第4話
第4話「最適サーブのおいなり」
まだ西歴と呼ばれた時代。
文字通り世界を巻き込んだ大戦が、この世の文化のすべてを焼滅せしめた。
世界の実権を握った理系達は、全人類理系化計画に乗り出す。
それすなわち、教育改革。
――世界の『大崩壊』から百年。
人々の努力と幾許かの奇跡により、文明の再興は成った。
しかし、重要度が低いと見做された文化の再現は遅れ、時に見下され、その連続性を絶たれていった。
伝統芸能、スポーツ、そして美食――
世紀末美食伝説。
それは、神々の奏でる救済の調べ。
世紀末美食伝説 ムラサキ、前回までは――
「――美食マフィア、ドン・ソルレオーネとそのファミリーが、今回の件に関わっている」
ビトーらの悪計を真っ向から打破したムラサキは、事件の背後に強大な存在が隠れている事を知る!
「
「貴様……どこまで俺達の事を――」
反社と言えば的屋という極めて理路整然とした思考から、闇社会の構成員へと辿り着いたムラサキは、不利な状況下にもかかわらず料理勝負で敵を圧倒! 見事、首魁の居所を突き止めたのだった。
しかし、依然として紫緒・ムラサキの所在は明らかでなく、ヴィネガー澤やドン・ソルレオーネらとの関係も闇の中!
「……俺が帰宅すると、居るはずのシオはそこに居なかった……ただ、部屋には争った形跡が残され……そして、保管していたレシピが一つ、持ち去られていた……」
「レシピの名は『禁断のマリア』――美食五聖天である、俺とシオとの合作だ」
そして、物語の鍵を握る『禁断のマリア』とは一体――?!
◇焼き鳥『鳥子爵』
屋台での激闘から明けて翌日の昼。
ムラサキとシローは連れ立って、昼食を取ろうとしていた。
ここは焼き鳥屋『鳥子爵』。
夜は居酒屋として賑わう一方、昼は手頃な価格でランチを提供する人気店だ。
『――はい、ありがとうございました。……続いてはご当地グルメのコーナー! 今日も現地にはあの方が向かっています。――シャーリーさん?』
『ハァイ! お元気ですか?! こちらは現場のシャーリー江――』
「げぇっ?! 親父さん、悪いんだけどチャンネル変えてくれよ」
「えぇ? まあ、良いですけど」
店内に設置されたテレビ画面では、昼時の情報番組が流れていた。
内容に何か不都合でもあったのか、シローが突然チャンネルの変更を要求したため、現在は真面目そうなニュース番組に切り替わっている。
『――繰り返しお伝えしている通り、臨時の国際会議において、『大崩壊』以前に行われていたとされるスポーツの祭典の復活が決議されました。地球連邦議会は、この大会の成績に基づき、次の四年間の連邦首相と理事国を決定するとの旨が通達済みです。この決定を受け、各国からは非難の声が相次いでおり――』
「急にどうした? 見たい番組でもあったのか?」
「い、いやぁ別に……身内の恥って言うか何て言うか……そ、それよりなんかニュースですごい事言ってないか? スポーツなんて単語、久々に聞いたぜ」
「…………そうだな」
ムラサキとシローの預かり知らぬ所で、世界は今まさに変革の時を迎えようとしていた!
だが料理の世界に生き、そして料理の世界に死ぬと己を定めたムラサキにとって、それは果てしなく興味の外の出来事であった。
ゆえに、この場において多くを語る事は避けよう。
「――さて、腹も膨れたし、この後はどうするんだ? またその辺のチンピラから情報を聞き出すのか?」
「…………」
治安の悪さには定評のあるマッドシティではあるが、現在の日本はどこもそう変わらないと言う。
受験という過酷な競争を勝ち抜け、センターライセンスを取得できるエリートはごく僅か。
そして一度レールを外れた者の辿る末路は、そう多くはない。
その一つが、光当たらぬ陰の道。
至る所で遭遇する悪漢はしかし、ムラサキにとってはランダムエンカウントする雑魚敵に他ならない。
ポップする度に因縁を付けてはこれを打破し、着実にレベル上げ――否、情報収集をしているのだ。
「――雑魚を倒すのはいいけどさ、おいらたまには牡蠣醤油以外も見てみたいよ」
シローの苦言は最もだ。
ここの所ムラサキは、とりあえず牡蠣醤油を使うことで無頼の徒との料理勝負に連勝してきたのだ。
「何ていうかさ、毎週違う、いろんな醤油が出てきて、それで勝負に勝つものとばかり思ってたからさ――」
「…………シロー、よく覚えておけ。『牡蠣醤油で勝てる相手には、牡蠣醤油を出せば良い』」
「――――」
美食五聖天からのありがたい言葉!
それはよくよく考えれば至極当然の事!
引っ掻けば倒せるような相手に、わざわざ火炎放射する愚か者は存在しないのだ!
ムラサキからの薫陶を心の中で反芻するシロー。
しかしその集中状態は、店の引き戸が大きな音を立てて開かれたことで呆気なく霧散した。
自身の集中力を棚に上げ、その音の下手人を睨んでやろうと思ったシローは、そこに立つ意想外の人物を前に動転した。
「――やっと見つけた」
「い、いなり?! 何でお前がここに??」
いなりと呼ばれた人物は、シローと同い年くらいの少女であった。
機嫌が悪いのか、少しむくれた表情をしている。
クラスで密かに人気があるであろう、将来有望そうな顔立ち以外に他者と明確に異なる点と言えば、上下黒尽くめの忍び装束というその出で立ちだ。
「『何で』はこっちのセリフだから! コトブキのおじさんから聞いたけど、突然料理の武者修行なんて、本気なの?!」
「そ、そんなのお前にはかんけーないだろ!」
「何その言い方! 偏微分の宿題終わってるの?!」
「うっ……俺が算数苦手なの知ってるだろ! それに、俺は料理人になるって決めたんだ! 料理人に必要なのは手に職、足に職! ちょっとくらい勉強が出来なくたって問題ないやい!」
「――それは違うと何度言ったら分かるんだい」
シローの暴言を打ち消すように、呆れを孕んだ声音と共に現れたのは、これまた忍び装束の女性だ。
厳格さがにじみ出たような顔つきは、どことなくシローと似ている。
その隣には、同じく忍び装束を纏い眼鏡を掛けた女性が黙したまま付き添う。
「げぇッ?! 母ちゃんに、あがり姉ちゃんまでッ――」
今までの会話から分かる通り、彼女ら三人のくノ一は、シローの関係者だった。
「――五月蝿くしちまってすまないね、ムラサキさん。事情は夫から聞いているよ。ウチのボンクラが迷惑掛けてないかい?」
「…………いや」
江戸前
四人掛けの席に、ムラサキとシローが並んで座り、その対面にツカサが。ツカサの後ろには、くノ一の二人が手を後ろで組んで直立不動の姿勢だ。
この場の支配者が誰であるのか、一目瞭然!
「…………」
いなりと呼ばれた少女は、シローを睨みながら口をもごもごと動かしていた。
「――それで、こちらの方々は?」
「……もう分かってると思うけど、ウチの家族――と
「…………ふむ」
「ムラサキの
「…………ふむ?」
「シロー、そりゃ端折りすぎってもんだよ。――あたしらは奴らの秘密を掴むため、諜報活動を行う必要があったのさ。だからこうして、忍者の里、シガまで修行に赴いたってわけさ……あたしが免許皆伝を頂いたのを機に、一度様子を見に帰ってみたらどうだい! もう問題は解決したと来た! ……いや、何も文句を言いに来たんじゃない。むしろ逆さね。あんたを探していたのは、一言礼を伝えたかったからさ」
ツカサはそう言うと立ち上がり、
「どうも、すまなかったね」
「――いや」
後ろに控える二人と共に、深々と頭を下げた。
厳粛な空気が辺りを包む中、書き入れ時だと言うのに店を臨時休業にさせられた店主が迷惑そうにそれを見ていた。
「……で、なんでいなりまで忍者やってんだよ」
「――ッ! それは! その、コトブキおじさんにその事聞いたら、居ても立っても居られなくって……」
「いやありがてーけどさぁ、従姉弟とは言え
「それは! ――ほら、将来的には他人事じゃないって言うか……」
「???」
次第に小声になっていくいなりの言葉が聞き取れず、シローが身を乗り出した。
「――それで、要件は礼だけだろうか?」
「! そ、そうだシロちゃん。この、ムラサキさんって美食五聖天の人なんでしょ?! そんな凄い人に付いていくなんて、迷惑じゃない?!」
「な、何ぃ~~ッ?!」
僅かに顔を赤くしたいなりが、シローを指差しながら言い放つ。
「かっぱ巻きも禄に作れないシロちゃんが役に立つなんて、到底思えないって言ってるの!」
「カッチーンあったま来た! 俺だってそのえっと成長してるさ、しているともさ!」
売り言葉に買い言葉、二人の口喧嘩はヒートアップしていく。あがりはやれやれと言った表情で溜息を吐き、ツカサは我関せずと再び茶を啜る。
「じゃあどれだけ腕が上がったか、私と勝負して証明して!」
「望む所だやってやろうじゃん!」
「丁度材料も器具も揃ってるから、作るのは焼き鳥! 判定はムラサキさん!」
「「えっ」」
ムラサキと店主の声が揃う。
かくして! 今まで脇で見ていただけの熾烈な料理勝負の場に、シローは駆り出される事と相成ったのだ!
焼き鳥!
串に刺した鶏肉を炭火でじっくりと焼いた庶民的料理!
一見すると簡単に作れそうに見えるが、しかし一串一串に職人の技術の粋が詰まった、それは一つの芸術作品なのだ!
「ルールは簡単。ここにある食材を自由に使って、五本の串を作り上げる! その出来栄えによって勝敗を決すること!」
「お、応よ」
厨房の焼台の両脇に立ったシローといなり。その周囲には様々な食材が入ったボウルが並んでいる。
「……切り分けろと言われたからそうしたが、本来ウチでは注文を受けてから――」
酷く迷惑そうに呟く店主のことなど、もはや誰も気に留めていない!
食材の用意をさせるだけさせておいてのこの仕打ち。
心付けと好意的レビューの約束が無ければ、今にも追い出してしまいたい。
店主、淡路
「じゃあ――勝負!」
「開始!」
シローの小さな戦いが始まった! だが――
(……)
いなりは素早く調理に取り掛かっている。
その一方でシローは、眼の前の食材を前にして動こうとしない。
(……やべぇ、どれが何の肉なのか、全然分からねぇ)
いや、動けなかったのだ!
だがそれも無理からぬ話!
一般的な焼き鳥に用いられる部位は、有名どころの『もも』『ささみ』『手羽先』をはじめ、『ハツ』『砂肝』といった内蔵系や『ひな』『そのう』『油つぼ』など、一体全体どこの肉なのか分からないものまで含め実に数十種類にも及ぶのだから!
(おいらが好きな具は……『カシラ』! 『カシラ』ってどれだッ?!)
『カシラ』は鶏では無い!
「……で、ムラサキさん。あんたはこの勝負、どう見る?」
「…………そうだな」
両者を見守るムラサキとツカサ。
共に食を生業とする者同士、その視線は自然と厳しいものになっている。
「焼き鳥において重要な要素は様々だが……材料が共通であれば、勝敗を分けるのは『コース選択』『串打ち』『焼き』だろう」
「ほぅ」
ムラサキは腕組みをしながら断定的にそう言った。
「今回の勝負で競うのは五本。対して用意された具材はそれよりも遥かに多い。ならば畢竟、何を、どのように組み合わせ、どの順番で出すか。それを組み立てることがまず何より重要だ」
「同意見さね」
ムラサキは手を大きく開き、小指から一本ずつ折っていった。恐らく、美食五聖天の脳内では既に完璧な五本が完成しているに違いない!
「次に『串打ち』。焼き鳥は、ただ肉を串に突き刺せば良いというわけではない。バランスの悪い串は焼台に置いた際に回転してしまい、そうなれば理想的に火を通すことが困難となる。すべての食材は形状に個体差が存在するがゆえに、一瞬でその食材の重心を見抜く観察眼と空間認識能力、そして狙った場所に串を貫き通す腕力とデクスタリティが必要不可欠だ。一見、簡単なようで極めて奥深い工程――『串打ち三年、柿八年』と言われるのはこのためだ」
「いや柿はどこから出てきたんだよ」
「そして『焼き』。これはもはや言うに及ばず。焼き過ぎれば水分が失われて固くなり、かと言って生焼けでは甚大な健康被害に繋がりかねない。火を通し過ぎず、かつ生の部分が存在しないように――そうした加減を見極める事は並大抵では無い」
「同意見さね」
ムラサキの見解にツカサが同調し、あがりは後ろで頻りに頷いている。
「――一本目、行きます!」
そうこうしている内に、いなりの一本目が完成した!
(一本目?! 全部作ってから出すんじゃないのか?!)
「一本ずつの提供。まずは合格だな」
ムラサキがにやりと笑った。
何だかよく分からないが、とりあえず一本ずつ出すのが正解らしいと理解したシローは、慌てて最初の串を選ぶ。
「『ささみ』です」
「――頂こう」
いなりが選択した一本目は『ささみ』。
淡泊な味わいの白身の肉であり、『むね』として供される大胸筋に覆われるようにして存在する、小胸筋と呼ばれる筋肉だ。
羽を上げる際によく使われ、鶏一羽から二枚しか取れない希少部位である。
(一本目は『ささみ』……そうか! 寿司でも、最初の方はあんまり味の濃くないネタを頼む方が通ぶれる! 焼き鳥にも同じことが言えるんだ!)
この世の理に気付いたシローは早速味の薄そうな肉を選び始める!
だがそこで先刻の問題に再びぶち当たる。
どれがどこの肉か分からないのだ!
「――ふむ、良い焼き加減だ。程よく肉汁が保たれていて、パサついていない。遠火でじっくり火を通した結果だな」
「! ありがとうございます!」
「強いて言えば――付け合せの薬味に、山葵があるとなお良かった」
「! は、はい。精進します……」
少し肩を落として持ち場に戻るいなり。
とは言え、ムラサキの反応を見れば一本目は好感触。このままではまずい!
(だ、駄目だッ……このままじゃ勝負どころか一本作るのさえままならないッ! 何か、何かないのかッ?!)
シローは打開のヒントを見出そうと辺りを見回す。
(あっ!)
と、食材の入ったボウル側面に貼り付けられた何かが目に飛び込んできた。これはもしや、肉の名前!
慌てて確認するシロー。そこに書かれていたのは――
『目肝』
「ってどこだよそりゃッ?!」
「――二本目、行きます!」
慌てふためくシローを尻目に、いなりは二本目を焼き上げた。
「……次は、『手羽中』です」
「うむ。頂こう」
手羽中!
その名の通り手羽先と手羽元の中間に位置するこの部位は、両者の長所を併せ持つ――すなわち、適度な脂の乗りと、骨回りの肉の旨さ!
香ばしく焼かれた皮を頬張るムラサキから、歯切れの良い咀嚼音が漏れ出る。
何たる食欲を刺激して已まない悪魔的独奏か!
「見事だ。――骨付き肉の魅力は何と言っても骨に付いた肉の旨さ。だが同時に、そこには火が入りにくいという欠点も抱えている。骨まで火を通そうと思うと、他の部分には入りすぎるのだ」
そう言ってムラサキは、二口目を頬張る。
「焼き加減の妙は、確かな串打ち技術に依る所も大きい――手羽中は横に広く、かつ左右非対称の部位。その重心を射抜く事は非常に難しい。店によっては二本の串で供する所もあるが……当然、串を打つ箇所が多くなれば、それに比して逃げる肉汁も多くなる。失敗して何度も刺すような新米看護師の採血じみた真似など以ての外! まさに、『串打ち三年、柿八年』!」
「だから柿は何なんだよ……」
ムラサキは骨を噛みながら肉を串から外し、骨に付いた肉を歯で刮げ落として食べた。
「……炭火から発生する遠赤外線の効果だな。どこを食べても程よく火が入っていて旨い。それに、皮の部分も余計な脂が落とされている――これには複合的な効果があるが、それが分かるか、シロー?」
「えっ?! えっと、えっ……」
話を振られると思っていなかったシローは目を白黒とさせた。
何ら心の準備もしていない状況を読んでのこの行為は、まるで早弁している時に限って当ててくる教師のようだ。
「…………おいしい、ヘルシー、香ばしい?」
「半分正解だ。だが炭に関した言及が無ければ、合格点はやれないな」
ムラサキはそう言うと、いなりに目線を向けた。
「! え、えっと、落ちた脂が炭に当たることで、燻煙が発生します! それによって、具材全体に独特な風味を纏わせる事ができますっ……!」
「うむ。その通りだ」
(――ッ)
その時に見せたムラサキの笑みが、シローの心に深い影を落とした。
(ムラサキの兄ちゃんのあんな表情、おいらには一回も見せてくれた事無い――おいらは、おいらはッ――!)
シローは零れ落ちそうに成る涙を堪える。泣いている暇など無い。
今は一串でも良い。何かを作らなければ。
だが肉の見分けもつかない。カンピロバクターも怖い。
そんな状況下で、自分に一体何が作れると言うのか。
「――若いのに良い腕をしている」
「いや本当に。こんな娘が嫁に来てくれりゃあ有り難い一方で、ウチの馬鹿息子には勿体無いのが悩みの種で――」
「そ、そんなことないですよ、お義母さんっ!」
あちらは何だか盛り上がっているが、シローは今それどころではない!
探さなければ!
具体的に何かは分からないが、現状を打破できる何かを!
(…………! あ、あれはッ!)
そんなシローの視界に、天啓とも呼べるものが映り込んだ。
(これなら……これならおいらにもッ――!)
「い、一本目! 焼き上がったぜ!」
「……」
シローの一串が完成した。
それは果たして、起死回生の一手足り得るか?!
「題して、いろいろ野菜串だ!」
シローの持ってきた皿に乗っていたのは、一本の串に様々な野菜が刺さったものだった。
肉の種類が判別できない彼にも、野菜ならばまだ何とか見分けがつく。
そうした発見から生まれたのがこの串だった。
「……」
「シロー、あんたこれは――」
何か言おうと腰を上げたツカサを、ムラサキが手で制した。
無言のままのムラサキの姿と、この場に流れる雰囲気に、シローは嫌な予感を覚えた。
「……」
ムラサキは顔を伏せたまま黙々と食べ続けた。
ししとうを。銀杏を。トマトを。アスパラを。
シローは、自身の作った料理をムラサキが完食した事に感動を覚えていた。
至らぬ物なら口に入れてすらもらえないのではという、最大の危惧が杞憂となったからだ。
――だが、現実は甘くなかった。
「…………シロー。確かに俺は完食した……だがそれは、この串が美味だったからでは無い」
「え――」
ムラサキは目を伏せたまま、静かに、そして諭すように言葉を紡ぐ。
「神聖な勝負のため……そして何より、食材を無駄にしないため――それだけに過ぎない」
「…………」
そこではじめて、ムラサキはシローの方を向いた。シローは、その時はじめて、ムラサキが自分を見ていると感じた。
「まず、順番が悪い。一種類目の具に食らいつく時、他の具が頬に当たる。イータビリティに向ける意識が欠如している」
「次に、具材の選定が悪い。トマトやアスパラのサイズを良く見たか? これらは肉巻きに用いるための具材だ。肉と共に食してこそ意味がある」
「そもそも、
「えっ……」
「それと同じ事だ。……そして野菜には、それぞれにすべき適切な処理が存在する。それは――――これから来る串が説明してくれるだろう」
立て続けに告げられる己の失態。それを途中で遮ったのは、いなりの次なる串。
「――――三本目、『銀杏』です」
「ほぅ」
感心したようなムラサキの声。
この場に齎される、そうした新しい情報のすべてが自身を苛む棘のように思えて、シローは固く拳を握った。
「メインに進む前の、お口直しの一串です」
「うむ。……表面の光沢、これは油かな?」
「! ええ。乾燥を防ぐため、焼く前に塗ってあります」
ムラサキは満足そうに頷き、一つずつ銀杏を食べ進める。
「良い焼き加減だ。……時に、もしししとうを焼くとしたら、それにも油を塗るか?」
「……いえ。好みにもよると思いますが……皮に覆われた野菜はそのままでも瑞々しく焼けますし、あと、ししとうは直火で少し焦げ感を出したいので……私なら塗りません」
「うむ」
ムラサキは深く頷いた。
いなりの完璧な串に比べ、自身の出した串のなんと浅はかで姑息なことか。
見知った具材だけを寄せ集めた串には、当然選定した理由や理論など介在しない。
何となくという感覚だけの品。
だがそれでは駄目なのだ。
料理の基本とは科学なのだから。
それは自身が軽んじていた学業が、その実すべての基盤である事を意味している。
人間は考える生き物がゆえに、脳がすべての資本であるのだ。
――シロちゃんが最近つれない。
ここ数ヶ月の間にいなりが感じ続けている不満と不安を短く言語化すると、おおよそそのような表現になる。
同じ市内に住む同学年の従姉弟であり、両親間の仲も良かったいなりとシローは、幼い頃より毎日のように一緒に遊んでいた。
入学という環境の変化があってもそれは変わらず、たぶんこれからずっと変わらないのだと、漠然とそう思っていた。
それが変わりだしたのは、ごく最近のこと。放課後に遊ぶ回数が減り、出会い頭のスカート捲りもしなくなり、何だか態度も余所々々しい。
自分への関心が無くなった。
そうした焦燥に突き動かされたいなりは、これまで以上に関わろうと努め、接触の回数を増やし、しかしすればする程避けられるようになってしまっていた。
実際の所、いなりの心配は杞憂であるどころかむしろ逆であったのだが――この勘違いがその後のアプローチの仕方を誤らせたのだ。
縋った妖艶なるくノ一の極意も、年齢制限で教えてもらえなかった。
ならば自分の出来ることは何か。
それは、シローが無視できない存在になること。
完膚なきまでに叩きのめした自分を、不屈の精神で乗り越えて欲しい。
そうして成長したシローに屈服させられたい。以前のように、衆人環視の中で辱められたい。
そのためにいなりは、心を鬼にして勝負に臨むのだ。
「――――四本目、出ます!」
いなりの次なる串が完成する。
その横でシローは、何をするでもなく立ち尽くしている。
まるで始めから、勝負になど参加していなかったかのように。
「ソリレスのねぎまになります――!」
「おぉっ」
満を持してのメインの串。そのチョイスはムラサキのお眼鏡に叶ったようだった。
「では早速――」
焼けたネギの独特の香りがどうしようもなく胃袋を刺激する。
シローは万が一にも無様な音を鳴らさないよう、強く腹筋に力を込めた。それが明確な敗北の知らせである以上に、自分がここに存在すると、皆が気付く切っ掛けになること、それを恐れて。
「鶏とネギ、双方の焼き加減がよく調整されている。旨い」
一口で両方の具材を頬張ったムラサキが、そう講評する。
「ネギがまだ旬では無いので、その点は助かりました」
「ああ。水分が多いと、一手間必要になるからな」
それは、共通認識を持つもの同士の会話。
そこに、シローの入り込む余地など無かった。
ネギの旬がいつなのかすら分からなかったから。
「そして何と言ってもソリレスの旨さだ! ソリレスの語源は古の
ムラサキは最後の肉に喰らいつくと、豪快に串を抜き去った。
「串を出す順番もだが、こうして一つの串にフォーカスしても、細やかな配慮があることが分かる――串の先端、最初に口に入れる具材は味が薄めで、食べ進める毎に段々と濃くなるよう塩が打ってある」
「――お褒めに預かり、光栄ですっ!」
横目で盗み見たいなりの表情は、いつも学校で見せるものとまったく違って見えた。
シローの脳細胞のいくつかが、悲鳴を上げながら死んだ。
「最後の串は……『柿とクリームチーズ』になります」
「うむ」
いなりが最後に用意した串は、所謂デザート串だった。
「……焼いた事により濃縮された柿の甘みに、クリームチーズの程よい塩気が絶妙に合う。それでいて、僅かに散らした黒胡椒により齎されるキレにより、決してクドく無い。美味だ」
「ありがとうございます!」
「それに、柿に含まれるタンニンは抗菌・抗ウィルス作用もある。――甘柿ゆえにそれほど大きな効果は見込めないが、寿司のガリに通じる心配りと言えよう」
(――――くそぉ……柿って、この事だったのかよ……)
シローは項垂れ、そしてようやく思い至る。
今までムラサキが発していた言葉の数々。
『勝敗を分けるのは『コース選択』――』
『『串打ち三年、柿八年』と言われるのはこのため――』
『遠火でじっくり火を通した――』
『皮の部分も余計な脂が落とされ――』
『表面の光沢、これは油――』
『最初に口に入れる具材は味が薄めで、食べ進める毎に段々と濃く――』
その一つ一つが、実はシローに向けたヒントであった事に。
よく分からないレッスン1よりも、如実にためになるアドバイスであった事に。
「あっ……あぁ……っ」
シローの顔は滂沱の涙に濡れた。
「――勝負あり、だね。いや、果たしてこれを勝負と呼んで良いものか……本当に情けない話さね」
ツカサが呆れ顔で言い放つ。
「シロー。基本が身についていない内から応用を学ぼうとしても、そりゃ無理ってもんだよ。どうせ私が空けている間も、勉学はおろかウチの手伝いすら疎かにしていたんだろう。これに懲りたら、一度帰って、学び直してきな」
「ぐぅっ……うっ……」
オーバーキル!
シローの心は既に、屈辱と後悔によって千々に乱れている。
そこに追撃とばかりに浴びせられるのは、耳を覆いたくなるような正論の数々!
さしものいなりとアガリもこれは不味いと思いオロオロし始めたが、ツカサ相手に意見できる程には肝が座っていなかった!
なおも詰め寄ろうとするツカサを、ムラサキが再び手で制した。
「…………シロー。お前は幼く、未熟で、浅薄だ。それを今日、思い知ったことだろう」
「うぅっ……」
「だがなシロー、それこそが始まりだ。お前の欠点は、言い換えればすべて伸び代だ。俺は最初に料理をしてみた時から失敗などした事が無いから正直よく分からないが、多分そういう事だ」
「あ、兄ちゃん……」
涙で歪む視界の先に、静かな笑みを湛えるムラサキの顔。
「だから心配するな。お前には未来がある。人生は
「兄ちゃぁぁんッッ――!」
シローは泣いた。
物心付いてからここまで泣いたのは、多分姉達にプリンを横取りされた時以来だという程に。
心に巣食う黒い感情は涙と共に流れ出たのか、泣き止んだシローの心は澄み渡る空の如く晴れやかだった。
自分はここから羽ばたくのだ。今日という苦い思い出を胸に、栄光の明日へ向かって。
「――しかし、ここまでの焼き鳥の腕。一体どこで?」
「忍者修行の一環です。『焼き鳥の術』――なんとか会得することができました」
忍者って、すごい。
第4話「最適サーブのおいなり」・了
――次回
公園を舞台にして、攻防戦を繰り広げるインテリヤクザとムラサキ
その中で、レッサイとムラサキの力がぶつかり合い、タイムロードを開いてしまう
衆目に放り出されたファミリーのブレインを、疑惑の思いで見つめる観客達
世紀末美食伝説 ムラサキ 次回、「千葉近郊」
戦雲がシローを呼ぶ
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