9話 口下手の会話


 ウルベルトが家を訪ねてくるという連絡があったため、私は庭の東屋に茶会の用意をしていた。季節は初夏となっているが、庭は植物の影と爽やかに吹く風のおかげでまだ涼しい。

 以前は心底嫌だと思いながら準備したものだが、今はそうでもない。ウルベルトとは良い仕事仲間としてやっていけそうだと思えるようになったためだろう。


(結局窃盗の犯人は分からないようだけど……もう精霊が部屋を散らかすことはないわ)


 人間の犯罪を調査、取り締まるのは騎士団の仕事だ。精霊のしでかしたことではなく、人間の窃盗犯となれば彼らが担当である。資料の内容は私も詳しく教えて貰えなかったし、あまり知られてはならないことのようで秘密裏に調査を行っているためか、犯人はまだ見つかっていない。……それでも、私たちは精霊の問題自体は解決したのだ。


(今日は新しい仕事の話よね。また頑張らないと)


 だがしかし。本日も笑顔で我が家にやってきたウルベルトは、今日も花を持ってきた。赤いバラが三本で、以前より本数は減ったがまた何か意味があるのだろうか。



『花瓶を。これなら精霊が仕事するまでもない』


「……たしかに、三本だけですからね。ユタ、お願い」



 ユタは輝いた目でそのバラを飾っていたのでやはり何か意味があるのだろうけれど、あまり気にしないことにした。


(もうこういうのはしなくていいと言ったのに、変な人)


 ウルベルトの好意が恋愛感情でないことを知っている私としては、まるで恋人や想い人かのような扱いを受けても苦笑するしかない。こんなことをしなくても私はもう仕事から逃げないのに、信用されていないのだろうか。……まあ、たしかに出会った当初の拒否感を前面に出した態度を見ていればそう思うかもしれない。



「それで、今度はどんな事件が?」


『まあ、そう急くな。今日は最近流行りの菓子を手土産に持ってきた。それでも食べながら話そう』



 いつもの老紳士な従者が綺麗に包装された箱を持ち出した。高級そうな包みの箱から取り出されたのは、巷で噂のチョコレート菓子だ。ユタがウルベルトの従者からそれを受け取り、テーブルへと出してくれた。

 皿の上にちょこんと載ったこげ茶色のケーキ。ふんわりと香ばしく濃厚な匂いがして、とても美味しそうである。



「この菓子はなかなか手に入らないと聞きましたけれど……」


『これでも公爵だ。手に入らない物はあまりない。……まあ、ここの店主とは昔から馴染みだというのもあるがな』



 ウルベルトがケーキを口に運んだので、私も一口食べてみた。ねっとりと重たい甘みが舌に絡み、芳醇な香りが口の中に広がる。つまり、大変甘くて美味しい。少量でも充分満足できそうだ。……だが、これほどの甘味を好む男性は少ないだろう。


(店主と馴染みということは……ウルベルト様は甘い物をよく食べるのかしら)


 そういえば以前も彼は甘みの強い菓子を普通に口にしていた。どうやら彼は甘党らしい。ならばウルベルトに出す茶菓子はそこまで難しく考えず、私も好きなものにすればいいのかもしれない。



「甘い物がお好きなのですね」


『……そうだな。子供の頃も一人でよく食べていた。食事代わりに食べることも多いな』


「体に悪いですよ? それはおやめになった方がよろしいのでは」



 これはかなりの甘党だ。さすがに食事を甘味に置き換えるのは不健康なのでやめた方がいい。そんな忠告をすると彼は小さく笑った。



『最近はそれほど甘味を恋しくは思わないな。……むしろお前が恋しいな?』


「またそういうことを……必要ないと言っているではありませんか」


『ははは。……では、そろそろ真面目に仕事の話をするか』



 そうしてウルベルトはとある怪奇な現象の話を始めた。

 それはある男爵家の敷地内で起きた、いや現在進行形で起き続けていること。その男爵家の夫人は花が好きで、毎年庭に新しい品種の花を植え、庭を鮮やかにするのを楽しんでいた。しかし今年の春は新芽が出るどころか、庭木や花、果ては雑草の類まで枯れていくようになり、ついには地面が丸裸の状態で見えるようになってしまったという。

 庭師の責任だと考え、その者を解雇して新しい者を雇い入れても変わらない。庭の土色の面積が増えるばかりで困り果て、ウルベルトの元に調査の嘆願書が届いた。



「……精霊の仕業、でしょうね。どんな精霊ですか?」


『それが、その男爵家の人間は精霊が見えないらしい』


「ああ、なるほど。では直接見に行くしかありませんね」



 爵位の低い貴族の家では精霊を見る者が生まれないこともしばしばある。精霊との関わりを維持するのも貴族の能力として扱われ、高位貴族であればあるほど家に多くの精霊が住んでいるものだ。

 見えなくとも習慣を守れば精霊は家に残ってくれるだろうが、見えないよりは見えた方が関わりやすいのは自然の摂理である。



『お前が積極的で嬉しく思う。最初はあんなに嫌がっていただろう?』


「……そうですね。今でも精霊は嫌いですし、怖いとも思いますが……ウルベルト様がいてくださるなら、一方的にはなりませんから。心強いです」



 基本的に精霊と人間は会話などできない。彼らは人間の都合を考えないし、人間とて彼らの考えが分からない。時には互いに利益を与え、時には互いに不利益を齎す。そんな、同じ世界に生きる隣人だ。

 その世界で私はこの耳を持ってしまったばかりに、他の人々より精霊との関わりが強くなってしまった。だからこそ齎される利益も不利益も大きくなるのに、自分で制御できない。しかしウルベルトと出会い、力を合わせたら世界が変わったのだ。……二人で共にいる時だけ、私の世界は少しばかり円滑に回る。


 

「どうなさったんです?」



 先ほどまでつけていなかったはずの仮面を取り出し口元を覆ったウルベルトに首を傾げた。ケーキは食べ終わったようだが、茶を飲んでいないので口の中が甘ったるいことだろう。マスクをつけるタイミングとしては奇妙だった。



『……お前が素直になると落ち着かん。前の威勢の良さはどこにいった?』


「……それ、悪態ではありませんか?」


『そんなことはない。……褒めている』



 まあ確かに彼の声から受ける印象はだいぶ軽く、別段苦しくもならないので悪態ではないのかもしれない。どう考えても褒め言葉ではないが。


(ウルベルト様はいままで筆談で話していたのでしょうし、口下手なのは当然なのかも)


 言葉を話すのと文字を書くのではスピード感が違う。ウルベルトが多少口を滑らせたり言葉を間違えたりしてもあまり気にしないことにした。それを考えればやたらと好意を口にするのも会話の不慣れさの一環なのかもしれない。

 結局彼はしばらくするとマスクを外して紅茶を飲み始めた。……なんだったのだろう。



『男爵家にはできるだけ早く見に来てほしいと頼まれているのだが、お前の都合はどうだ?』


「私には基本的に予定などありません。社交の場に呼ばれることはないですから」



 偽耳と呼ばれ嫌われている私には友人がいない。ウルベルトに会い、精霊事件解決の相談役に任命されなければ家にこもったままだっただろうし、そのうち修道院に行く予定だった。つまり予定など立つはずもない。



『そうか、では私はいつお前を誘ってもいいという訳だな。明日はどうだ?』


「ええ、分かりました。では明日、その男爵家へ伺いましょう」



 そうして私たちは翌日、問題の男爵家を訪問することになった。

 王家が使っている馬車付きの精霊はすべての貴族家の場所を覚えている。自宅まで迎えに来た王家の紋章入りの高級車に乗せられて、ウルベルトと共に男爵家へと向かった。



『ところで……今度、二人でどこかへ出かけないか?』


「何かの調査ですか?」


『……いやそうではない。つまりデートの誘いなんだが』


「またそういう……お仕事関連なら普通にそうおっしゃってください」



 仕事なら私たちが共に行動するのは当然だ。それを何故わざわざ恋人同士の逢瀬のような言い方をするのか不思議でならない。

 ウルベルトは何故か心外そうな顔をして、最終的に小さくため息をつき、諦めたような顔で窓の外を眺めた。



『……分かった。ミルセナの花園に行こう』


「ええ、ご一緒します。私もあの花園の様子は気になりますから」



 全く、初めからミルセナ花園の様子が気になるから見に行きたいと言えばいいのに、デートなどという言い方をするからややこしくなるのだ。

 私たちは恋人ではなく、ただの仕事仲間、同僚だ。始まりが婚約パーティーだったせいで彼も私との付き合い方が分からないのではないだろうか。



『……難しいな……』


「? 何がです?」


『会話だ。……人との会話は難しいんだな』


「……ええ、そうですよ。ウルベルト様は会話の初心者ですから。でもご安心を。私がいくらでも練習相手になりましょう」


『ははは。本命相手に練習とは贅沢だ』



 精霊馬の引く馬車は早い。二人で会話していれば目的地まではあっという間だ。ウルベルトのエスコートで馬車から降り、私は目の前に広がる光景に驚いた。


(……これは、酷いわね)


 男爵家の夫人は花が好きだったという。きっとこの屋敷の庭も以前は美しかったのだろう。

 低木はその枝だけを残して枯れ果て、地面は乾いてひび割れている。屋敷の右半分はまだ美しい緑が残っているのに、もう左半分はまるで荒れ地のようだった。



「ベルマン家へようこそおいでくださいました、ノクシオン公爵。……それから、ディオット伯爵令嬢」



 出迎えた男性がこの屋敷の主である、ベルマン男爵だろう。彼が私たちを見る目には見覚えがあり、背筋が伸びる。……それは私を「偽耳」と蔑む人たちと、同じ目だった。



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