第36話 隠し事の気配

「とりあえず、事の発端ほったんとなった寝室しんしつ付近ふきんから調査を始めましょうか。武山たけやまさん、案内してもらえる?」

「ええ、もちろんです」


 麗華れいかの案内で二人はリビングを出て玄関げんかんへと移動いどうした。

 ダンスでもおどれそうなくらい広いけの玄関ホールから階段を上って、麗華の部屋に到着とうちゃくする。


「最初は廊下ろうかを歩く音がしたのよね?」

「はい……でも誰もいなくて」

「ふむ……」


 幽子はその場にいずると、手のひらでゆかで回し始めた。


「音のした辺りってわかる?」

「ええと……あの辺だったような?」

「了解、あの辺ね」


 幽子は麗華の示した方向へそのまま進んだ。

 突き当りまで移動すると、じっと手のひらを見つめて立ち上がり、辺りをキョロキョロと見回し考えむ。


「どうかしたんですか?」

「何か見つかったのか?」

「一応、痕跡こんせきっぽいものはね。ほら、見える?」


 幽子が手のひらを突き出した。

 しかし、一郎にも麗華にも何も見えない。


「そこに何かあるのか?」

「あー、やっぱ見えないか。私にもうっすらくらいしか見えないし」


 そう言いながら、幽子はじっと自分の手を見つめる。


「これは動物の毛……かな? 何の動物かわからないけど、少なくとも人間のものでないのは確実ね」

「人間じゃ、ない?」


「ええ、武山さん、もしかしてここで動物とか飼ってなかった?」

「は、はい! 飼ってました! というか今も飼ってます!」


「あ、そうなんだ。その子はどこに?」

裏庭うらにわの方にドッグランがあって、そっちではないにしてあります」


「ふーん、じゃあくなった子がご主人様に会いたくてやっているのかしら?」

「そ、そんなのこまります!」


 ご主人様こいしさに会いに来た。

 そう口にした途端とたん、麗華が今まで聞いたことのないような大声を上げた。


「わ、私に会いに来るとか冗談じょうだんじゃない! 何とかしてください!」

「あ、うん……」

「………………」


 あまりの麗華の剣幕けんまくに、幽子と一郎は戸惑とまどいをかくせない。

 二人が茫然ぼうぜんとしていると、そこでようやくわれかえったのか、


「あ、あのっ……実は私幽霊ゆうれいとかダメなんです。だから……」

「あ、ああ、そういうことね」

「よくわからないものって普通はこわいもんな!」


 霊的なものに対応できる人間はかぎられている。

 幽子のような戦う力を持っていない多くの人間にとって幽霊は脅威きょういだ。


 例えそれが、生前せいぜん可愛がっていたペットであっても怖いものは怖い。

 その気持ちは幽子も一郎も理解できる。


「何としてもはらってください。お願いします!」


「まあ、私にできる範囲はんいでなら……それで武山さん、何となくだけどこの毛と似たような気配があなたの寝室から感じるんだけど中に入っていい?」


「はい、どうぞ。お願いします!」


 二階廊下の調査を終え、続けて麗華の寝室へ。

 金持ちらしい上質なベッドの他、大きな鏡とぬいぐるみが一つ、勉強つくえ本棚ほんだな、PC、壁掛かべかけの大型テレビにオーディオ、スピーカー、その他配信用の機材きざいなどがある。


「武山さんは普段ふだんはこの部屋で?」

「はい、基本的に帰ったら、ご飯で下に降りる時以外はここにいます」


「配信や編集へんしゅうも?」

「ええ、ここで全部やっています」

「ふーん……」


 幽子はジロジロと部屋の中を見回す。


「んー……」

「あの、物部もののべさん。その鏡が何か?」


「このあたりから何かを感じるんだけど…………ダメ、わかんない!」

「鏡って昔から呪術じゅじゅつ的なものに使われているし、何かいわく付きとか?」


「いえ、この鏡は私が大学入学と同時に買ってもらった新品なので、そういった感じのものでは……」

「私の気のせいかな?」


 麗華には秘密ひみつにしているが、幽子は陰陽師おんみょうじと言っても無免むめんの見習いな上に落ちこぼれだ。

 直接戦闘は得意とくいだが、こういった霊視れいしのようなものは苦手である。


「ロク、れてれば良かったな」

何故なぜか来たがらなかったのよね。いつもはよろこんでついてくるのに」


「まあ、いないものは仕方しかたないさ。今できることをやろうぜ」

「そうね。まあ、やるのは私なんだけど」


「悪いな、手伝えなくて」

一緒いっしょにいてくれるだけで充分じゅうぶんよ。気にしないで」


 気を取り直して調査を再開する。

 二階ではこれ以上特に何も感じることができなかったので一階へ。


「一階では何か変なことはなかった?」

「いえ、特には……ほとんど二階にるから気づかないだけかもしれませんけど」


「そっか、なるほど……じゃあお風呂場を見せてもらえるかしら?」

かまいませんけど、どうしてお風呂を?」


「霊的なものは水場を好むからじゃないか? 学校の怪談かいだんとかでもトイレやプールは鉄板てっぱんだし」


「なるほど! 田中くんって博識はくしきなんですね!」

「いや、それほどでも……痛ッ!?」


 幽子にしりをつねられた。


「……デレデレすんな、バカ」

「し、してないって!」


「どうだか? で、お風呂はどこ?」

「あ、こっちです」


 風呂の場所は一階のはし、玄関からおくに行った突き当りにあった。

 旅館りょかんのような広さの脱衣所だついじょを抜けた先の風呂場は、これまたいかにもな雰囲気ふんいきだった。


 十人は余裕よゆうで入れるほどの湯船ゆぶねに、かけ流しのお湯がそそがれている。

 壁や床も大理石だいりせきだし贅沢ぜいたく極まりない。


「どうです? 何か感じますか?」

「いえ、何も。おっかしいなあ? 普通水場って霊が集まるものなんだけど」


 いないものはいないので仕方ない。

 風呂場の調査を切り上げ最後は庭へ。


「…………」

「どうしたの一郎くん?」


 風呂場を出ようとした時、突然とつぜん一郎が足を止めた。

 風呂場のすみにある小部屋が気になっているようだ。


「武山さん、アレは?」

「サウナです。本場フィンランドから石を取りせた本格的なヤツですよ。一緒に入ります?」


「いや、遠慮えんりょするよ……」

「私は入ってみたいんだけど。武山さん、いいかな?」


「え、と……ごめんなさい物部さん。今すぐというわけにはちょっと……」

「じゃあいつなら入れる?」


「……次に来る時には。実は今ちょっと調子が悪くて、修理しゅうりしないと」

「そう、なら次に来た時のお楽しみにさせてもらうわ。その時は一緒に入りましょ」


「え、ええ……ぜひ!」

「さて、家の中はこれくらいでいいかな。最後に外を見せてもらえる?」

「は、はい。どう……ぞ?」


 言うが早いか、麗華の返事へんじを待たずに幽子は一郎の手を引き風呂場から出た。

 背後はいごで麗華が「あ……」と、間抜まぬけな声を上げる。


 そんな麗華をりにして、幽子はドッグランがあるという裏庭に向かった。

 す幽子を一郎は追いかける。


「おい、急に走り出してどうしたんだ?」

「あの子に聞かれたくなかったから」


「え?」

「あのサウナの中から、かすかにだけど何らかの気を感じたわ。絶対あそこ何かある」


「じゃあ、もっとくわしく聞けば……」

無駄むだよ。あの子の態度たいどで気づかなかった? あれは絶対何かを隠しているわ。絶対に知られたくない何かをね」


「何かって、何を?」

「わからない。でも、ロクでもないことは間違いない。見て」


 幽子が視線しせんをドッグランに移す。

 幽子に見られた犬たちは、おびえるように小屋の中に入ってしまった。

 さっきまで楽しそうに走り回っていたのに。


「二人ともー、待ってくださーい」

「彼女が追い付いてきた。悪いけど話の続きはまた後で」


「……わかった」

「はぁ……はぁ……二人とも足早いんですね……私、体育は昔から苦手で……」


「ごめんごめん。私って動物好きだから早くワンちゃんに会いたかったの。でも肝心かんじんのワンちゃんたちだけど、私を見た途端小屋に入っちゃって……嫌われてるのかしら?」


「……嫌われているというよりも、人間が怖いんだと思います」

「どうして?」


「ここにいる子たちはみんな、元々保健所ほけんじょにいたんです。だから、人間が怖いのかと……」


 保健所にいる犬は、一定期間引き取り手が現れなければ殺処分さつしょぶんされる。

 犬は頭のいい動物だ。


 人間の言葉は分からなくても、仲間が帰ってこない状況からどうなったのか、これから自分がどうなるのか、人間に何をされるのかを理解できる。


 自分を殺そうとしていた人間に怯えるのは至極しごく当然の反応はんのうと言える。

 その心の傷は、たとえ優しい引き取り手にもらわれてもそう簡単かんたんえるものではない。


 だから、初対面の自分たちを見て怯えるのは当然だ。

 だがしかし、飼い主の麗華を見てさらに怯えるのはどうしてなのか?


 彼女は死のふちにあった自分たちを、寸前すんぜんで助け出してくれた女神様ではないのか?

 引き取った上にこんな広大な敷地しきちに住まわせてくれる恩人おんじんではないのか?


 自分たちの救い主を見て、なぜ犬たちは怯えた目で見つめるのか?

 恐怖の声を上げるのか?


「保健所にいる子たちを引き取るなんて優しいのね、武山さん」

「いえ、そんなことは――」


「もうどのくらいここで飼ってるの? あと、この子たちって今何匹いるの?」

「長い子はもう一年、来たばかりの子は一ヶ月くらいでしょうか? 全部で二十匹はいると思います」


「飼っている子がいるのにまだ増やすの?」

「ええ、だって可哀想かわいそうですから。何の意味もなく、ただ死を待つだけだなんて……」


「……そう。最後に聞きたいんだけど、ドッグランの横にあるアレは何?」

車庫しゃこです」


「中には何が?」

「トラックとハイエースが一台ずつあります。それが何か?」


「いえ、別に? それじゃあ見るべきものは見たし、そろそろ帰りましょうか、一郎くん」

「え? ああ、そうだな」


「もう帰ってしまわれるんですか?」

「ああ……ええと」

「知りたいことは知れたし、このまま調べてもこれ以上のことはわかりそうもないからね」


 幽子は一郎から麗華を引きがし屋敷やしきまで連れ戻ると、部屋にあった人形を持ってくるように言った。


 邪魔じゃまをされ、やや不満ふまんげな表情を作りながらも、麗華はお気に入りの大きな人形――シロクマ人形――を幽子に手渡てわたす。


「これ、使わせてもらうわ」

「あ……」


 一方的に幽子はそう告げ、人形のはらに小さな切り込み口を作った。

 その中にポケットに入れておいた数個の米粒こめつぶと一枚の術符じゅつふを入れた後、麗華から髪の毛を一本もらい追加で入れて、赤い糸で切り口を閉じる。


「これを寝る時同じ部屋に置いておいて。もしも変なことがあったらその人形が代わりに受けてくれるから」


「え……? い、今すぐ祓ってもらえないんですか?」

「正体がまだ分からないから手の出しようがないのよ。でも大丈夫、何か変なことがあったらすぐに一郎くんと一緒に飛んでくるから。ね?」


「……わかりました」

「よし! それじゃ一郎くん、帰りましょ」

「ああ。武山さん、それじゃまた――」


 二人は車に乗ると、かえることなく来た道を戻った。

 門をくぐったところで幽子が話しかける。


「一郎くん、気づいた?」

「ああ」


 前を向いたまま、無表情に淡々たんたんと会話する。


「彼女、飼っている犬たちのことを『全員』でなく『全部』って言ってたな。完全に物あつかいだ」


「正確な数も把握はあくしていなかったわ。本当に犬が可哀想で引き取ったのなら、絶対にそんなことにはならない」


 絶対に彼女は何か隠している。

 それも、他人に知られたくないような後ろめたいことを。


「ロクが来たがらないわけだよな」

「ええ、あの子も可哀想な目にっているから。敏感びんかんに感じ取ったんでしょうね」


「……何をやっていると思う?」

「わからない。でも、多分近いうちにわかると思う」


 幽子の言葉通り、その日は思いの外早く訪れた。

 この調査から一週間後、

 ゴールデンウィーク明けの土曜日の朝――、


「た、田中くん! 物部さん! 人形が……に、人形がバラバラに……! すぐに来て! 私を、私を助けてください!」

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