1-4 それぞれのお仕事
「仕事量の減量をお願いしたいのですが。なあ、レイモンド・仕事馬鹿・フォーセット」
「そんな長ったらしい名前ではない。度重なるカフェイン摂取で記憶が飛んだのか。それと、雑談ならアルベルトに付き合ってもらえ」
レイモンドの書斎で、セドリックは嘆いていた。
大量の書類を始末して、報告しようと持ってきたら倍の量の仕事を渡される。倍々ゲームで増えていく仕事にセドリックは苦しんでいた。苦しみを癒すためエナジードリンクをダースで注文した。もちろん経費。当たり前だろ。
「傲慢の悪魔使いを見つけなければいけないのは分かります。理解できます。そして見つけるためには被害者の関係者を洗い出すのが最善であるのもそれなりに分かります。でも、それで私の仕事が増えるのは納得いかねえ。人間の脳みそは二十四時間三百六十五日働けるようにはできてねえんだよ天使の器ヤロウが。そのご立派なタンパク質でモノを考えろ」
「随分な言いようじゃないか。……身分の洗い出しは情報屋が担当しているのではなかったか?」
「ええ、洗い出された情報を推敲するのは私です。紛れ込んだ芸能人のゴシップを排除するのも私です。やけに誇張された政治的批判をふんだんに盛り込んだ社会情勢記事を消去するのも私です。アイツを死刑にしてください」
「しない」
「そんなご無体な」
レイモンドは提出された書類を斜め読みしながら煙草に火をつける。部屋の中が煙たくなるし火事になるからやめろと言っても聞かないニコチン中毒者がコイツ。
「しかし、情報屋の野次馬根性には呆れるな。まだハッキング癖が治らんか」
「もう天性の才能です。まだ未発表の記事まで探しあてて大騒ぎするんですから。何度かリークされた週刊誌編集者に乗り込まれたんですよ」
「馬鹿もイカレもハサミも使いようだ」
「単なる馬鹿だったら苦労しねえよ」
「それもそうだな。……本当に、単なる馬鹿であったなら苦労はしない。頭のネジが緩み切って、己の欲望にどこまでも素直で、隠す事も隠すという発想もしないイカレは扱いずらいんだ。なあ? セドリック」
「……ええ、なんのことやらと、自身の記憶をひっくり返している次第で」
セドリック・ライトフットは。
セドリックは、大人にならねばならなかったから。
本当に、大人であるセドリックには身に覚えのない話なのだ。
「化けの皮作りか」
「……本当、なんのことやら。マジシャンにマジックの種明かしを要求するような野暮なマネは控えろよ」
「そりゃ失敬」
そう言ってレイモンドは短くなった煙草を灰皿に押し付ける。
セドリックは口を開いた。
「──ま、化けの皮で取り繕う分、大人のクセに大人ではないテメエよりよっぽどマシだと思いますがね」
……
「あ、みっけ」
薄暗い部屋の中は電子機器でいっぱいだった。
太陽光も何もかも遮断された部屋。目一杯詰め込まれた電子機器は各々光って電子音を鳴らし主に情報を伝えている。目に悪い。ゲーミングチェアに鎮座し、一等大きいモニターのブルーライトで照らされた情報屋はひたすらキーボードを叩きながらモニターを凝視していた。
情報屋は
目的に沿った情報を探し当てて上司に伝えるのが主な仕事。芸能人のドロドロ三角関係から国家の機密事項まで。電子世界に存在するのなら探しあて拡散するのが情報屋の役目である。たとえネット上にアップしていなくとも。厳重にロックされていようとも。ハッキング、クラッキング。ウイルス感染からブラクラまで。あらゆる方法で攻撃し探す。荒らす。探し当てる。それが情報屋。
こんこんこんと扉がノックされた。
「どーぞ」
「じゃ、失礼して」
入ってきたのはアルベルトだった。上司その一。天使の器その二。それなりのお偉いさんの登場に流石の情報屋も顔をあげ会釈をする。
アルベルトは床に散らばったコードを遠慮なく踏みつけにして情報屋の隣に立った。
「どー? 特定進んでる?」
「進んではいるのです。皇財閥の重鎮、その連続不審死の真相がもうちょいで……」
「オッケーそっちじゃない。傲慢の悪魔使いの方だよ」
「ああ、そっちですか。……途方もない作業なのですよ。一回でも桜庭不動産から物件を借りた、または買った人間をしらみつぶしにあいうえお順って感じなのですが、いかんせん量が多いのです。少なくとも半分は調べましたが、まあシロですね。悪魔のあの字もない人生を送る一般市民の皆様だったのです」
「仕事関係ってのはナシかね?」
「少なくとも、ゼロに近いと思うのです。まあボクの仕事はゼロに近いをゼロにすることなので全部調べつくしますが」
「関心な心がけだな」
心のこもっていない声でアルベルトは投げやりに言った。情報屋は目をモニターから離さずに聞く。
「アルベルト先輩は何のご用ですー?」
「……過去十数年でルシファーの目撃情報がないか、調べたくてさ」
「アルベルト先輩にも最低限の電子機器は……ああそっか、一回燃やしてましたですね。そこらへんのは使ってないのでお気軽にどーぞー。パスワードは貼り付けてあるメモの通りなのです」
「……なんか桁多くない? 十桁以上ある気がするんだけど」
「ボクのかわい子ちゃんをどこの馬の骨かもわからないヤツに使わせるワケにはいかないのです。文字通りの箱入り……いや、形通りの箱娘なのですよ。それに、そこの子たちはまだパスワードが甘い方です」
「……ギークってのは恐ろしいねエ」
「アルベルト先輩ほどじゃないのですよ」
アルベルトは埃を被ったパソコンの電源を入れて向き直った。この桁数のランダムパスワード入れなきゃかあ……。気が重いなあ……。
カタカタとキーボードが鳴る。
「それにしても、アルベルト先輩が自主的に調べ物とは珍しいのです。電子機器アレルギーを克服したのですか?」
「ンなアレルギーは持ってない。純粋に、ルシファーの行動が気になったんだよ」
「はあ。でも、ここ数年で大罪の悪魔が起こした災害は嫉妬の悪魔……リバイアサンの難破船大量生産ぐらいですよー? 平和です。落ち着いてますのです」
「ああ、お前は知らないか」
「……? 知らないって、ボクは知ってるはずですよ? 全部、全部、全部。歴代の教皇様の汚職から入って数日で死んだエクソシストの名前まで、ぜんぶです」
そう、誇張抜きに情報屋は全てを知っている。なんせ今まで紙媒体であった重要文献の電子化を進言し、計画し、第一責任者として全ての文献に目を通したのは紛れもない情報屋であるから。電子の海に漂っているのなら情報屋は知っている。知り尽くしている。そして、教会の情報は全て電子世界に保存されたはずだ。
疑問が尽きない情報屋に向かってアルベルトは投げやりに説明する。
「今から十数年……いや、数年前ぐらいかな。傲慢の悪魔使いがエクソシスト三十名を殺害し逃亡した」
「おや、スケールが小さいのです。でも傲慢の悪魔使いですか。今回のと同一犯の可能性があるってことなのです? しかし何故ボクの作ったさいきょーフォルダにそんなちゃちい事件が記録されてないのですか?」
「おけ、疑問は一旦ストップ。三十人死んだってのはまあ、大罪の悪魔の所業としては問題外だ。なんなら被害が抑えられてよかったと安堵しちまう状況だな。……問題は、神崎雨音を殺そうとして、失敗したのち逃走したことだ」
「……それは、それは」
そりゃあ一大事だろうなと、情報屋は他人事のように心の奥底で呟いた。
英雄である神崎雨音は言うまでもなく重要人物。エクソシストである皆様の精神的支柱であり現世の救い主。ある意味アイコン。ある意味シンボル。その神崎雨音が殺されかけたなんて、しかも三十人すら守れずちゃっかり一人生き残るなんて、大失態も大失態である。英雄が堕ちる。失落する。周りからの評価ってのは価値を決める上では結構重要で、それ故に失態は隠さねばならぬ。そりゃ情報屋如きが知れるはずもナシってワケだな。
「で、本題だ」
「……ここまできたらボクでも分かるのです。──アルベルト先輩は、長年行方不明正体不明となっていた傲慢の悪魔使いの動向を調べにきたのですね」
「そういうこったな。少しでもルシファー関係の事件がないか、少しでも目撃されていないか、気のせい幻覚幻聴妄想誇張と片付けられていたとしても、関係していりゃ引っ張り出す。それこそしらみつぶしだ。……なー、ダウンロードしていい正解のファイルってコレだよなー?」
「……ま、待つのです! それは──」
カチ、と表示されたファイルアイコンをクリックしたその瞬間。
画面いっぱいに赤色の猿を模ったアイコンが表示された。
「あー! ボクのサトミ二号ちゃんがー! 重要機密のテキストデータはダミー作って厳重にロックしてウイルスまぶしておいたの忘れてたのです!」
「えっと……何もしてないのに壊れた!」
「なんかしたから壊れたんです! ああ、ぼくの可愛いサトミ二号ちゃんが……」
モニターからの赤色のブルーライトが部屋を照らしていて、ダミーに引っかかったお馬鹿さんを嘲るために造られたウイルスがウキッと猿の鳴き声をあげた。
……
廃校舎の中は少しだけ騒がしい。
相変わらず廃墟特有のカビと埃と腐った木材の匂いで溢れている。その中をドタバタと十名程度のエクソシスト共が走り回るから埃が舞う。床が抜けて轟音を立てる。建物自体が振動する。
「か、神崎さあん……」
「……んー?」
廊下に放置されていた机に腰掛けて、うとうとと呑気にうたた寝するは我らが天下の神崎雨音。一介の一介、下っ端も下っ端、新人シスターは恐る恐る話しかける。
「えと、えとですね。悪魔使いが見つかったので、その、処分のことを聞きたくて、それで、お時間があればコチラに来ていただけないかと……」
「……君は」
「は、はいっ!」
シスターは背筋を伸ばす。甲高い声で返事をした。
神崎はどこを見つめているか分からない目で、ぼんやり話を続ける。
シスターは思う。何故わたしは自分より年下で、力も弱い男の子に怯えているんだろう?
「君はなんでエクソシストになったの?」
「……へ?」
「エクソシストになった理由だよ。君は何故この地獄に足を踏み入れたのかなって」
なんだ、そんなことか。
簡単で、何度も口にした己の境遇。慣れた。苦しみに。痛みに。自分よりも不幸な子はいっぱいいたし、両親が死んでいないだけ、自分はまだ幸せ者だった。
シスターは口を開く。
「んと、お母さんが病気で、治療費が高くて、お父さんが一生懸命働いてくれてるんですけど、それでも足りなくて。……お姉ちゃんは、いつも大丈夫だって言ってくれるんですけど、でも、お見舞いいくたびにお母さん悪くなる一方でっ! お、お父さんも疲れてて、お姉ちゃんも苦しそうで、このままじゃ、このままじゃ……」
──なんで。
なんで、泣きそうになっているんだろう。
何度も説明した。何度も語った。何度も、何度も、何度も、自分の不幸を境遇を再確認した。慣れたはずだった。
じゃあなんで、こんなに苦しいのだろう?
「お母さんが、死んじゃうかも、しれなくて……! それが、怖いんです……。贅沢なのはわかってます。もっと不幸な子だっています。だけど、失いたくない……!」
「別に嘆いたっていいんじゃない?」
ひどくあっけらかんとした声色だった。
「不幸というのは千差万別であり他人に評価され価値を決められるものじゃない。君が苦しいと思えば苦しいと言っていいんだし、母親が死ぬのが嫌だったら嫌と言えばいいんだよ。切り傷を負った人を骨折した人が自分より軽いから泣くな嘆くなと命令できる理由はどこにもないんだ」
……神崎雨音が英雄であると謳われる理由がやっとわかった気がする。
術式だけじゃない。人柄だ。この人は、天性の英雄で救い主なんだ。
シスターはふわりと笑う神崎を見つめる。必死に喉を震わせて、なんとか感謝の言葉を言おうと口を開いた。
「あ、ありがと──」
「それと」
神崎が机から降りた。
「残酷なようだけど、もう退職した方がいいんじゃない?」
ガキン! と甲高い音がした。
慌てて後ろを振り向けば、空中でナイフが止まっていて、そのナイフを振り下ろす男の人──此度の悪魔使いが充血した目でコチラを睨んでいる。町の中で見たらエリートサラリーマンにも見える格好の、凛とした男は、今は土埃に塗れて子供たちに圧制されていた。シスターは思わずへたり込む。
「おーい、捕まえたんじゃなかったのかい? 逃しちゃ捕まえてないのと一緒だよ」
「す、すみません! オイ! 早く拘束しろ!」
部隊のリーダーが慌てたように駆け寄ってきて、神崎に謝る。神崎はニコニコ笑って受け入れる。半狂乱の男はぐるぐるに縛られてナイフを取り上げられる。
なんとも慈悲深い。慈悲深いのはそうだけど、そうじゃないかも。だって、あの態度は。あの顔は。声のトーンは。全くのいつも通りで。
「そこの君」
「は、はい」
「この程度も気付けない、回避できない、とっさに反撃できないならやめた方がいい。死なれちゃ困るんだよこっちだって。死体の後片付けはコチラの仕事だ。……大事な大事な家族を泣かせたくないなら、もうやめな?」
「で、でも、それは」
「ああ、治療費だっけ。じゃあ先生……セドリックさんのとこで働く? お給料は低いけど、子供が合法的に働けるってだけでも儲けもんだからね」
「で、でもっ!」
「……あのね」
神崎は座り込んで動けなくなったシスターに目線を合わせる。膝をつける。その目を覗き込んだ。
「──君は人を殺すことができるのかい?」
「……へ?」
「たとえば戦争崇拝者。たとえば心中上等な復讐者。たとえば運命を改造された天使の器。たとえば最初から失敗して失敗し続ける大人子供。……みんな殺せるんだ。だって死にたくないからね。自分が死ぬぐらいなら相手を殺す。味方が怪我するぐらいなら他人を殺す。そういう生き物。そういう生き方。さて、君にできるのかどうか」
「……あ、あなたは」
ポロリと飛び出た単純で聞くまでもない疑問だと思う。思うが、出てしまった。答えなんて決まりきってるのに。聞く必要もない。それでも、彼の口から聞きたかった。
英雄はこてんと首を傾げる。
「あなたは、人を殺せるんですか」
神崎は笑って答えた。
「当たり前だろ?」
……
猿に嘲笑われながら嘆く情報屋をなんとか宥めつつ、アルベルトは備え付けの黒電話のコール音を聞いた。
「はい、もしもし。コチラ一番隊現場監督者アルベルト・フォーセット。なんかご用事?」
『や、アルベルトくん。情報屋くんはいる?』
かけてきたのは神崎だった。今夜もいつも通り変わらぬ悪魔祓い。新人の演習ということで少人数の部隊だったはずだが、また何人か死んだのかしらん? でも情報屋が必要ということはアレか、悪魔使いが何も語ってくれないのか。それか──
傲慢の悪魔使いと関係があるのか。
「いるけど……まあ、うん、ちょっと話せるかねーって感じ」
『何があったの?』
「パソコンぶっ壊れた」
『そりゃご愁傷さまだねえ。……調べ物だけだからアルベルトくんでもいいや。えっとね、
「ボクがやるのです……」
むくりと起き上がった、死んだ顔した情報屋がゲーミングチェアに座る。
「……聞こえたか? まあ、情報屋がなんとかやる気出してくれたから心配すんなよ。あと──」
『なーに?』
「人を殺せないのにあたかも殺せますよって顔すんの、新人教育のためだとしてもどうかと思うぜ」
……
「ほんと、人が悪いや……」
携帯電話をしまいながら神崎は呟いた。まあ、アルベルトの意地悪さは今に始まったことではないので気にすることもない。それよりも目の前の縛り付けられた男から情報を吐き出させることが重要で、情報屋が調べてくれるとしてもなるだけ引き出し確認しなければならなかった。神崎、または部隊の仕事である。
「んと、僕は神崎雨音です。あなたのお名前は松山望ですよね。運転免許証、勝手に見ちゃいました」
「おま、お前は、英雄の」
「その呼び方はあまり好きじゃないんですが……それは置いておきましょう。単刀直入に聞きますね。傲慢の悪魔使いを知っていますか?」
男が押し黙った。
ああ、このパターンねと神崎は把握する。脅しつけられているのだ。自身をひた隠しにするその作戦は結構効いてる。そのせいで神崎のバディは学校潜入に行かされたワケだし。
「脅されてるんですか? なら大丈夫です。僕がいますから死ぬことはありません」
「……」
「あなたの契約悪魔は死にました。ナイフももうありません。喋らなくてもいつかは知れることを、僕はほんの少しでも早く正確に知りたいんです。おしゃべりしましょーよ」
「い、言えない」
「今日はあなたのせいで三人死にました」
男の肩が震える。神崎は変わらぬ調子で語り聞かせる。
「まだ新人でした。将来が楽しみで、まだ希望に満ちている子たちでした。あなたは自身の命を優先して三人殺したんですよ。ええ、もちろん分かります。人間はいつだって死にたくないと喚く生き物だ。死にたくないから殺す気持ちは、よおく分かりますよ。僕らだってそうだ。人を糾弾できる立場にいない」
神崎は男の首に手をかけて。
「だから、ここで僕があなたを殺したとしても、文句は言えないはずですよね」
……シスターは、先ほど抱いた神崎雨音に対しての恐怖心と違和感の正体が分かったような気がした。
不気味だ。
ただ顔色を変えず声色を変えずとうとうと語る彼が、心底不気味なんだ。人が死んで、人を殺して、そしてまた身を守るために、殺そうとしている。
異常だ。異質だ。意味不明の理解不能。この人は──
本当に、英雄だ。
人を救うために、人を殺す。人を殺すために、人を救う。敵にさえお情けと命乞いタイムを設けて優しくまるで聖母のように残虐に殺す。相反せず同居する残酷さと慈悲深さ。
男が震える全身を押さえつけて、とうとう口を開いた。
「お、お、俺は! ただ、な──」
そして、口からその名が飛び出る前に男の腹からナイフが飛び出した。
神崎は目を見開く。神崎が察知できなかった有害物質。しっかり見ていた。監視していた。必要以上に彼を凝視して、傲慢の悪魔使いの名を口にしても光線により死ぬことがないように、警戒していた、のに。
まるで男の腹の中に収納されていたナイフがうっかり突き出したかのような姿勢。男の喉から、頭から、足から、手から、胸から、ナイフが飛び出て飛び出て。
血塗れになって男は死んだ。
そこで、はたと気づいた。
これは、呪いか。言葉を変えるのなら傲慢の悪魔使いの手先による権能。神崎は目撃、認知、その物質が有害であると理解しなければ拒絶できない。フルオートなんて便利な言葉はまるでなし。だからこそ、突発的に起こる遠隔の呪いは神崎を苦しめる。
「あー、うん。……とりあえず死体処理とアルベルトくんに連絡。佐山くんの仕事の進捗確認。情報屋くんに松本望についての履歴を聞いて、それから……」
ああ、いやだ。これだから人死には嫌なんだ。
神崎は周りのエクソシストに指示を出していく。四人、死なせた英雄が。
……
落ち着いてきた。
この教会に、エクソシスト達に捕まって閉じ込められたのは何日前だっけ。忘れてしまった。初期は混乱していたから。敵か味方か。害があるかないか。傷つけてくるかこないか。自分の命と両親の命がかかった一世一代の大立ち回り。負ければ死ぬ。負けなくともいつか失敗して死ぬ。どうせ死ぬしか道はないのに足掻いて足掻いて、見知らぬ奴らに、血と暴力と死を恐れもしない奴らに捕まって、ああ死ぬんだと喚いた。ずいぶん失礼なやつだとは思うが、彼らだって自分、桜庭和子の扱いは結構酷かったからおあいこかもしれない。
桜庭は目の前に置かれたコーヒーに口をつける。
「おや。何も入れなくていいのですかー? お砂糖とミルクはどうせ経費で落ちるので好きに使ってくれて構いませんよー」
「大丈夫ですよ、佐山さん」
桜庭の前に座るエクソシスト、佐山祥一郎はそうですかーと間延びした返事をして大量の角砂糖をコーヒーにぶちこんだ。全て溶けるのだろうか。苦笑いを浮かべた桜庭を無視して佐山はミルクを追加する。
「いやはや、ここまで落ち着いてくれてありがたい限りですー。中にはお話にならないまま悪魔に魂持ってかれちゃう人もいるのでー、それに関してはあんたはラッキーでしたねー」
「……安藤さんが祓ってくれたおかげですよ」
「精神の安定はいいことですー。誰のおかげでも、自分のおかげでも」
佐山は溶けずに四角を維持する砂糖を無理やりティースプーンで崩し沈める。ジャリジャリ音がする。もういっそのこと清涼飲料水でも飲んだほうがいいんじゃないのかなあとは思うが口に出すのは野暮ってもんだろう。
「して、今日のお茶会の議題は承知してらっしゃいますよねー?」
お忙しい中ワザワザ望まれぬ客人である桜庭とのんびりコーヒーを飲む理由。もちろん精神を落ち着かせるためでも、交流を深めるためでもない。
「あんたが傲慢の悪魔使いについて教えてくれるって言ったんですから、ちゃーんと吐いてくださいね? 桜庭和子さん」
そうだ。
桜庭和子が彼と共にお茶会をしようと提案した理由は、主に決心がついたことに他ならない。ここで黙っていたら事件は解決せず、可憐な少女達の箱庭に見せかけたあの凄惨な代理戦争中心舞台はどんどんヒドイことになっていく。悪化していく。あの少女のせいで。早く止めねばならぬのだ。
あの少女が恐れているのは身内からの裏切りだ。雑魚とはいえ悪魔と契約させて、両親の首を抑えて、脅しつける。徹底的に。裏切られるのが怖いから。情報が漏れたら厄介だから。
ならば裏切ろうじゃないか。されて嫌なことをするのが今の桜庭和子にできる唯一の復讐だ。この桜庭和子に気味の悪いホルマリン漬けの胎児を差し出してきた恨みを晴らすときである。
「……昨日お伝えしましたが、わたしは直接的な名前は言えません。あくまで情報。指し示すようなナニカ。潜入し、ある程度人間関係を把握した安藤さんならわかるかもしれない程度のことしかわたしは言えないんです。ご了承のほど」
「ええ、ええ、了承も了承ですー。コチラとしてはお話していただけるだけで儲けもんって感じですからねー。……本来は、あんたはそのまま地下行きでしたから」
おや、恐ろしい。この少年の場合本気で言っているとこが一番恐ろしい。相変わらず悪魔使いの命をドブネズミと同等に見ているお方だ。
「……まず、そうですね。前提条件として、わたし達生徒は大人のしがらみに囚われて生活しています」
「はあ」
「たとえば、個人病院の娘さんがいるとしましょう。その子は総合病院院長の娘さんには頭が上がりません。個人病院ではどうしても設備がない、診ることができない患者さんは総合病院に搬送されますから、大人の世界では多大な恩がある。だから、必要以上に下手に出る」
「大人のしがらみってやつですか。くだらないですね」
「ええ、全くです。……しかし事実として、あの学校にはそういった空気が流れています。あの先輩には口答えはしない。反対にこの先輩はわたしより地位が低いから逆らう、反抗する。あの後輩はこき使っていい。この後輩は可愛がって、なんなら使い走りになる。あの子気に入らないからわたしの父にチクっちゃおうかしら。この子には逆らわないようにしよっと。あそこの子の会社潰れそうだよね。シカトしちゃおーよ。……なんて、大人の力関係に気をつけて、子供も真似をするんです。ある意味では代理戦争でしょうか」
「難しい世界で生きてますねー」
「情勢でいじめっ子もいじめられっ子も変わります。いじめっ子の会社がいじめられっ子の会社に吸収合併されたらもうお祭り騒ぎです。カーストが一瞬で入れ替わっちゃいますからね。金と地位がものを言う、馬鹿みたいな世界ですよ」
そう言ってから桜庭はお茶菓子に手を伸ばした。チョコチップクッキー。コチラに住み込みで働くコックさんの一品らしい。
佐山もそれに倣うように手にとって、それで、と口を開く。
「そのお話と傲慢の悪魔使いになんの関係性がー?」
「……この学校で、たくさんの人を動かせる存在って誰だと思います?」
「そりゃあ、教師とか?」
「違います。教師だって家柄と血統に縛られた人間の一人にすぎません。……正解は皆から恐れられている存在です」
ほうほうなるほどと、よくわからないとでも言いたげな顔で佐山はクッキーを頬張った。きっとこのエクソシストにはわからない。それでいい。ルシファーに首ちょん切られるのはゴメンだ。
ああでも、と思い出す。喋ってはいけないのはあくまで雇用主に関する情報。だとすれば、斡旋した人間については喋ってもいいのではないかと考えていたのだった。じゃ、喋っちゃお。漏らしちゃお。桜庭はもともと神経が図太い。
「──傲慢の悪魔使いに関しては以上です。大したお話ができなかったお詫びに、わたしを傲慢の悪魔使いに紹介した人間の名前を教えます」
「おや、裏切りもんさんのお話で? どこもかしこも人間ってのは利己的ですねー。変わらない。……ええ、正直者は好きですよー。あとマトモで、欲しい情報をくれて、話が早い人」
「わたしだって死にたくないので」
もうあんな目に遭いたくない。桜庭は平和主義者である。ただ、自身を踏み台に使った者に容赦しないってだけの、のほほんとした女学生。
自分を生贄としたあいつは許さない。自分を突き落としたあいつを赦さない。桜庭は英雄ではない。それ故に赦せないし赦すこともない。やり返す。徹底的に。
ああ、名前言ったらあいつ死んじゃうんだろうなあ。ザマアミロ。無様に哀れに神の御名の元に殺されとけ。
ケラケラ笑って桜庭は言う。
「三条珠希。斡旋者。あらゆる生徒を傲慢の悪魔使いの駒とし、自身の安寧を貪るクソッタレです」
……
「言っちゃダメって言ったのに」
三条珠希は校舎四階の空き教室に、七不思議の舞台にいた。
深夜である。真夜中である。三条は足の歪んだ机の上に放置されたくまのぬいぐるみにナイフを突き立てる。
「ああ、馬鹿なヤツ。大人しく従っとけばよかったのに。あの人に逆らった馬鹿を始末するのはわたしなのに。マッタク、どいつもこいつも面倒ばかり引き起こして」
ぬいぐるみの腹に、喉に、頭に、足に、手に、胸に、ナイフを刺して、ボロボロになった元ぬいぐるみ、現布切れを嘲笑った。ケラケラ笑って、彼女は教室内を見回す。
悍ましいという表現がピッタリな内装だった。
そこかしこにちぎれ、壊れ、破れた多種多様なぬいぐるみが散らばっている。床には大げさな魔法陣がマジックペンで描かれていて、周囲は蝋燭で照らされていた。
三条はまた別の机の上に放置された、大量の針の塊に話しかける。
「うまくいった?」
針はザラザラ落ちて、中からパッチワークでできた口を出現させた。モゴモゴ動いて針は──悪魔が言う。
『もちろんとのこと』
「そりゃあよかった。あの神崎雨音でも防げないとなると、やっぱり万能だね」
『お代が欲しいとのこと』
「お代、お代かあ……。今日もうあげなかったっけ? ほら、血液何リットルか」
『仕事量を加味すると足りない。契約違反になるとのこと』
「へいへい。お金でいい?」
三条は放置されていた長財布から三万円抜き取ると乱雑に放り投げた。空中でふわりと舞う一万円札は、突如として飛んできた針によってズタズタにされる。
『金持ちは使い方が荒い。要注意とのこと。いつか滅ぶ』
「悪魔のおまえに言われたくはないね。道具の分際で」
『……これ以上聞いていたら針が錆びる。それではまたご贔屓にとのこと』
やれやれと三条は肩をすくめた。この悪魔は使い勝手はいいが反抗的で手に余る。
ま、どうでもいいけど。
それよりも三条は楽しみでたまらない。あのルームメイトが、安藤陽葵が、いけすかないエクソシストが、悪魔と契約し落ちぶれていくと思うと、心底愉快で明日が待ち遠しかった。
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