第5話 旦那様が突然、甘くなりました

 それからというもの……。

 様子がおかしいです。

 旦那様が……!


「今日は君と一緒に夕食をとろう」


 今まで私に興味ゼロだったくせに!

 急にそんなことを言い出すものだから。


 私は困った。そして、なぜか私よりも、ベティの方が張り切っていた。


「今日はレナ様の可憐な姿を磨きに磨いて、存分に美しくしてみせますからね!」


 あの日以来、ベティは私にとても親切だ。

 メイド長のダリアは、この屋敷からいなくなっていた。代わりにベティがメイド長に就任した。


 ベティが私にいろいろと尽くして、悪い噂も払拭してくれたから、他のメイドたちの態度も優しくなった。

 庭師のブルースも、私に会う度に声をかけてくれる。今が見頃の花を教えてくれたりとか。庭仕事を手伝おうとしたら、断られたけど……。


 以前のように部屋に閉じこめられることもなくなったから、好きに屋敷内を探索できる。


 ――つまり、ここでの暮らしが一気に快適になったのだ。


 だから、もう私としては十分、満足していたんだけどなあ……。

 なぜ旦那様まで……?


 夕食の誘いを断ることはできずに、私はベティに飾り立てられていた。

 鏡に姿を映して、私も満足。


 金髪はアップにまとめ上げられた。頬には淡い紅が差され、唇は艶のある桃色。

 薄桃色のドレスがふわりと揺れて、まるで春風をまとっているみたい。


 うん、レルナディア様の姿はやっぱり可愛い。元の私の地味姿では、着負けしていただろうけどね。


 食堂に向かうと、すでにリディオ様がいた。


「――レナ」


 こちらを見て、やんわりとほほ笑む。

 その表情にちょっとドキリとした。


 というか、『レルナディア』じゃなくて、『レナ』って呼んでくれるんだ……。結婚式の日に、私からそうお願いしたけどさ……。今まで一度も名前を呼んでくれたことなんてなかったのに。


 まるで、本当の私のことを呼んでくれたみたい。


 リディオ様は私の姿を眺めて、優しい声で言った。


「とても素敵だ。可愛いな」


 ……どうしよう、頬が熱くなってしまう。


 いや、でもちがうよね。リディオ様の目に映っているのは、私じゃなくて、レルナディア様だもん。可愛いのは私じゃなくて、レルナディア様!

 そう自分に言い聞かせた。胸の奥がちくりと痛んだけど……それは気付かないふりをする。


 こんなのはもう、慣れっこだから。

 私は幼い頃から、いつだってレルナディア様の『代わり』だった。

 だから、こうして褒められた時も、つつがなく対応するのだ。


「ありがとうございます」


 愛想笑いで流して、着席。


 そして、初めて旦那様と一緒に夕食をとった。

 リディオ様は、不愛想で気難しい方だと思っていたのに……。意外にも会話が弾んでいた。


「ブルースが君を褒めていた。薬草の植え方について、アドバイスをしたそうだな」

「え……あ、はい。パルデシアは成長後は、日に当たりすぎるとよくないので……日陰に植え直すといいんです」

「よく知っているな」


 リディオ様は感心した様子を見せる。


「メイドたちの顔も、以前より明るくなった」

「……そうでしょうか」

「屋敷の居心地がよくなったんだ。君が来てくれたおかげだ」


 そんな風に、直球で褒められると照れる……!


「いえ、それはメイド長のベティが有能だからです。彼女のおかげですよ」

「そのベティが、君のおかげだと言っている」


 リディオ様はそう言って、私の顔をじっと見つめた。初めて会った時は冷徹で、ほとんど目も合わせてくれなかったのに……。


「君みたいな人が俺の妻になってくれて、よかった。レナ」


 何でそんな甘そうな視線を向けてくるんだろう……。私はすっかり困ってしまって、俯いた。




 それ以来、リディオ様は私と食事をとるようになった。

 夜だけでなく、朝も。



 私が話すのは薬草や花についてとか、屋敷での出来事とかだ。リディオ様はいつも興味深そうに聞いてくれた。

 リディオ様は騎士団の話をしてくれた。昔から貴族社会が窮屈でたまらず、剣を振っている方が性に合ったのだという。社交界にもあまり顔を出していなかったんだって。

 そのせいで、『野蛮な男』という風評が広まってしまったらしい。


「リディオ様、社交の場では“氷上の虎”と呼ばれていますよ。野性的で猛獣のようなお人だと思われてます」


 私がそう言うと、リディオ様は水を吹き出しかけた。


「何だそれは……! 俺は、そんな風に言われているのか」


 私も思わず、ふふっと笑ってしまった。

 自分についての噂話も知らないなんて……本当に、社交界に興味がなかったんだなあ。


 話が弾むし、リディオ様はいろいろと気遣ってくれる。さりげなく椅子を引いてくれたり、食後の茶を注いでくれたり。

 一緒にいるのが、すごく心地いい。


 こんな日がずっと続けばいいのに。私はいつしか、そう思うようになっていた。

 でも、この生活はそのうち終わってしまうのだ。


 私は本物のレルナディア様じゃない。それに、これは契約結婚だ。1年後に私はこの屋敷から追い出される。


 ――それまではせめて、私の正体がこの人にバレないようにしたい。


 私はそう願っていた。



 ◇



 季節はすっかり春めいて、あちこちで夜会が開かれるようになった。

 私たちの元にも招待状が届く。


「出席してみよう」


 リディオ様が言うと、屋敷の者たちは皆、目を剥いた。


「旦那様が……!? いつもあんなに嫌そうにされていたのに!!」


 ベティは俄然として、張り切りだした。私を飾り立てることに燃えていた。

 リディオ様もなぜか、それには乗り気だった。ベティと相談して、どんなドレスにするか、アクセサリーはどうするかを真剣に決めていた。


 そんなこんなで、夜会当日となって……。

 私はリディオ様の腕に手を添え、ぴたりと寄り添っていた。こうしていると、本物の夫婦みたいだ。


 ホールに足を踏み入れた瞬間、ざわめきが起きる。

 リディオ様が珍しく社交の場に姿を現したからだろう。


 ――そして、その隣には私がいたから。


 私たちは人々の視線を受けながら歩いた。


「……皆、驚いていますね」

「こういう場に出たいと思ったのは、初めてだ」


 リディオ様は私の手を握って、真剣な声で言う。


「レナ。君がいてくれるおかげだ」


 私を見つめて、リディオ様は優しくほほ笑んだ。驚きの声が周囲から上がる。


 ――あの“氷上の虎”が、笑った。

 ――というか、リディオ様って、あんなに素敵な人だったの!?


 音楽が始まると、リディオ様の手は私の腰に添えられた。

 ゆるやかな旋律に合わせて踊る。


「お似合いのご夫婦ですわね」


 誰かがそう囁く声が聞こえる。

 リディオ様がふっと笑った。すごく嬉しそうだった。


 私も胸が熱くなる。

 仮初めではなく、本当に“夫婦”だと認めてもらえたようで――。


 けれど私は、胸の内でそっと呟いた。


 ――ちがう。私は本物じゃない。



 ただの“代わり”なのに……どうして、こんなに嬉しいんだろう。



 ◆



 伯爵位ラウェル家の別邸にて――。


 本物のレルナディアは、屋敷にこもりきりとなっていた。

 表向きは公爵家に嫁いだことになっているので、誰にも姿を見られてはいけない。外に出ることは禁じられ、退屈な日々が続いていた。


 常人であれば嫌がるだろうが、レルナディアは今の状況を満喫していた。

 レルナディアは生粋の面倒くさがり屋だ。パーティもお茶会も億劫だった。人の顔は覚えられないし、マナーについてうるさく言われるのも嫌だ。ダンスは上手く踊れないので、やりたくない。


 ――それに比べれば、今の環境がどれほど恵まれていることか!


 一日中、ベッドで過ごすことができるのだ。


 朝から菓子を部屋に持ちこんで、それをかじりながら、彼女は読書をしていた。

 最近のお気に入りは、ロマンティックな恋愛小説だ。

 特に、美貌の男性に見初められて、とろけるほどに愛されるストーリーが好きだ。

 レルナディアは一日中、本の世界に没頭していた。


 ほう……とため息をついて、自分もこんな恋がしてみたいと夢想する。


(やっぱり、結婚するなら線の細い美形がいいわよね。それに比べて、あの公爵令息ときたら……うげぇ)


 自分に持ちこまれた縁談を思い出し、彼女は顔をしかめた。


 あんな野蛮男と結婚するはめにならなくて、よかった。

 “氷上の虎”などという物騒な異名を持つ、筋肉まみれの男。

 そんな人と、仮にも夫婦となるだなんて――想像だけで、ぞっとする!


(結婚をレナに押し付けられて、よかった。それにあいつ、いい加減、うざかったのよね。邪魔な女もいなくなって、野蛮男との結婚も回避できて、一石二鳥だわ)


 魔女のレナは、自分が幼い頃からずっとラウェル家に仕えてくれている。

 しかし、レルナディアは彼女のことが苦手だった。


 レナの賢そうな目付き、てきぱきとした言動、明るい笑顔――そのすべてが、自分の神経を逆なでした。

 彼女と一緒にいると、自分の不出来が際立ってしまうかのようで――。


(ちがうわ。私は悪くない。お父様もそう言っていたもの。ダンスが苦手なのも、マナーに疎いのも、病気のせいなんだから!)


 レルナディアは自分にそう言い聞かせた。

 病弱だったのは10年も前の話で、今はいたって健康なのだが……。そのことからは目を逸らす。


 とにかく、今はこの天国のような環境を存分に満喫しよう。


 レルナディアは、お菓子とお茶が切れてしまったことに気付いた。面倒だが誰かを呼びに行こうと、ベッドから下りる。

 自室を出て、使用人を探していた――その時だった。


「そういえば、あの噂、聞いた?」

「ああ……公爵家のリディオ様でしょう? 最近は、社交の場にも顔を見せるようになったとか」

「すごく素敵な方なんですってね! レルナディア様も残念よね。代理の人に結婚を押し付けたりしなければよかったのに」

「しっ……それは言っちゃだめよ」


 レルナディアは目を見開いて、固まる。

 次の瞬間、彼女たちに勢いよく詰め寄った。


「ねえ、その話ほんと?」

「ひっ……レルナディア様……!」

「詳しく聞かせてくれる?」


 怯えた様子のメイドに、レルナディアはにこやかに問いかけた。

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