二話 女郎蜘蛛-4
夜の街は思った以上に騒々しかった。
飛び交う客引きの声や酒に酔って叫ぶいい歳をした大人にげんなりする。
京一は人の波をぬうように歩く。
流石に奇抜すぎる格好をしているためか道行く人は京一を避けて歩いているように思えた。
少し悲しいが歩きやすいのはいいことだ、と自分に言い聞かせる。
周辺の地図は頭に入れてきた。
あとは蝶の目印をどう探そうか、とあたりを見渡したとき突然女性の小さな悲鳴が聞こえた。
「ちょっと……やめてください!」
背が小さく華奢な女性がスキンヘッドで縞模様の服を着たいかにも柄の悪そうな男に掴まれている。
「先に当たってきたのはお前だろうが」
「だから謝ったじゃないですか」
女は涙声で言うが火に油のようで男は怒気を強めて言った。
「謝りゃなんでもすむと思ってんのか」
それからいやらしい顔でニヤリと笑う。
「詫びるってんならそこの店で相手でもしてくれや。どうせヒマなんだろ」
男は女の肩に手をかける。
女は今にも泣き出しそうだ。
でも誰も助けに入ろうとしない。遠まきにちらちらと眺めているだけだ。関わり合いになりたくないのだろう。
京一は一瞬通り過ぎようかと思ってそうしようとした自分を恥じた。少なくとも自分は見て見ぬふりなんてできない。
今から出向こうとしている任務に比べればこんなことは些細なことだと思った。
どうとでもなれ、と女の肩に手を置いたままの男の腕を掴む。
「は?だれだお前?」
その疑問ももっともであるが。
いきなり現れた京一を男は睨みつける。
「やめろよ。その人嫌がってるじゃないか」
そう言うと男は苦々しげに顔をゆがめた。
「あ?喧嘩売ってるのか?」
「そういうわけじゃないけど……」
声をかけたはいいがどうするかまったく考えていなかったと思った。
喧嘩では敵う気がしないのでなるべく穏便に事を済ませたい。
一瞬考えて。
仕方ない、やるしかないと思った。
「痴漢です!」
突如あたりに響き渡るような大声で叫んだ京一の声に通行人がぎょっとして足を止める。
「暴行です!変態です!お巡りさんこっちです!」
とにかく喚き散らす。
目立てば男もめったなことはしないだろう。もしかしたら誰かが本当に警察を呼んでくれるかもしれない。
ひそひそと話したり京一と男を指差したりしながら通行人が注目しはじめた。
無数の好奇や嫌悪が混じった視線を感じて形勢が不利と思ったか男は京一をものすごい形相で見ると言った。
「このイカれ野郎が……。覚えてろよ」
去って行く男の姿が道の向こう側に消えるのを待ってから、京一はしゃがみこんだ。
「はー」
息をはく。本当にヤバいと思った。
道の真ん中で声を上げたことがよかったのだろうか。意外とあっさりと引いていったなと思う。
「びっくりした……。お兄さん、助けてくれて本当にありがとう」
両手で自分の肩を抱きながら女が言う。
「いえ。よかったです」
じゃあ、俺はこれでと言おうとして今度は京一が女に手を掴まれた。
「こわいから途中まで送ってくれない?」
「はあ……」
本当は今すぐ離れてここに来た目的を果たしたかったが仕方なく途中までなら、とついていくことにした。
女といっしょに歩いて行くと人気のない路地裏まで来た。
なるほどこれはこわいはずだな、と思っていると女は急に京一に接近してきた。
「うわ、ちょっと」
腕を絡めてうるんだ目で見上げてくる。
酒くさい、と思った。
「お兄さんこの後店で遊ばない?」
ねっとりとした声で女は言った。
女性の服は胸や脚の部分が開いていて目のやり場に困る。
腕をふりほどこうとしたがなかなかうまくいかずもたもたしていると続けて女は言った。
「助けてくれたからサービスするよ」
どうしようかと焦っていると路地裏の入り口あたりから声がした。
「やめなよ」
黒い服の少女がたたずんでいる。
あまり大きくはないがよく響く声で言う。
「困ってるじゃん」
「は?あんた誰よ」
険悪な女の声にも怯むことなくスッと少女は目を細める。
幼めの顔に似合わない刺すような視線だった。
「変なまねはやめろって言ってんの。上に言いつけるよ。そうしたらアンタもうまく商売ができなくなって困るんじゃない?」
無表情で平坦に言う様子は妙に迫力がある。
上、と言ったときに女は顔をしかめた。
しょうがないというふうに京一を解放するとさっさと表通りに退散する。
「あの、ありがとう」
京一が礼を言っても少女は無愛想な顔のままちらりと見ただけだった。
「典型的なキャッチの手口だよ。あの男もグルだから。悪質だけど引っかかる方もバカ」
冷めた声で面と向かってバカと言われて京一はしゅんとなる。いっそ清々しい毒舌だ。
京一に歩み寄って少女は言った。
「お兄さんここらへんは初めて?」
「あ、ああ。近くで働くことになって」
間近で少女の顔を見ておや、と京一は思った。
「あれ、あのときの……」
洋菓子店の前で見かけた少女だ。
眼鏡がなく、しばっていた髪もおろしているのでずいぶん印象が変わって見える。服も昼間に着ていた白いものではなく黒いセーラー服で赤いリボンがついている。
少女も京一を覚えていたようで目を丸くする。
「……何でこんなところにいるの?」
こちらのセリフである。
疑り深そうに京一を見る。
「あの店の店員でしょ?」
とっさに嘘をついた。
「いや、昼間の仕事だけじゃ足りなくてさ。夜の仕事をはじめようと思って店を探しているんだけど」
頭をかきながら言うと考えこむようにじっと少女は京一を見た。
しばらくしてから目をそらす。
「やめといた方がいいよ。さっきの様子見てたらお兄さん向いてなさそうだし」
それはそうであるがここで引き下がるわけにはいかない。
参ったな、と思う。
「とりあえず働かなくちゃいけないんだよ。いろいろ事情があって」
そういえば、とふと思った。
「蝶の模様がある店ってどこか知ってる?探してるんだけど」
少女はその言葉を聞いて一瞬目を見開いたが、フッと冷めた表情に戻ると言った。
「知らない。ていうか、私ぐらいの歳の子がなんで夜ここにいるのかとか聞かないんだね」
ええと、と思う。
「聞いてほしいの?」
「別に。でも大人ってそういうものでしょ」
非難がましい目で京一を見る。
「俺はひとりひとり事情っていうか……。聞かれたくないこともあると思うから特に言いたくなければ何も聞かない。自分がちゃんとした大人っていう自覚もないしな……」
後半は尻すぼみになってしまったが思ったままを言う。事情があるというのは自分のことでもあるが。
京一の言葉を聞いて少女は目を瞬かせた。
「変わってるね」
「自分でもそう思う」
情けなく思いながら言うと少女の表情がわずかに緩んだ気がした。
ほんの気のせいかもしれないが。
「とにかくここには近寄らないこと。じゃないとさっきみたいなのにまた絡まれるよ」
そう言って背を向けてさっさと歩き出してしまう。
「あ、待って」
追う前に少女の姿は雑踏に消えてしまった。
蝶の目印がついた店。
少女と別れた後しばらく繁華街を歩いたが教えられた鎌形の拠点はいくら探しても見当たらなかった。
店名かと思ったがどこにもそれらしき店はなく、看板にさえ蝶の模様が入ったものはない。端から端まで歩いてみてもみつからなかった。
道行く人に聞きこみしてみようかと思ったがあまり悪目立ちしたくもなかった。
殺人に関わる人物がわかるまではなるべく向こうに正体を知られないように、あくまで秘密裏に動きたい。
結局一晩収穫はなく、クタクタになって家に帰ると部屋で白雨が正座して待っていた。
文字通りただ何もせず待っていただけのようで申し訳なくなってしまう。
「……ただいま」
「おかえりなさい」
それだけをやっと言う。
白雨は京一の顔を見て今晩のことを察したようで細かいことは聞かずにいてくれた。
服を半分無意識に着替えて間もなく京一は泥のように深い眠りに落ちた。
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