甘え上手な銀髪後輩ちゃんは甘え上手になるまで
「ねぇねぇ、シエラちゃん! 兄さんとの進展はどんな感じなの⁉」
「えー? だから私と先輩はそんな関係にないってばー。あくまで勉強を教えて貰っている間柄だよ歌乃ちゃん」
宮崎牛のご馳走を先輩のご家族と一緒に頂いた私は夜の11時になったので布団の中に潜り込みながら、電気を消した暗い部屋の中で先輩の妹様と他愛のない話を交わしていた。
彼女、首藤歌乃は高校生の時に出来た友人であり……彼女を利用して先輩に近づくという算段で仲良くなった人間である。
そういう意味においては私は彼女の事を騙しに騙している訳であり、彼女は私の成績が本当に悪いと信じ込んでいる善人でもある。
「えー! うっそだぁ! じゃあ今日の昼に兄さんの部屋で寝ていたのは何だって言うの?」
「昨日は偶々眠れなかったから、トイレにでも行こうと部屋を出たら先輩の部屋の電気が漏れていたから分からないところを教えに貰いに行って、お互いに勉強で疲れてしまって眠っただけなんだけどなぁ」
実際問題、先ほどから彼女に告げている言葉は諸共全部嘘である。
実を言うと、私は先輩とその気になりたくてなりたくて仕方がなく、先輩とのイチャコラを赤裸々に話して自慢したいという気持ちは無くもない。
だがしかし、頭の良い私はここで自分の気持ちを吐露するつもりも更々ない。
女子高生の噂の広がる速度は実に驚異的なものであり……それが恋愛絡みのものであるのなら、尚更だ。
(……実際、小学校の時は酷かったもの。好きでもない男と勝手に恋人にされてしまった事実無根な噂を流された挙句、クラス中の女子の共通の敵として散々いじめられてしまった訳だし。でも、余計に知恵をつけた馬鹿共の所為でいじめというジャンルなら中学校の方が酷かったわね……)
仮に私が先輩の事を好きだと公言してしまえば、真水に垂らされた絵の具のような浸透速度で1日の間に私が先輩の事が好きだという噂が学校中に流布されるに違いない。
私はあくまで彼女の事を紹介者として利用しているだけであり、情報媒介者として利用する気は今のところはないのである……まぁ、私と先輩がそういう仲になったら遠慮なく利用するかもしれないが、その時はその時だ。
その時が来たら裏から情報工作と情報統制を行って、私と先輩にかかる火の粉を徹底的に排除する事にしよう。
「と言ってもねー。歌乃ちゃんは私の成績は知っているでしょ? 本当にやばいからそういうのを思う余裕すらないってば」
「シエラちゃんってすごくかわいいのに成績アレだもんねー。最近頑張っていたけど、1年の時は進級できるかどうか結構危なかったよね?」
「ねー。いやぁ、これで頭も天才的だったら良かったのになー!」
「いやいや、シエラちゃんほどに顔がいい美少女に頭の良さなんてもの付け足したら、男子に好かれまくって女子に嫌われるからやめなって。それに今は勉強しなくても生活できそうな世の中なんだし別にいいじゃんいいじゃん!」
女子という生物は基本的に自分よりも劣っている存在と仲良くする傾向にある。
理由は実に様々なのだが……その事を高校生デビューした私は強く実感していた。
人間というものは長所もあれば短所もある。
実際、短所しかない人間と長所しかない人間は決まって嫌われる法則性にあり、私はその後者に該当してしまう存在だった所為か、小・中学生の時には見事なまでに迫害にあってしまった記憶が実に苦々しい。
「はー、これだから勉強をしなくても勉強できる歌乃ちゃんはさぁ。勉強ぐらいは出来た方がいいでしょー。大学行けないよー?」
「そんな事よりも恋の勉強でしょ!」
何なのよ、そこまで
実際、今までの私は途轍もないほどに理性的に計画的に先輩との距離感を縮めていたけれども、動物的な恋愛を実践した事はただの一度もない。
そう、例えば。
先輩とキスすべく、ラムネ越しで色々したりとか。
先輩に胸を見せて、胸の間の汗を拭うように迫ったりとか。
先輩の学ランを全裸の状態から羽織ったりとか。
先輩と一緒に同衾したとか。
先輩と宮崎牛をあーんさせあったりとか。
………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………とっても私は理性的ね!
「という訳でシエラちゃんが兄さんと恋人になれるのを私は応援しているからね! ファイト! やったー! シエラちゃんと家族になったら私はシエラちゃんに色々として貰うんだー! 私、シエラちゃんの椅子になるー!」
「えー! 応援ありがとー! ――じゃないわよッ⁉」
「そう言って、どうせ兄さんのことが好きで好きでたまらないくせに」
「そ、そんな訳ないよー! やだなー! 歌乃ちゃんは冗談が上手なんだからー! もー!」
「じゃあ、今からスマホでシエラちゃんは兄さんに脈無しだって連絡するね。そんな訳ないんだよね。ならいいよね」
「ちょ、まっ!? 待って! お願い! お願いだからそれだけは……!」
そういえばこの人にもあのお義母様の尊き血が流れているという当たり前の事実に気づいてしまった私は、お義母様に笑顔でニコニコと責められて全裸で泣き土下座してしまったあの夜の出来事を思い出さざるを得なかった。
彼女、どことなくお義母様の面影があってちょっと怖いんだけど……!?
というか親子じゃないの!? 羨ましい……!
「で、好きなの? 嫌いなの? どうせ答えは分かりきっているんだから、さっさと言えばいいのに」
「ぐっ……! そ、それは……えっと、そ、その……!」
「好きでしょ? 自覚ないかもだけどシエラちゃんの顔、ちょっと酷い事になってるよ。恋愛ドラマで何度も見たよそんな顔をする女優。それが演技ならシエラちゃんは女優さんになれるよ」
「はぅあッ⁉ ~~~~~~~~~~~~~~~~~ッッッ!!!」
私はまるで生物の断末魔のごとき苦悶に満ちたうめき声を放ちつつも、渋々と私は先輩に対する胸一杯の想いを彼女に向けて口にした。
「えぇ……! えぇ好きよ! 好きなのよ! どうすればいいのか分からないぐらい大好きなの! ……文句あるぅ⁉ ないわよねぇ⁉ 後! ……絶対に黙っててよ……? 本当にお願いだから……! なんでもするから……! 私、まだ先輩に嫌われたくないの……!」
「なにこのかわいい生き物。キャラ変わりすぎだよシエラちゃん」
「返事は⁉」
「はーい、了解了解。シエラちゃんがカップラーメン作ってくれたら考えるね」
「カップラーメンね! 分かったわ! ちょっと待ってなさい!」
「え。あ、ちょ」
後ろから呼び止めてくる彼女の声を無視して、私はその場から離れてリビングに向かいカップラーメンを作る為に必要なお湯を2人分沸かし容器に移して、それを携えて私は全力ダッシュで借りている寝室に向かう最中にまだ勉強している先輩に差し入れとしてラーメンを渡しつつ、再び部屋へと戻った。
「はい口止め料のラーメン! いいわよね! これでいいわよね⁉ これ以上に望むものはないわよね⁉ 寝る前の夜食なんかを貪った所為でニキビだとか脂肪になって太って苦しみなさいバーカ!」
「……冗談のつもりだったんだけど」
「こちとら冗談じゃ済ませられないのよ⁉」
噂というものは実に怖いものだ。
というのも、私は小・中学生の時で出所が分からない噂によってしなくてもいいような苦労を散々してきたし、何より、この恋愛だけは絶対に失敗なんてしたくはないのだ。
「にしても、そっかぁ。やっぱりシエラちゃんは兄さんの事が好きなんだぁ?」
「な、何よ……」
「喋り方も雰囲気もガラッと変わるぐらいには好きなんだぁ?」
「…………あ」
すっかり素の自分を出してしまっている事に今更気づいてしまった私は思わず、失言が何度も飛び出た自分の口を手で覆い隠すのだが、もはや後の祭りであった。
「シエラちゃんって隠し事がすっごく下手だよね。大丈夫? 兄さんと本当に上手くいってるの? なんで私が心配しなくちゃいけないの?」
「大丈夫。きっと大丈夫よ。えぇ、大丈夫に決まっている。私は大丈夫」
本当の自分を知ってしまったのであれば隠す義理はないし、それでも偽りの自分をさらけ出すのであれば却って彼女に不信感を煽らせるだろう。
そう考えた私は彼女には素の自分でいる事を即断即決した訳なのだが、当の本人は私の態度が変わったままでいることを驚いている様子であるらしかった。
「てっきり、あのわざとらしいクソビッチみたいな性格に戻るものだと思ってたんだけど……いいの?」
「いいわよ、別に。どうせ隠すようなものじゃないし……そもそも、私の一番大事な問題を知らされてしまった以上、隠し事なんてする必要もないわよ。バレてしまったのに嘘をつき続けるというのも貴女に対しても不誠実じゃない。それに1年はバレなかったんだから御の字。そもそも、貴女の兄さんと仲良くなったら……その……貴女は私の妹になる訳なんだから……」
ふぅん、と感心するような声を出して見せる彼女を横目に私は彼女がどんな行動に出るのかを探っていたのだが、当の本人はこらえきれないと言わんばかりにいきなり噴き出した。
「あは、あははははは! いやいや、いいよ! いい! 私、そっちの方のシエラちゃんの方が好きだなぁ! それにまぁ1年前からこの子は随分と下手クソな猫かぶってんなコミュ障かコイツ! って何となく分かってはいたから!」
「……ふん、そう……ってェ! 1年前から分かっていたの貴女⁉」
「だって、シエラちゃんっていつも目が笑ってなかったし、変にプライド高そうで、コミュ障極まれりだったもん。あ、この人間関係クソ雑魚女は私が話しかけて女子グループに入れないと孤立して周囲からいじめられるな……って危惧したから声を掛けちゃってさぁ! という訳で感謝してもくれてもいいよ?」
「それはどうもありがとうございますゥ!」
にゃああああああああああああああああああああああああああああああああああ、と私はふざけた叫び声を布団の中に向かって放つ訳なのだが、そんな私の様子を隣にいる彼女は面白そうに、いや、生温かい目で見つめていたのであった。
「ねぇねぇ、シエラちゃんってどうしてあんな兄さんの事を好きになっちゃったの? 聞いてもいい? いいよね?」
恥ずかしさのあまり俯いている私に対して興味津々だと言わんばかりにそんな事を口をしてきた、が。
「――あんな、は今すぐ訂正して」
妹ならではの気軽さが原因であるとはいえ、私は思わずムカッとしてしまったので彼女に向かって強い語調で訂正を求めると、彼女は申し訳なさそうな声音ですぐに謝ってくれた。
なので、私はまだムカムカしてはいるけれども彼女を許すことにした。
「……で。どうして私がソレを話さないといけないのよ」
「いや別に話さなくてもいいよ。話さなかったら私の口が勝手にシエラちゃんの恋愛事情を口にするだろうけれど」
「はいはい、話せばいいんでしょ。全く……」
私はため息を吐きながら、今でも鮮明に思い出せるぐらい、人生で一番大切な思い出を話す事にした。
「あれは私が中学1年生の時の6月――」
銀髪を黒く染めて。
期末試験で全教科満点という普通の成績を叩き出して。
周囲から徹底的にいじめられて。
死にたくて、殺されたくて、自殺したくて。
台風による嵐がやってきた学校の屋上に来た私は自殺をしようとして。
――人生で、生まれて始めて。
冷たい雨に晒されながらも、どうでもいいような人の温かみを知ってしまった日の、どうでもいいような、どこにでもあるような、ありきたりでしかない普通の話だ。
━╋━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
雨が自分の肌を冷たくなぞる。
頭が恐ろしいほどに冴えている感覚がする。
自分が所属している中学校の一番上の階、立ち入り禁止の看板を無視して立ち入った屋上で、私は独りで傘もささずに台風の暴風雨に濡れていた。
「…………」
ざぁざぁ、と全く止む気配を感じさせない雨音はまるで周囲の音を奪うかのようで、その雨粒は私から容赦なく体温をどんどん奪っていく。
当然、その雨に好き勝手に濡らされる私の制服は気持ち悪いぐらいに貼りついている訳なのだが、この感触は二度と思い出せないと思えば実にお得でしかない。
あぁ、そうだ。
今、ここから飛び降りて死んでしまえば、今後その気持ち悪さに触れることはもう二度とない。
「…………」
今年で中学1年生になる私は周囲の馬鹿さ加減に辟易とした感情を覚えていた。
いや、正しく言うのであれば疎外感とでも言うべきなのだろうか。
どうにも世間様いわく私は人よりも頭の出来が違うらしいのだが、それは確かにそうなのかもしれない。
というのも、私は一度覚えてしまった記憶はもう二度と忘れられないだなんていう呪いのような頭の構造をしていた訳なのだから。
「…………」
人には忘却というシステムが備わっている。
いじめられたとか、人に背中から蹴飛ばされたりとか、頭の上から水をかけられたりだとか、自分の思い出の詰まった私物を壊されたりとかした場合、その際に生まれ出てしまったストレスを過剰摂取した際にソレ自体を忘れるという防衛手段に出る為にそんな忘却機能がある訳なのだが、そもそも物事を忘れられない私にとっては無縁の話でしかない。
全てを思い出せるということは、全てを忘れることが出来ないということ。
例えば、4歳の時に実の父親から教育という名目で殴られたりだとか、母親に媚びを売ろうとして気持ち悪いと言葉にされたりだとか、そんな簡単なことさえも私は忘れられない。
昨日食べたものも忘れられないから、8年前に無理やりに食べさせられた泥団子やら虫やらゴミなどの味や食感なんて、未だに鮮明に思い出せて忘れる事ができない記憶として脳が勝手に覚えている始末。
父親に殴られたのは、まだ幼い私には超記憶を上手く活用することが出来なくて、学校の勉強の内容を機械的にしか思い出せなかったからだった。
機械は叩けば直るとは言うが、父に殴られるのが怖くなったから必死になって記憶するように心掛けたので、父のやり方は実に効率的なものであると幼い日の私は感心していたと思う。
「……もう、いい……」
思い出す記憶があり過ぎると、これから死ぬというのに気持ちの整理が中々につかない……というよりも、余りにも覚えすぎていてこれ以上整理しようものなら折角休日の学校に忍び込んだというのに、これではする必要もない見回りをしている公務員どもに見つかってしまうリスクが大きくなるだけでしかない。
死ぬのなら、早く死んだ方がいい。
もうどうでもいいから、何も考えたくない。
もう何も記憶したくないから、早く自分を壊したい。
――でも、これはとんでもないワガママだとは思うのだけれども。
「……誰か、助けてよ……」
私は死にたくて。
でも、どうしようもないほどに生きていたくて。
本当にどうすればいいのか分からないぐらいに追い詰められていて。
「……馬鹿なのかしら、今までに助けてくれた人間なんて誰もいなかったじゃないの……」
自分で自分の浅ましさに笑って。
死にたい、苦しい、助けて、と頭の中で嵐のように駆け巡る意味のない思いに思わず頭が壊れそうになって、早く楽になりたくて、私は雨で濡れたフェンスによじ登ろうとして――いきなり背後から、がっしりとした腕を掴まれた。
「何やってんだ、この馬鹿」
そこにいたのは確か首藤清司とかいうどこにでもいるような凡骨で私のような存在の苦悩なんて理解できないであろう馬鹿であった。
私とは何の接点もないようなゴミで、存在価値のない人間が、激しい雨に濡れながら飛び降り自殺をしようとしている私の腕を掴んでいたのであった――。
━╋━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
「――はい、おしまい。じゃあ今日はもう遅いしこれぐらいにして寝ましょう」
「ちょっと待って⁉ え⁉ 今から滅茶苦茶面白くなる展開じゃん⁉ その何だかんだが一番面白そうなのに! なんで面白くなりそうなところで話すのを止めるの⁉ シエラちゃんって滅茶苦茶いじわるだね⁉ というかなんで台風の日に兄さんいたの!?」
「なんで台風の日にいたのかなんて、そんなの私が知りたいぐらいよ。……でもそうね。続きが気になるのなら、私と先輩との関係についてそれまで口を噤んでいるように。噂というものはすぐに広まるから、もし仮に私の耳に先輩との関係が耳に入ったり、先輩が先ほどの内容を口にしたら――ねぇ?」
「はい! 了解! 絶対に話さないから! だから今度は絶対に続きを話してよね⁉」
はいはい、と私は生返事をしながらも布団の中に再び潜り込んだ。
彼女もまた寝る為に布団の中に入り込んでは、気になって気になって眠れないと言わんばかりの雰囲気を漂わせるものだから、私はそれが余りにもおかしくて笑ってしまった。
「……とはいえ、あの日のことを先輩は覚えていないでしょうね」
「いやいや! 絶対に覚えているってば!」
「……だといいわね」
だって、あの日の私は身体的特徴でいじめられていたから、生まれつきの銀髪を染料で黒く染めていたし、父方の苗字は両親たちが離婚した事によって、私の苗字は母方の苗字である山崎に変わっていたし、そもそもシエラという名前も明かしていないし、貧相だった身体は肉付きが良くなってしまっていたものだから、あの日の私の面影なんて今の私には全くない。
だから、悲しいけれど、とっても悲しいことだけれども。
先輩はあの日の少女には二度と出会えないし、私があの日の少女として先輩に出会う気も更々ない。
そういう意味においては、あの日の私は文字通り死んでしまったのだろう。
そういう意味においては、あの日の私は先輩に殺されてしまったと言うべきなのだろうか。
私の価値観を殺してくれた。
私に新しい世界をくれた。
あの日助けてくれた先輩のおかげで、この世界を生きている。
だから、きっと――これでいいのだと思う。
昔の私は先輩に殺されて、先輩に生かされて今の私がある。
そんな嘘みたいな関係性をあの人が知る必要なんて、ないのだから。
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