悪役令嬢エルメンヒルデの不幸

ふぁる

第1話 同情するなら聖なる力をくれ

 煌々と輝く満月の夜。エルメンヒルデ・ハインフェルトは深く頭を垂れて固く口を閉じ、静寂を保った。肩から零れ落ちる長い銀髪が、泉の透き通った水面に溶けるかのように揺れる。

 身体を突き刺すような冷たさの水に身を浸し、彼女は今聖なる力を得る為、神の来臨を只管に待ち続けているのだ。


「聖女よ……」


 荘厳なパイプオルガンの音色の様な声が響き渡った。ふわりと風が沸き起こり、ヒルデの前髪が僅かに揺れた。神々しい光が、瞳を閉じているにも関わらず眩く感じる。


「数々の困難を乗り越え、よくぞ精進に努め抜いた」


労いの言葉にヒルデの瞳がじんわりと熱くなった。聖なる力を賜る為の道のりはそれほどに辛く、過酷な試練だったのだ。


「聖なる力をそなたに授けよう」


今、正に聖女の誕生の瞬間なのである。ヒルデは感慨深い感情を噛みしめながら、微動だにせず待ち望んだ聖なる力を神より授かるひと時を味わった。


「……って、アレ?」


 荘厳なパイプオルガンの音色に似た声が、突然ハスキーな男性の声に変わった。ヒルデは妙に思ったものの、顔を上げずにじっとそのまま耐えて様子を伺った。


「お前さん、エルメンヒルデ・ハインフェルトだよな? あっれぇ!? 『悪役』がなんでここに来たんだぁ!? うわ、まじ!? やべーな!」


 ハスキーな男性の声は慌てたようにそう言って、溜息まで洩らした。ヒルデは居てもたっても居られずに顔を上げ、神であるはずのその人物を見つめた。


 純白のローブに身を包み、長く緩やかな黄金の髪を腰まで垂らした男性の姿は、一見女性の様にも思える程に端麗な顔立ちをしていたものの、不服そうに眉を寄せてヒルデを見下ろしていた。


「なんか手違いでもあったのかな? ここには『アマリア・エッセンベルン』が来るはずなんだが」


 神らしきその男の言い分は尤もだった。

 彼の言う通りヒルデはこの物語上は悪役であり、アマリアこそがこの世界のヒロインであり、主人公なのだから。


「お前さん、どうやって……つーか、何しに来たんだ? おかしいと思ったんだ。アマリアはまだ聖なる力を授けるには早すぎるはずだからな」


ヒルデはキッと眼光鋭く神らしき男を睨みつけた。


「私だって好きで来たと思う!? でも、ストーリー上このままだと悪役の私はアマリアに浄化の魔法で消されてしまう可能性があるじゃない!! そんな結末なんか真っ平ご免だからこうして苦労に苦労を重ねて血のにじむ様な努力をしてここに来たのよ! いいからさっさと聖なる力を授けなさいよっ! そしたら私はアマリアに浄化される事なく、健康で平和に慎ましく生きる事が出来るんだから!」


ヒルデが憤然として怒鳴りつけ、神らしき男性に向かって人差し指を突き付けた。しかし動じた様子もなく男はポリポリと面倒そうに頭を掻き、折角の端麗なその容姿をしかめっ面にした。


「あー、つまりはバグって事かぁ。それともコンピュータウイルスか? 乙女ゲーなんかにウイルス仕込む奴なんか居るのかよ」

「バグとかウイルスだとか失礼な言い方ね!?」


——ある日突然乙女ゲーの悪役に転生した私の気持ちがこいつなんかには絶対に解りっこないと思うけどねっ!


 彼女は元々日本で生活を送る女子高生だった。ところが難病を患い、闘病生活の末、その短い生涯を閉じたわけだが、気づいたら彼女が生前熱中していた乙女ゲームの中の悪役令嬢、エルメンヒルデ・ハインフェルトに転生していたという訳だ。


 ざっくりとこの乙女ゲームのストーリーを説明すると、3人の攻略対象と好感度を上げることで、ヒロインであるアマリアが聖なる力を手に入れ、攻略対象に振られた嫉妬で邪悪な魔女と化した悪役令嬢エルメンヒルデを浄化して消し去り、ついでにエルメンヒルデに魔力を提供した邪神を倒し、ハッピーエンドを迎えるというものだ。

 ヒルデはそのストーリーを知っていた為、自分が消し去られない様にと思案した結果、『聖なる力』をヒロインの代わりに手に入れてしまえばいいと思い当たったのだ。


「……めんどくせぇなー」

「めんどくさがってないで早く聖なる力を授けなさいったら! それ以上の事を貴方に求めたりなんかしないから!」


ヒルデが頬を膨らませてそう言うと、神らしき男はつまらなそうにため息を吐いた。


「つーかさ、悪役が自由意思を持ったってんなら、普通不幸にならない為に攻略対象を落とすとか、そっちに走らねぇか? で、ヒロイン差し置いてラブラブしてハッピーエンドってオチを狙うんじゃねーの?」

「……恋愛したこともない陰キャの私にできるはずないじゃない」


 自分でも情けなくなる思いでヒルデは神らしき男を見つめてそう言った。


 エルメンヒルデの見た目は確かに美しい。乙女ゲームの悪役令嬢といえば、田舎くさいヒロインよりも見目麗しく設定されることが一般的だであり、彼女もまた銀髪にサファイアブルーの瞳に色白な肌という美貌の持ち主だ。努力をすれば攻略対象の心を射止める事も可能かもしれない。だが、肝心の本人に恋愛スキルが無い以上、どうしようもないことなのだ。


「……それにしたって聖なる力をヒロインより先に手に入れようだなんて考えに至るかよ、ふつー」

「折角健康な身体を手に入れたんだもの、鍛えまくって何が悪いのよ」


 フンっとヒルデは鼻を鳴らすと、腕組みをして誇らしげに微笑んだ。ヒルデの肉体といったら健康そのもので、肌荒れも無ければ髪も艶々と弾力があり、爪も丈夫で割れる事がない。病で短い生涯を遂げた前世の身体とは比べようが無い程に健康体そのものなのである。


「美味しいご飯も毎日食べられるし、走ってもすぐ疲れないし、私はこの平和で健康な日常を手放したくないのよっ!」


言い切ったヒルデを見つめながら、神らしき男は呆れたように眉を下げた。


「なんつーか、お前さん不幸な女だな……」

「同情するなら聖なる力をよこしなさいよね」

「別に構わねぇが。聖なる力を手に入れたからって、悪役は悪役のままだし、お前さんが消されねぇとは限らないんだけどなー」


その言葉を聞き、ヒルデは銀髪を振り乱して怒り狂った。


「なによそれ!? 折角血反吐吐いてまで努力したのに、全部無駄だったってわけ!?」

「無駄とは言わねぇけどよぉ。ちょっとばかし弊害ってモンがあるんだな、コレが」


神らしき男はあっけらかんとそう言い放ち、頭の後ろで腕を組んだ。


——どうでもいいけれど、この人。麗しい見目と態度に随分とギャップがあるわね。黙っていれば息を呑む程の絶世の美青年なのに……。

 と、ヒルデは考えたものの、そんな事よりもまずはその『弊害』とやらを聞き出さなくてはならないと、コホンと咳払いをした。


「『弊害』って何よ? もったいぶってないで教えなさいよ」


ヒルデの言葉に、男は「別にもったいぶってるわけじゃねぇけど」と、前置きをして頬を掻いた。


「そもそもお前さんは悪役キャラだからな。その悪役キャラが聖なる力を使うとだ、身体に合わない事をするもんだから、そりゃあ副作用的なモンも出るだろうさ」

「副作用? どんな?」


キョトンとしているヒルデに、男はサラリとつまらなそうに「ああ、寿命が縮むってこったな」と言って、鼻を鳴らした。


「……は!?」


ヒルデはサファイアブルーの瞳を見開いて、男を見つめた。


「なによそれ!? 折角健康な身体を手に入れたのに、寿命を縮めちゃうんじゃ元も子もないじゃない!!」

「まあ、そうなるな。アマリアの場合は元々聖女体質だから、副作用なんか出ないんだが」

「だったら要らないわよ、そんな力! 冗談じゃないわ! ここには来なかった事にして頂戴っ!」


憤然として言い放ち、帰ろうとしたヒルデに、男はさらりととんでもない事を言い放った。


「今更言われてもなぁ。もう付与しちまったし?」

「……え」


ヒルデはポカンと口を開け、目を点にした。


「一体いつの間に!? だって、アマリアが聖なる力を授かる時ってもっとこう、すごいエフェクトと効果音で、ばしゅーっとキラキラーっとしてたじゃないっ!!」

「語彙力乏しいな、お前さん……。まあ、ゲームの見せ場だしなぁ。でも実際はプログラムを一本流すだけだから、なんてことはねぇんだぜ?」

「要らないから戻してよ、今すぐ!!」


ヒルデが男の純白のローブを掴み、詰め寄った。が、男は眉を下げ、けだるそうにしながらも「嫌だね」ときっぱりと言った。


「一回流しちまったプログラムを影響先含めて全部元に戻すのは大変だし面倒だから嫌だ」

「大変でも何でもいいから戻してよ!?」

「やなこった。俺様面倒くさい事大嫌いだからな!」

「そんなぁっ!! 私の寿命がっ!!」


ヒルデは絶望し、サファイアブルーの瞳からポロポロと涙を零した。


 転生前では青春を味わう間も無く病死し、やっと健康な身体を手に入れたかと思えば消される運命。その運命に抗うべく努力を重ね、聖なる力を手に入れたと思ったら、今度は寿命が縮むという災難。


「私ってば、どれだけ不幸なのよ!? 酷すぎるったらないわぁっ!! うわぁ~んっ!!」


おいおいと泣き出すヒルデを男は面倒そうに見つめ、眉を寄せた。


「別にさ、聖なる力を使わなきゃいいだけじゃねぇの?」


その言葉に、ヒルデはピタリと泣き止んで「それもそうね」と頷いた。


「確かに貴方の言う通りだわ。とりあえずヒロインから聖なる力を取り上げる事には成功した訳だし、後は慎ましく生きていけば何の問題も無いって事よね!?」

「うん、まぁ。多分……知らねぇけど」

「そうと分かれば用事は済んだ事だし、帰る事にするわ。あー、疲れた疲れた」


ヒルデはニッコリと微笑むと、元気に男へと向かって手を振り、「もう二度と会う事も無いでしょうけど、有難う!」と言ってスキップしながら帰って行った。


「お礼言って帰りやがった。変な女だなぁ……」


 煌々と輝く月の下で、男はポツリとそう呟いて頬を掻いた。

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