第1話 ライガ・ウィステリア

「うーん、ウィステリア家クソすぎ」


 特訓しようと物置から出た俺が出会ったのは、一つ下の弟アルフリッグだった。

 アルフリッグは俺を見つけるとノーモーションで飛び蹴りをかまし、そのままマウントをとって俺の顔に何度も拳を振り下ろしてきた。


 どうも、今日の昼食にアルフリッグが嫌いなピーマンが出されてご機嫌ななめだったらしい。

 俺はその八つ当たりに使われたわけだ。


 クソかな? クソじゃないよ。 めっちゃくちゃクソだよ!!!!


 残念なことに、これがウィステリア家の日常だ。ライガは歩くサンドバッグ。人権など無いに等しい。


 住まいは屋敷──の地下にあるカビた物置。食事は場所も内容も家族とは別。使用人にすらも『アバズレの子供』と見下される始末。

 反抗すると虐待は更に酷くなるので、ライガは十歳の時点で既にウィステリア家に逆らう意志をなくしている。


 なんもかんも貴族の妾のくせに他の男と子作りした母親が悪い。 


「しっかし想像以上に悲惨な現状だな……これは」


 弟にフルボッコにされた傷をさすり、俺は顔を顰めた。

 虫の居所が悪かったとはいえ、顔を合わせた瞬間にドロップキックは流石に予想しとらんて。アルフリッグと顔は合わせない方が良いな。


 というか、ウィステリア家に連なる連中の誰とも関わるべきではないし、関わりたくない。


「前途多難だなっと……」


 ぼやきながら、俺は手のひらを開く。手のひらに意識を集中させると、何か熱のようなものが集まっているのを感じた。


「──【コールエレメント・ブラックカーテン】」


 呪文を唱えると同時。ただでさえ薄暗かった物置内が、真っ暗になった。

 

「──よっし! 成功!」 


 その結果を見て、俺は小さくガッツポーズをとる。

 初級魔術、『ブラックカーテン』。ゲームでは対象一人の視界を暗黒で覆って命中率を下げる魔術だ。

 ゲームのライガの得意魔術の一つで、よくイライラさせられたっけ。


 まあ、今はともかく、魔術が発動したことを素直に喜ぼう。

 魔術があれば、家の人間の目から逃れられるし、魔物を倒すことだってできる。


 今の俺がどん底に居るのは間違いないが、這い上がれる道は残っている。 


「よっしゃ、明日から本当の本当に特訓開始だ……!」

  

 俺はベッド代わりにしている木箱に寝転がって体を休めることにした。



 ──翌日。


 かってえパンと冷めたスープを腹におさめた俺は早速筋トレを始めた。一先ず腕立てから。

 魔術も大事だが、体も同じくらい大事だ。筋骨隆々のマッチョマンになれば、家の奴らも慄いてちょっかいをかけてこなくなるかもしれない。


 それに、ライガが使える闇魔術は搦手が殆どで直接的な攻撃手段に乏しい。

 そこで筋肉。マッスルナックルは大きな武器になるだろう。


 筋肉is正義。いつの世もそれは変わらない。マッチョであれば、死亡フラグもぶち折れる。俺はそう信じている。


「へっ……もうへばってきたのか、ブライアン? ルドルフはまだやれるって言ってるぞ……!」


 右腕と左腕に語りかけながら、俺は腕立てを続けた。


「よーし! そうだジュリエット、ジョセフィーヌ! 痛みを愛せ! 重みを愛せ! ラブアンドピース! 俺達ならこの世界を生き残れる!」


 スクワットをしながら、悲鳴をあげる両脚に檄を飛ばす。


「そうだベリアル……! お前は鬼神を降ろす者……! お前の物語はまだ始まったばかり……!」


 背中を称えながら、Tレイズを繰り返す。


「ザ・シックス……! お前こそがこの筋肉の要! シックスパックなくしては筋肉を語れない……!」


 アブドミナルクランチを行いながら、腹筋に笑いかける。


 ……なんか結構楽しいぞこれ!



 腹筋を一通り終えたら、お次は魔術の訓練だ。こちらは楽だ。寝転がって行えるので、筋肉痛でも関係ない。


「とは言っても、具体的に何をやればいいのかは分からないんだけどな」


 前世には魔術もエレメントも存在していなかったし、ゲームはレベルをあげればエレメントパワー(通称EP。魔術を行使する際に消費するステータス)が上がったり、新しい魔術を覚えることが出来たりしたが、習得方法なんかは分からなかった。


 筋トレと違って、こっちは手探りでやっていくしかない。

 ゲームの記憶から確実と言える方法にいくつか心当たりはあるが、そのどれもが今の俺には不可能なやり方ばかりだ。今は考えないようにしよう。


「とりあえず、今のライガが使える魔術を確認しながら、EPがすっからかんになるまで魔術を使ってみるか」


 限界まで魔力を使ったら、次の日に魔力量が増えていた! ってのは転生物の鉄板だしな。

 しかし、肝臓などと一緒で使い込めば使い込むほどにどんどん弱っていくという可能性もあるが……ゲームではそういった設定はなかったし、高名な魔術師には老人も多かった。


 EPが使い込みによって劣化するという可能性は低いとみていいだろう。


 ということで今日は限界まで魔術を使ってみた。そして酷い酩酊感と共に俺は気絶した。



 ──また次の日。


「あー……EP切れきっついなこれ。想像以上だ……」


 体に残る倦怠感に顔を顰めながら、俺は腕立てを始める。おおう、ブライアンもルドルフも悲鳴をあげている。久々の筋肉痛も結構辛い。次からは柔軟によるクールダウンも盛り込もう。


 それよりもEP切れだ。もうひんどい。しんどいとひどいを足してひんどい。

 頭は痛いし胸のあたりがムカムカするし、体の節々が麻痺っているかのようだ。

 あれだ、二日酔いの進化版って感じだ。


「えあえうえ……俺これ続けられんのか……?」


 自分でやりだしたことだが、早くも心が折れそうだ。前世は運動部に入ったことも無く、何かをがむしゃらに頑張った経験なんて、片手で数えるほどしかない。努力なんて無縁な人生だった。


 ……別に、ここまで頑張る必要なんてないんじゃないか?

 要するに、死亡フラグを回避すればいいだけなのだ。主人公やヒロインとは関わらず、魔族とも会わないようにする。


 ウィステリア家の後ろ盾は得られないだろうから貧乏な暮らしにはなるだろうが、死ななければ御の字なんじゃないか──


 ──ダメだ。


 は、それじゃあ満足しない。父親フリューゲル母親エスティア二人の兄弟ブリンガルとアルフリッグ、ウィステリア家、勇者、王女、聖女、この国、この世界、女神に愛されているモノ、その総て。

 

 オレを虐げた全てを見返してやりたい。オレを排した全てを嘲笑ってやりたい。

 そうしないと、そうしない限り、オレは、オレは──


「──ッ、はッ、はっ、はっ……!」


 突如心の内から溢れ出たドス黒い感情から逃れるように、俺は床を転げ回り何度も息を吐いた。


「今の、は……」


 心当たりはある。あれは藤森頼のものではなく、ライガ・ウィステリアのものだ。

 ライガの境遇を俺は知っている。ゲームでも触れられていたし、転生した直後にはその記憶が流れ込んできた。


 だが、それらは全て実体のない情報の渦でしかなくて。

 その悲惨な境遇を経験したライガの心情までは分からなかった。


 小さく薄暗い物置。すきま風に身体を震わせ、夏の虫と格闘しながら、ひもじさに耐えながら、彼はどれほど涙を堪えてきたのだろう。


 守ってくれるものはなく、頼れるものもなく、何年もずっと、ひとりで。


「……勝手に寄生してる身だ。宿主がそこまで言うならなるべく従ってやるよ」


 俺は一人で笑い、筋トレを再開する。


 最早、ライガは俺の中で『ゲームのザコ敵キャラ』から『不遇な人生を歩んできた被害者』に変わっていた。


 我ながら手のひら返しが早いが、まあでも、同じ体に宿っているのだ。彼とは今後も仲良くやっていきたいと素直に思う。


「……あっ。でも復讐みたいなことはしないからな? どうせならとびっきり強くなって勇者……はなれないから、英雄にでもなってみんなを驚かせてやろうぜ」


 虚空に語りかけると、「チッ」と頭の中から答えが返って気がした。


 俺はそれに苦笑いしながら筋トレを再開した。

 そうしてグダることなく訓練を続けて一ヶ月。


 俺はついに外に出る覚悟を決めた。

 

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