第32話 聖なる光の中で

 ──そして舞台は、現実に戻る。……はずだったのですが。


 なぜか私は、澄み切った青空を見上げ、暖かく柔らかな光につつまれていました。まるで幼いころの、お母様の腕に抱かれているときのような心地よさに包まれて。


「あなたはなぜ、こんなことをしたのですか」


 ああ、それは聞き覚えのあるフレーズ。私は平原のど真ん中で、聖女に膝枕されながら、彼女の治癒魔法の光の中にいました。

 純白の法衣の裾と、ポニーテールにまとめたプラチナブロンドが、魔力の余波でひらひらと舞っています。

 世界最尊の聖女の治癒魔法、その効果は絶大。だけど、それさえも焼け石に水なくらい私の肉体は損壊されていました。さかり狂った大魔獣ベヒーモスの肉球でなんども踏みにじられたのだから、当然か。


 せめてリリスなら、こんな無様な姿を晒さずうまくやれたのに。


「いいえ、ごめんなさい」


 私の頬に、ぽつんと水滴が落ちた。雨にしては、空は快晴のまま。


「わかっているの。あなたが、進路を逸らして都市まちを守るために、ベヒーモスを誘惑したのだと。──ううん、もしかすると手前の村のため? どっちにしても、あなたがほんとうは私たち人間を大好きだったってこと」


 ああやっぱり、バレてたか。あの村の、私が以前くっつけた・・・・・夫婦に、明日にも赤ちゃんが産まれる。そこにまっすぐ向かって暴走するベヒーモスを見てしまったら、しょうがないじゃない。

 

 水滴が、続いて落ちる。この世でいちばん綺麗な液体であろうそれは、彼女の涙だった。

 まったく馬鹿な女。聖女のくせに──大聖女のくせに、魔物サキュバスのために涙を流すなんて、ほんとうにどうしようもなく大馬鹿だいすきだ。


「──私は、これからもずっと神の使徒として、最期のときまで清く正しく世界に奉仕することを誓います。だから、だからどうか」


 彼女は胸の前で両手を組み合わせ、目を閉じて祈りの言葉を唇に乗せた。瞼にたまっていた大粒の涙が、私の額に落ちます。


「どうかこの者の魂をもういちど生まれ変わらせてください。そして今度は彼女が大好きだった人間のひとりとして、清く正しく……」


 その両手から溢れた聖なる光が、周囲に満ちてゆく。彼女の顔が、光の向こうに霞んでゆく。いつも凛々しかったその表情は、だだっ子みたいにぐしゃぐしゃに泣き崩れていた。これぞギャップ萌えの極みじゃないか。このまま見ていたい、彼女のそばで、ずっと。

 

「……いいえ。彼女が生きたいまま、生きられますように」


 やがて光がすべてを覆い隠した。そのなかに薄っすらと見えた姿は、聖女かのじょの奉じる女神だろうか。


 慈愛に満ちて優しげなあの・・女神とは違う、厳粛おごそかな空気をまとったそのひとは、凛とした表情のままこちらに両手を差し伸べて──まるで聖女あのこが誰かにそうするときと同じように──ほんの一瞬だけ不器用に微笑んで、肉体からだからそっと私の意識たましいすくいあげた……。

 

 

 ──いまのは、なに?


 雲間に覗いた月を見上げ、しばらく呆けていた私は、頬を流れ落ちる自分の涙でようやく我に返る。


 今度こそ、現実に戻れたようです。そういえば服は……良かった、ちゃんと着ています。私が潜夢ダイヴしている間に、リリスが「変衣コスプレ」で制服の切れ端からでも修復してくれたのかな。

 綺麗に元通りの制服を着て、翼も角もない黒髪の私は、屋上に横座りで、同じ制服姿の少女──生徒会長を膝枕していました。


「う……ん……」

 

 身じろぎして、今にも目覚めそうな彼女に、私は慌てて制服のそででゴシゴシと目元の涙を拭います。

 彼女は何者として目覚めるのか。ゴルゴーンか、瞳巳か──それとも、どちらかでなくどちらでもある──それこそ天乃と呼ぶべき存在か。


 ふと、しゅるしゅるという小さな音と気配。少し離れた位置からつぶらな瞳でこちらを見上げていたのは、手乗りサイズの可愛らしい蒼蛇でした。


 ──さっき私が見た光景ビジョンは、きっと前世リリスのいちばん最後の、いちばん大切な記憶だったのでしょう。


 私がこの世界に転生したのは、聖女あのこがそうねがってくれたから。

 そのせいで、この世界に害為すため転生させられた魔物──転魔としては異分子イレギュラーになった。


 そして世界のバランスが崩れているというのが事実なら、ゴルゴーンや私以外にも転魔が存在しておかしくない。

 その者がこの世界に、人間に、憎悪を向けるのならば、同じ転魔の力を持つ私が守るしかない。


 ──いいえ、守りたい。


 お母様の教えの通り、そして聖女あのこの在り方のように、清く正しく。誰かのためじゃない、それが私の生きたいままの清楚系いきかたなのだから。


 雲の晴れた夜空を見上げれば、リリスの髪と同じ蒼銀いろの満月が、世界を静かに照らしていました。

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