復活のアーティスト
からだ
第1話 始まりの鐘
マナは静まり返った部屋の片隅で、ソファに身を預けていた。窓の外では雨がしとしとと降り続き、重たい空気が部屋を満たしている。体中に漂う倦怠感と、頭の奥でじんじんと響く鈍い痛みが、彼女の日常の一部となって久しかった。
診療所をいくつも巡ったが、どこでも結果は同じだった。「異常なし」。健康診断の数値に問題はなく、ストレスや疲労の蓄積が原因だろうと言われるばかり。薬を飲んでも症状は改善せず、日に日に悪化していく気がする。それでも働かねばならない。生活は続く。彼女は何かに追われるように時間を過ごしていたが、今ではその時間さえ、無意味に思えて仕方なかった。
「これ以上、何をすればいいんだろう…」
力なくつぶやいた言葉は、誰に届くこともなかった。
その夜、彼女は奇妙な夢を見た。白く広がる霧の中、澄み切った鐘の音が響いている。音は次第に強くなり、どこか心を突き刺すような鋭さを帯びていた。霧の向こうに現れたのは、優雅な姿をした女性だった。長い銀髪が風に揺れ、瞳は深い琥珀色に輝いている。
「あなたは目覚めるべき時が来ています」
女性の声は優しく、それでいて心に響く力強さがあった。
「目覚め…?」マナは戸惑いながらも問いかけた。
「あなたは自分の中にある癒しの力を見つける必要があるのです。その力を目覚めさせれば、今抱える不調だけでなく、周りの人々も救えるようになるでしょう。」
「そんなこと、私にできるわけない…」マナは首を振った。日常に押し潰されるだけの自分が、何かを成し遂げられるはずがないと信じていた。
しかし、女性は微笑んだ。「試してみてください。この動きを覚えて…」
女性は霧の中でゆっくりと身体を動かし始めた。両足を大地にしっかりと根付かせるように広げ、両腕を天に向けて持ち上げる。その動作はまるで自然そのものと調和しているようで、見ているだけでマナの心が落ち着いていくのを感じた。
「この動きは『グラウンディング・フォーム』。あなたを大地と繋ぎ、不安定なエネルギーを整えます。」
マナはその動作を真似てみた。夢の中なのに、体の芯が温まる感覚がした。不思議と肩の重さが軽くなり、深呼吸が自然とできるようになった。
「これは…」
「大切なのは、感じること。」女性は優しく言った。「旅立つ覚悟ができたら、この鐘の音に耳を澄ませてください。」
その言葉を最後に、霧が晴れ、夢は途切れた。
翌朝、目が覚めたマナは、いつもより心が軽いことに気付いた。頭痛も消え、全身がスッキリしている。彼女は夢の中で見た動作を思い出し、試しにベッドの上で再現してみた。
「両足を大地に感じて、腕を空に伸ばす…」
動作を繰り返すたびに、体の隅々にエネルギーが流れるような感覚が広がる。これまで感じたことのない感覚だった。
「もしかして、あの夢はただの夢じゃなかったのかもしれない…」
マナは思わずそう呟いた。彼女の心に、小さな希望の灯がともった瞬間だった。
その日の午後、マナは駅近くの書店で偶然、「エナジーフォーム」という不思議なタイトルの小さな本を見つける。表紙には美しい図形が描かれ、背表紙には「古代の動きが癒しをもたらす」という文字が刻まれていた。
手に取ると、なぜか胸が熱くなる感覚に襲われた。そのままレジに向かい、本を購入したマナはカフェでページをめくり始める。
「エナジーフォームは、人々の心と体を調和させる古代の動作。すべての動作は、地球のエネルギーとつながるための扉です。」
本には、夢で見た動作に似たポーズが描かれていた。マナはその一致に驚き、夢が現実の糸口であることを確信する。
本の最後のページには、「この道を究めたいなら、鳥取へお越しください」と小さく住所が書かれていた。どうやらエナジーフォームの教室のようだ。
「ここに行けば、もっと何かが分かるのかも…」
胸に湧き上がる不安と興奮を抱えながら、マナは次の休みに鳥取を訪れる決意をした。
週末、彼女が訪れたのは、駅から少し離れた静かな住宅街にある小さな建物だった。扉には「エナジーフォームセンター」と書かれた看板がかかっている。中に入ると、柔らかい木の香りが漂い、心を落ち着かせる音楽が流れていた。
「ようこそ。」奥から現れたのは、夢で見た女性ではなかったが、穏やかな笑顔を浮かべた年配の女性だった。名前をエリカと名乗り、指導者であると説明した。
マナは夢での体験と本のことを話した。エリカは静かに頷きながら言った。
「あなたは導かれたのですね。エナジーフォームは、あなた自身の力を目覚めさせる鍵です。さあ、一緒に最初のフォームを試してみましょう。」
エリカに促され、マナはスタジオの真ん中に立った。彼女が教える通りに「グラウンディング・フォーム」を再現すると、夢での感覚が再び蘇った。体の中を流れるエネルギーが、確かに動いている。
「あなたの旅は、今日から始まります。」エリカの言葉に、マナは深く頷いた。
希望と不安が入り混じった胸の高鳴りを抱えながら、マナは新たな一歩を踏み出したのだった。
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