冷徹口無し公爵の声は偽耳令嬢にしか聴こえない

Mikura

プロローグ 偽耳と呼ばれる令嬢


 アリテイル王国には精霊が住んでいる。彼らは報酬を払えば人間の生活を手助けしてくれる不思議な生き物だ。見えない者が大半だが見える者もそれなり多いため、御伽噺や幻覚ではない。

 しかしその声を聞く者は数百年に一度生まれるというくらい稀有な存在だった。だからこそ精霊の声が聞こえると騙る者も多く、たとえ本物であっても信じられないような空気がある。――私、メルアン=ディオットのように。



『精霊の声が聞こえるなんて嘘じゃない! 偽物よ!』



 違う。私には本当に精霊の声が聞こえている。ただ精霊に『このお菓子には毒が入ってる!』と言われたから、それを信じてしまっただけ。いたずら好きの精霊が声の聞こえる私を騙して遊んだ。しかし幼い子供だった私は、何が起きたか分からずうまく説明できなかった。……その日初めて精霊の声に騙されたから。

 その日から私は偽物の耳の令嬢、つまり「偽耳令嬢」と呼ばれるようになり、社交の場に出ればひそひそと陰口を叩かれ嘲笑されるため、家に引きこもって暮らすようになった。気づけば十九歳になっており、両親は私の嫁入り先の心配をしている。


(どうしようもないと思うのよね。弁明しようにも"嘘つき"の話なんて誰も信じないんだから)


 さすがに家族や使用人は私の能力が本物であることを分かってくれているが、外の人間は違う。一々訂正するのにも疲れるし、訂正したところで信じて貰えたことがない。そう、私は名誉の回復も結婚も諦めたのだ。

 このまま家に残って弟に面倒を掛けるつもりはないので、そのうち修道院にでも入ろうかと考えている。貴族の世界で評判が地に落ちた令嬢に残された道など、それくらいしかない。しかしそれも悪くないと思っている。人の陰口ばかりを噂する世界に嫌気が差しているからだ。

 修道院にも二種類あって、私が行きたいのは神へ仕える修道院である。間違っても精霊に奉仕する精霊教会の修道院には入らない。私は、精霊とはできるだけ関わりたくない。

 


『新入りがかまどの精の物を盗ったぞ!』


『大変大変! かまどの精がカンカンに怒って火が出ちゃう! 家が燃えたら困る!』



 部屋の外から精霊たちの声が聞こえる。これはおそらく、パンとミルクを報酬に家の掃除をこなす精霊たちの声だ。廊下からわざわざこちらに向けて声をあげているので、私に聞かせたいのだろう。

 私に自分たちの声が聞こえることを精霊彼らは知っている。困ったことがあるとこうして私の部屋に向かって叫び、知らせてくるのだ。


(私を便利屋扱いしないでよ……本当に自分勝手で嫌い)


 精霊に騙されたあの日から私は彼らが嫌いだ。また騙されるかもしれないし、その声から得る情報を信じたくない。……しかし一度耳に入った話を知らなかったことにはできないのである。

 聞こえなかったと思ったのか、外の精霊は同じ話を繰り返している。よほど困っているか、よほど騙して遊びたいかのどちらかだ。


(……行けばいいんでしょう、行けば。仕方ないわね)


 ため息を吐いて立ち上がった。先ほどの精霊の話が真実で、小火が出て家まで燃えたら困るのは私も同じだからだ。……いくら関わりたくないと思っていても聞こえてしまうせいで逃れられない。


 かまどの精は報酬と引き換えに、火の調整や火の番をしてくれる精霊である。我が家ではベーコン二切れが半月分の報酬と定めてあり、今日はその報酬を支払う日だった。

 新入りの下働きは精霊のことを知らないのか、知っていてやったのかは分からないが、供え物の皿から報酬のベーコンを盗み食いをしたに違いない。ならば現場は厨房だ。

 犯人が逃げる前に現場を押さえるため、令嬢らしく姿勢を正しつつも足早に厨房へと向かう。


(人の気配はある……間に合ったわね)


 厨房の扉を開く。そこにはちょうどベーコンの最後の一口を食べようとしている少年の姿があり、彼は私をみると目を見開きながら固まって、フォークの先のベーコンの切れ端はぽとりと皿の上に戻った。



「お、お嬢様……! どうしてこんなところに……っあ、いえ、これはその……っ」


「精霊の物を盗み食いしたでしょう。……かまどの火の精が怒ってるわよ」



 ちらりとかまどに視線を送る。薪の燃えカスの上で全身真っ赤な小人が地団駄を踏んでいた。少年は私の視線を追って同じようにかまどを見たけれど、精霊の姿は見えないようで困惑顔だ。……いや、そもそも見えていたらこんなことはしないか。

 平民で精霊を見る者はかなり少ないと聞く。子供の頃なら見える者もいるらしいが、彼は生まれてから一度も見たことがなく、その存在を信じてもいないのだろう。



『許さん! 許さん! ただ働きなんてするものか! こいつの腕を焼いてやる! この部屋も焼いてやる!』


「……貴方の腕を焼くと言っているわね。今かまどに近づけば両腕が焼けるわよ」


「え……?」


「貴方、精霊を信じていないのでしょう。でも彼らは本当に存在していて、人間とは違う力を持っているの。価値観も違うし、言葉が通じない。約束を違えれば手ひどい仕返しが待っているわ」



 精霊の声を聞く私でも彼らに話しかけることはできない。何故なら精霊は人間の声をうまく聞き取れないからだ。私の耳は聞こえるだけであり、私の声は彼らに届かないのでコミュニケーションは常に一方的なものになる。それはつまり、どういうことかといえば。



『あ、お前。俺たちの声が聞こえるやつだな? おい、いつもの倍の肉をよこせ。そうしたらこいつを脅すだけで許してやる』



 こういった精霊の要求を知ることはできても、決して私から交渉することはできない。一方的な物言いを受け入れるしかないのである。

 それでも聞こえないよりは良いのだろう。相手の望みを間違えることはないから、それ以上怒らせることもない。



「……倍の量で許してくれるらしいわ。同じものを出して、貴方が食べた量の二倍を切り分けて」


「え……あ、はい……」



 少年は精霊ではなく屋敷の令嬢である私を恐れながら言葉通りに行動した。彼が不慣れなのか、ベーコンはやたら分厚い。それが載った皿をかまどの横の台へと置くと、かまどの精霊はひょいっと台の上に飛び乗って、報酬を確認した。



『ふん! まあ、許してやってもいい。……これくらいでな!』


「うわ!?!?」



 精霊が口から火を吹いて少年の前髪を焦がした。姿が見えていない彼からすれば、何もないところから突然火が噴出したように見えたことだろう。焦げ臭さが漂う中、少年は自分の焦げた前髪に触れながら青い顔をしている。



「分かったでしょう? 精霊を怒らせないように。彼らとの約束を、決して違えないように」


「も、もうしわけありません……もうしわけ……おなかが、すいてどうしても……クビにはしないでください、お嬢様……!」



 少年は地面に頭をこすりつけながら私へと嘆願し始めた。五人の弟妹がいるのに父親が亡くなってしまい、どうしても働き口が必要であること。自分の食事を削って下の弟妹に分けていて、ずっと空腹だったこと。精霊なんていないのに食料がもったいないと思って食べてしまったこと。厨房の一人がこの境遇を憐れんで下働きに入れてくれたのに、気の迷いで愚かなことをして反省しているということ。……しかし、職場の物を盗んだのは事実だ。何の処罰もしない訳にはいかない。



「……料理長に報告の上で指導してもらうわ。損失分は給料から引かれるでしょう。……それから。もしその日の食事が余ったら持って帰っていいから」


「あ……ありがとうございますお嬢様……!」


「精霊の存在は理解できたでしょうし、今後はまじめに働くと考えての事よ。言っておくけれど、最終的な判断はお母様が下すわ。私は貴方を解雇しないように口添えするくらいしかできないから」


「それでもっありがとうございます……!!」



 床に額をこすりつけたままの少年に、怪我をしないうちに顔を上げるようにと言って背を向けた。このことを母に報告する必要があるからだ。家の中の使用人の扱いは、貴族の夫人の役目である。

 そうして厨房を出るために扉に手をかけたとき、少年はぽつりとつぶやいた。



「なにが"偽耳"だよ……本物じゃないか……」



 こんな下働きでも私の不名誉な二つ名を知っているらしい。ため息を吐きながら母を探すために歩き出した。その呼ばれ方をしたくないから家に引きこもっているのに、まさか家でも聞くことになるとは。

 母のカリーナを訪ねたが彼女は自室におらず、使用人に訊いてみると父の執務室にいるらしい。どうせ父にも報告する内容だろうから話をするにも都合がいいと思い、執務室の扉をノックした。



「メルアンです。お母様にお話があるのですが、よろしいでしょうか?」


「ああ、入りなさい」



 入室を許可されて部屋に入る。両親の雰囲気は朗らかで、どうやら仕事の話をしていたわけではなさそうだ。



「ちょうどよかった。私たちもメルアンに話があったんだよ。先に話していいかな」


「……何でしょう?」



 父のフィリップは朗らかに笑っていて、隣のカリーナも笑顔だ。何となく嫌な予感を覚えながらも二人の話を聞く。



「ノクシオン公爵が交流パーティーを開く。しかし実のところ、これは婚約者を探すためのパーティーを開くらしくてね。メルアンも招待されているので、行ってきなさい」


「え? 嫌よ」



 あまりにも予想外の話に思ったことがそのまま口から出た。社交の場に出るなんて、もう何年もしていない。このまま静かに忘れ去られ、やがては修道院へと考えているのに何故いまさら公の場にでなくてはいけないのか。



「婚約者のいない適齢期の令嬢全員が呼ばれているようでね。伯爵家の我が家が、公爵家の招待を断れるわけがないだろう」


「心配しなくても大丈夫よ、メルアン。誰よりも美しくしてあげるから。公爵の目に留まれば私たちも安心できるわ」



 両親から強い圧を感じる。絶対に行かなければならないという強い圧を。どう考えても行くだけ無駄なのに、二人は娘の行く末を心配するあまりそのあたりの事が頭から抜けているのではないだろうか。


(目に留まるわけないじゃない。……相手は王族で公爵位よ。伯爵家の娘を選ぶ理由がないわ)


 ウルベルト=ノクシオン公爵。彼は現在の国王の弟にあたる。しかしとても無口で不愛想、しかも冷徹だともっぱらの噂だ。いつも仮面をつけていて顔を隠していることもあり、彼については様々な噂が飛び交っている。そうしてついた二つ名が「口無し公爵」である。


(行きたくない……どうにか断れないかしら)


 噂はあてにならない。私だって「偽耳」と呼ばれているが、ちゃんとこの耳は力を持っている。だから公爵に対してどうという感情があるわけではなく、社交の場に出ることを避けたいだけだ。……しかも令嬢ばかりが集まるようなパーティーなんて、なおさら行きたくない。


(嫌な思いをするのは確実じゃないの)


 また、ひそひそと陰口を叩かれるのだろう。対面で嫌味も言われるかもしれない。

 いくら私の気が強いとしても、嫌な思いをすると分かっていてその場に行きたいとは思わない。……しかし両親からの「行け」という笑顔の圧に耐えきれず、私は頷くしかなかった。


(……当日に体調を崩せるように、水でも浴びてみようかしら)


 季節は春の真っただ中。それでも夜になれば少しは冷えるし、体を冷やせば風邪を引けるはずだった。

 それだというのに水を浴びてもお節介な精霊に世話を焼かれ、「やめて、風邪を引きたいの」という声は彼らに届かずに体をしっかり温められてしまい、パンとミルクをせびられるだけに終わった。……ちなみにその報酬は継続雇用されることになったらしい下働きの少年が、神妙な顔で用意してくれた。


(もう! 聞こえるだけじゃなくて、声も届けばいいのに……!)


 はたして私の努力は実ることなく、無事にパーティーの日を迎えてしまった。……ああ、行く前から帰りたい。


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