第31話 開催決定

 ヘレーネ皇后陛下とアステル殿下との来所から、3日が経ったその日。


 相変わらず豪華な馬車で白鷲探偵事務所に来所されたヘレーネ皇后陛下は、この前来た時と同じように――いやそれ以上に、細い目の奥のに煌めくサファイア色の瞳を興奮と喜びに輝かせていた。


「すごいのよ! お知らせよ、シルヴィアちゃん! すごいのすごいの、大抜擢よ!」


 皇后陛下は私の肩を勢いよく掴んで揺さぶりながら、興奮を隠す様子もない。


「落ち着いて下さい、皇后陛下。とりあえず奥へどうぞ……」


 私は冷静に対処して、彼女を応接室へと案内した。

 皇后陛下はポレットの出した熱い紅茶を一息で飲み干すと、一息ついた。


「……ふぅ。ごめんなさいね、取り乱しちゃって」


 ポレットが慌てて皇后陛下のカップに紅茶を注ぎ直している横で、私は自分のカップに口を付けた。


「いえ、それでなにが大抜擢なのですか?」


 興奮が落ち着いた彼女だったが、私の一言でまたボルテージを上げた。


「あのね、あなたに『湖畔の愛』の警備をお願いしたいの!」


「え……?」


 思わず戸惑いの声が出てしまう。


 私が絵画の警備をするの……?


 そういうのって普通、城の衛兵がするのではないかしら。私のような一介の令嬢に任せても意味がないような……。まあ探偵ではあるけど……。


「私が……でございますか?」


 だけど皇后陛下は、はち切れんばかりの笑顔で頷いたのだった。


「そうよ! やっぱり怪盗といったら探偵ですもの。こういう場合は探偵に頼むのが安心って、私が推薦したのよ」


「すみません、皇后陛下」


 と、私の隣に後ろ手を組んで立っているディアンが唐突に口を開いた。


「絵画の再評価はどうなりましたか? その、アステル殿下に聞いたのですが。怪盗に狙われたので、そんなに価値があるのかと今一度調べている、と……」


「え、ああ、それ」


 少し熱心なディアンの口調に、皇后陛下は一瞬だけ驚いたような表情になる。だがすぐに微笑みキラキラした細いサファイアの視線をディアンに向けた。


「ずいぶん調べてもらったんだけどねぇ。結果として価値の変更はなかったわ」


 皇后陛下はさらりと答えたが、その言葉にディアンが息を呑むのが分かった。


「……で、ではこの取り引きは……」


「ええ、続行よ。それにしても、ブラックスピネルもなんで『湖畔の愛』を狙ったのかしらねぇ。価値がないとまではいわないけど、予告状を出してまで欲しがるようなものでもないと思うのだけど」


 本当は偽のブラックスピネルだけど、それを説明することができないのがもどかしいわね。


「馬が……好きなのかもしれません」


 ディアンは僅かに肩を落としてそんなことを言った。


「馬?」


 私が聞き返すと、皇后陛下は紅茶に口を付けてから微笑む。


「『湖畔の愛』はね、馬の絵なの。シルヴィアちゃんも皇宮に来たときに見ているはずよ。大階段の途中に飾ってあった大きな絵ですからね」


「ああ――」


 確かに、皇帝陛下と皇后陛下にご挨拶に伺ったときに、大階段の途中にそんな絵があったわ。


「あの絵のことですか。確かに馬が描かれていましたね。申し訳ありませんが、あの絵について、もっと詳しく説明していただいてもよろしいでしょうか?」


 絵画の警備を頼まれてしまったわけだし、ちゃんと絵のことを知らないとね……。


「その前に!」


 と皇后陛下が身を乗り出して瞳を輝かせる。


「私の依頼、受けて下さるかしら?」


「ああ――」


 絵画の警備をしろ、というのは仕事の依頼なのね。

 本物のブラックスピネルではないとはいえ、一応ブラックスピネルの事件ではあるし、何より未来の義母であるヘレーネ皇后陛下の頼みをお断りするわけにもいかないし……。


「そうですね。かしこまりました、この仕事、謹んでお受けいたします」


「やった!」


 ソファーに腰掛けたまま、皇后陛下はぴょんと飛び跳ねた。……こういうところはほんと、少女みたいで微笑ましいわ。


「じゃあ、ここからは正式に仕事の話ね。あのね、『湖畔の愛』は、タイトルの通りに湖畔に馬が二頭いるっていう構図の絵なの。ルートヴィヒ・エーバーハルト作の『駿馬しゅんめ』シリーズの一作で……あ、ルートヴィヒは田舎に居住していた画家で、馬が好きだったのよ」


 そこで皇后陛下は、寂しげに顔を曇らせた。


「ルートヴィヒは先月亡くなってしまったんだけどね。数年前に彼が皇都に来た折に会ったことがあるのだけれど、あの当時でもうかなりのご高齢だったわ……」


「そうだったのですか。優秀な画家がこの世を去るのはとても悲しいことですね……」


「ええ、とっても残念よ。優しい目をしたお爺さんでしたわ」


 皇后陛下の声は隠そうともしない悲しみに沈んでいた。


 一瞬の静寂が応接室を包むなか、話ツァ委は考えをまとめようと紅茶に視線を落とした。


 ええと……。


「お話をまとめますと、再評価の結果『湖畔の愛』の価値は変わらないと判断された。だから、譲渡はそのまま行われることになった……ということですね」


「そうよ、それでシルヴィアちゃんの出番ってわけ」


 皇后陛下の表情が再び明るくなり、瞳が輝きを取り戻す。


「明日が譲渡の儀なんですけどね――」


 ああ、中止になるのか――と私は早合点した。だって、譲渡の儀で偽ブラックスピネルは『湖畔の愛』を盗むと予告しているのだから、少しでも怪盗に盗まれるリスクを抑えるために中止にするのが当たり前の行動ではないか。


 だけど、皇后陛下の言葉は違った。


「シルヴィアちゃんの明日のご予定ってどう? 譲渡の儀にシルヴィアちゃんもご招待したいの。絵を守るんだから当たり前よね」


「え、ちょっと待って下さい。ブラックスピネルが譲渡の儀で『湖畔の愛』を盗むと予告してきているのですよ? なのに開催なされるのですか?」


 思わず尋ねると、皇后陛下は呆れたように溜め息をつき、「シルヴィアちゃんったら、ヴァルと同じ事をいうのね」と笑った。


「大丈夫よ。警備は厳重にするし、うちの衛兵は優秀なんだから。だいたい『湖畔の愛』って結構大きい絵なのよ? それをこっそり盗むなんてできないわ」


「ですが、少しでもリスクは避けた方がよろしいのでは?」


「ヴァルもそういってたわね」


 ちなみにヴァルというのは、ヴァルフリート皇帝陛下、つまりは彼女の夫のことだ。皇帝陛下も私と同じように『譲渡の儀』開催の危険性を指摘したということである。――まあ、それが常識的な判断よね。


「でもね、大丈夫! 我がビュシェルツィオ帝国最高の警備を敷くし、そのうえこっちには名探偵だってついてるんですもの」


「……それって、私のことですか?」


 念のために聞くと、彼女は嬉しそうにパンッと手を叩き、力強く頷いた。


「そうよ。シルヴィアちゃん以外の誰が名探偵だっていうの。ああ――」


 うっとりと溜め息をついた細い目の奥のサファイアの瞳が、キラキラと輝く。


「名探偵が怪盗を捕まえるところを見れるかもしれないなんて! 生きててよかったわ!」


 その無邪気なまでの期待に、私は気圧されそうになった。


 う……責任重大ね……。


 心を引き締めていかないと。皇后陛下の期待に応えられるように、私も探偵としての力を発揮しないといけないのだから。なにより、『湖畔の愛』を守るために。


 そりゃ、私だって本当は興味あるわ。偽のブラックスピネルが本当に現れるのかどうなのか、そして偽のブラックスピネルの正体はいったい誰なのか――。


 それが譲渡の儀で明らかになるのかしらね?


「分かりました。譲渡の儀に参加いたしますわ」


「ありがとう、シルヴィアちゃん! これで『湖畔の愛』も安泰ね!」


「そうなるように頑張りますわ」


 微笑んで返しながら、心の奥に静かな緊張が広がるのを感じていた。この依頼は単なる依頼ではない――ある意味、私の将来に関わってくる事案なのだ。ここで失敗して、義母である皇后陛下に失望なんかされるわけにはいかないものね……。


 と、そのとき、ディアンが静かに一歩前に出て、皇后陛下に向けて口を開いた。


「皇后陛下、気になる点があるのですが、よろしいでしょうか?」


「なぁに、ディアンくん?」


 皇后陛下が優しく問い返すと、ディアンは落ち着いた声で続ける。


「その『湖畔の愛』なのですが、今夜から見張っておきたいのですが、可能ですか?」


「今夜から? あら、どうしてそんなことを。ディアンくんは心配性ねぇ」


「ブラックスピネルがわざわざ予告状を出したことの意味を、僕なりに考えてみたんです」


 彼は手を後ろで組んだまま、そっと顎を引いて思慮深い表情を浮かべた。彼の真剣な眼差しが部屋の空気を引き締め、私も自然と耳を傾ける。


「もし本気で『湖畔の愛』を盗むつもりなら、普通に考えて予告状など出さないはずです。それでも出したということは、つまり、予告状事態が一つのトリックなのではないでしょうか」


「ああ、なるほど」


 私は彼の言わんとすることに気づき、頷いた。


「偽の犯行予告しておいて、そちらに注意を向けさせておくってことね」


「はい。僕が学んだ兵法にもそういったものがあります。敵陣を突くのに真正面から大隊を差し向けて対応させておいて、薄くなった横を突くための遊撃隊が実は本隊である――とか」


 ディアンのいうことは理にかなっている。というか、本物のブラックスピネルであるアステル殿下ならそういうトリッキーなことを好みそうだ。今回の犯人である偽物のブラックスピネルはどうなのかしらね……?


「すごいわ、ディアンくん! さすが騎士学校首席卒業。兵法まで完璧なのね」


「恐れ入ります」


 ディアンは照れたように微笑みながら、軽く頭を下げた。

 ほんと、冷静で鋭い洞察力だ。まだ15歳なのに頼りになるわね、ディアン。


「ですから、できましたら今夜から絵の警備を開始したいのです。可能でしょうか?」


「そうねぇ。じゃあ、お願いしちゃおうかしら。シルヴィアちゃん、名探偵の直感で、何改変を感じたらすぐに教えて頂戴ね」


「かしこまりました、陛下」


 頭を下げながら、私は心の中で溜め息をついた。


 今夜、かぁ……。


 寝ずの番になりそうだけど、仕方ないわね。ディアンのいうとおりで、今夜から警戒しておいたほうがいいのは確かだから。


 ……それにしても。


 ちらりとディアンに視線を向ける。

 ディアンは相変わらず私の横に立ち、後ろに手を組んで立っていた。


 興味なさそうに見えたけど、ずいぶん乗り気なのね、ディアン。頭もかなりいいみたいだし、嗅覚以外でも頼りになるなんて。本当に、アステル殿下は素晴らしい人材を紹介してくれたものだ。


 問題は私だ。ちゃんと探偵として責務を全うし、偽ブラックスピネルの犯行を止めないといけない。

 できるかしら、この私に。

 ううん、やるしかないわ。未来の義母との関係のためにも。




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