第17話 ニコラ
数日が経ち、ノルドは再びノシロの店を訪れた。その間、セラが体調を崩し、保湿剤の製造で手が離せなかったため、島主にはヴァルに頼んで手紙を届けてもらっていた。
「いらっしゃい。どうした、元気がないじゃないか?」
「実は……」
ノルドは、リコの失踪についてノシロに話した。
「そうか。しかし、預託金を払って学校に通わせていれば問題は無いはずだがな」
「そうなんですか?」
「ああ。これは、人身売買や虐待を防ぐために設けられた決まりだ。この島では人身売買も虐待も厳しく禁じられている」
「じゃあ、グラシアスが渡したお金を、あの店主が横取りしようとしたんでしょうか?」
「そうかもしれんな。預託金は、大人になったときにその子に返される決まりだ。だが、この島の孤児院は良いところだぞ。俺もそこの出身だからな」
「そうなんですか?一度行ってみたいです」
リコがそこにいる可能性は低いとわかっていたが、ノルドの中には、孤児院への興味が静かに芽生え始めていた。
「まあ、なんだ……そのうちな。そうだ、リジェから手紙と地図を預かっている。彼女は急用で出かけているし、俺も店を離れられないんだ。一人で行ってくれ。この島の有力者のもとだ」
ノシロは申し訳なさそうに視線を落とした。
「わかりました。ヴァル、行こう」手紙には「紹介状」と記されていた。
保湿剤の購入を希望する人物かもしれない。地図に示された場所へ向かう前に、もう一度魚市場の料理店に立ち寄ることにした。
料理店の店主には腹立たしい思いがあったが、彼の言い分も聞き、リコの行方の手がかりを得るためだった。
市場は昼間にもかかわらず、すでに人影がまばらで、例の料理店は閉まっていた。
「なんだい?坊主、昼飯か?あの店なら閉店したぞ!」
近くにいた二人組の漁師が声をかけてきた。
「たしか、数日前まで営業していましたよね?」
「ああ、してたさ。でも、お館様の怒りを買っちまったからな。ははは」
「おい、余計なことをしゃべるな」
一人がもう一人の脇腹を突いた。
「まあ、そんなわけだ。飯なら他の店に行きな」
そう言い残して二人は、そそくさと立ち去っていった。
市場の周囲がすっかり静まり返り、ノルドは諦めて地図に示された場所へ向かうことにした。
※
地図に記された場所は、高級住宅街の最奥に位置していた。
「立派な大きな家だね。でも、古くて不気味だ」
「ワオーン!」
「ちょっと、待ってて」
ノルドがそう言うと、ヴァルは散歩に出かけて行った。
玄関は固く閉ざされていたため、ノルドは勝手口に回り、扉を叩いた。しばらくして、若いメイドが現れた。
「なんの用?」
彼女はノルドをじろりと見つめ、全身を観察すると、小さく「ふうん」と漏らした。
「失礼します。こちらを」
ノルドは紹介状を手渡した。
メイドは宛先と差出人を確認し、少しだけ頷いて「ちょっと待ってて」と言い残し、奥へと消えていった。
しばらくして、彼女が戻ってきた。
「ご主人様がお会いになるってさ。粗相のないようにね。ついておいで!」そう言って女性は振り返らずに邸宅の中へ歩き始めた。
ノルドは足を速め、漂ってくる香りを頼りにその後を追った。
「あれ?」歩きながら、彼はふと以前嗅いだことのある懐かしい匂いを感じた。
「ここだよ。お入り」
その先には、シシルナ島の港町と海を見渡せるガーデンルームが広がっていた。
窓からは色とりどりの花が咲く庭が見え、柔らかな光が部屋全体を包んでいる。若い女性は軽く一礼し、静かに部屋を後にした。
「私がニコラだ。早速だが、お前の商品を見せてもらおう!」
パティオチェアに腰掛けた、腰まである白髪の老婆がきびきびとした声でノルドに迫った。
ノルドはリュックから保湿剤を取り出し、彼女の前のテーブルに置いた。
「これが、リジェの言っていた治癒効果のある保湿剤かい?」
「いえ、こちらではありません」
ノルドはすぐに答え、念のため持ち歩いている数種類のポーション、保湿剤、そして蜂蜜飴をテーブルの上に並べた。
「これです」彼はその中から、治癒効果のある保湿剤を彼女に差し出した。
「本当に、治癒効果があるのかねぇ」
ニエラはつぶやきながら、保湿剤をじっと見つめた。
「それでは、失礼します」
ノルドは、シャツの動かない左手の裾を捲り上げて、右手で腰からダガーを抜くと、左腕を傷をつけた。血が、「しゃっ」と飛び散る。
ノルドは平然とした表情で、保湿剤を手に血が吹き出る傷口をなぞるように塗った。
すると、あっという間に傷が消え、まるで初めからなかったかのようになった。
一瞬、ニコラは身構えたが、ノルドの行動に呆気に取られ、そして笑い出した。
「はっはっはっ。お前、面白い奴だな!だが庭が血だらけだ」
「あっ、ごめんなさい!」ノルドは慌てて掃除を始めた。
「いや、いい。メグミ、茶を出してくれ!客だ。お前、名前は?」
「あっ……ノルドです」名前を名乗っていなかったことに気づき、彼は少し焦った。
すると、どこからともなく例のメイドが現れ、ポットとティーカップをノルドたちの前にそっと置いた。
「それで、ノシロは一緒じゃないのか?」
「店が閉められないとかで……」
ノルドは少し言葉に詰まった。
「ふふっ、あいつはニコラ様が怖いんですよ」
メグミと呼ばれたメイドが笑みを浮かべながら、お茶を淹れ始めた。
「まったく、意気地のない子だね」
「そんなことありません。とても親切で優しいんです」
ノルドが心を込めてそう言うと、ニコラは嬉しそうに目を輝かせた。
「そうかい。じゃあ、そろそろ商談をしようか?この保湿剤はいくらだい?」
「……」
「それじゃあ、この魔力回復薬は?」
「……」
母から値段を決めておけと言われていたことを思い出したが、すっかり忘れていた。ノルドは、薬の製作に夢中になりがちだった。
その時、ガーデンルームに二人の人影が現れた。
「いててて、そんなに引っ張るなよ!」ノシロの声が聞こえた。
「すいません、母さん」リジェがニコラに深々と頭を下げながら、ノシロの頭を軽く小突いた。ノシロも仕方なく頭を下げる。
「お前たち、遅かったね。ノシロも何か言うことあるだろう?」ギラリと、ニコラが彼を睨んだ。
「ああ、母さんもお元気そうで」
「馬鹿なこと言ってないで、早く座りな」
メグミがいつの間にかお茶を二つ追加で用意し、テーブルに置いた。リジェはメグミにお土産のお菓子を渡した。
「忙しいのに来てくれたんですね?」
困っていたノルドは心から安堵した。
「違うのよ、本当は、一緒に来る予定だったのよ!」
「すみません、お手を煩わせて……」
「いいえ、ここは私たちの実家。ニコラ・ヴァレンシア孤児院だもの」
【後がき】
お時間を頂き、読んで頂き有難うございます。⭐︎や♡等で応援頂きますと、今後も励みになります。又、ご感想やレビュー等も一行でも頂けますと、飛び上がって喜びます。 引き続きよろしくお願いします! 織部
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