アラヤシキ

「……まあ、龍のことは一旦捨て置く。問題は貴様じゃ」


「我を疑っておるのか……ルシファリア」


「応ともじゃ。確かに魔王の面影は感じる。だが、それだけじゃ」


 様子を伺っていた魔戦士ディアゲリエ達はざわついた。偽物だというのだろうか? 少なくとも、彼ら全員が束になってかかっても一蹴されかねない力をアメミヤから感じている。

 現に彼らは、あの男が龍の機罡獣をあっさり撃退するのを目の当たりにしているのだ。


 しかしルシファリアは強烈にアメミヤを睨みつけている。現代を生きる魔戦士達は知る由もないが、かつての戦いに身を投じた戦天使にはこの男の正体に覚えがあった。


 そもそも何を以て魔王と判断するか。ハジュンは第六天の闇の中で誕生した悪意の集合体であり固有の肉体を持たない。精神のみの存在であるため、通常であれば魂しか行き来できない冥界の天と地を隔てる境ヴヤヴァダーナを抜けて逃れることができた。


 しかし地上世界でハジュンが精神体を保持することは難しく、魔王の体はあっという間に霧散してしまった*。天界より奪った機罡石の力で自身が消滅するのを食い止めつつ、エーテリア大陸の東方世界オリエント中つ国ミディウムにまたがって広がる大草原に降り立った。

 そしてその土地の民族が儀礼に用いる青銅製のシャーマン像に宿ったのである。


 以降ハジュンは如何いかに自身の大願であるダイネハン計画を成就させるかの思案を巡らすわけだが、兎にも角にもこの時に身をやつした緑青ろくしょうまみれのシャーマン像こそが魔王ハジュンの本体といえる。

 後にそれはハジュンの軍勢、魔王軍ジャハンナムによって築かれた大帝国の聖堂へ遷座せんざされ、御神体プラティマとして広く畏怖畏敬の象徴となった。


 なぜハジュンが最初に青銅像を選んだのかは、体の崩壊が待ったなしの状態であったことと、大部分を散逸させたとはいえ第六天魔王の意識を収めるのに人間は脆弱過ぎたことがある。肉体を手に入れることはハジュンの悲願のひとつであったので、自身を収容するに足る魂力ヴェーダを持つ人間の育成にも余念がなかった。

 やがて魔王の精神を直接その身に宿せるほど魂力の高い人間が現れ始める。


 聖堂に女神カノンが率いる機罡戦隊きこうせんたいが攻め込んだ時に御神体は破壊されたのだが、それに先んじて魔王は自分の意識を七人の魔戦士ザンジェイタンへ憑依させていた。

 魔王軍は人間が宿す魂力ヴェーダの強さを独自の技術で七段階に分けて判別していた。魔王によって選別された七人はいずれも機罡戦隊との戦いを通じて最高位にまで成長しており、まさにハジュンが求めた最高の依り代に仕上がっていたのだ。

 これでハジュンは晴れてこの世における自分の体を複数獲得し、魔王軍は大願成就へ向けて大きく前進することだろう……。


 ところがここで大きな誤算が生じる。ハジュンが考える以上に魔戦士達の心は屈強であり、魔王といえど分散させた意識では彼らを制御できなかったのだ。支配するどころか逆に取り込まれてしまい、彼らを大幅に強化させてしまった。


 既に最高位とされる第七段階マナスにあった魔戦士達である。彼らを指す言葉として、それは第八段階保持者アーラヤー・ヴィジュニャーナ、通称アラヤシキと制定された。彼らは個々に魔王の名代みょうだいを壮語して絶大な権勢を振るい、ジャハンナムは大分裂。結果的に魔王軍の敗北を早めてしまった。


 アラヤシキは異常なほど特権意識が強く、自分が絶対で他者を徹底して見下していた。それはルシファリアであっても例外ではない。魔王を包含する彼らに彼女は逆らえず、所詮は作り物だと侮蔑され、機罡石が摩耗するほど酷使させられたのだ。

 ルシファリアはハジュンの皮を被ったこの俗物共が心底許せなかったがどうにもできず、切歯扼腕せっしやくわんの思いで屈辱に耐えねばならなかった。


 転機が訪れたのはアラヤシキの一人が機罡戦隊に倒された時である。その者から魔王の意識が抜け、それが残った者に振り分けられて彼らをより強くさせたのだ。この仕様に狂喜したアラヤシキは同士討ちまで始める有様だが、その分魔王の意識と支配力が強くなることに彼らは気が付かなかった。

 はたして最後の一人となった者の中に入っていたのは、ほぼハジュンその者であった。狂喜するルシファリアであったが、時既に遅く魔王軍は機罡戦隊に大敗を喫した。

 彼女は蒼穹の覇龍との戦いで体を破壊されていたので、魔王の最後を知らない。すがる思いはあった。

 だが、薄らいでいく魔力マナを感じれば、ハジュンの敗北は明らかだった。


 魂力ヴェーダ魔力マナを受け入れる器。魔力がなければ不可思議な力の発現はなくなる。

 生き残った魔戦士も、機罡戦隊も、すべての人間が享受してきた魔法の特別な恩恵は失われるのだ。


 だが、抜け道もあった。


「ルシファリア」


 ギルバンが訊ねた。「あなたがアメミヤ少尉を魔王ではないと糾弾する理由は、彼がアラヤシキであると考えているからですか? 何らかの方法で旧世界から今この瞬間まで力を保持し得ていたと」


「アラヤシキの中にはこすい者がおってのう。魂を別の場所に保存し、そやつは全身を機械に改造して眠りについたのじゃ」


「機械って……まさか」


 その言葉に思い当たり、シェランドンが呻いた。「いや、でもよお。魂の保存? そんなことできるのかよ。よく知らねえけどよ」


「マージの巨人を忘れた? 旧魔王軍ジャハンナムは人間の魂を抜き取ってエネルギーの結晶体にするような技術を確立していたのよ」 ヴェロニックが推察する。「死んだ人間の魂は冥府で閻魔帳カルマパトラに生前の行いを記録された後、汚れを落としてからまたこの世に還元されるらしいけど、要するに魂に意識や記憶は保存しておけるのよ」


「だからって、どこに置いておくんだよ……遺跡にでも埋めるのか?」


「悪くないけど」 ヴェロニックが厳しく視線を向けた先に居たのは天元術士だ。「――例えば魔力炉心なんかは丁度いい隠し場所じゃないかしら!」


「ほほほ……、さすが白薔薇の魔導士よな。その通り。機罡戦隊との戦いで瀕死の重傷を負ったは自らの命を開発中だった魔力マナモビルの炉心に融合させた。それがアレッサスだ」


 テリヴルヒの答えに目を丸くしたのはシェランドンだけではない。そんな神の領域と呼べるような技術が旧世界では横行していたのか。例え魔力マナが潤沢であったとしても、新世界で再現することは到底不可能だろう。


「ああ、そのじゃ。名はアレッサス・ボルタス。ジャハンナムでは珍しく西方社会オクシデントヴェノヴァ出身の錬金術師。マージを含む巨人兵器群ハジョムタイの開発も担当しておったか。その時は下衆なアラヤシキ共の中にあって、己を機械に代えてまでハジュンに帰依した忠義者と感心したものじゃ」


 間をおいて、ルシファリアは言葉を続けた。「のう、冥關星めいかんせい・機械公爵バラズゥクよ。口調だけはハジュンであったがな」


「……さすがはルシファリア、畏れ入ったよ。だが俺の名について一つ訂正する。ボルタスは錬金術師として論文を発表する際のいわば字名あざなだ。本当の名はアレッサス・デ・メルチ。ヴェノヴァの実質的な支配者であった公爵家メルチの名を忘れてもらっては困る」


 先程と口調が打って変わった。どこか人を食ったようで、高圧的な態度だった。アメミヤという入れ物は同じなのに、他者を見下げるような表情はまるで別人だ。


「しかしよぉ……」 と、出かかった言葉をシェランドンは飲み込んだ。ふとした疑問だ。誰にも聞かれていなかったので、心に吐露した。──その姿で機械公爵とか言われてもな! 


「そうだな、冥雷星。ではジャハンナム時代の名を名乗ろう」


「!」


 ばっと腕を上げるや、男の着ている物がそれまでの強化服から一瞬で瀟洒しょうしゃな召し物に外套マントを纏う姿に変わった。


「改めまして、諸君! 冥然星の魔戦士ザンジェイタン幻魔大師げんまだいしゼリシュエだ。以後、諸君らが俺と接する際はくれぐれもアラヤシキに対する礼と、引き続き『閣下エッチェッレンツァ』と呼ぶことを忘れぬように。ふはっはっは……」


 ルシファリアのこめかみに稲妻が走った。






 *この時に拡散したものが魔力マナとなって全世界に広がり、人類は魔法の力に目覚めた。この不思議な力は魔王がいなくなると一緒に消滅した。

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