第31話 エレベーター・クライシス!!

「……嘘、止まった?」


 照明が消え、隣の花でさえ見えなくなるくらいに真っ暗になる。


「何も見えない……」


 花の身体が俺にぶつかる。彼女はすぐに身体を離した。


「ごめんね」


「悪い」


「暗いなあ……怖いよう」


「大丈夫だよ、きっと監視室の人がすぐに動かしてくれる」


 これだけいいホテルだ。あらゆる事態にも備えがあるはず。

 俺はふうと溜息をついて、壁に背を付けて腰を下ろす。


「ほんとに? お、落ちたり……しないかな」


「……大丈夫だって。そうやって怯えるからもっと怖くなっちゃうんだよ」


 暗闇で表情までは見えなかったが、花はこれまでにないくらい不安そうな声音で俺の隣にちょこんと座った。


 服と服が擦れる。花の温もりを隣に感じる。

 狭い空間といっても他にも場所はある。なのに彼女は身をくっつけるように俺の隣に座った。

 やはり怖いんだろう。元々暗がりが苦手な子だ。俺が隣にいることで、それが少しでも紛れるんだったら、嬉しい。


 エレベーターの扉のほうを向いたまま、俺たちは気を紛らわすために話を続ける。


「……ちょっと、暑くなってきたね」


「完全に閉めきってるからね。そりゃ」


「脱いじゃおっかな」


「えっ――」


 花の発言に驚愕して、俺は思わず彼女に背を向ける。


「う、上着だよ……ば、ばか」


「……ごめん」


 都合のいい邪な勘違いが恥ずかしくて、俺は顔を背ける。

 だんだん、暗闇に目が慣れてきた。ちらりと花を一瞥すると、薄手のカーディガンを抱える彼女の姿が見えた。ボディラインがくっきりと浮かび上がるニットのセーター姿。俺は一瞬どきりとしてしまう。

 湿度の高いこの空間で、俺と花は沈黙した。

 しばらく時間が経ち、花が体育座りをしたまま、


「なんか、喋ってよ」


「……じゃあテーマはそっちが決めてよ。そしたらなんか喋るから」


「テーマ……そうだなあ」


 顎に指を当てて、天井を仰ぎ見ながら瞼を閉じること数秒。


「…………決まった、かも」


「何なに?」


「え、えっとね……」


「はい、ちょーだい。カモーン」


「…………れ、恋愛」


 花が俺をじっと見つめて、口ごもる。


「れ、恋愛かー……」


 花から出た『恋愛』という言葉に、俺は複雑な感情を抱く。

 女子は総じて恋愛話が好きなもんだと勝手に思っているが、花もその中の一人だと思うとやはり年頃の女の子なんだな、と思う。

 だが、今ここで恋愛の話を振られるとは思わなかった。


 花と恋愛の話をするってことを考えただけでも――恥ずかしくて。気まずくて。ちょっとだけ怖い。

 でも、目の前で好きな女の子が恋愛の話がしたいと言っている。

 期待と不安で胸がいっぱいになる。それでも――嬉しい気持ちだってある。


「……やだ?」


「ぜんぜん!! 嫌じゃないよ」


 手を振って否定してから、俺は顔を俯けた。スニーカーの足先を見つめながら、ぼやく。


「んー恋愛……ねえ」


 恋愛恋愛言ってるのが恥ずかしくなってくる。不思議と頬が持ち上がってきてしまう。


「……じゃあ、質問。女の子と付き合ったこととか……あるの?」


「…………」


「……ないの?」


 花が頭を傾けながら聞いてくる。


「生まれてこのかた一度たりともないけど……告白されたことなら何回か……ある」


 付き合ったことないなんて言うだけだと引かれる気がして、つい強がって告白されたことを言ってしまった。少しだけ恥ずかしい。まさかこんなことを花に言うときがくるなんて!


「えぇ~! すごい! ねえねえ、何人くらい!?」


 隣で嬉しそうにはしゃぐ花が、俺の肩を軽く揺らす。俺はそれが嬉しくてちょっとにやにやしてしまった。グイグイくる花かわいい。


「中学の頃なぜかモテ期があって、合計したら五人くらいかな」


「えー、すっごーい……モテたんだね、蝶って」


「たまたまだよ。性格悪かったよ中学の頃なんて。うち四人はメールだったし」


「なんで付き合わなかったの?」


「それ聞くの」


「聞く!」


 瞳を子供のように輝かせながら、花が食いつく。

 俺はうーんと悩んでから、


「……教えない」


「わー!! もだもだするぅ!」


 花が楽しそうに声を上げながら俺の肩をぺちんと叩いた。こんな何気ないボディタッチにも俺はドキドキしてしまう。

 花は乱れた髪に手ぐし入れてから、俺の方をもう一度見つめた。上目遣いで。


 甘くて、とろけてしまいそうな視線。

 身体が熱くなって、胸が高鳴る。色気のある空気がふわっと広がった気がした。

 俺は堪えきれなくなって、彼女から視線を反らす。


「……な、なんだよ」


「……好きな人、いたの? だから断ったのとか」


 本人を目前にして、そう言われても困る。すこしだけ胸が苦しくなった。


「……想いは、伝えられなかったけどね」


「そっか」


 花は肩を落として顔を俯けると、膝裏に手を回した。

 俺はそんな花を見ながら、訊ねる。


「……花は? 彼氏とか、いたことないの?」


「ないよ」


 少し照れくさそうに、言う。


「嘘だろ」


「う、嘘じゃないよ~!」


「じゃあ告白されたことは?」


 指をもじもじさせながら、花は折り曲げていた膝を伸ばす。


「えっとね……五人、くらいかな」


「何それ、俺と同じじゃん……パクられたわー」


「パクられたって何!」


 冗談めかして唇を尖らせた花がむくれる。

 徐々に耳が赤く染まっていくのが面白い。


「好きな人でもいた?」


「な、なんでそう思うの?」


「耳真っ赤だし」


 俺は花の熱を持った耳たぶに触れる。柔らかい感触が、指先で転がる。

 彼女は口を半分開けたまま、されるがままだった。


「耳、熱くなってる」


「…………ん、うん」


 口をもごもごさせながら、花は下を向いた。

 そんなつもりなかった。……でも、気が付いたら触れていた。

 この甘い空気に酔ってしまったせいかもしれない。

 しかし、俺はすぐに自分がとんでもなく恥ずかしいことをしているんだと言うことに気が付き、顔を真っ赤にした。


 ぷにぷにした感触がやみつきになる。これはやめられない。


「ここ、気持ちいい……なんか、落ち着くな」


 俺は花から視線を外しながら耳を弄くる。

 花はもじもじと指先を触りながら、横目で俺をじっと見つめる。


「……な、なんかずるいんですけど。蝶だけ……そーやって」


「……ずるい?」


「わたしも触る」


 頬を染めながら花が腰をくるんと回して、こちらを向く。

 ちょっと甘えたような、そんな口調と、表情で。


「別に、構わないけど」


 返答を聞いた花が、俺の耳たぶに優しく触れた。

 小さくて、温かい、花の温もり。


「…………」


 お互いの耳たぶをもみもみするシュールな光景に、俺は少し吹き出しそうになるのを必死に堪える。

 楽しくて、やめられない。幸せだ。


 調子に乗った俺は、指先を少し浮かせて、よりくすぐったく感じるように花の耳を弄ぶ。


「……ひゃ! く、くすぐったい! なあに、今の!」


 すぐに花が身を引く。自分の耳たぶを擦って、少しでもむずむず解消に努めているらしい。


「はい、花の負け」


「勝負だったの!? そんなの勝てないよ。わたしくすぐったいのダメなのに」


「知ってる」


「もう……ばか」


 ああ、幸せだ……閉じ込められたけど幸せだ。

 俺が幸福感に包まれていると、花が顔を膝に埋めながら聞いてくる。


「蝶は……今、好きな人……いるの?」


 とくん、とくん――と、俺の心臓が跳ね上がる。


「好きな……人か」


「うん」


 花が膝から顔を離して、垂らした前髪の隙間から俺を見つめてくる。

 とても綺麗な、吸い込まれるような茶色の瞳。


「そうだな……」


 目の前の君が好きだよ。

 そう言えたら、いいんだけど……。

 まだ、待って欲しい。心の準備が、まだ。

 でも……いつか必ず。


「――いるよ」


「…………いるんだ」


「…………うん」


 今、花のことが好きだと言ったら、花は一体どんな顔をするだろう。

 驚くだろうか、恥ずかしがるだろうか。気まずくなったりするだろうか。


 ――覚悟を、決めてからだ。

 そうしたら俺の真剣な気持ちを花に伝えよう。

 ビシッとしてなくて、男らしくないかもしれない。でも、それが俺だから。


 花が俺のことをどう思ってるかは知らない。でも、俺は君のことが誰よりも好きだ。友達としても、幼なじみとしても、一人の女の子としても。


「花は? いるの? 好きな人」


 花が困ったように目をきょろきょろとさせる。


「ったく……しょうがないな、聞かないどくよ」


「……う、うん」


 花がこくりと頭を振ったとき、エレベーター内の照明が点った。


「あっ、動いた!?」


「ほら、すぐだったでしょ」


 ほんの数分間だったけれど、花と恋バナができて俺は嬉しかった。

 決意が固まった気がする。

 いつか――花に好きだって言うんだ。


「暗いの怖かったでしょ? だいじょうぶでしゅかー?」


「……何、その子供扱い。ば、ばかにしてるの?」


「えー? でもなんか妙に俺に引っ付いてたような。気のせいだったのか」


 俺は花をからかいながら、腰を起こした。


「ふーんだ。いいもん別に。……でも、蝶が隣にいたから安心したよ。ありがとう」


 花が膝を抱えたまま、上目遣いで俺に微笑む。


「花のためになってるんだったら、よかったよ」


「なんか偉そうなんですけどー!! 蝶だって結構ビビりじゃん」


「そんなことはない!!」


 くわっと血相を変えて俺は否定する。花はそんな俺を見て大笑いした。


「ほら、手」


 俺は体育座りの花に右手を差し出す。

 くすぐったい指先が、俺の手のひらの上に乗る。綺麗で、真っ白な肌。俺の少し強張った手とは、大分違う。

 ……いつの間に、こんなに違う形になったのだろう。

 俺はそんなことを想いながら、ぐいと彼女の軽い身体を持ち上げる。


 しかし――思ったよりも、彼女はずっと軽かった。


 ぽすんと花が俺の胸に顔を埋めてくる。


「……ご、ごめん! 引きすぎた……」


「………………」


 俺は慌てて両手を上げ、花から距離を取ろうとした。

 だが、そのとき――。


「……んむっ」


 花がそっと俺の腰に手を回して、ぎゅっと抱きついてきた。


「…………」


「…………」


 時が、止まる。

 頭の中が言葉の通り真っ白だった。思考停止。


 花の柔らかい身体から、温もりを感じる。二つの双丘からは彼女の心臓の音が伝わってくる。


 俺は呆然とした表情のまま、身を引こうとする。


「……んっ」


 すると、花がぴくりと身を竦める。俺の腰からそうっと離れると、顔を俯けながら片耳に髪の毛をかける。熟したトマトのような耳が現れた。


「…………」


「…………」


 エレベーターが5階に到着し、扉が開いた。


「……っ!!」


 花が俺の顔も見ずに、エレベーターから飛び出す。


 ちなみにここは男子フロア。俺も彼女に続いてエレベーターを降り、花の後ろ姿を探す。

 忙しない様子で花が階段を駆け上がっていくのが見えた。

 俺は自分の胸に手を当てて、黙考する。


 ――花、今のは……一体なんだったの?

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