やす。


「セドリックさんに文句言われそうなのです」


 情報屋はなんてことないように部屋を出た。

 一旦鶴作成はおしまい。蜘蛛の巣塗れな廊下をジグザクに歩く。ユースフの大群を避けて進む。

 情報屋は仕事区にある医務室の扉を開けた。

 佐山は寝ている。ずっと、ずっと眠っている。佐山に用はない。

 隣で寝ている、彼女に用があるんだ。


「ボクは探索者シーカー影響者インフルエンサー伝達者ポストマン観覧者アウトサイダー乱奏者ノイズメイカーで……そして、技術者ギークでもあるのです」


 情報屋は、寝ている彼女を叩き起こす。牙の抜けない負傷兵を、存分に活用するために、手に握った注射器を見せた。


「麻酔注射は初めてなのですが、ボクは技術者ギークですから……。ま、痛くはしないのです。多分ね」



 ……



「情報屋見つかったかー?」「まだ」「かけらも」「てかドアの区別がつかねえ」「何人死んだ?」「こっち十人」「こっち二十三人」「十より多いからたくさん」「アバウトだな」「報告ぐらいちゃんとしようぜ」「バックアップ呼べよ」「アイツらいま大乱闘がスマッシュしてる兄弟のゲームやってる」「正式名称で言えよ」「てかマジ? 緊張感は?」「いいから呼んでこいよ」「そうだそうだー。俺帰っていい?」「ダメに決まってるだろアホンダラ」「スマホの充電切れた!」「なースナイパーライフル用の弾持ってるやついるー?」「ねえよ」「蜘蛛の巣塗れなんだけどどういうこと?」「件の魔女の仕業だろ」


 ユースフが会話をしていた。

 平均的な中学校の全校生徒ぐらいの人数だった。つまりはたくさん。数えるのも面倒なユースフたちが、廊下にたむろして、各々会話をし情報を交換し動き回る。バタバタと埃が立つ。

 そこにまた、一人増えた。


「スナイパーライフルの弾、あるわよ」


「まじかナイス!」「待って俺の声だった?」「しらね」「もらえるもんは貰っとこうぜ」「帰りてー」「できることある?」「ぶっちゃけもう逃げね?」「裏切りは得意だもんな」「でもここまで増やしちゃったからな……」「傲慢の悪魔使いが怖いんだよなー」「裏切ってマック行こうや」「さんせー」「俺、一抜けた」「俺モスの方が好き」「は? バーガーキングだろうが」「ここらへんにあったか?」「モス高えじゃん……」「マックが異常とも言えるだろ」「サイゼ行こうぜ」「ドリア食べたい」「はらぺこいる?」「おにぎり食いそびれたー」「情報屋みっけた!」「マジ?どこいた?」「さっきまで医務室!」「情報屋も誘ってバーミヤンいこ」「なんで?」「そこはココスだろうが」「バーカ、ジョリパだろ」「パスタって気分じゃねえんだけど……」


 重なるユースフを、入院着姿の安藤陽葵はスナイパーライフルで撃ち抜いた。

 一気に三十人ほど倒れる。弾けて消える。通路ができる。

 安藤はチューブが刺さったままの腕を軽く振る。どうにも精度が悪い。しょうがないけど、術式に頼るわけにもいかない今、自分の実力でなんとかしなければならないのだ。点滴ってやつはなんて邪魔くさいのだろう。

 左目が使えないのもイタイ。感覚が掴めない。

 ……まあ、こんな大勢だと当たらないってことはまずないんだけど。


「敵襲だー」「俺弾ないんだって」「ナイフって相性悪くね?」「帰りてー」「今こそ数の暴力」「根比べ?」「そうかもな」「どうでもいいだろ」「撃たれた」「反撃しよう」「やらっれっぱなしは性に合わないからな」「突撃ー!」「衛生兵ー!」「いねえよ……」「撃たれたら終わり?」「バックアップまだー?」「呼んだけどまだかかる」「鶴のせい?」「大半は」「しょうがねえ、殺そ」「押し潰してやろうぜ」「圧殺?」「暴殺」「とにかく殺そ」「もう裏切り者だってバレたんだから」「そうそう」「必要経費?」「どうせなら給料もらってからがよかったなー」


 ユースフの声が重なる。それぞれが武器を持ち、安藤を睨む。

 それでもなお、安藤は笑った。久方ぶりの戦争が、楽しみでしょうがないとでもいいたげに、笑った。


「死にたいやつから前に出なさい。ぶっ殺してあげる」



  ……



 数が多い。

 ひたすらに、多い。もうバカなんじゃねえのと言いたくなるぐらいには多い。無作為に増やすな食費がかかるだろうがなんて、安藤には関係ない愚痴がこぼれ出るぐらいには。

 真夜中の廊下で、安藤はただひたすらユースフを殺す。


「追いかけろ!」「ぶっ殺せ!」「なー、ナイフ無くした」「お馬鹿さんいるな」「情報屋は?」「しらね」「見失った」「撃っていいい?」「フレンドリーファイア……」「いいだろ別に」「俺が死んでも代わりはいるもの……」「お前は三人目ではない」「じゃあ撃つね」「待てよバカ!」「射線から外れろー!」


 ユースフたちはただひたすら突っ込んでくる。ほとんど自爆だ。安藤が一発撃てば、笑っちゃうぐらい簡単に大勢のユースフが弾けて消える。この分だとユースフの攻撃がユースフに当たっているっぽい。

 状況は安藤に有利だが、そうでもなかったりする。単純に痛み止めの効果時間の問題だ。切れたら終わり。安藤は動けなくなって、大勢のユースフに殺される。

 なかなかに愉快な状況だ。


「ひひひっ!」


「笑ってる」「イカレてる!」「死にたがり?」「じゃ、殺してやろーぜ」「俺のナイフ……」「泣くなよそんなことで」「どけどけー!」「バックアップはまだか?」「まだー」「オリジナルもうぶっ倒れてるんじゃねえの?」「縁起でもねえな」


 ……先ほどから聞こえるバックアップという単語。それからオリジナル。大元がいるはずだ。きっと、本物のユースフ・スライマーン。


「こういうのって、本体を叩けば偽物も消えるわよね」


 呟く。一発撃つ。ユースフたちが倒れて、それでもまだ突っ込んでくる。

 ……しかし、だ。このユースフたちを振り切って、本物のユースフを探しにいく時間がない。事態は結構拮抗していて、余裕そうに見える安藤は実は窮地に立たされていたりする。

 そこまで考えたところで、突然轟音が鳴り響いた。


「逃げろ!」「情報屋だ!」「撃たれた方がマシ」「さっさと道開けろー!」「う、うう」「何人死んだ?」「たくさん」「いっぱい」「アバウト……」「し、死にたくな」


 安藤は反射的に耳を塞ぐ。安藤は何もしていないのに、ユースフが倒れていく。なんとか目をこじ開けて轟音の正体を確認した。

 大量の鶴だった。

 フェイクニュースを堂々と騒ぎ立てる折り鶴。それが、一直線にユースフの群れに突撃する。バラバラに倒れていく。


「……これは、伝達者ポストマンとしてかしら。それとも乱奏者ノイズメイカー?」


 どちらでもいいか。

 安藤は廊下の壁際に立って、慌てふためくユースフたちを撃ち抜いていく。なに、元から銃声で麻痺していた。安藤には実質ノーダメージ。

 まったく、傍迷惑な増援だこと。

 それでも、やりやすくはなった。安藤はユースフの大群を押し退けながら、ひたすらオリジナル探しに集中する。



 ……



 ダイニングは静まり返っていた。

 安藤は痛み止めが切れてきて、痛みがぶり返し始めてきた体を引きずるように動かす。キッチンに向かう。

 キッチンからはダン! ダン! と叩きつけるような音がしていた。

 安藤は怯まず進む。時間切れになる前に、仕留める。前回は負けた。だから腹いせというワケではないけど、ほとんど八つ当たりのような感じで、安藤はただ敵を滅ぼす。殺す。本物の戦争だ。

 裏切るとは、そういうことだ。

 それだけのことなんだ。


「こんにちは、裏切り者ビトレイヤーさん」


 安藤は、キッチンに佇むユースフに話しかけた。


「……ああ、安藤センパイっすか。どうも。お夜食でも作ります?」


 そういいつつ、ユースフは顔もあげずに一心不乱に叩き続ける。ハンマーを振り下ろし、たまに休んで引きちぎる。

 自分の手を。

 安藤は正直うげえと思った。いたそう。自傷行為は安藤の趣味じゃない。


「そうねえ……とりあえず、お夜食はいらないわ。死んでくれる?」


「たくさん殺したっすよね。まだ殺し足りないと?」


「本物を殺さない限り、殺したとは言えないと思うわ」


「ヒドイ話っすね。俺はただ幸せになりたいだけなのに」


「裏切ったあなたが悪いと思うのだけど」


「幸せにしてくれないなと思った時点で、それは俺への裏切りっす。幸せにしてくれるって言ったくせに幸せにしてくれないのは嘘吐きってことになるっす。だから」


「裏切ったと? 理由になってないわ」


「俺を幸せにすることもできない人間なんて死ねばいいっす」


 話が通じない。

 オーケイ。会話はやめだやめ。安藤はスナイパーライフルを構える。この距離なら絶対に当たる。

 ユースフはさっきから自分の手をひたすら叩き潰している。銃口を向けられても続けている。やめる気配はない。

 ……おかしい。

 コイツは本当に、ユースフ・スライマーンか?


「……あなたは」


「本物か偽物かなんて、どうでもいいと思うっす」


「……」


「偽物であっても、俺は廊下にたむろしていたユースフのオリジナルっす」


「……そう。じゃ、死んで」


 引き金を引いた。

 ユースフは最後まで、自分を増やすのをやめることはなかった。



 ……



「逃げろ逃げろ逃げろ!」


 セドリックは教会の廊下を全力で走っていた。シャーロットを米俵のように抱えながら、必死に走っていた。逃げていた。


「アハハハハハハッ! 逃げてばっかり?! つまんないねえつまんないねえ!」


 ベルフェゴールの哄笑を背に、セドリックは走る。

 ああ、クソッ! どうなっている! 逃げても逃げても行き止まりにつかない。さっきから五分は走っているのに廊下は永遠に続いている。絶対ベルフェゴールの仕業だ。違いねえ。


「きますよ? 回避します?」


「するに決まってんだろアンポンタン!」


 シャーロットが呑気に聞いてくる。セドリックは怒鳴って答え、魔女が笑った。


「『夜霧の切り裂き魔』」


 ベルフェゴールが呟いて、シャーロットは腕を振るった。

 シャーロットの指先からは、キラキラと月光で輝く細い糸が出ている。ひゅるんと空気が揺れて。

 ベルフェゴールが握ったおもちゃのようなナイフがセドリックたちを解体する前にバラバラに砕け散った。


「うんうん! おもしろいねえおもしろいねえ! さっすが魔女!」


「お褒めに預かり光栄ですわ。ベルフェゴール」


 平たい声でシャーロットが返して、また糸を振るう。走るベルフェゴールの足元を切り裂いた。


「あっぶないなあ!」


「セドリックさん、スピードあげすぎかもしれません」


「緩めたら死ぬんだよ大馬鹿者!」


 シャーロットの射程内イコールベルフェゴールの射程内。もどかしい。もどかしいが、命は惜しい。シャーロットという切り札をここで失うワケにはいかぬのだ。


「『キングズベリー・ランの斬首刑』」


 プラスチックでできたギロチンがセドリックの背中とシャーロットのつむじを掠める。地面に突き刺さる。シャーロットが粉々に壊した。今壊してもあとの祭りじゃねえのとは思うが、言ったところでなんになろうか。


「『離魂病誘発射影機りこんびょうゆうはつしゃえいき』」


「……っ! 厄介な!」


 シャーロットが珍しく悪態を吐いて、蜘蛛の巣で出来た、人間一人が隠れられそうなほどの大きさの幕を廊下に張る。ガガガッと音がして、シャーロットはまた糸を振るった。ベルフェゴールの抱える大型の旧式カメラがバラバラに砕け散る。


「勘が鋭い! センスがいい! さすがだねえさすがだねえ!」


 ベルフェゴールが嗤う。裸足で駆けてくる。廊下はまだ続いている。

 鬼ごっこにしてはタチが悪い。


「シャーロット! 攻撃は!」


「一回止まってくだされば、なんとか」


 コイツの曖昧な返事なんで聞いたことがなかった。

 ああ、嫌な予感。悪寒。セドリックはいつだって貧乏くじ。

 だが、泣き言を言っている場合ではない。


「……もう少しだけ、アイツの武器を潰します。それから、ちょっと無茶してください」


「ええ。同意します。アナタがそう望むなら」


「『片時雨狙撃銃かたしぐれそげきじゅう』」


 ベルフェゴールがいやにファンシーなスナイパーライフルを構えた。

 狙いをつけている間に、シャーロットが破壊する。悪魔は笑う。楽しくて楽しくてしょうがないみたいに。



 ……



 つまらない。

 つまらない。繰り返しというのはなんとも退屈である。端的に言えば飽きた。ベルフェゴールは、鬼ごっこに飽きた。

 相変わらずぴいぴい騒ぐエクソシスト(だっけ? 忘れたけど)と魔女。数え切れないほどの道具が壊された。

 もうそろそろ潮時だ。


「『自殺志願者の立ち切り鋏』」


 カラフルに染められた、どこぞのシザーマンが使っていそうなほど大きなハサミ。じゃきんと鳴らす。刃を擦る。


「シャーロット!」


「仰せのままに」


 いきなり止まった。

 ベルフェゴールはちょっとだけつんのめって、それもすぐに戻す。ごく自然な動作でハサミを振るって。

 シャーロットの頭をちょん切った。

 思ったよりも簡単に切れた。ごとんと音を立てながら、魔女の首が廊下に転がる。糸が地面に垂れ下がった。断面から血は吹き出なくて、やっぱ魔女なんだと感じた。

 セドリックは軽くなったシャーロットの体を丁寧に横たえる。


「……で? 何か策でもあったんでしょ? 何?」


「ええ、たった今失敗したところですよ。クソッタレ」


「そりゃあご愁傷様だねえ」


 セドリックは立ち上がって、諦めたように両手を上げた。


「煮るなり焼くなりお好きにドーゾ。殺すなら殺せよクソ悪魔」


「……諦め早いなあ。ベルフェゴールは死にたくないって喚いてる子を殺すのが好きなんだけど……」


「テメエの事情を配慮してやれるような寛大な心は持っていませんのでね」


「……ま、いいや。お仕事が早く終わるのはいいことだもんねえ」


「ええ。私もまだ書類が残っていますので、早く終わらせてえんだよ」


「じゃ、ちょうどよかったかもねえ。もうお仕事なんてしなくていいよ。無理な背伸びはもうおしまいだよ。セドリック・ライトフットらしく死ねるんだよ」


 クスクス笑ったベルフェゴールにセドリックはため息を吐いた。目を閉じる。

 その潔さに少しだけ違和感を覚えて、無視して、ベルフェゴールは呟いた。


「『雷神の鉄槌』」


 黄色と黒のストライプに塗られたハンマー。少しでもかすった物体に高圧電流を流す、一撃必殺の道具。構える。セドリックの頭に振り下ろそうと持ち上げる。


「『蜘蛛糸の魔女』が首を切ったぐらいで死ぬと信じてんなら、テメエはよっぽどの世間知らずだな」


 セドリックがそう呟くのと、横たわっていたはずのシャーロットの首なし死体が動いてベルフェゴールをバラバラにするのは同時だった。



 ……



「ふえー。なんとか祓えましたね」


 シャーロットの首がしゃべった。

 体はゴロゴロ転がる頭を抱き抱えて首に据える。ボンドでも塗ってあったかのように繋がった。やはり人間じゃねえ。


「……子供騙しもいいとこだろ」


「効けばいいのですよ。効けば。魔女がこの程度で死ぬはずがないと、ほんのちょっとでも考えなかった悪魔の落ち度です」


 シャーロットは──『蜘蛛糸の魔女』はクスクス笑った。セドリックは本日何回目かわからないため息を吐く。

 バラバラに分断されたベルフェゴールの死骸を眺めた。パーツごとどころか無作為に無茶苦茶に分断されたそれらは、まだ少し痙攣していた。形がかろうじて残った目玉だけが元気にぎょろぎょろ動いているが、止まるのも時間の問題だろう。あとはアルベルトに頼んで燃やして貰えばいい。

 ……少し、違和感があった。

 いくらなんでも弱すぎるかもしれない。もちろん『蜘蛛糸の魔女』なんてイレギュラーを使ったんだから、記録に残っている戦闘と比べるのは烏滸がましいが、それでもやはり、弱い。本当に大罪の魔王であるのか不安になる。逃げに徹したとはいえ、セドリックが無傷なのも違和感があった。ベルフェゴールにとってはお遊びの延長線で、まるっきり本気を出していなかったとしても、セドリックは二、三回は死ねたと思う。あのベルフェゴールなんだ。むしろ死ななきゃ辻褄が合わない。


 その違和感を口にしようとしたところで、ベルフェゴールの死骸が弾けた。


 シャーロットが身構えたけどほとんど意味はなかった。

 シャボン玉が弾けるように、ぱんっと音がして、跡形もなく消え去った。

 セドリックは唖然とする。悪魔の死骸は、そんな唐突に消えるものじゃあない。しかるべき処置をして、簡単に復活しないようにすることが大事で。それなのに、何もしていないのに消えた。


「どういうこと、ですか」


「……知りたいと望むなら、ワタシは仮説ぐらいは教えてあげられます」


 シャーロットが廊下の奥を睨む。珍しく感情を表に出した彼女の態度に薄寒いものを覚えながら、セドリックは続きを促した。


「ええ、望むに決まってるだろ」


「……偽物だったんです」


 重苦しい口調で。


「今までワタシたちが対峙していたベルフェゴールは、術式で増やされたコピーだったんです。誰が裏切り、誰がベルフェゴールを増やしたのかは分かりません。とにかく偽物だった。デコイ。おとりと言い換えてもいいですね。……ワタシたちは、本物のベルフェゴールを逃してしまったんです」



 ……



 ベルフェゴールは怠惰である。

 ルシファーの頼み事であるとしても面倒なものは面倒で、かったるく、やりたくなかった。面倒なんだもん。怠いんだもん。これは生来の性質なのでしょうがないし、どうしようもないし、そもそもルシファーだって知っていて当然だ。ベルフェゴールに頼んだところで舞台が滞りなく進められることはなく、むしろ悪化させる。どこかしらで破綻する。それを承知で頼んだのなら、サボったベルフェゴールではなく自分の選択を呪うべきである。そうなることは分かり切っていたはずなんだから。


「めんどうだねえめんどうだねえ」


 ベルフェゴールは夜の道を歩く。山の中に建てられた教会から離れていく。分身は置いてったのだから勘弁して欲しかった。てかベルフェゴール本人が突撃したら過剰戦力だし。こんくらいでちょうどいいはずだ。あとはユースフの頑張り次第だね。


「ベルフェゴールは桐生渚を生かそうと頑張っててとっても忙しいのに、わざわざ頼み事なんて、ルシファーも考えなしだ。ベルフェゴールはアスモデウスみたいに浮気性じゃないから、骨の髄まで愛してから捨てたげるの。一秒だって目が離せないんだよ。逢瀬を邪魔されるのは腹立たしいよ。ああ、むかつくねえむかつくねえ。物事は滞りなく行われないとスッキリしないねえ」


 フラフラ歩く。くるりと一回転する。桐生に会えるのが楽しみだ。あの欠陥人間をいじめ殺すのはとても楽しい。面白い。愛おしい。こんなに心が躍ったのは久々だ。なんとも、愉快。チカチカと点滅する街頭の下で、ベルフェゴールはクルクル回る。


「今頃英雄とどんな話をしているのかなあ。英雄を殺せたとしても桐生渚は殺してやらないけどさ。……名実ともにベルフェゴールのものだもん! 簡単に手放してやるかってハナシだよねえ」


「そりゃあ愉快じゃねえ話だな」


 後ろから声が聞こえた。

 ベルフェゴールは反射的に身構え、急いで振り返る。堂々と、ベルフェゴールに相対する人間を睨む。

 橙色の髪。真紅の、ギラついた瞳。装飾品としての十字架のネックレス。焦げ臭い修道服。


「……アルベルト・フォーセット」


「そうだ。天使ウリエルの器、アルベルト・フォーセット。お会いできて嬉しいぜ、ベルフェゴール」


 天使の器は、作られた英雄は勝気に笑った。この怠惰の悪魔を目の前にしてなお、彼は飄々とした態度を崩さない。

 悍ましい。やはり人間ではない。失格じゃない、そもそも資格がない。人間を名乗っているナニカだ。心底吐き気がする。人間ならベルフェゴールのことを素直に怖がっていればいいのだ。虫ケラでも眺めるような見下した目線が気に入らない。ベルフェゴールは間違っていないのに、そもそもその存在自体が間違っていると全否定してくるようなその態度。昔を思い出す。むかつく。それ以上に、その嘲るような態度を崩す行為が面倒だ。


「……めんどうだなあめんどうだなあ。ベルフェゴールはこれから桐生渚とランデブーなの。たくさんたくさん可愛がってあげるの。邪魔しないでくれるかなあ」


「そうかい。怠惰の悪魔は恋愛嫌いだって聞いてたんだが?」


「結婚は悪だけど、恋愛までは否定していないさ。ベルフェゴールの場合恋愛じゃあないしね。人間が犬を可愛がるのとおんなじ」


「愛玩動物扱い? 今頃怠惰の悪魔使いは草葉の陰で泣いてるぜ」


「死んでないさ。ずっとずっとベルフェゴールが飽きるまで、桐生渚は死なないんだよ。神崎雨音がどう頑張ったって桐生渚の希死念慮は治らないし、絶対に死ぬことはない。まさに生き地獄を味わってもらうの」


「どうやったって草葉の陰だよ。オマエが理論を振り翳そうが、桐生渚とかいう欠陥品は死人だ。死にたいという願望を持っている時点で、死人だ」


「……そりゃ極端な話だねえ」


 やはり頭がおかしい。会話ができない。話が通じない。

 天使の器なんてそんなものだ。


「……『夜霧の切り裂き魔』」


 オモチャのようなナイフを握る。かすり傷だろうがなんだろうが致命傷にする、ベルフェゴールの発明品だ。

 会話は終わり。さっさと始末する。

 予備動作もなく、ベルフェゴールは切りつけた。

 どうせ相手はたかがナイフと見下しているはずだ。少しでも擦ればコチラの勝ち。滅多刺しにして殺してやる。


「一、主の他に神があってはならない」


 受けられた。

 手のひらで刃の部分をわしづかみにされて、ベルフェゴールの動きを封じる。それじゃあ傷のひとつぐらいついたかと言われれば、ついていない。

 アルベルトの手のひらが、真っ赤に燃えていたから。


「悪魔に聞くのも野暮だとは思うが、聞いとくぜ。……他の神を信仰したことは?」


「……ウリエル! やっかいだねえやっかいだねえ!」


「質問に答えろよクソガキ」


 アルベルトが乱雑にナイフを奪い取る。ベルフェゴールは素直に手放し、五歩後ろに下がった。用済みだ。次がある。なら、次で仕留めるだけだ。


「『五月雨散弾銃』」


 赤色に塗りたくられたオモチャのピストル。撃てば絶対に当たる散弾銃。引き金を引いた。


「二、神、主の名をみだりに唱えてはならない」


 銃弾が溶けた。

 アルベルトが炎の壁を作ったのだ。まっすぐに対象者へと向かった銃弾は全てウリエルの炎で消えた。

 厄介だ。ベルフェゴールは銃を捨てる。


「三、主の日を心にとどめ、これを聖とせよ。六日働き、七日目は労働をしないこと」


「『キングズベリー・ランの斬首刑』」


 ギロチンがアルベルトの頭上から降ってくる。なんてことないように一歩下がって回避し、アルベルトは地面に突き刺さったギロチンを燃やした。

 期待はしていなかったが、それでもがっかりする。次だ。


「四、父母を敬え」


「『異人殺しの口八丁』」


 古ぼけた拡声器をベルフェゴールは手に取る。すうっと息を吐いて、声を出す前に炎がベルフェゴールを燃やそうと迫ってきていたので一旦中止し回避した。アルベルトを中心に燃え盛っている。

 ──勘が鋭い。

 異様なまでにコチラのやられて欲しくないことをやってくる。もちろん道具名と見た目からどういったものかはある程度予測できることだろう。ベルフェゴールは拡声器を捨て、とにかくアルベルトから離れる。今は距離を取る。


「五、殺すな。六、姦淫するな。七、盗むな。八、嘘をつくな」


 ああ、面倒だ。

 面倒でたまらない。このまま逃げてしまおうか。ベルフェゴールはことごとく道具を壊されたせいでかなりやる気を失っていた。そもそも英雄の成り損ないになんて興味ないし。こんな殺し合いになんの意味があろうか。

 ベルフェゴールは背を向けて逃走し始めた。

 三十六計逃げるに如かず。引き際は大事にしようじゃないか。


「九、他人の妻を欲するな」


 炎がベルフェゴールを追ってくる。しつこい。しつこい男は嫌われる。ベルフェゴールはただひたすらに逃げる。


「十、他人の財産を欲するな」


 最後の戒律が唱えられた瞬間、炎が消えた。

 背中を焼く熱さがなくなった。射程圏を抜けたのか。それなら好都合と、ベルフェゴールは思考を切り替えて振り返る。コチラには射程なんて存在しない。どんな状況にも対応するのがこのベルフェゴールだ。


「『片時雨狙撃銃』」


「『夜霧の切り裂き魔』……だっけ?」


 ファンシーなスナイパーライフルを構える前にナイフが飛んできた。

 プラスチックでできたオモチャのようなナイフだった。アルベルトを切り付けて、奪われたからほっといた、ベルフェゴールの発明品。

 そんなナイフが、浅くベルフェゴールの頬を切り裂く。


「なあ、名前あってたか? ベルフェゴール」


 頬の傷が広がった。

 斜めにつけられた傷は首元まで裂いて、喉に穴を開ける。ベルフェゴールは絶叫した。黒い、粘度のある液体が体から溢れる。倒れ込む。地面を這う。

 アルベルトはゆっくり近づいてきた。お散歩でもしているかのような、気楽な足取りであった。ベルフェゴールの顔を掴んで突き合わせる。


「間抜けなツラしてんな」


 傷口に指を突っ込まれた。


「ぎ、ぃぃ?!」


「……ほんとはさ、十戒の炎って悪魔に効かねえんだよ。本質は人間の罪を裁くものだから、どこまでも対人間用なんだ」


「そ、そりゃあ愉快だねえ! 人殺し!」


「オマエに言われたくない」


 みちみちと傷口が広がって、ベルフェゴールは裂けた喉で叫ぶ。


「で、出来損ないのくせ、に……! べ、ベルフェゴールを、は、祓うなんて」


「できるさ。負担はデカいけど、十戒を通さない、純粋なウリエルの炎を使えば、オマエなんて灰燼に帰す。面倒だからやらねえってだけ。このまま自分の武器で死ね」


「え、英雄じゃない、くせに! 神崎、雨音の、スペアのぐぜ、にい!」


「ああ……その話?」


 アルベルトはひどく怠そうな顔で、ただベルフェゴールの傷口を開く。


「確かにオレはアマネくんのスペアだよ。英雄の出来損ないだ。……でも、英雄の役目をアマネくんに押し付けたのはオレなんだぜ?」


 みちみち、音がする。皮膚が裂ける。


「オレがアマネくんを英雄にした。してしまった。……だから、オレはアマネくんを全力で支援する。オレはアマネくんの代わりに殺す。傷つける。人を殺せないアマネくんの代わりに、オレは人を裁いて殺す。英雄を英雄たらしめるために、オレはアマネくんの手足になるんだ」


「……いが、れで、る!」


「なんとでも言っとけ。オレなりの贖罪だ。……オレは神崎雨音を、完璧な英雄にするために、オレの人生の全てを賭ける」


 狂っている。

 神崎雨音はアルベルトが自分を恨んでいると思い込んでいるのに、アルベルト本人は身も心も捧げている。狂信だ。神崎雨音なら完璧な英雄になれるという根拠のない信用。重ための愛情とも言えぬ執着心。反吐が出る。

 アルベルトは執拗に傷口を抉ってくる。じわじわとなぶり殺すようなその行いに、ベルフェゴールは薄寒いものを覚えた。これなら炎で焼かれた方が良かったかもしれないと、今更そう思い始めた。


「……アマネくんのこと、たぶらかしただろ」


「ひ、ぎ」


「邪魔をするなよ悪魔風情が。オレらの英雄にちょっかいを出すな。話しかけるな。堕とそうなんてもっての他だ。オマエらは神崎雨音を完璧な英雄にするための道具ってことを、頭に叩き込んでおけ」


 たぶらかしてなんていない。やったのは桐生だ。ベルフェゴールはやっていない。ベルフェゴールはただルシファーの言いつけ通りにやっただけで、やってない。ベルフェゴールのせいじゃない。違う。ベルフェゴールは。

 傷口がぎちぎち広がっていく。喉の穴が広がって、こきゅうができない。くるしい。ベルフェゴールはやってないのに、言い訳もできない。


「苦しんで死ねよベルフェゴール。英雄を堕とすなんて大罪を犯した、自分自身を呪っておけ」

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