第8話 私にできること

 ──数分後。


 綾さんは私の前、保健室の寝台ベッドで寝息を立てています。

 ときどき苦しそうに表情を歪め、うなされている様子。


「で、きみらはなぜ屋上にいた? 鍵はどうした? フェンスを切ったのは……」

「……それは、その、ええと……」


 御堂先生による厳しい追求を受けもごもごと口ごもる私に「はいはい、そこまで」と助け船を出してくれたのは保健室の主、養護教諭の白石先生でした。


すずりさんもまだ混乱されてるようですし、お話はのちほどにしましょうか」


 細身で色白美人な彼女は、たしか東北の雪国出身だと聞いています。

 いつも悩みを親身に聞いてくれる、生徒たちの優しいお姉さん的存在。

 そんな彼女が、にこやかな笑みを浮かべたままで放つ有無を言わさぬ語調には、不思議な迫力がありました。


 何か言いたげにしつつも、すごすごと退室していく御堂先生を見送って、ほっと胸を撫でおろす私です。


「さてと。先生、ちょっと一時間くらい出てくるから、彼女のことお願いできる?」

「あ……はい、もちろんです」

「大丈夫、誰も入ってこないようにしておくから」


 御堂先生を追い出してからしばらくして、白石先生もそう言い残して保健室を出ていきました。

 落ちる沈黙のなか、時折ひびく綾さんの苦し気な吐息。

 そう、問題を先延ばしにできたというだけで、実際はまだ何も解決してはいない。彼女の心をどうにかできなければ、同じことの繰り返しかも知れない。


 だとしたら、今の私に何か出来ることがあるだろうか。


 ……ひとつ、ありました。今の私にだけできること。

 そう、尻尾しっぽも翼も生えたのだから、もきっと。

 私は両のこめかみに人差し指を添えて、そこに想いを込めました。


「んん……くふっ……!」


 薄皮を突き破る微かな痛みと、同時に甘い解放感を伴って、左右のこめかみを何かが突き破る。

 そこに「生えて」いたのは、安らかな眠りを象徴する獣──羊のそれを思わせる、手の平サイズでくるりとキュートな巻角でした。


 この角が描く螺旋から、魔力に変換した意識を放出し、対象の意識それ同調シンクロすることによって「夢」の中へ潜行──潜夢ダイヴすることができる。

 言うなれば、この角こそが夢魔の証たる器官。


 ……という感じのようです、サキュバスとしての記憶によれば。

 正直なところ仕組みとかはよくわかりませんが、それで悪夢の中に綾さんをたすけにいけるのなら、使わないという選択肢はない。


 私は目を閉じて角に意識を集中させ、その螺旋に沿うように、左右のひとさし指でくるくると円を描きます。

 角がアンテナになって私の意識を電波のように発信し、綾さんに受信してもらう──もしくは電波ジャックするイメージ。


 そして意識が空中に放出され、綾さんのなかに吸い込まれるような感覚を経て、私は琳子わたしとしてはじめての潜夢ダイヴを果たしたのです。


 ──暗転の向こうから聞こえてきたのは少女だれかのすすり泣きと、おぞましい獣のうめきでした。

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