第20話 ボクらの年末年始と選挙

 12月、とうとう冬が来た。


 本格的に道場での裸足が辛くなる。胴着と袴に着替えて板張りに立つだけで、足がちぎれそうに感じた。


 ボク、今年の1月に始めたから冬は初めてじゃないはずなのに、なんだか1月や2月より痛く感じる。


 まああの頃は基礎をこなすだけでいっぱいいっぱいだったんだけど。


 多分寒さを感じる余裕も、なかったのかもしれない。


「……祐希は、1月の下旬に始めたと言っていたからもう暖かくなってきてたんじゃないかな。今年の2月はかなり暖かったし」


 と言っていたのは明日香だ。夏に自分で言っていたみたいに寒さには弱いらしく、道場でもかなり寒そうにしているし、着ているコートもとってもモコモコだ。


 白いからちょっと、なんとかマックスみたい。


「祐希ちゃんが元気になって良かった。我らが四級トリオのリーダーだもんね」


 いつかの稽古終わりに唯がにっこり笑って言った。


 そんな唯の笑顔に、来年は三級トリオになれてたら良いなって思った。



 唯が言ったみたいに、愛ちゃんが引っ越すかもしれないと言われてからのひどい不調から、一応ボクは抜け出していた。


 薙刀そのものが好きだって事を再確認にできたことと、いくら厳しい情勢でも『確定』じゃないってことが、なんとかボクを立ち直らせてくれた。


「九州に来て、3年以上経つけどS県は意外と寒いよねユウちゃん」


 愛ちゃんが赤くなった両手に息を吹きかけながら言った。


「関東はどうなの?」


「私の住んでいたところは結構寒かったよ。雪が積もる日も1年に1回はあったしね」


 選挙が近づいても愛ちゃんはにしている。


 相変わらずにこにこ笑顔で、ぽへ〜ってしてるし、薙刀になればめちゃくちゃ強い。


 天然にも見えるし、無理してるようにも見える。もしかしたら、頑張ってあえて考えないようにしているのかもしれない。


 ボクにはわからない。だけど、愛ちゃんがなら、ボクたちもそうすべきなのはわかる。


 そのせいか誰も選挙の事は口にしないようになった。




 このまま選挙なんか、なくなってしまえば良いのに。

 ありえないに決まっているのに、そう思わずにはいられなかった。

  




「S県武道始め大会……?」


 今年もあと3週間となった時、ボクらは稽古前に佐々木先生から来年、明けてすぐの日曜に試合がある事を知らされた。


「はい。中学生の部は団体だけの試合です。五人制ですが、今回は全員に出てもらおうと思いますね」


 え?それってどういうことですか?って先生に聞こうと思ったけどボクはタイミングを逃してしまった。


 気になっていたからその後の休憩の時に、恵子に聞いたら教えてくれた。


「ああ、武道始め大会は確か私たちと馬津と喜野しか出ないから、2試合しかなかとよ。それにメンバー入れ替え自由だから、私たち今中学生9人でしょ?5人制ならちょうど全員出られるからね」


 あ、なるほどそういうことか。確かに恵子の言う通りそれなら全員1回は出られる。


 名前に似合わず大分ゆるい大会みたいだ。


「ついに私たちも初試合かあ……祐希ちゃん、初めての公式戦ってどがん感じ?」


 唯がボクの顔を覗き込むように尋ねる。


「どんな感じ……って言われても…まあ堅くなるよね。緊張するなって言って緊張せんなら苦労せんし」


 唯に言いながら、ボクは自分の初試合を思い出す。


 馬津の久保田との試合。最終的には引き分けたけど、緊張しまくって全然普段通りに動けなかった。


 あの時は気持ちばかり、焦っちゃったなあ。愛ちゃんが大声で頑張れって言ってくれたから落ち着けたけど。


「大丈夫大丈夫。団体やし、一人が負けてもどがんかなるよ。ガチガチでもよかけん思いっきりやらんね」


 恵子が唯の肩をポンって叩いて優しく言った。こういうところがさすがだ。


「ううっ、ありがとう恵子ちゃん…」


「あれっ、でもそーいえば3チームしか出ないなら、団体は2試合だよね。という事はだれか1人は2回出ないといけんよね」


 美咲が指折り数えながら言った。確かに5人制団体2回なら10試合ある。


 ボクら中央なぎなたクラブの中学生は、全部で9人だから誰かは2回出なきゃいけない。


「…… そりゃ美咲、愛ちゃんじゃないの?ねぇ愛ちゃん」


 ボクは愛ちゃんに声をかけた。だって愛ちゃんは今のところ2年生の先輩たちを差し置いて一番強いから。


「………武道始め大会…」


「あれ、どうしたの愛ちゃん?」


 愛ちゃんはボクの言葉が聞こえてないのか、考えるような感じでどこかボーっとしている。


「ちょっと愛ちゃんどうしたのボーっとして?ボクの得意技を取らないでよ」


 冗談めかして言うと、愛ちゃんはハッとしたように顔を上げた。


「……んっ、ああっ、ごめんねユウちゃん……もちろん私が2回出ても良いよー」


 ボクの方を向いて愛ちゃんがいつもの柔らかい笑顔を見せてくれた。


 ボクも笑っていると、誰かが袖を引っ張っきた……明日香だった。なんだか真剣な顔をして小声で話しかけてきた。

 そのままボクを引っ張るようにして、愛ちゃんから少し離れる。


「祐希……武道始め大会の日……県知事選の日と同じ」


「……えっ…!?」


 明日香の言葉にボクはビックリして、思わず叫びそうになった。

 確かに選挙って日曜にあるものだし、試合も大体日曜日にあるから被ってもおかしくないけれど……なんて偶然なんだろう。


 ボクは言葉に詰まった。あの愛ちゃんのボーっとした顔は同じ日という偶然に、呆れていた顔──そんな気がした。


 そうなのにボクは、何も考えずにあんな風に…。


「……祐希、大丈夫。落ち着いて。ほら、愛理も全然気にしてない」


 自分の無神経さに落ち込みそうだったボクに、明日香は小声のままそう言ってくれた。


 明日香の言う通り、もう愛ちゃんは考え込むような顔ではなく、唯に試合のアドバイスをしたりしている。



「ね?気を遣わないのもアレだけど、遣いすぎても逆効果だから」


 勉強ができるからだろうか。明日香は時々すごく大人に見える事がある。


「………うん、ありがとう明日香。あ、関係ないけど愛ちゃんの事名前で呼んでるんだね」


 今まで村田さんって呼んでいたような気がするけど。


「こないだ『名前で呼んでよ』って言われたからそうしているの」


「……へー、けど明日香って名前呼び捨てか苗字さん付けしかしないの?あだ名とかさ」


 ボクが愛ちゃんって呼ぶみたいに。


「…………そういえば、学校の友達にもないかもしれない。うーんあだ名呼びかあ……いつかしてみたい気もする」


 考えてから答える明日香。ボクは軽い気持ちで言ったんだけど、その答えはお茶目だけど基本真面目で頭がいい明日香らしいと思った。




 年末ってすぐに時間が過ぎる。街がクリスマス一色の頃二学期も終わって、冬休みに入った。

 なぎなたクラブもお休みに入って、稽古納めと道場の大掃除をしていた。


 軋む壁も、夏はにおいがこもっていた更衣室も、ボクたちの足の皮を剥いた床もしっかりと掃除をする。


「こら、小学生!ちゃんと雑巾掛けせんね!掃除できん子は薙刀もできんとよ!」


 恵子がサボってる小学生の低学年を叱り飛ばす。


「えー、恵子ちゃんパワハラだよそれ」


「祐希ちゃん、助けてー『仕切りマン』がパワハラするー」


 小学生男子の拓哉と翔太が、ボクに助けを求める。


 仕切りマンはダメだって!それ恵子が嫌いなあだ名なんだから。


 じろりと恵子がボクたちを見た。わ、わかってるよボクだって先輩だもん。注意ぐらいできるから。


「だ、ダメだよ2人ともちゃんと掃除しないと」


 拓哉が「祐希ちゃん声小っちゃ」と茶化す。どうもボクの注意は、恵子に比べて説得力がない。


「こらっ!なんがパワハラね。それに私のあだ名どこで聞いたと!?あんまりふざけてると、本気で怒るけんね」


 うわっ、ボクに言ってるわけじゃないのに、ボクもちょっと怖い。


 その恵子の迫力に負けたのか2人とも、黙って雑巾掛けを再開する。


「……恵子は次のキャプテン内定やね」

 

 大友先輩が窓ガラスを拭きながらボソッと言うと平井先輩も頷いた。


 平井先輩たちも受験勉強が忙しいはずなのに来てくれて、手作りのお菓子まで差し入れしてくれた。


「中央高は文武両道だから、勉強大変でしょう」


 川井先輩がちょっと苦笑いしながら言った。


「美鈴、他人事みたいに言ってるけど、1年なんてあっという間やけんね?アンタも中央高で薙刀続けたいなら、ちゃんと勉強しとかんねよ?由佳みたいに苦労すっちゃけん」


 平井先輩が大友先輩を見ながら言う。勉強、苦戦しているのかな。


「ちょっと正美!後輩の前で恥ばかかせないでよ!」


 大友先輩がちょっと顔を赤くして平井先輩を非難する。


「言われたくなかったらもっと頑張らんね。それとも馬津に行くね?あそこは薙刀あるし、そこまで勉強難しくなかし」


「正美、そがんあたしと中央でやりたくなかと?」


「やりたかけん言いよっとやろ?」


 大友先輩と平井先輩の漫才みたいなやり取りを見てみんなで笑う。

 

 ……ボクも1年なんて、あっという間というのは賛成だなあ。

 特に薙刀を始めたこの年は、気がついたら12月って感じだもん。


『……どうか、県政に新しい風を……みなさまのお力を…』


 外から選挙カーの音と声がボンヤリと聞こえる。もう投票まで2週間ない。


 ……これを聞いたからって、もうあの時みたいに心がグラグラ揺れることはないけれど、不安が消えたわけでもない。

 

 ボクがそうなんだから、愛ちゃんはもっとだろう。


 チラッと愛ちゃんに視線を送る。手ぬぐいを頭に巻いてマスク姿で、窓枠のホコリを唯や小学生高学年と取っている。


 唯に「こんなにとれたー」ってホコリを見せながら笑ってる愛ちゃんを見てると、こっちも笑ってしまいそう。


 普通、普通、いつも通り。そうするしかない。わかっているんだけど、やっぱり心のどこかではもどかしい。


 ボクはふぅって大きく息を吐いた。その拍子に道場の神棚と目が合う。


 ──薙刀の神様に選挙の事を願っても良いんだろうか?

 

 いや、毎年家族で初詣に行くボクの名前の祐の字をもらったK市のお稲荷さん、あそこで頼んだ方が良いのかな。


 ボクは神棚を見つめながら、そんなことばかり考えていた。





『新年あけましておめでとうございます。新春の喜びを…』


 テレビから決まりきった挨拶が流れる。ボクは中央中の制服の上からコートを着込む。


 あれから簡単に年は明けて、すぐに武道始めの日が──県知事選の日がやって来た。


 学校じゃなくてクラブから出るから私服でも良いんだけど、面倒くさくて制服にした。


 試合の日の朝だけどそれにはあんまりドキドキしない。だってボクは1試合しかしないし。


 初めての試合の唯や明日香は違うだろうけど………試合にでる選手としてはダメなんだけど、ボクはどうしても県知事選の方が気になってしまう。


 ニュースも少しだけ見た。やっぱり今の県知事さんは苦しいみたいだった。


 行ってきますと言いながら、薙刀や防具を担いで家を出る。お父さんとお母さんは後で見に来るって言っていた。


 バスに停に向かって歩いてたら恵子の姿が見えた。


「あ……お早よう、恵子」


「うん、お早よう祐希」


 新年の挨拶は初稽古の時にしたからもういいんだった。危なくあけましておめでとうって言いそうだった。


「そのコートよかね。かっこよかし暖かそう」


「じーちゃん家でもらったとさ」


 ばーちゃんが『ユウちゃん、薙刀ば始めたって聞いたけど、ちょっと見らんうちにかなり大人っぽくなったねぇ。こりゃ高校に入ったらモテるばいね』って言ってたのを思い出す。


 そんな事はないと思うし恥ずかしかったけど、ボクの試合の動画を見て2人が喜んでくれたのは嬉しかった。


「緊張……はしとらんみたいね。まあゆるい大会だし1試合しかせんしね。それより選挙って感じやろ?」


「……当たり。初詣でお稲荷さんに頼んでおいたけど」


 ボクがそう言うと恵子は小さく笑って返した。


「私も姫さんに頼んだよ。もう神頼みでもなんでも頼れるもんは頼らんば」


 恵子の言う通りだと思った。愛ちゃん………一体今どんな気持ちなんだろう?

 

 聞いた話によると、佐々木先生は愛ちゃんに今日は出なくても良いって言ったらしい。

 

 確かにボクが愛ちゃんなら、気になってまともに試合なんてできないと思う。


 だけど愛ちゃんは出たいって、先生に強く言ったって聞いた。家にいたってマスコミは来るしやきもきするだけだからって。


 それなら、試合をしてた方が良いって事なんだろう。


「……らしいなぁ」


 恵子に聞こえないように、ボクは小さく呟いた。

 なんだかとっても、愛ちゃんらしい話だと思った。


 ボクと恵子はやって来た、バスに乗って県の武道館に向かう。

 

 ………ボクも必要以上に気にするのはやめよう。相手に失礼だし、ひょっとするとまた馬津の榊原とやれるかもしれないし。


 そしたら夏合宿の負けを、取り返すチャンスだ。

 現金なのかボクの負けず嫌いパワーなのか、そう考えるとなんだかやる気が湧いてくる気がする。


 なんて思いながら流れていく風景。ボクの目線の先に選挙ポスターが少しだけ写った。


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