第37話 遺跡にて

 カル・パリデュア遺跡の本殿にたどり着いたのはその日の夕刻であった。本殿も他と違わず水晶をくりぬいたような出で立ちで、装飾もきらびやかに魔宝石が沢山付けられている美しい遺跡だ。

 長い階段を登って扉の前にたどり着いた結衣菜達は、そびえ立つ遺跡を見上げていた。


「上手くいくかわからないけど」


 扉の前に立ったガクは前に出ると小さく深呼吸をし、そして口を開けた。


「我は血を継ぎしもの。精霊の加護を受けし魂の継承者である。汝、扉を守護する魔法。キュレン王家の名を持ってその主を開く時なり」


 彼が言い終わると一時の沈黙の後、扉が光を発する。

 荘厳なそれが大きな音を立ててゆっくりと開いていく。


「行こう」


 ガクはこれまで迷っていた姿が嘘のように、しっかりとした足取りで遺跡の中へと消えていった。結衣菜は扉の前まで来ると、立ち止まる。皆が歩いて行った先、その先には闇が広がっていた。

 ここに入ってしまったらもう戻れないような気がした。恐怖が結衣菜の足を動かすのを阻んでいた。


「結衣菜、行こう。私が付いている」


 父に背中を押されて結衣菜は一歩踏み出した。皆が扉をくぐると、それはゆっくりと閉じられていく。

 扉が完全に閉まってしまうと、辺りは本当の闇に包まれた。


──静寂。


 不意に、入り口の燭台に火が灯った。奥に向かって順々に灯りの数は増えていく。遺跡はより一層不気味な美しさを放っていた。

 足音。遺跡の奥から誰かが歩いてくる。そして、金属製の何かを引きずる音が続いていた。皆の表情に緊張が走る。しばらくののち、それは姿を現した。


 長い赤髪を一つに束ねた女。屈強そうな体には引き締まった肉体がついていた。そして彼女はその体躯よりも大きく重い大剣を、引きずっていた。鋭い琥珀色の目は、どこかで見覚えがある色だった。


「ようこそ、カル・パリデュア遺跡へ。世界の存続を願う者達よ」


 その声が、遺跡を支配していた。


「あなたは……」


 燃えるような髪色の彼女に声をかけようとしたガクを、聞き覚えのある声が遮った。


「嗅ぎ回るなと言ったはずだ」

「クラリス!」


 物陰からゆっくりと姿を現した彼にエリスが叫んだが、クラリスは彼女を一瞥すると何も返さなかった。エリスは目を伏せる。


「俺たちは何も君たちのことを詮索するためにここに来たわけじゃない! 俺たちはただ……」


 帰ってきたのは攻撃の一手。クラリスの魔法が彼の言葉も聞かずガクの眼の前に飛んできた。

 寸前のところで彼が飛び退くと間を置かずに先ほどの女が彼女の背丈以上もある大剣を振りかぶって──いや、浮かせてと言ったほうが正しいだろうか。まさに人間離れした勢いで彼に斬り込んだ。

 父の壁魔法が一瞬遅れた。血まで流しはしなかったがガクが弾き飛ばされる。チッタが怒りの声を上げ、煙に包まれると黄金の狼が飛び出した。


「このやろー! もう怒ったぞ!」

「チッタ!」


 ティリスが加勢に入り、結衣菜は連続して繰り出されるクラリスの魔法を防いでいた。しかし、精一杯で彼の手数の多さは以上だ。それ以外のことが出来ない状態だった。気のせいだろうか。前よりもクラリスの魔法の強さが増しているように感じる。

 エリスはその身一つでクラリスに突っ込んでいく。その強烈な蹴りに一瞬ひるんだ彼だったが、腰に携えていた剣を引き抜き、エリスめがけて大きく横に振るった。俊敏なジャンプでかわした彼女が足に仕込んでいたナイフを取り出して応戦する。

──光と闇がぶつかるような戦い。

 文字通りの激しいぶつかり合いに、結衣菜は呆然としていたが、その隙を狙って赤髪の女の攻撃が繰り出された。させまいとチッタが横から体当たりを食らわせ、女がよろめく。


「この、犬が!」


 罵声を浴びせてチッタに斬りかかるも、彼はニヤッと笑って攻撃をかわす。素早さで負けている彼女は相当頭にきているようだった。どうしたら、と結衣菜が逡巡したその時、ガクが叫んだ。


「みんな目を瞑れ!」


 次の瞬間、彼のいる方向から信じられない明るさの光が発せられる。シュラッグシャッテンの時のものと同じだ。目を瞑ろうとしたその時、別の黒色が彼の光を包み込んだ。相殺されてガクの光はキラキラと宙に舞って消えた。


「そんな……」

「彼女、クワィアンチャー族だわ……」


 エリスの言葉に、ガクは目を丸くして一歩下がる。そして、赤い髪の女に歩み寄ろうとする。


「あなたは、一体……」

「私はミアー。不必要なもの。それ以外の何物でもない」


 女は再び剣を振りかぶった。今度は不特定多数に向かった攻撃だ。防ぎきれなかった結衣菜は大きく吹き飛ばされ、壁に背中を打ち付けた。休むことなくクラリスの魔術が飛ぶ。立ち上がれない結衣菜の左腕にそのうちの一つが被弾した。切り裂かれた傷からどくどくと赤い血が溢れ出す。痛み故か恐怖のせいか。心臓の音を近くに感じて顔を上げると、クラリスの冷たい瞳と目があった。生気のない瞳。

──なぜあの人はあんなに悲しそうで、苦しそうなのだろう。

 それは一瞬の隙だった。それを見逃さなかったクラリスが巨大な黒を生成する。必ず仕留めようという意志の伴った攻撃。次第に近づく黒が、大きく見えた。いつか見た映画の中のスローモーションのように動きが遅くなる。向かってくるのは分かる、けれど体は動かない。

 ああ、あたしはここできっと死ぬのだろう。母にも、妹にも、もう会えない。父は……仲間は、悲しむだろうか。そもそも、みんな生きてここを出られるだろうか……。みんなが死んでしまうなんて、そんなの……。

 動かない体に反して、思考ははっきりしていた。けれどどれだけ考えても状況は変わらない。すると突如として視界が、金に染まった。

 飛び出した女性。結衣菜をかばった彼女の白い衣は、ゆっくりと赤に染まっていく。


「……クラリス、もうやめて! この子はディアナと同じくらいの歳よ! 思い出して、あの子を、私を! あなたの使命を!」


 叫んだエリスの息は荒く、血の量も凄まじく今にも倒れてしまいそうだ。透き通った水晶でできた遺跡に不透明の赤が流れていく。必死の表情で結衣菜の前に立ちふさがる彼女の目からは、大粒の涙が零れ落ちていた。


「僕はお前の弟などではない。僕は一人で生まれ、一人で生きてきた。誰の力も借りな……姉…さ…ん? 違う、お前は……」


 変化。それまでずっとエリスの存在を否定してきたクラリスに、揺らぎが見られた。


「クラリス……?」


 エリスの表情が明るくなり、もう一度声をかけようとしたその瞬間、別の魔法が横切る。それはまっすぐクラリスにぶつかり、取り込まれた彼は苦しそうに呻いた。


「うっ……いや、……ぼく、は……」


 クラリスは右手を大きく払い、渾身の力で魔法を跳ねのけた。彼の視線の先にいたのは、赤い髪の女だった。

 つまらなそうにこちらを見る彼女の表情には、今まさに他の仲間から攻撃を受けているにもかかわらず、余裕があるように見えた。崩れ落ちるクラリスに、エリスが転びそうになりながら駆け寄る。


「姉さん……僕は……」


 何かを言おうとするクラリスにエリスは涙を流す。彼を抱きしめたその胸はもう赤い服のようになっていた。双子に駆け寄った春樹は彼らの傷を癒すように包み込む。結衣菜はミアーの気が二人に向かないようにチッタとティリスを援護する。


「あの人は……倒せない……」


 今にも消えそうな細い声でクラリスが呟いていた。彼の美しい緑色の瞳は凍てつく冷たさではなく、双子の姉と同じ明るく暖かい煌めきに染まっていた。

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