第25話 影が薄い

 男は息を切らしながら走り続けた。


 後ろを向いたら殺される。そんな予感が確かにあった。


 しかしどの道、彼の運命は変わることはなかった。


 どんどん人気のないところに誘導されるような気がする。


 だからと言って、他の場所を選択するような考えが浮かばない。


 彼はシャムとよく探索チームを組んでいた槍使い、あまねと呼ばれていた青年だ。


 得意の槍術を使おうにも、槍は既に使い物にならなくなっている。


「どうして……一体何が……なんで」


 生き延びるために、とにかく考えなくてはならない。どうやったら生還できるのか。そもそも相手は何者なのか。


 具体的な情報を、彼は何一つ持ち合わせていなかった。相手は突然現れ、彼を襲い続けているからだ。


 春は過ぎ去り、少しずつ夏の気候へと移り変わりを始める季節。だがあまねは震えている。深夜の肌寒さ、という程度では説明がつかないほどに。


 とうとう彼は、それに追い詰められた。


 逃げ続けた先に待っていたのは、小さな工場であった。もともと人が少なく、侵入者など想定もしていないその場所に、彼はいつの間にか駆け込んでいた。


 分かっていた。自分を襲ってきたアレに、誘導されてしまったことに。だが抗いようがない。


「くそ! くそ! どうして俺が、こんな。こんなことにぃいい!」


 普段は沈着冷静な青年が、焦りと恐怖で我を忘れて叫んでいた。しかし、ふと奇妙な気配を感じ、彼は騒ぐのをやめる。


 逃げられる場所はないか。隠れられる場所はないか。必死に探したが、この工場にはどちらも見当たらない。


 恐怖が彼の心を強く揺さぶっていた。まだまだこれからだと信じていた未来が、このままでは奪われてしまう。


 しかし奴は来た。工場の中は闇に染まっていて、少し先も見えはしないが、明らかに気配を感じる。


 ゆっくりと、まるで焦らすように近づいてくる何か。半狂乱になりつつ、彼は付近にあるものを必死で投げ続けた。


 無意味な抵抗であることは明らか。存在感が増すとともに、歪な何かが闇から膨れ上がってくるような気がした。


「一体誰なんだ!? なんなんだ! あああ」


 その後、工場から猛烈な叫び声が響いたという。付近の通報により駆けつけた警察は、既に遺体となった彼を見つけることとなった。


 ◇


 その日、幽奈は朝から落ち着きがなかった。


 通学路を歩いていても、教室に入っても、授業を受けていても、心がどこかふわふわしている。


 原因はダンジョン配信で、あれほどのバズりを経験してしまったことで、どうにも落ち着かない時間を過ごしている。


 実は落ち着きがなかったのは、幽奈だけではない。二階堂シャムもまた、今日は常にそわそわとしている。


 彼女の落ち着きがない原因もまた明らかだった。元マネージャーに続き、パーティメンバーだったあまねが死んだ。


 あまねは急性心臓死ということだった。しかも現場は深夜の工場。謎だらけの状況であり、ニュース番組ではそのことばかりが取り上げられている。


 お昼休憩の時間になり、幽奈がお弁当を開いたところで、前にいたシャムがこちらを向いて、お弁当を片手に笑いかけてきた。


「幽奈ちゃん! 良かったら今日、一緒に食べない?」

「え、いいの?」

「もちろん! でもちょっと場所変えない?」


 なぜかシャムはいつもの友人達とではなく、幽奈とお昼を共にしたいらしい。


 友人とお昼を食べたことがない少女は、もうそれだけで胸がいっぱいになってしまう。


 リア充なクラスメイトに連れられてきた先は、学校のグラウンド近くだった。座れるベンチがあり、たまたま空いている。


「ってかさー。幽奈ちゃん、もうめちゃくちゃバズってるじゃん!」

「え?」

「配信のこと! この前のダンジョン探索、超良かったって、クラスのみんなも言ってるよ」


 そうだったの? と幽奈は首を傾げる。クラスメイトの話で自分の話題が出ていることには、実は気づいていなかった。


「ねえ、実はちょっと考えてたことがあるんだけどさ。今度あたしと一緒に雑談配信してみない?」

「え!? ……いいの? ほんとに?」

「もちろん! 幽奈ちゃんとの雑談とか、めっちゃ楽しそうだし。あ、それから! 収益化の申請ちゃんとした?」


 コクコク、と人見知り少女は首肯して答える。あれから配信のことは、シャムから多くのアドバイスを貰うようになっていた。


 収益化もその一つであり、彼女曰く申請のタイミングが遅くて勿体無いくらいだとか。


「よしっ! じゃあ順調だね。雑談はいつに——」


 この時、ふと通りかかったグループが、あまねの死についてしゃべっていることが耳に入り、シャムの軽快な口調が止まってしまう。


 幽奈はなんとなく気まずい空気を感じながらも、この件が気になっていた。


「あの事件のこと、学校でももちきりだね」

「ん? あー、そだね! ってかビックリだなー。あたしの知ってる人が死んだの、今月で二人目だよ」

「……」


 何か普段とは違う、重々しい空気。シャムは明るく振る舞ってはいるが、心中穏やかではないことは、容易に想像できた。


「マジで何が起きてるんだろーね。祟りかな? でもきっと、これは何か他のことがあるのかもね。あの二人のこともムカついてたけど、死んじゃうなんて……」


 幽奈はその空気を敏感に感じ取とり、つい黙ってしまう。シャムはそんなクラスメイトに微笑を向けて、不安をかき消そうと努めようとした。


 シャムの心中は複雑だった。マネージャーは別として、あまねはいっときは自分と苦楽を共にした仲間であり、誰よりも信頼していたメンバーの一人だった。


 裏切られてしまったことで、もう知ったことではないと怒りはしたが、死んでしまったとなると悲しい気持ちになる。


 心の何処かで自分は、彼に友好的な気持ちを捨てきれなかったことに気づいている。


 そうした複雑に絡まった心をなんとかほぐすべく、シャムは何か別の話題を探そうと、グラウンドを見渡したりした。


 サッカーをしている男子達。集まって雑談している女子達。校舎で騒いでる生徒達を眺めつつ、ふと彼女の視線は一箇所に注目していた。


「え? え? 幽奈ちゃん、幽奈ちゃん」

「え、なーに」

「幽奈ちゃんさ、影……薄くない?」

「う……」


 途端にどんよりとした空気が流れ、シャムは慌てて手を横に振った。


「あ、違う違う! そっちは薄くないから安心してよ。そうじゃなくて、本当に幽奈ちゃんの影、薄くない? ほら!」

「え、ああ」


 ベンチから見える二人の影。そこにはほぼ同じような縦長の黒い姿が現れるはず。


 しかし、シャムの隣にいる幽奈の影は、なぜかほとんど映っていなかった。うっすらと、微妙にあるのが分かるという見え方でしかない。


「私も最近……気づいたんだけど。ダンジョンに潜っていたら、なんか薄くなっちゃった」

「え、ええ!? そんなことある? ってか、大丈夫なのそれ」

「うん、多分」


 幽奈の妙な楽観的思考に驚き、シャムは悩みを一時的に忘れることができた。


 そして数日が経ち、二人は初めてのコラボとして、雑談配信をすることになる。

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