26 報連相はコミュニケーションの基本
少年が牢屋にぶち込まれるのを見届けて、諸々の処理を終えた後、私は一人帰路についた。
ジュリアが騎士に送らせると言ってくれたが、どうにも一人になりたい気分だったので、無理を言って一人――正しくは一人と一匹――で帰らせてもらったのだ。
冷や汗でぐっしょりと濡れてしまった肌着のせいで、やけに寒く感じる。体感気温は一桁代だ。
「戦力増強が出来て良かったじゃないか。それに犯罪奴隷だ。倫理観的にも、使い潰したって問題無いね」
「もう一度倫理観というものを勉強し直してから発言してもらえます?」
返事をする気分では無かったが、倫理観の欠片も無いヘーゼルの発言につい答えてしまう。
「この時代では、犯罪奴隷には人権も命も無いようなものだよ」
「そのふわふわの毛を逆プードルカットにされたくなかったらお黙り。いや本当に黙って。しばらく話しかけないでくれ頼むから」
「どうやらナーバスになっているみたいだね。仕方ないなぁ」
ヘーゼルは呆れたようにため息を一つつくと、軽やかに私の肩から降りて、一度私を見上げた。
「僕はしばらく散歩に行ってくるよ。帰ってくるまでの間に、気分を落ち着かせてもらえると助かるな」
「むしろ情緒が安定するまで帰って来んな」
てちてちと短い手足でゆっくりと今来た道を戻って行くヘーゼルの後ろ姿を数秒程見送って、今度こそ一人きりになった。
考えなければいけないことがたくさんあるはずなのに、何一つとして思考が進まず、心も思考もほとんど無にしたまま歩を進めていると、いつの間にかルイちゃんの家の前に着いていた。
何も考えなくても帰って来られるようになった程度にはこの地に慣れていた事に、今この瞬間に気付いてしまった。
玄関のドアを開けようとして、ドアノブを掴む直前に腕が止まる。
入りたくない。入ってしまったら、短いようで長い一ヶ月ちょっとの穏やかな暮らしを壊さなければならないから。
けれども、そうすると決めたのは、紛れもない私自身だ。
二、三度深呼吸をして、胸をポンポンと数回叩いて、心の準備をする。
大丈夫、いける。いけるというか、やるしかない。やるしかないのなら、さっさと終わらせた方が精神的負担は軽い。
そう自分に言い聞かせて、一度ぐっと手を強く握りしめてから、半ばヤケになった時のように勢い良くドアノブを掴んで、ドアを開けた。
「オ゛ッ!?」
「お帰りなさい! 無事でよかった……!」
玄関をくぐる時、私はたまたま目を瞑っていた。
だから、まさか入って数秒でルイちゃんが抱きついてくるとは思ってなかったし、そもそもこんな熱烈なハグをしてくるなんて思っていなくて、えっちくない汚喘ぎの様な妙な奇声を出してしまった。
ルイちゃんの細く柔らかいふわふわの髪の毛から、理想の二次元女子中学生みたいな良い匂いがする。体温が幼児みたいにぬくい。密着したが故に当たる服越しにも分かる微故に美たるおむねの柔らかさに語彙が無くなる。やばい。
お待ちください。心臓と理性に悪い。何も考えられない。Now Loading。
違うんだ。弁明させて欲しい。いや、誰に弁明するんだって話だけど、私の常識に対して言い訳がしたい。
私は決してリアルロリコンじゃないし、性愛の対象は基本的に男性だ。それだけは神に、何なら邪神にだって誓って良い。
けどこんなのさぁ! ズルじゃん!
性愛か推し愛か関係無く、好きな子から熱烈なハグをされたら勘違いもするし理性が壊れるって!
それが心配由来の行動だったとしても、帰ってきた瞬間抱きついてくる程に好感度が高いってことは、つまり……そういうコト……!? と勘違いしたっておかしくないでしょう!
そしてトドメに体臭! 遺伝子の相性が良い相手からは良い匂いがするという、どこで仕入れたか忘れた本当かどうかすら分からない知識が私の脳内にはあるが、ルイちゃんはマジで良い匂いがする! 別に匂いフェチでも何でも無い私がこんな状態になるんだからこりゃもうアカンて! 情緒と共に理性も壊れる!
童貞ムーヴとでも何とでも言えば良いさ!
「あれ? ヘーゼルちゃんは?」
「オア……あ、ああうん、あいつも無事だよ。なんか散歩しに行ったけど、そのうち帰ってくるよ。ジュリア様とか騎士さん達も怪我してないから安心して」
「そっか、よかったぁ……」
完全に旅から帰ってきた勇者を迎える幼馴染みの顔で出迎えてくれたルイちゃんに、やっとのことで返事を返す。
危なかった。ルイちゃんがヘーゼルが居ない事に気が付いて離れてくれていなかったら、下手したら間違いを犯していたかもしれない。
この世界的には合法だけど私の世界では児ポ案件になりかねん。
少し冷静になると途端に、ルイちゃんからの予想外のハグに大変ドストレートに下心を抱いてしまった事に対し、罪悪感が湧いて出てくる。
「そ、そうだ! ほらこれ、お守り返すよ」
心の中に抱いた童貞心と罪悪感を誤魔化そうと、預かっていたお守りを取り出して返す。
一瞬、そういえば傷とか着いてないだろうか、と確認する前に渡してしまったことに焦ったが、特にそんなことは無かったようで、ルイちゃんはホッとした表情でそのお守りを大事そうに握りしめた。
しかし、これから色々と伝えることが多すぎて、自分が決めた事とはいえ、気が滅入ってしまう。
先程荒ぶったテンションが、昨今の季節の変わり目の気温ぐらい一気に下がった。
だが、言わなければ始まらない。リビングに移動した所で、私は意を決して話を切り出すことにした。
「大事な話があるんだけど、いいかな?」
「どうしたんです? 改まって」
余程私達の事が心配だったのだろう。ルイちゃんの顔には疲労が浮かんでいる。
こんな状態のルイちゃんに言うのは少し躊躇してしまい、言葉を飲み込みかけてしまう。やけに口の中が乾いている気がした。
「……まあとりあえず、座って」
口から出た言葉は、そんな当たり障りの無いものだった。違う、これが言いたいんじゃない。
ルイちゃんがソファーに座ったので、私も向かいにある、普段はジュリアが使っている一人用ソファーに座った。
彼女は静かに私の言葉の続きを待っている。
何度か口を開いて、言い出せずににそのまま息を止めて。ややあって、私はようやく、本題を切り出した。
「明日、この家を出るよ」
そう言った瞬間、時が止まったかのような沈黙が訪れた。
冬ももう目前のこの時期に虫の声は聞こえてこないし、今日は風が吹いていないか、吹いていたとしても木々のざわめきを起こす程の風速は出ていないらしい。
しん、と耳が痛くなるような静寂だった。
「……えっ?」
絞り出したルイちゃんの声は、感情の色が無かった。驚きすぎて言葉も出ない、といった様子だった。
一度切り出してしまえば、後は簡単だった。
脳内に用意していた要点をアドリブで繋げたとは思えない程、すらすらとなめらかに口から言葉が出てきた。
「犯人の身柄を奴隷として引き受けることにした。殺人犯を匿っているって変な噂が立ったりするかもしれないし、ルイちゃんにも店にも迷惑はかけられない。だから家を出て、店も退職するよ。何か業務の引き継ぎが必要ならそれをしてから――」
「待って、ちょっと待って! 一体何があったんですか?」
「何があったって、今言った通り、犯人の処遇は奴隷堕ちにするから」
「そうじゃなくて!」
滅多に大声を出さないルイちゃんの叫ぶような声に驚いて、言葉が詰まる。
いつの間に彼女から視線を外していたのだろうか。驚いた拍子に彼女の顔を見たが、今にも泣き出しそうな、それとも怒っているような、ただ混乱しているだけなのか、それともその全部が混ざっているのか、そんな表情をしていた。
「どうしてそれでトワさんがこの家を出る事になるんですか!?」
「言ったでしょ、迷惑はかけられないって」
「全部一人で決めて、勝手に出て行こうとしないでよ!」
そう言われて、私ははっとした。
そりゃあそうだ。いくらルイちゃんが元の世界の基準で未成年で、私から見て子供だったとしても、それ以前に、彼女は立派な同居人で、勤め先の店長だ。常識的に考えて、家を出るにせよ、仕事を辞めるにせよ、事前の相談をするべきで――。
そこまで思考を巡らせて、いや違うな、と思った。
多分、ルイちゃんはそこまで考えてない。
こんな理性的な判断とか常識とか、そういうものから出た言葉じゃなくて、きっと。
「……ごめん」
「確かにトワさんと会って一ヶ月ちょっとくらいしか経ってないし、年下で頼りないかもしれない。けど、それでも、少しくらい相談してほしいよ……!」
「……ごめん」
「私ね、トワさんのこと、もしお姉さんが居たらこんな感じなのかなって思ってて……だから、困っている事があるなら……力になりたいよ……」
うん。やっぱり、そういうことだ。
彼女はこんな私のことを、家族だと思ってくれていたのだ。
家族なんだから頼って欲しいし、彼女が言っている通り、力になってあげたい。そう思ってくれていたのだ。
正直、私にとって「家族」というものはあまり良いものではない。血の呪いだとすら思っている。
だから理想的な幸せな家族なんていうものはファンタジーで、創作物の中にしかないと思っているし、だからこそ、赤の他人や別種族同士だとしても強い絆を結べる疑似家族というジャンルが好きだ。
ルイちゃんは嘘をついたり、人を騙すような事をするタイプのキャラクターではない。
きっと、彼女が私に向けてくれている「家族愛」は、本当に彼女の中に有るのだろう。
不思議と心は凪いでいて、家族に対する嫌悪も、理想の家族愛を持つ彼女から「家族」だと思ってもらえていた事に対する感動も、何もなかった。
ただ、私のことをそう思ってくれている彼女への礼儀として、ちゃんと自分の本心を話さなければならないなと、そう思った。
「……子供だったんだよね、犯人。十代前後の。よく分からないけどやけに懐かれてさ、ねえちゃんねえちゃんって、嬉しそうに駆け寄ってきてさ」
目頭が熱くなる。視界が涙で滲み始める。
「ねえちゃんになら殺されても良いって言うんだよ。殺すか否かだけで愛情表現をしていたあの子が、不憫で見捨てられなかったんだ」
あ、まずい。
そう思った時には既に遅く、ぼろりと涙が目から零れた。
おかしいな、泣くつもりなんて無かったし、泣く要素なんて無いはずなのに。
頭の中は至極冷静で落ち着いているはずなのに、ボロボロと涙が溢れて止まらない。
ルイちゃんは立ち上がって私の所まで来ると、一人だと余裕があるが二人で座るには狭い、私が座っている一人用ソファーの肘掛けに腰をかける。
そしてそっと私の頭を自分の胸に抱き寄せて、その小さい手で優しく私の頭を撫で始める。
ルイちゃんの主張しすぎないボリュームの胸の柔らかさと、やや高い平熱からくるぬくもりと、彼女自身の匂い。
それらを再びダイレクトに感じたものの、先程とは違い、性的な興奮を覚えることは無かった。
ただ、まどろみの中に居るような心の安らぎが、そこにはあった。
こんな時で申し訳無いが、大変なバブみを感じてしまった。
幼馴染み系彼女だと思ったら母性を感じる年下彼女だったってマ?
いや、ラガルイのルイちゃんはロリおねえさんもしくはロリおかあさんだから何も間違っていない。私の解釈は少なくとも間違いではなかった。
ありがとう現実。ありがとうラガルイのラガルティハ。お前の気持ちが今この瞬間完全に理解出来たよ。
間違いなくお前はルイちゃんに依存するよ。私が保証する。
「……ねえ、トワさん。犯人さんに面会って、出来るのかな」
「へ? いや、それはジュリア様に聞いてみないとわかんないけど……」
「一度、その人に会ってみたいな」
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