選ばれし者対無能

不管稜太

第1話

 この世は、天才が輝く仕組みになっている。


 でも、天才を主人公とした物語の裏には、無数のモブキャラの敗北が隠れている。そうでないと天才の物語は輝かない。


 そういう仕組みに、なっている。





 キャンパスに入り、エスカレーターで五階に上る。

 ガラス張りの窓からは夕方の眩しい光が差し込んでいた。


 俺——副島一樹そえしまいつきは、真っ直ぐ文芸部の部室に向かう。


「失礼しま……す」


 部室に入った瞬間、俺は息を飲んだ。


 視界に飛び込んで来たのは、黒を基調とした丈の短いワンピースに、白のエプロンをつけた女性。ツインテールに結われた髪から視線を上げると、頭には白いヘッドドレスを付けている。ワンピースの胸元はハート型にくり抜かれていて、白い地肌が見える。


 ——俺の目に間違いがなければ、部室にメイドがいた。


「お帰りなさいませ、ご主人様!」


 ……残念ながら耳までおかしくなっているようだ。


「……すみません、間違えました」


「間違ってないよ! ここは我が文芸部だよ!」


 部室を出ようとしたが、手を引きとめられる。


 いや、メイドがいる文芸部なんて聞いたことないぞ!


「……何やってるんですか、和泉いずみ先輩」


「コスプレだよ!」


 ……まあ、それは分かる。


 よくぞ聞いてくれた、と言わんばかりに目の前のメイド(?)は胸を張っている。ワンピースから覗く大きな谷間が強調されて非常に色っぽい。


「なんでコスプレしてるんですか」


「『メイドカフェに行ったら、家までメイドがついてきた件について』のアニメ化が発表されたからだよ!」


 別にそれはコスプレする理由になってない気がするが……? というか何だその都合の良いアニメは。


 なぜかドヤ顔のこの人は、文芸部の部長である和泉千乃いずみちの先輩である。


 今日みたいに部室でコスプレをしていることもあれば、急に料理をしだしたり、筋トレをしていたりと……かなり変わった人だ。もうだいぶ慣れてしまったが。


「そんなことばっかやってないで、新刊は書かなくていいんですか?」


「まだ〆切二回しかやぶってないから全然大丈夫だよ!」


 ……それは全然だいじょばないのではないだろうか。


 和泉先輩は、プロの小説家である。


 高校生の時に書いた処女作が新人賞を受賞し、プロとしてデビュー。『弱冠十八歳』『現役高校生作家』などと大々的に広告されたこともあって、世間からは大きな注目を浴びることになった。


 デビュー作の『ペパーミント』は、そんな期待に応える人気を博した。等身大の登場人物たちが織り成すリアルながら非現実的な出来事に立ち向かっていく青春群像劇は、読書好きから普段本を読まない層までを魅了した。


 それからは年に一、二冊のペースで本が売り出され、どの本も月間ベストセラーランキングに名を連ねるほどの人気だ。売れっ子作家と言っても構わないだろう。


「それよりも! よく部室に来てくれたね!」 


「ちょ、和泉先輩……!」


 和泉先輩はいきなり肩を組んできた。

 甘い香りが鼻孔をくすぐる。


 コスプレの際どい服装も相俟って、触っちゃいけないものが当たっていて……。


「い、和泉先輩、落ち着いてください……! 今日は部室に忘れ物を取りに来ただけですよ」


 俺がそう言うと、和泉先輩は少し寂し気な顔をする。


「なーんだ。退部の件、考え直す気はないのかい?」


 肩が組まれたまま、俺の顔を覗き込む和泉先輩。端正な顔が目の前に飛び込んでくる。


「……はい」 


 俺は少し前、この文芸部を退部した。


「もう一度聞くけど、なんで退部するんだい?」


「まあ……小説書くのとか飽きたんで」


 ——すると和泉先輩は肩を組んでいた態勢から、真正面に移動して俺の肩に両手を置く。三十センチほどの近距離で見つめ合う格好になった。


 小さな顔、白く透き通った肌、二重の大きな瞳、全てが眩しく感じる。


「……な、なんですか」


「——嘘だよ」


「——っ!」


 その言葉を聞いた瞬間、鼓動が速くなる。


「それは多分、本当の理由じゃないでしょ。なんで添木そえぎくんは急に文芸部を辞めたいなんて言い出しちゃったのさ」


 和泉先輩の優しい視線が刺さる。


「……本当の理由ですよ」


 俺は逃げるように目をらした。

 普段なにも考えていなそうなのに、どうしてこの人はこんなに鋭いのだろうか。


「それに、もうその名前は使わない予定です」


 和泉先輩が言っていた、添木——添木一そえぎはじめというのは俺のペンネームとして使っていた名前である。由来は単純で、副島一樹そえしまいつきという本名を少しもじっただけだ。和泉先輩からはいつもペンネームで呼ばれている。


「もー、そんなこと言うなよぉー」


「……」


 ……和泉先輩の言う通り、俺は文芸部を辞めた理由を適当にごまかしている。


 本当の理由、それは部員の人たち——特に和泉先輩には——言っていない。


 ……とても直接は言えない。


 一言で言えば——和泉先輩の小説が原因なのだ。


 俺は高校の頃から小説を書いていた。書けば書くほど楽しくなり、毎日書いてはウェブに小説に投稿したり、長編作品が完結したら公募にも応募したりした。


 そして、心の奥でいつかはプロになりたいと思っていた。そんな目標を、持っていた。


 だが——俺には才能がなかったようだ。


 ウェブ小説も週間ランキング上位に名を上げることは滅多になく、公募にも引っかからない。そのうえ書くスピードも他の作家さんより遅い。


 書く内容もスピードも俺の遥かに上手うわてな作家さんですらプロになれていないのに、俺がプロになるなんて夢のまた夢なんじゃないかと思わされている毎日だった。


 そんな状況で、和泉先輩——『和泉千乃』と出会ってしまったのだ。


 大学に入り文芸部の見学会に来た時、この部に『和泉千乃』というプロの小説家がいることを知った。

 ちなみに和泉先輩はペンネームを使っておらず、本名で活動している。


 和泉千乃の名前くらいは聞いたことがあったが、実際に小説を読んだことがなかったので、その日の帰り道にどんなものだかと一番人気でありデビュー作の『ペパーミント』を買って帰った。


 家に帰り、『ペパーミント』を読んでみると——圧倒された。


 レベルが違った。読んだ瞬間、天才だと思った。


 実際に存在しているかのような活き活きした登場人物たちが、それぞれの想いを持って独特な世界で奇妙な現象に立ち向かう。

 面白くもありどこか切ない、読み切った後には深い充足感に包まれた。


 ……何を考えて生活していたらこんな物語が思いつき、こんな文章が書けるのだろうか。


 この本を読んだ瞬間、目の前に厚く大きな壁ができた気がした。

 俺の目指していた世界は、こんな天才が跳梁跋扈ちょうりょうばっこするところだったのだ。


 そして和泉先輩の話を聞けば聞くほど、その壁の大きさを実感することになる。


 俺が衝撃を受けた和泉先輩のデビュー作は、高校の頃にふと思いつきで書いてみた小説だったらしいのだ。そしてそれをそのまま新人賞に送ってみたのだと言う。


 初めて書いた小説だったので、三点リーダーダッシュの使い方も分からない状態で新人賞に提出したそう。

 しかし、圧倒的で類稀なる才能が評価されてそのまま賞をとってしまった。


 その話を聞き、俺は絶望した。何もかもが、馬鹿らしくなってしまった。


 天才は、凡人の積み上げてきたものを一撃で破壊する。地面で藻掻もがいている凡才を、いとも容易く踏み潰す。


 この世は、そんな残酷な仕組みになっているのだ。


 それから俺は、小説を書く手が進まなくなってしまった。


 いくら頑張っても、この文章ではプロになれない。

 そんな気持ちが俺の心をむしばんでいた。


「添木くん、『朝起きたら異世界にいたので、ハーレム作ってみた』の最新話楽しみにしてたのになぁ」


 ……『朝起きたら異世界にいたので、ハーレム作ってみた』とは、俺の書いていたウェブ小説だ。


 大学受験が終わってから書き始めて、今までネットにあげた中では一番評価をもらっている連載小説でもある。


「……多分、書かないと思います」


 投げやりに言った。


「……そっか、残念。まあ、私はいつでも添木くんを待っているよ。文芸部としても、一読者としても……ね」


 和泉先輩はどこか含みのある笑顔を向けてくる。


「はい……じゃあ、今日は帰ります。ありがとうございました」


 部室のロッカーに置きっぱなしにしていた本を手に取り、そそくさとバックにしまう。


 胸の遥か奥に一瞬だけ滾った気持ちを抑え、俺は部室を出た。

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