第40話 迫りくる悪夢

 少女はおどろおどろしいオーラを纏いながら、一歩、また一歩とこちらに近づいてくる。


 今日は真っ白な服を着ている。黒と赤の蠢く瘴気のような光に包まれたその姿は、以前よりも遥かに不気味だった。


「ああ、ああああー!」

「おい! 待て!」


 アッキーは悲鳴を上げながら、出口から走り去っていく。


白髪の男は、先ほどまでとは違う乱暴な声かけで引き止めようとしたが、どうやら聞こえていなかったらしい。


「シャムちゃん」


 幽奈はすぐに、椅子に縛られているシャムの姿に気づいた。近づこうとしたのだが、奇妙な変化が起こっていることに気づき足を止める。


 シャムを縛っていた鎖が溶けるようになくなり、体がふわりと浮かび上がっていた。


「おやおや、ギリギリで間に合ったと言うことでしょうかね」


 白髪の男は微笑を浮かべ、彼女の変化を見守っている。何か歪な黒い靄が、徐々にシャムの元へと集まっていた。


:シャムちゃん!?

:なんか黒い変なのが

:すげえ勢いで包まれてないか???

:やばい

:なにが起こってんのこれ

:ただことじゃないだろ

:せんちゃん、すぐに場所を警察に教えて!

:また悪霊か!?

:集まってるのがなんなのか分からん

:ひいい

:あ、あれ?

:ん?

:ちょっと待った。終わった?

:浮いてたと思ったら、普通に着地したな

:え

:??

:お、おおおおお

:シャムちゃん、これって

:ああー??


 視聴者達は有名なアイドル配信者の変貌に、チャット欄で悲鳴を上げていた。


 実はこの時、同接数はなんと六百万に届くほど伸びていたが、幽奈を含め誰も気づいていない。


 自らを覆い尽くすように集まっていた黒い何かが消え去り、シャムは静かに床に足をつける。


 閉じられていた瞳が、ゆっくりと開かれた。丸い目は刃物のように切長になり、肌は病的なまでに白くなっていた。


 右の瞳からは涙が溢れているが、左の瞳は無表情にこちらを見据えている。


「ここは……」

「ほほう。既に喋れるとは! お体が馴染んでおられるようですな」


 後ろのほうに隠れていた白髪の男が、驚きと歓喜に満ちた声をかけた。しかし、シャムに取り憑いた何かは気に留める様子もない。


「なるほど。現世に戻ったというわけか。これは面白い」


 彼女に取り憑いているのは、男の悪霊である。落ち着いた物言いから、下位にあたる存在ではないことを、白髪の男は予想していた。


 召喚した悪霊は、強ければ強いほど良い。そんな存在を操れる自分は、さらに上位の存在ということになるのだから。


 悪霊師に召喚された者は、召喚者の指示に従わなくてはならない。


彼らは召喚すると同時に、力を消し去る術も得ている。だから白髪の男は喜びに満たされていた。


(この魔力……おそらくは相当な力の持ち主だ。しかもあのシャムに取り憑くことで、桁違いの力を手にしている。この悪霊を使えば、私はこの世の覇者にだってなれる!)


 遠目から様子を見ていた幽奈は、シャムの変化に明らかに動揺していた。この時、奥にいた白髪の男には気づいていない。


「シャ、シャムちゃんが。シャムちゃんが」


 シャムに取り憑いた悪霊は、ようやく自らへと歩み寄る何かに気づいた。そして徐々に、彼女にしか意識が向かなくなる。


「お前は……? 随分と物騒な見た目をしているな」

「ア、アノ。シャムチャン?」

「シャム? ああ、この体か。これからは俺が使わせてもらう。残念だが、この女はもう死んだ」

「エ!?」


(死んだ? シャムちゃんが?)


 その一言が幽奈に与えた衝撃は大きかった。よく理解できないが、目の前にいる奇妙なオーラを纏ったシャムは、もうシャムではない。


 悲しみが胸を突き上げる。頭を鈍器で殴られたような衝撃が走る。


 幽奈の脳内は混乱と悲しみが交互に駆け回っていた。


「さて、お前が最初の相手をしてくれるわけか。安心するが良いぞ。苦しむことなく、あっさりと終わらせてくれよう」


:シャムちゃんが男っぽい言葉喋ってる

:すげえ違和感

:ってか、乗っ取られたの!?

:すげえ赤いオーラみたいなの漂ってんな

:強そう

:シャムちゃん泣

:死んだってマジかよ

:こいつふざけやがって

:せんちゃんやばくね?

:とんでもない現場に来ちゃってるわ

:嘘だろシャム

:アッキーのせいだろ全部

:許せねえ

:悪霊に乗っ取られたとか!?

:怖い

:完全にホラー状態になっとる

:やばいやばいやばいやばい

:せんちゃん逃げたほうが良くない?

:あああああ


 カメラは向かい合う二人を映していた。視聴者の目には、どちらも常識を遥かに越える化け物であることが伝わってくる。


 白髪の男はカメラの外だったが、意気揚々と前にいるシャムだった者に声をかけている。


「さあ、やってしまいなさい! あのような小者、取るに足らないでしょう」


(こいつが俺を召喚したのか。まあいい、今のうちは言うことを聞いておくか)


 悪霊はチラリと背後の男に視線を送り、その後はすぐに幽奈へと目を向けた。手に入れた潜在的な魔力の高さを、試せる適当な相手であると思っていた。


 だが、悪霊はすぐに違和感を覚える。動揺して震える幽奈から、黒く赤く絡みつくような、奇妙な魔力が溢れ出しているとに気づいたのだ。


「シャムチャン、シャムチャン、シャムチャン」

「お、おう。これは」


 オッドアイが、膨れ上がる魔力の源を直視していた。獲物に襲いかかる猛獣のように、魔力が膨張していく。


 あっという間にそれは、男が生前感知したどの魔力よりも膨大で、海のように広がっていった。


 その姿は、以前までの悍ましさとは比べものにならないほど、禍々しい光と影を少女に与えている。


 無限に膨れ続ける魔力は、シャムへと取り憑いた男と白髪の男に、かつてないものを感じさせた。


 この間、チャット欄はまったく入力されていなかった。実は視聴者達は、幽奈のこの姿を見て、誰もが恐怖に震えていた。


(な、なんだあの影は!?)


 シャムに取り憑いた悪霊は、ふと彼女の背後に映る奇妙な影に気づいた。それは黒く長く、枝分かれしているように見える。


 顔を上げて影の先を見つめた悪霊は、全身を氷漬けにされたような冷えを感じた。


「あ、あれは……王の影……ま、まさか! 貴様は」


 彼は生前、人外の生物についてよく知っていた。利用してもいた、それなりの覇者だったのだ。


 しかし、そんな男が今、少女の赤く煌めく目に震える。


「あ、あああああアヒィイーーーー!」


 そして、悪霊はせり上がる猛烈すぎる恐怖に悲鳴を上げてしまう。先ほどまでの強者感などまるで吹き飛び、目前までフラフラと迫ってくるそれに怯えてしまった。


 しかも、自らの力が吸われ続けている。気づいた時にはもう遅い。


 そして幽奈の瞳から、突如として放たれたそれに、全身を焼かれてしまう。


 それは炎だった。かつて一度として目にしたこのない、蒼き極炎。


「アアアアアアーーー!?」


 悲鳴とともに、悪霊は取り憑いてからたった五分程度という短い時間で、この世から消滅してしまった。


 しかもシャムの体には火傷など一切なく、無傷であるという矛盾に、誰もが混乱していた。


「ア、ア? シャ、シャムちゃん!?」


 前のめりに倒れるシャムを、我に帰った幽奈が受け止める。白髪の男はこの光景を目にして、生まれて初めて本当の恐怖に駆られた。


「ま、まさかこんな。ば、化け物……化け物ぉおお!」

「ア」


 そして病院の中へと逃げ出していく。ようやく白髪の男に気づいた彼女だったが、今はシャムのことで頭がいっぱいだった。


 逃げていった後を追うように、配信機材をつけたピエロの人形が歩き出した。


 ラジコンに似た操作スイッチを幽奈が持っていたのだが、動揺しすぎて無自覚に押しっぱなしになってたので、ピエロは白髪の男を追いかけてしまっている。


「ん……んん……」

「シャムちゃん!?」


 膝の上に寝かせたシャムが、それから数分と立たずに目を開けた。幽奈がハッとして覗き込むと、パチリと目を開く。


「あれ? 幽奈ちゃん?」

「シャムちゃん、戻ったの!? シャムちゃん!」


 泣き出す幽奈に困惑しつつ、彼女は無事に意識を取り戻していた。


 しかし、これで幸せな終わりとはならない。白髪の男にとっても、視聴者にとっても。

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