004 スモール・スモール・サークル

第24話 モーニングルーティーン。(和の視点)

★キャラクター紹介★


 ・柏原かいばら なごむ……仕出原高校一年。自覚者。なごさん。学級副委員長。

 ・氷上ひかみ ひより……仕出原高校一年。自覚者。車酔いが酷い。いじめのトラウマに悩む。

 ・稲継いなつぎ 奈央なお……仕出原高校一年。自覚者。和とは相性が悪い。

 ・柤岡けびおか 若菜わかな……仕出原高校一年。ひよりと奈央の友達。

 ・郷瀬ごのせ 文斗ぶんと……仕出原高校一年。ぶんちゃん。三谷さんが気になっている。

 ・和田山わだやま 昂一郎こういちろう……仕出原高校一年。わだっち。逆光のモルッカー和田山。

 ・挙田あぐた あき……仕出原高校一年。自覚者。アッキー。合宿には不参加。

 ・三谷みだに パトリシア……仕出原高校一年。ギャル軍団。海外にルーツを持つ、高身長の女子生徒。寡黙。

 ・猪篠いざさ……仕出原高校一年。ギャル軍団。方言女子。

 ・横須よこす……仕出原高校一年。ギャル軍団。方言女子。

 ・曽我井そがい 玻璃玻璃……仕出原高校養護教諭。一年一組担任。普段は保健室にいる。

 ・瀬加せか 一図ひとえ……仕出原高校一年。自覚者。学級委員長。イルカのぬいぐるみを抱っこしている。意外と真面目。

 ・市島いちじま 姫姫きき……仕出原高校二年。キャンパー気取りの先輩。

 ・ヨスミ……仕出原高校校長、喜多垣きたがき 夜澄よすみ。管理者。


     ☆★☆★☆


 そういえば、亡くなった祖母ばあちゃんがよく言っていたっけ。「物を食べながら勉強したら気散きさんじになって頭に入らないよ」って。


 祖母は時々、耳慣れない言い回しを使っていた。「手暗てくらがりになるから、明るいところで本を読みなさい」とか、もっと幼い頃は「遅くまで起きていると子取ことりが来るよ」とか。当時の僕は意味がわからなくて、「小鳥に会えるんだ」と思い込み、かえって夜更かしをしてしまったこともある。


 しかし、あの祖母ばあちゃんの記憶はどちらのものだろうか。祖母ばあちゃんが言っていたのか、それともの過去の記憶なのか。両方なのか。そして、祖母ばあちゃんは本当にこの世を去ったのか。


 顔を思い出そうとする。声を思い出そうとする。だが、ぼやけたイメージの輪郭さえつかめない。唯一確信が持てるのは、祖母ばあちゃんはということのみだ。


 学校へと続く、いつもの道を歩く。最初の頃と比べて、その場所を歩いていなくても、明確に思い浮かべられる風景が増えてきた。


 たとえば、まだほとんど話したことはないけれど、同じクラスの三谷みだにさんの家を通り過ぎて、さらに二、三分歩くと、ひよさんの家が見えてくる。その景色は毎朝いつも変わらない。


 市島いちじまさんや、曽我井そがい先生の言葉にならえば、が定まってきたということになるのだろう。この通学路、つまり世界のこの一部分は既に安定した状態にあるということ。


 けれど、これはあくまでである自分特有の解釈で、では自覚していない者は、どういう感覚でこの道を歩いているのだろうか。


 認識が不安定な場所を通った時に僕が感じるを、彼らは共有していないということなのだろうか。


 考え始めると止まりそうにない。気づけば、ひよさんの家のすぐ目の前に立っていた。僕はインターホンを押すでもなく、ただ門扉の前にたたずんでいる。ひよさんはすぐに姿を現すのか、それともしばらく待つことになるのか。


 三谷さんの家の辺りで、僕はひよさんにメッセージを送信している。これも毎朝のルーティーン。「もうすぐ着きます」と書かれた、僕のメッセージの下には、既読のサインがついている。返信がないということは、つまりひよさんの用意がまだできていないという意味だ。


 もっとも、ひよさんが僕に嫌悪感を抱いて、避けようとしているのでなければ、の話だけれど。


 僕はひよさんの家の前に立ちながら、その可能性について思いを巡らせた。もし僕の存在のせいで、ひよさんが家から出られないのであれば、ここで待つタイムリミットは何分先ぐらいだろうか。


 このまま返信がなく、玄関の扉が開かないなら、「今日は先に行きます」とメッセージを送り、静かにこの場から立ち去ればいい。


 親に伝言してもらうとか、ひよさん自身から「先に行って」とメッセージをくれる可能性も考えられるけれど、できる限りひよさんに自発的に動いて欲しくない。


 そのことでまた、心理的負担が増すことのないよう、気遣いは徹底しなければならない。僕がそう決めているのだから。


 立ち去る準備の判断に至る前に、すぐに扉の鍵を回す大きな音が響き、程なくしてひよさんが家から姿を現したので、僕はほっと胸をで下ろした。


「おはよう。待たせてごめんね」


 うつむき加減にひよさんが言う。僕は「別に待ってないよ」という意思表示を込めて、努めて紳士的に、


「忘れ物ない? 慌てなくてもいいからね」


 と、返した。


「あ……あのね、酔い止めの薬は家にはありませんでした」


 ひよさんが控えめな声で、申し訳なさそうに伝えてくる。彼女の言葉に敬語が混じっているのは、僕への警戒感がまだ解けていないからかもしれない。


 だけど、これぐらいの距離感が、僕たちにはちょうどいいのかもしれない、とも思う。


 僕は「ちょっと待って」とひよさんに告げてから、背負っていたリュックを胸の前に回した。ファスナーを開け、用意しておいた、一回分の酔い止めの薬と小型のミネラルウォーターのペットボトルを取り出す。


「ここで飲んでいこう。これ、効くまでに三十分かかるらしいから」


 僕の提案にひよさんは小さくうなずき、黙って薬と水を受け取った。彼女はペットボトルの蓋を開け、首を何度か前に振ってから、慎重に薬と水を飲み込んだ。


 その仕草は可愛かわいらしく、弱々しい小さな動物のように思えた。


 学校に向かう道中、僕たちは他愛たわいもない話をする。「昨日先生がさ」「木槌きづち山って行ったことある?」なんて、僕はひよさんに話し掛ける。


 ひよさんも「今日のプログラムよく覚えてなくて」「ちゃんと上手うまくやれるかなぁ」と素直に会話を返してくれる。


 穏やかで、落ち着いた時間だった。僕はもう少しこの時間が続けばいいのに、と思い始めたが、赤い煉瓦れんがの壁の端を、曲がった少し先にもう稲継いなつぎさんの姿があった。


 稲継さんとの距離が、少しずつ詰まっていく。稲継さんは僕を一瞥いちべつし、「はあ」と大げさにため息をついた。


「おはよう、ひよ。おはよう、柏原かいばら

奈央なおちゃん、おはよう」


 ひよさんが、微笑ほほえみながら稲継さんに言う。僕も軽く挨拶をする。


「ひよ、今日大丈夫? 結構バスの時間長いみたい」

「なごさんに酔い止めもらって飲んできたから、たぶん大丈夫だよ」


 ひよさんの言葉に、稲継さんは小さく息を吐き、僕の方を軽くにらみ、あきれたように一言漏らした。


「オカンかよ……」


 稲継さんは、やや強引にひよさんの肩を引き寄せた。その瞬間、僕のお役目は一旦幕を閉じることになる。

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