第23話 女神の遺物と正義の定義
教会から遠く離れた郊外に建つハイデン邸。それなのに、今教会にいるはずの人物が何故かアイリス達の目の前で笑っている──
ありえない事態に、アイリスは緊張でからからに乾いた喉から無理やりに声を絞り出した。
「なんで……なんでこんなところにいるの、モリアス…………?」
「なんで? 女神マートルを信仰する──そしてこの土地と人々を守る教会の神子として。穢れた魔族を浄化しに来たんだよ、アイリス」
当たり前のようにそう言って、モリアスは二人の足元に転がるペンダント──遠視の魔術がかけられていた魔道具の残骸をちらと見やった。
「ああ。壊れてしまったんだね。どうりで途中からきみの声が聞こえないと思っていたよ。……けど、安心していいよ、アイリス。他にもきみにプレゼントできそうな面白い道具はたくさんあるからね」
そう言って、モリアスは司祭服を大きく翻し、服の内側に隠していたものを二人に見せつけた。
アイリスのものと対になっていた海色のペンダントの他に、腕輪に指輪に短剣に時計──幾つもの宝飾品をじゃらりと指に絡ませ取り出して、くつくつとモリアスは可笑しそうに嗤った。
「この指輪は攻撃魔法が。この時計は相手の動きを止める魔法が。一番面白いのはこの腕輪かな? 遠く離れた場所に空間転移ができる魔法がかけられているんだ。まったく、魔道具というのは、便利なものだよね」
空間転移。その言葉でハイデンもアイリスも全てを察した。
馬車の準備などモリアスには必要なかったのだ。遠視の魔術でハイデン達の正体を突き止めたように、モリアスは遠く離れた教会からこの屋敷まで空間転移をしてきたのだ。
「何故……教会の司祭であるお前が魔道具を持っている。お前達教会が忌み嫌う、魔族の力が込められた道具だぞ」
威嚇をする獣のように魔力で髪を逆立てながらハイデンが唸る。そんな彼の腕を、知らずアイリスも縋るように抱きしめた。
そんな二人を面白くなさそうに一瞥して、モリアスはフンと鼻息を荒くついた。
「私だってこんな穢れた力に頼らなくていいなら頼らない。魔力なんてものは高潔な神子が扱うには邪悪すぎる。……けれど、この魔道具だけは特別です。穢れた力を宿す道具であると同時に、教会が崇める女神マートルの遺物なのですから」
(女神マートルの遺物…………?)
そんな物があるなんて、アイリスはこれまで聞いたことがなかった。それに、神聖力を扱う初代聖女であったマートルが、何故魔道具などを持っていたのか。当たり前に、魔術を込めた魔道具は、魔族にしか作れないはずだ。
困惑を極めていたアイリスだったが、やけに屋敷が静かなことに気づき巡らせていた思考を止めた。
──静かすぎる。突然の侵入者がやってきたというのに、ルタスの声もアンの声も聞こえない。
「…………モリアス」
恐ろしい可能性に思い至ってしまい、彼の名を呼ぶアイリスの声が思わず震えた。
「ルタスと、アンは…………この屋敷の使用人達とあなたは、まだ、会っていないのよね……?」
アイリスが言わんとしていることを察して、ハイデンもサッと顔色を変えモリアスに視線を向けた。そんな二人の様子を今度こそ満足げに見下ろして、モリアスは恍惚とした表情を作ると、たっぷりと時間をかけて口元に慈愛に満ちた笑みを浮かべた。
「ああ。外まで出迎えにきてくれていたご老人と、屋敷の中で清掃をしていた少女だね。──出会ったとも。あんまり手厚い歓迎を受けてしまったものだから、僕達も〝つい〟そのもてなしに応えてしまったんだけどね」
モリアスが背後を振り返り、廊下の奥に合図を送る。その途端、後方で控えていたらしい神子達が幾人もぞろぞろと部屋に入ってきた。空間転移をしてきたのはモリアス一人ではなかったのだ──そう歯噛みをする余裕もなく。
どしゃり、と。嫌な音を立てて何かが床に打ち捨てられた。
ぴくとも動かないその〝何か〟を見たアイリスは、あまりの恐ろしさに全身がガタガタと震え始めるのを自覚した。
「あ……あぁあ…………そんな…………うそ……っ」
倒れたものの下から滲み出てきた赤い液体が、恐ろしい速さで部屋の床を汚し始める。
白が混じった紫黒の髪。うつ伏せに倒れて顔は見えないが、間違いようのない、皺が深く刻み込まれたその体──
「ルタス……ッ!」
ハイデンの叫びに、床に倒れ伏したルタスからの返事はなかった。ただ、赤い血だけがゆっくりと床の上を滑るように広がっていく──
「ああ、もう〝それ〟は人質には使えなさそうですね。少し加減を見誤りましたか──〝あれ〟なら使えるかな」
軽い口調で言いながら、モリアスが部屋にいた神子達に再び合図を送る。それを受けた神子達は廊下の奥に一度戻ると、もう一人の人物を引き摺るようにして連れてきた。
後ろ手に拘束し、身動きをまったく取れなくした、メイド服も淡麗な顔もぼろぼろに傷つけた紫黒の髪の少女を──
「アン……!」
「上手く教会を欺いてきたつもりだろうけど、形勢逆転だね。〝貴公子〟ハイデン伯爵?」
家族同然に暮らしてきた同胞を傷つけられ、感情をむき出しにして叫ぶハイデン。そんな彼をにこやかに眺めやって、モリアスは両手を広げ歌うように言葉を続けた。
「女神マートルの威光に従って──さあ、裁きの時間ですよ。醜く穢れた魔族共」
次の瞬間、清らかな白い服を纏った神子の集団が一斉に息を吸い込んだ。聖歌を歌うつもりなのだ。
「ハイデンっ!」
アイリスが叫ぶように彼の名前を呼んで、ハイデンの体を床に押し倒す。刹那、魔族の屋敷に聖なる合唱曲が高らかに響き渡った。
神子達の清らかな歌が、屋敷を、土地を、そこにいる全てのものを祓い清めていく。荘厳な歌声と美しい神聖力の燐光にモリアスは満足気に微笑んでいたが、燐光の向こうに垣間見えたものにぴくりと眉を震わせた。
聖歌響き渡る部屋の中、ハイデンとアイリスが深く口づけを交わしている。愛し合う夫婦さながらのその姿勢のまま、アイリスがまっすぐに伸ばした左手が、幾人もの神子達の力の束をすんでのところで抑えていた。彼女が展開した結界が、ハイデンに向けられた神聖力を押し返しているのだった。
見れば、床に倒れて動かない老魔族にも、縛り上げられているメイドの少女にも、薄荷色の美しい結界が展開されている。
「神聖力を神聖力で防ぐ……? 何故拒むんだい、アイリス! 魔族から人々を守るために戦うのが僕達の使命だろう! 忘れたのかい!?」
「忘れてなんかいやしないわ」
ハイデンから唇を離し、アイリスは力を受けて凛と光る薄荷色の瞳でモリアス達を毅然と見遣った。
結界の内側、彼女の感情の昂りにあわせ巻き起こった力の本流が、美しい金髪を、部屋中の羊皮紙を、ばたばたと音を立てて煽り暴れさせていく。
「でもそれは、私が何も知らずに教会の教えを盲信していたから。何も知ろうとせずに、魔族も私達人間と変わらない、生きている人なんだって可能性に目をつぶって、ただ自分を正当化していたからだわ」
神子長である聖女アイリスの言葉は強く神子達を叱咤し、彼らの歌声を戸惑わせた。
「私は──ううん、みんなもきっとそうよね。自分が信じたいものだけを信じて生きてきた。正義も善も絶対だと思って生きてきた。でも、今はもう違う。私は魔族に命があることも、魔族に優しい心があることも、言葉を交わせば笑い合えることも、今ではよくわかっているの」
息を吸い込み、瞳を光らせて。アイリスはハイデンを背に庇うように大きく両手を広げ、自分自身の意思で力強く叫んだ。
「だから、もう、私は魔族を傷つけるためには歌わない──!」
聖女の圧倒的な力を受けて、神子達の歌声が霧散する。その一瞬の隙をハイデンは見逃さなかった。
「感謝する、当代聖女──!」
血紅色の瞳をきらりお輝かせ、部屋の中からハイデンの姿が掻き消えた。
「消えたぞ!?」
「どこだ! どこに行った!?」
ざわざわと神子達が戸惑う中、モリアスだけはイラつきながら部屋中に忙しなく視線を走らせていた。
(どこへ行った? 何をするつもりだ、魔王──!)
そうして視線を走らせて。モリアスは床に倒れ伏していたはずの老魔族の姿が忽然と消えていることに気がついた。血溜まりだけになってしまった床を見た瞬間、直感的にモリアスは歌声をメイドの少女に向けて放とうとしたが──突き出した手のひらの向こうに捕えていたはずの少女はもういなかった。
「空間転移──くそっ、やられた……!」
「流石、司祭サマ。大正解だ」
歯噛みするモリアスの鼻先に、二人の使用人を抱き抱えた魔王ハイデンの不適な笑みが突きつけられた。慌てて歌声を発しようとしたが、間に合わない。
「──来い! アイリス!」
「うん……っ!」
ハイデンが差し伸べた手を、駆け出したアイリスの手がしっかりと掴み取る。その次の瞬間、四人の姿はフッと皆の前から掻き消えた。
先程まで戦いの場と化していた執務室は嘘のようにしんと静まり返り、羊皮紙や本が乱雑に床に落ち散らばるばかりであった。
音も気配もなにも感じない。遠くへ逃げてしまったのだろう。そこまで把握して、モリアスはふぅと長いため息を吐いた。
「逃しましたか…………やはり魔王の力は魔道具なんかとは比べ物になりませんね」
先程までの狂的な笑みはどこへやら。モリアスは司祭としての顔を繕うと、穏やかに神子達を振り返った。
「まだ屋敷の中にいるかもしれません。手分けをしてくまなく捜しましょう」
優しい口調を使っただけの、司祭としての命令。しかしそれに、神子達は戸惑い顔を見合わせるだけですぐに頷くことはしなかった。
「あの…………モリアス様……」
神子達を代表して手を挙げたのは、まだ幼さの残るそばかす顔の少年、レイルであった。彼はどこか怯えたようにモリアスを見上げると、おずおずと挙げていた手を下ろしながら口を開いた。
「アイリス様が言っていたこと……魔族にも命や心があるというのは、どういうことなのでしょう……」
レイルの言葉を受けて、神子達がそれぞれにモリアスに真剣な目を向ける。誰も彼も、真実を探求する者特有の強い眼差しをしていた。
「アイリス様はでたらめなことを言う方ではありません……確かにちょっと純粋すぎるところはありますが、根拠もなく拒絶をする方ではないはずです。それはずっと一緒に過ごしてきたから、モリアス様もご存知ですよね……?」
「……レイル」
「そうだとしたら今まで教会がやってきたことはなんなんでしょうか…………それに、モリアス様が使用されているその魔道具、それは一体…………!」
「──レイル?」
殊更優しい声で名前を呼ばれ、レイルはぞくりと背を震わせ言葉を止めた。慈悲深い笑みを浮かべてはいるが、「それ以上何も言うな」という無言の圧力がモリアスからは発せられていた。
「アイリスは確かに素晴らしい聖女です。しかし彼女は悲しいことに魔王の術中にはまり、穢れた力で思考も行動も支配されているのです。あの言葉も、あの行動も、アイリス本人の意思ではありません」
重苦しい沈黙が部屋の中に落ちる。しかし満ちる空気は納得ではなく疑心一色であった。アイリスという人物のことは共に過ごしてきた神子達もよく知っているからだ。
「この魔道具は初代聖女マートルの遺物。けれど穢れた力ゆえに、長く教会の奥底に封印されてきたのです。初代聖女が何故このようなものを持っていたのかはわかりません…………しかし、女神となったマートルの遺物です。確かに込められた力は魔術ですが、この遺物を使うことは崇高なこと。正しいことを行うための必要悪です。安心なさい」
──本当に?
そんな声がそこかしこから聞こえてきそうな空気だったが、結局誰もその言葉は胸の奥に仕舞い込んで言わなかった。
「司祭である私が間違うことなどあり得ません。私は人々のためを思い動いているからです。──私の言葉、信じられますね?」
モリアスの優しい言葉に、神子達はそれぞれに無言で頷くしかないのだった。
ハイデン邸の地下深く。
土を掘り固めただけの冷たくじめついた地下通路の中に、アイリス達は転移をしていた。
「緊急時のために用意していた通路だ。魔素がなくなり魔術が使えなくなれば、転移魔法も使えなくなるからな」
魔術の灯りをふわりと手のひらの上に灯して、ハイデンは通路に横たえたルタスとアンを心配気に見下ろした。
アンも神聖力を受けたのか体中に焼かれ切られた跡があるが、ルタスの方が重症だった。腹に大きな穴が空いている。
とめどなく流れ続ける血で手を汚しながら、アイリスが必死に処置をしている。深く掘った地下通路とはいえ、大きな音は出せない。モリアス達に聞こえないよう声を抑えながら、アイリスは聖歌を歌いルタスの治療にあたっていた。
「お願い、止まって…………お願いよ……」
歌の合間に、祈るようにアイリスは何度もルタスに声をかけ続けた。
世間知らずの華奢な指を血に浸し、服が汚れることも厭わずに、ルタスの身体を抱きしめるようにしながら、歌を歌っては彼を励ます言葉を耳元でかけ続ける。
「絶対助けるからね。ルタス、絶対大丈夫だから、もう少し頑張って……!」
そんなアイリスの姿を、ルタスの隣に横たえられたアンが、そして治療を眺めるしかできないハイデンが見守っていた。魔族には治癒の力がないから、ここはアイリスに任せるしかできない。歯痒さと不安に押しつぶされそうになりながら、二人はアイリスの真剣な横顔をただ凝視していた。
(呪いが邪魔をしていつも通りには歌えていないはずなのに、ルタスの傷が癒えていく──)
アイリスの祈りに応えるように、ゆっくりとながらルタスの深傷が癒えていく。聖女の真の力を思い知って、ハイデンは圧倒され声を失っていた。
(俺を助けるためだけに自ら口づけを求めてきた。俺がもしも死ねば、こいつを縛る呪いも消えて、歌を歌えるようになったはずなのに)
服も金髪も血で汚し、治療を続けるアイリスを見ながら、ハイデンは指で自らの唇に軽く触れた。
アイリスの唇の感触と、初めて自分が彼女の名前を呼んだ感触に、戸惑いと奇妙な感情を持て余して──
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