浅川瑞樹の備忘録 6
2024年12月28日
なんてこった……
SNSへの突然の投稿から始まった、阿藤信之への誹謗中傷が止まらない。これは最早、典型的な炎上と言えるだろう。
発端はMINE@konohana_sakuya01なるアカウントから発信された写真だ。
それはザクシャルの労組で阿藤が彼女を殴りつけた当時のもの。まさにその瞬間が鮮明に捉えられている。4枚掲載されていたがどれも見事な写真だった。鼻と口から噴きだした村野の血までちらりと映し出されている。
あの時その場にいたのは俺と村野と阿藤の3人だけだったのに、一体誰が、いつの間に――?
それに、このアカウント名。そして幼い語り口。
言うまでもなく「舞音」のものだろう。そうでなくとも間違いなく心瀬舞奈の関係者だ。
間もなく始まった炎上騒動は、瞬く間に飛び火した。恐らく「舞音」の目論見通りに。
関口に教えられて分かったが、SNSというものは元々、高圧的で頭の固い年配者を忌み嫌う傾向が強い。「老害」という言葉がよく見られるのもその証拠だろう。
そこに、そういう人間の典型例とも言える阿藤が女性を殴りつける画像なんぞを掲載したら……
結果は火を見るよりも明らかだ。
個人のプライバシー侵害を指摘する書き込みもわずかながらあったものの、荒れ狂い出した炎の嵐に、小さな声が勝てるはずもなく。
さらに「舞音」による追撃と思われる書き込み、その上ザクシャル関係者と思われる挑発的な書き込みまであり、炎上はさらに加速。
ものの数時間で「舞音」の書き込みに対する「イイネ」数は1万を超え、リポスト数も勢いを増し、閲覧者数はさらに増えていく。まるで、気化したガソリンに火を灯すが如く。
そのようなタイミングを見計らい、とどめを刺すかのように投下されたものが――
阿藤と田村美緒が、いわゆるラブホテルから出てきた写真だった。
撮影されたのは冬の時期らしく、二人とも黒いコートを羽織っている。
彼と田村がそのような関係にあったなどとは、勿論どちらの口からも聞いたことがない。周囲からもそんな話は聞かなかった。
それに、二人の間にそういった素振りも一切なかった。俺だって元は警察の端くれ、何やらいかがわしい雰囲気があれば察することも多いし、そうでなくとも後から聞かされれば大抵ピンと来る。
しかし阿藤と田村美緒に関しては、こうして写真を見せつけられてもまるで合点がいかない。
二人はあくまで上司と部下以外の何物でもなかったし、しかも阿藤には奥方がいる。
そして二人とも仕事の鬼。不倫などしている余裕があれば仕事をする、そんなタイプに見えた。
今の田村美緒は自宅謹慎同然の扱いだが、薬の濫用の影響か錯乱状態になることも多い。以前の彼女なら勿論、今の彼女であっても阿藤とそんな真似ができるとは思えない。
阿藤が村野を殴ったのは事実だ。その場に俺もいたのだから間違いない。
しかし、阿藤と田村の写真については――
見れば見るほど、違和感がある。
目を凝らしてよく見ると、二人の表情もおかしい。阿藤は笑みを浮かべながら田村の肩に手を回しているのに、田村の方はそれに気づきもしないように虚ろに前方を見ているだけ。
よく見れば阿藤の手つきもおかしい。田村の着ているコートはフードつきで、そのフードに阿藤の手が半分がた隠れているが、田村の背と阿藤の手の間に不自然な空間があるようにも見える。
――「舞音」によるねつ造。
その可能性を閃いた瞬間、俺は関口に怒鳴っていた。
「関口! お前、このSNSのアカウントは持っているか!?」
「は、はい……時々使ってるんで、一応は」
「すぐにこの書き込みを中断させろ! この写真は偽物だ、阿藤と田村美緒の画像を巧みに合成したまがい物だ。舞音の仕業だ!」
「へ!? 舞音のって……
ていうか、そんな無茶な。この大炎上止めろとか」
「無茶でも何でもいい! 写真が偽物だと指摘するだけでも、少し鎮静化するも知れんだろ」
「無駄だと思いますけど……や、やってみます」
ブツブツぼやきながらも、俺の指示どおりに関口は動いてくれた。
阿藤と田村の写真の奇妙さを指摘するメッセージを作り、関口はSNSへの書き込みを行おうとしたが――
「あ……あれ?」
「どうした」
「書けないんです」
「何?」
「書き込みが出来ないんです。
いくら送信ボタンを押してもエラーが出て……あれぇ?
こんなこと、今までなかったんですが。おかしいな」
まさか――
酷い悪寒が、背筋を走った。
これらの炎上は全て、「舞音」の手のひらの上なのか。
炎上を目論み、ねつ造写真まで添えて阿藤と田村を執拗に攻撃。
それに加え、炎上を止めようとする動きさえも舞音がコントロール可能だとしたら。
同時にあらゆる可能性が、頭を駆け巡る。
阿藤の、村野に対する暴力の証拠となる写真。
不自然なまでに一気に炎上したSNS。
阿藤と田村のねつ造写真。
そして、こちらから送信出来なくなったメッセージ。
それらが全て――
「……この野郎」
そうはさせない。
これ以上、何もさせてはいけない。これは阿藤たちの為だけではなく――
舞音自身や、舞奈と開の為にも。
俺は思わず関口をどかし、自分がパソコン前に陣取っていた。
何としてでも、止めなければ。ここで止めなければ。
このままでは阿藤や田村美緒が、礼野や古島たちと同じことになってしまう
――祈るような想いで、俺は送信ボタンを遮二無二押し続けた。無駄だと分かっていても、やらずにいられなかった。
だが、何をしようとこちらからのメッセージは送信できない。
ブラウザやパソコンを再起動しても、関口にわざわざ別アカウントを作らせてそこから送信を試みても駄目。
そうしている間にも炎上は拡大し、舞音の最初の書き込みの閲覧数は既に10万を突破。
つまり、阿藤の暴力を目撃した人数もそれだけいることになる。画面をリロードするたび、その数字は増していく。
俺たちが何も出来ない間に、閲覧数は50万を突破。
――途方もない数字を前にして、俺は膝から崩れ落ちそうになった。
いくら頭が固くパワハラ気味だったとはいえ、仕事にひたすら邁進してきた阿藤。
それがこんな形で万を超える人々の目に晒され、一方的すぎる罵詈雑言を喰らうとは。
ここまでの騒ぎになれば、恐らくザクシャルも動かざるを得ないだろう。阿藤に対して何らかの処分が下されるのは間違いない。
しかしそれ以上に不憫なのは田村美緒だ。今でさえ精神崩壊寸前の彼女に、こんな――
そんな俺の動揺を見透かしたかのように、事務所の電話が鳴った。
「はい、こちら浅川探偵事務所です。あぁ、いつもお世話になってます。
今ちょっと、浅川は手が離せなくて……
え?」
俺の代わりに応対した関口だが、二言三言ほど応答しただけで、のんびりしていたはずのヤツの声が一気に緊張で跳ね上がる。
「え……ちょ、待っ……嘘だろ!?
……あ、いや、すみません。すぐ伝えます」
関口が電話を切った時にはもう、俺はヤツを睨み据えていた。嫌な予感がビンビンする。
いつもは若さより幼さの方が目立つ関口の横顔は、痛々しいほど青ざめていた
――そして。
「田村美緒さんが……
自宅マンションから、飛び降りたそうです」
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