第14話

 それから数分。セットを終えたかりんが満足げな顔で「むふー」と笑顔を作る。

 部屋の中にある鏡を見ると――


「え?」

「ほら先輩、どう思います?」

「…………これ、俺?」


 今されたのは、眉と髪の毛のセットだけだ。

 別に化粧とかを施されたわけではない。それなのに――


「…………」


 表情を変えてみる。うん俺だ。鏡の向こうに知らん男が居るわけでもない。

 いやー、うん、なんか、かりんが言ってることちょっとだけ分かった気がするぞ。


「じゃ、みゆちゃん待たせてるんで」

「えっ」

「ほらこっちですよー」


 かりんに手を引かれ、部屋を出る。

 いや廊下、クソ広いな。何部屋あんのこれ? 初見で案内人が居なかったら迷子になる自信がある。

 辿り着いた居間は、――いやこっちもクッソ広いな。なにここ? 部屋どころか教室くらい、いや教室以上に広そうだ。


「みゆちゃん」

「なに」


 居間、といってもそんな和風な部屋でなく普通に洋風の巨大リビングの中央。

 大理石風のテーブルに肘をついてスマホを弄っていた女子中学生は、横目にかりんを見ると、――ばっ、とこちらを凝視する。信じられないものを見た、といった表情だ。


「え、なにそれ」

「先輩」

「…………はー、なるほどなるほど」


 どこか納得したように頷く美優に、自慢げな顔で胸を張るかりん。

 そりゃビビるよな。もっさいオタクがこんなになってたら。俺もビビってる。というか自分の顔を見慣れてる俺が一番ビビってると思う。


「普段からそんくらいしてればモテるんじゃない?」

「も、モテ……?」


 モテって、なんだ。あれ、日下部みたいなアレか。

 誰々と付き合ったとか別れたとか、女子居ないとこでは常にそんな話してるんだよな。顔が良いだけでモテると思ってるわけではないが、まぁ良くないよりはモテると思う。

 ――しかし、自慢げな顔をしていたかりんは、何故か少しだけ不機嫌そうだ。


「先輩、モテたいんですか?」

「いや全然」


 即答。いや身近な例を日下部くらいしか知らないからなのだが、あれに憧れるかと言われたら否だ。

 カッコよくなりたいかという質問であればイエスなのだが、モテたいかと問われればノー。よく知らない相手と愛想笑いで話を合わせ、常に相手のご機嫌を伺って、八方美人に振舞って――そんな息苦しそうな生活、高校生活に求めていない。


 モテないからオタクになったわけではないが、あぁなりたいとは思えない。

 その点ハーレム主人公ってすごいよな。我を通すだけでなんか女に好かれるもん。実際は日下部ほどのイケメンであっても、尋常じゃない協調性があって初めてモテるわけだが。

 美優は「へー意外」なんて声を漏らすが、かりんはどこか嬉しそうである。


「それ、義房さんのタキシードだよね? 勝手に出しちゃって良かったの?」

「うん、メールで聞いたけど、もう着れないから使っていいって」


 その答えが不満だったか、美優は「……へぇ」と声を漏らすとスマホに視線を落とした。

 そういえばそうだよな、こんな立派な服、元の持ち主が居たに決まっている。もしかしてすげー高いものなんじゃ――思わず布地を触ると、さらさらしてる。よく分からん。たぶん高い。桐箱入りだったし。


「先輩さん、それオーダーで一着50万くらいするやつだから」


 そんなこと言われると急に脱ぎたくなってきた。


「か、かりん、もう脱いで良いか」

「駄目です」

「汚したらと思うと……怖くて……弁償なんて出来んぞ……」

「大丈夫ですって」

「そ、そう言われてもだな、」


 一着50万する服なんて、着たことねえぞ。悪いが今日着てきたジャージは上下合わせて2000円だ。ネット通販で買ったぺらぺらの生地で、春から秋にかけてはよく着てる。


「安心して下さい先輩。……何も一着だけとは言ってませんよ」

「待て」

「何着もありますから」

「何用なんだ!?」

「何って……ダンス用ですよ」

「だんすよう……?」

「ほらこのへん、普通のスーツと違って可動域広いでしょう?」

「つっても……スーツなんて着たことないが……」


 肩をぐるぐる回してみても突っ張る感じがしないので、本当に良い服なのだろう。俺には勿体ないほどに。

 しかし、ダンス用のタキシードか。……そんなのが偶然家にある奴居るの? 金持ちか? 金持ちかー。金持ちだったな。


「お母さん帰ってくるまでにダンスの内容決めちゃいましょ。はい先輩座ってー」

「え、えぇー……」


 手を引かれ、このまま逃げようにも着替えたりなんなりで手間取るのは分かり切っていることなので、大人しく座る。

 美優は、こちらをちらりと見、すぐに視線をスマホに落とした。うん、無関心でいてくれると助かるよ。話しかけられてもちょっと困るからね。

 かりんはテレビの前で充電されていた大型のタブレットを手にし、「みゆちゃんこれ借りるよ」と告げると、テーブルの上に置く。美優の方は無反応。


「昨日4つのダンスから1つ選ぶって話はしましたよね?」

「あ、あぁ。……そういえばそんな話だったな」

「今着て貰ってるのはスタンダードで使われるタキシードなんですけど、ダンスパーティだとスタンダードが3種、ラテンが1種です。ラテンは運動神経と体力、あと瞬発力が結構いるんで、とりあえずスタンダードから見せますね」

「あ、あぁ分かった」


 てっきり動画サイトでも開くかと思ったが、かりんは動画ファイルを開く。既に保存していたのか、と驚きつつ、画面を見る。


 どこかの会場で社交ダンスを踊っている様子を、個人が撮影しているようだ。

 大きなホールに10組以上の男女が、ぶつかるかぶつからないかのギリギリの距離で踊り続けている。なんで当たらないんだ? 後ろでも見えてんのか? それとも動きが決まっていて当たらないようになってるとか?


「まずこれがスタンダードで一番有名なワルツって呼ばれるものです」


 ゆったりとしたリズムで、男女が――くるくる回ってる。

 っていうか全然知らなかったんだけど、こういう社交ダンスって決まった形があるわけじゃないんだな。同じBGMが鳴っているにも関わらず、みんな違う踊りをしているように見える。

 これで点数とか付けられるものなのか? 全然分からないが、なんとなく一組だけ目につく男女が居た。


「なぁ、これ――」

「あっ、義房さん――みゆちゃんの叔父さんです」

「なるほど、……この服だよな」

「いえ違いますよ。ほら裏地の色が違う」

「似た服何着もあんの……!?」

「よく見ると結構違いますよ?」


 言われてみると、動画の男性の裏地は白黒チェックだが、この服の裏地は灰色一色だ。ほとんど同じ形に見えるのにどういうことなんだ。スーツの裏地とか普通見えないはずだが、ゆったりとした回転運動の多いダンスだからか、裏地のチェック模様がよく見える。


「次はタンゴです。ワルツに比べると結構速いですよ」

「ほう?」


 一曲終わり、次に再生されたのは――


「これ首どうなってんだ!?」


 先程見たワルツと違って、曲調はアップテンポで動きも軽やかだ。

 しかしそれより気になるのは、かなり速いステップを刻んでいるというのに、頭の高さが全くブレていないところ。

 昔ネットで見た、フクロウを振り回す動画を思い出した。

 軽やかに動く足とは対照的に、まるで上空から吊り下げられているかのようにブレず、びし、ばし、と決まったところでだけ動く頭は、なるほど頭の動かし方もダンスの一種なんだな、と何も知らない俺でも分かるほどだ。


「最後はスタンダードでは一番速い、クイックステップです」

「クイック……速そうだな」


 再生されたのを見て、驚いた。


「走ってんのこれ!?」

「足先に注目です」

「しかも爪先立ちで……!?」


 思い返してみると、他のダンスも男は爪先の力で立っていた。こんなの数秒も持たないだろ。


「こんなダンスもあるんだな……」


 先程までの二つは、まだ『歩き』の速度であった。しかしこれは違う。ほぼダッシュだ。しかも男女が腕を絡ませ合って、なんなら進行方向と違う方向を見ながら、更にはくるくると回りながら走っている。

 これで他の人にぶつからないのおかしいだろ。頭の後ろに目でもついてんのか?

 明らかに運動量が多そうだが、さっき言ってたよな。スタンダードからって。残ってるのは、これより激しいのか?


「最後がラテンの種目で、チャチャチャです」

「ちゃちゃちゃ?」

「え、何その選出。なんでスローないの?」


 実は黙って話を聞いていたのか、スマホから顔を上げた美優が怪訝な顔を向ける。


「みゆちゃん義房さんのスロー好きだったもんねぇ」

「だって先輩さんのそれ、スローの服じゃん。だからスローあると思ってたのにガッカリ」

「固定はタンゴとワルツだけで、毎年ちょいちょい変えてるらしいよ」

「そう。……先輩さん、そんな急に踊れるの?」

「無理だ」

「無理だよ」


 ぷい、と顔を逸らした美優に苦笑を返したかりんは、「見ましょっか」と次の動画ファイルを再生した。


「え、なにこれ全然違う」

「これがスタンダードとラテンの違いですね」

「リズムというか……なんか本当に全然違うな」


 何が違うって、音楽ではない。――動きが違うのだ。

 先程のスタンダード3種は男女セットの回転運動が主だったのに、これはそもそも腕を組んでいなかったりそれどころか手を離したり、二人が全く別の動きをするシーンも多い。

 それでいて音楽には合っているように感じるから、この人たちが上手いのか、それともそういうダンスなのか。


「……確かに難しそうだな」

「でもほら、良い笑顔してません?」

「あー……言われてみるとさっきまでとは表情も違うな」


 まるで物語でもあるかのごとく、男女の表情がコロコロと変わっていく。これに気付かなかったということは、先程までの3種のダンスはずっと優しめの笑顔であったり表情が少なかったりしたのだろう。

 最初のダンスは、何をしているかはよく分からないけど回っていることは分かった。けどこちらのダンスには、動きの規則性すら初見では分からない。

 踊っている他の人たちもそうだ。プロポーズみたいな動きもしてるし、決めポーズをビシバシ決めてるペアもいる。自由なのか、それとも規則性がなく見えるだけで実際はいくつかの組み合わせからデッキを作っているのか――、素人目にはそれすらも分からなかった。


 一通り見て、「どうですか?」と聞かれたので、頷いた。


「まず後ろ二つは無理だろうな」

「……まぁそんなとこだろうと思いました」

「かりんは踊れるのか?」

「ちょっと習った程度なので、先輩と変わんないですよ」

「……学祭じゃ、皆こんなに踊れんのか?」


 会場の準備は、確かにした。設営みたいな地味な仕事はやりたがる人が少ないので、真っ先に挙手するとそこから面倒な仕事が振られなくなるからだ。だが、会場で何をしているかまでは知らなかった。

 こんなダンス、部活とかで真面目に習ってないのに出来るとは思えないのだが――


「あぁ、ここまでじゃないですよ。去年の動画見せて貰いましたが、皆なんとなくくるくる回ったり、ラテンも音楽に合わせてぴょんぴょんしてる程度ですから」

「そ、そうなのか」

「この動画見ちゃったら結構ハードル上がるかもしれませんが、この動画に映ってる人たちは日本でもトップクラスのダンサーですから、気にしないで下さい。何もここまでしろとは言いませんよ」

「それなら助かる。……ただ、」

「ただ?」

「俺に出来るのか……?」


 俺にはくるくる回ることすら難しそうだが。なんか酔いそう。

 体育でどんなスポーツやる時も邪魔にならないよう小さくなっていた運動神経ゼロのオタクに、こんな人前で踊るダンスなんて――


「え、素人ダンスなんて顔が全てでしょ」


 と思ってると、美優がとんでもないことを言い出した。

 かりんは否定――せず、「だよねー」と苦笑を返す。

 待て、そうなると俺は相当自信がないというか――


(あ、いや、今なら……?)


 部屋に鏡がないが、先程見た自分の顔は、自分の顔とは思えないほど

 イケメンとか、いやそういう言葉で表していいのかは分からないけれど。だって人生で一度も褒めたことない自分の顔だぞ? ともかく、。あれなら人前に出しても恥ずかしくない顔だなと、そう思える程度には整っていたのだ。


(髪と眉だけで、か……)


 以前かりんが言ってたのもそういうことだったのかなと、少しだけ納得する。むしろよく普段の俺を少し弄るだけでこうなることまで想像出来たものだ。


「みゆちゃん的には、どう? 合格?」

「うん」

「義房さんと比べたら?」

「怒るよ」


 かりんは笑いながら、「ごめんて」と謝る。今見た動画の、主に中心に映っていた男性が義房さんなのだろう。この服の本当の持ち主で、美優の叔父さん。

 かりんにとっては当然、血の繋がりなど一切ない親戚だ。それなのに衣装を借りられるなんて、どういうことなんだろう。50万もする服なのに。


「先輩、今日一日暇って言いましたよね?」

「……というか、明日も暇だ」


 恥ずかしながら、基本的にゲーム以外の予定はない。浦部と違ってライブとか行かないし、同人誌も買わないので即売会にも行かない。こういうオタクも居るんだよ。


「ならがっつりできますね」

「何を?」

「練習です。平日はあんまり時間ないんで、土日でやりこんじゃいましょうか」

「マジで?」

「マジですよ」


 真顔のかりんは、何言ってるんですかと言いたげな顔でこちらを見る。

 ――忘れていた、かりんの行動力を。


 この女は、

 行動力の化身。動くと決めたらその瞬間に動く女――そうでもなければ、この関係を構築するのに年単位の時間を要したことだろう。


「折角着てることですし、これから向かっちゃいましょう」

「どこに!?」

「練習出来るとこです」


 そう言うと、かりんは誰かに電話を掛ける。「今出れますか?」なんて聞いているが、もしかして電話のお相手は――

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