第3話 契約終了・1


 そして二年の月日が経ち。結婚契約最終日。


 この二年は……驚くほど何事もなく経過してしまった。もうちょっとこうアルバート様の婚約者候補が殴り込みを掛けてきたり、公爵家の陰謀に巻き込まれたり、義妹に疎まれてイジメられたりするのかなぁと思っていたのに……。普通に寝起きをして、普通に食事をして、普通に書類仕事に精を出す毎日だった。


 そもそも結婚式もなかったし、親戚への挨拶回りとかもなかったので『契約とはいえ、ほんとに結婚しているの?』状態だったし。


 そんな感じで、基本的にはなんとも平穏な毎日だった。ときどきアルバート様が街に連れて行ってくださったり、旅行に連れて行ってくださったりしたけれどね。


 従業員のためにわざわざ休みを取って街遊びに誘ってくださったり、社員旅行を計画してくださったり……なんて理想的な雇用主だったのでしょう。


 私に対してもこれほど気を遣ってくださったのだから、心から愛する奥さんに対してはそれはもう甘々ラブラブな毎日を過ごされるのでしょうね。羨ましいような、砂糖吐きそうなような。


「――鈍い。鈍すぎますわ……」


 頭痛がするのか、なにか呻き声を上げたのは一緒にお茶会をしていた絶世の美少女。アルバート様の妹・マリー様だ。


 アルバート様そっくりな銀色の髪。アルバート様とは少し色味が違う紺碧の瞳。未婚の貴族令嬢は普通髪を下ろしているものだけど、彼女は後ろで一つに纏めてしまっている。いわゆるポニーテールというものだ。


 未婚者は髪を下ろし、既婚者は髪を編んで後ろで纏める。それこそが貴族女性のあるべき姿だというのに、彼女は誰から何を言われても髪型を変える様子はない。


 マリー様はとてもいい子で、一時期は王子殿下との婚約の話まで持ち上がっていたそうなのだけど……この二年で自ら育て上げた事業が成功。将来的には実業家として自立する予定らしい。

 たぶん、貴族としてはあり得ないポニーテールもそんな『覚悟』を現しているのだと思う。


 そんなマリー様だからこそ敵も多く、気苦労も多いに違いない。


「マリー様。頭痛がするなら無茶をしてはいけないですよ? まずはお医者さんに相談して、薬をもらって、それでもダメならストレスを疑いましょう」


「……そういうことではないのですわぁ……」


 なぜか項垂うなだれるマリー様だった。まぁ『家のための結婚』を求められる公爵家の令嬢が事業をやっているのだから、私には理解の及ばない苦労もたくさんあるのでしょう、きっと。


 マリー様には私がレイガルド公爵家の屋敷にやって来た初日に契約結婚の話をしておいたので、当初から私の理解者になってくれていた。……そういえばあのときも痛そうに額を押さえていたっけ。


「……お義姉ねえ様は、本当にこの家を出て行きますの?」


「ええ。そういう契約ですから。安心してください、口止め料を請求したりはしませんから」


「いえ、その辺は心配していませんが……お義姉様のその勘違いというか妄想というか暴走は何とかなりませんの?」


「? 私がいつ暴走を?」


「……自覚なし」


 なぜか再び項垂れるマリー様だった。


「あ、そうそう。もう私は契約を終えるのだから、無理をして『お義姉様』と呼ぶ必要はないですよ?」


「……それもそうですわね。ではこれからは『シャーロット』と呼ばせていただきますわ」


 貴族女性同士で『様』を付けないのは、それだけ親しい付き合いがあるという証拠。


 おぉ、自分で提案しておいて何だけど、二年間も『お義姉様』と呼ばれていたからとても新鮮ね。ちょっとムズかゆいかも。


 でも、これはこれで嬉しかったりする。


 だって――


「……なんだか妙に嬉しそうですわね?」


「だって――名前で呼び合うのって、なんだかとっても『友達』っぽいですから。ふふ、頬が緩んじゃいますね」


「…………人たらし」


 もはや何度目かも分からない項垂れを見せるマリー様だった。いや、僅かに見える耳が赤くなっている気がするから……。


「風邪!? 風邪を引いちゃいましたか!? セバスさん! セバスさん! お医者様を呼んでください! いや医務室に連れて行った方が早いわね!」


 とても鋭く察しがいい私はマリー様の不調を見抜いたのだった!


 私はガタッと立ち上がり、ガシッとマリー様の手を握り、そのままズビュンと医務室目指して駆けだし――いや、病人も一緒なのだから走っちゃダメよね。抜き足、差し足、忍び足……。


「……そういうところですわ」


 なぜか呆れ顔で。しかし少しだけ口元を緩めながら。小さく呟くマリー様だった。







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