第6話 母の愛ー3
はしゃぐ母に、追いかける息子。
ここには、前世でネットの画面からしか見れなかった全てがあった。
恋焦がれた世界があった。
楽しかった。
「夜虎、何が欲しい? 焼きそば? たこ焼き?」
「え、えーっと……」
母さんから何が欲しいと聞かれた。
あたりを見渡すと、美味しいそうなものだらけだった。
すでに離乳食を始めている俺は、あれぐらいなら全然食べられるだろう。
そして、ひと際目を引いたものがあった。
「チョコ……バナナ」
俺は、前世では胃もダメになっていたのでチューブで流動食を流し込むような生活をしていた。
お菓子なんて消化に悪いものを食べたらすぐに吐いて胃を洗浄しなければならない。
それほど脆弱な体だった。
だが、だからこそ甘いものにはずっと憧れがあった。
「チョコバナナがいいのね!」
「……う、うん」
「よかった! 夜虎が欲しいものなかったらどうしようかと思ってた! そんなに目をキラキラさせて! ママ嬉しい!」
少しだけ照れくさいが、どうやら俺は相当に、甘いものへの憧れがあったらしい。
そして母親はチョコバナナを買ってくれた。
「じゃあ、帰ったらママ、すっごくおいしい生チョコレートケーキ作ってあげるね」
「生チョコレートケーキ!?」
なんだその響きは!
めちゃくちゃおいしそうだぞ!
俺はわくわくしながら手渡されたチョコバナナを食べてみた。
衝撃。
俺は膝から崩れ落ちた。
「こんなに甘いものが……世界にはあるのか」
世の中にこんなに美味しいものがあっていいのだろうか。
母乳で育った俺の味覚は、正常に発達し、チョコレートの甘さを余すことなく受け取った。
舌からの電気信号が、俺の脳に革命的衝撃をもたらす。
つまり、めちゃくちゃうまい。
なんてものを食べさせてくれたんや。これに比べたら流動食はカスや、味しないもん。
「ふふ、ママのケーキ食べたら気絶しちゃうかもね」
「食べる! 食べる!! 約束だよ!」
俺はめちゃめちゃはしゃいだ。
その姿だけは、本当に年相応だっただろう。
喜ぶ姿がそんなに嬉しいのか、母さんはすごくうれしそうだった。
その嬉しそうな母さんを見ると、俺も嬉しくなる。
幸せの永久機関の完成だな!
「楽しいね、夜虎」
「うん!!」
心の底からそう思った。
そこには、前世では得ることができなかった、それでいてどこにでもある幸せな家族の姿があっただろう。
そしてここにいる多くの人達が、それぞれがそんな楽しい夏の思い出を本当に大切な人と過ごしている。
宝石のような時間だ。
一生の思い出にだってなる時間だ。
それは奪わせてはいけない。
それを奪う権利なんか誰にも無い。
だからこそ、それは。
――『罪』と呼ばれるのだろう――
空が割れて、耳鳴りがなった。
空間が歪み、体が重い。
「え?」
頭上を見上げると、割れた空から何か黒い球体が落ちてきた。
大きさは、俺より大きいぐらいだろうか。
なんだろうと首をかしげてそれを見つめている。
だが、直後だった。
その球体から、まるで大木のような巨腕が現れた。
俺は突然のことすぎて動けなかった。
その巨大な腕の、手の先。俺の体ほどはある指の爪が俺に向けられている。
鋭利なまるで槍のような爪先が、俺の腹部を貫こうとしていた。
「夜虎!!」
ザシュッ!!
「え?」
俺の顔に何かが飛び散った。
何が起きたかわからなかった。
頭が真っ白になる。でもすぐに目の前の光景を見て、俺は青ざめた。
母さんの腹部が貫かれていた。
血が流れている。
止めどない血が……母さんから流れている。
俺は母さんに駆け寄った。
一体何が起きたんだ。一体なんなんだ!!
まずい、まずい、まずい!!
この出血量はやばい!! なんだ、なにが……起きて。
そして黒い球体を見ると、その球体から同じぐらい太く黒い腕が三本出てきた。
丸太のような腕、そしてさらにその倍以上太い足も二本。
最後に顔が現れて、巨大な牙とそして巨大な角を持っていた。
――鬼だ。
あっという間にその球体から出てきたのは、見上げるほどの巨躯を持つ5メートルはあろう手は四本の真っ黒な鬼だった。
と、同時に大音量の警報が村中に響き分かった。
『ガァァァァァァ!!!』
そして鬼は叫ぶ。
本能に直接訴えかけるその叫びに俺は心の底から恐怖した。
祭り会場は、悲鳴が埋め尽くし、全員パニックになった。
我先にと一目散に逃げていく。気づけば、参道には俺と母さん……そして鬼だけが立っていた。
「
それは
テレビで何度も見たが、直接見ると次元が違う。
こんなもの人間が立ち向かっていい相手じゃない。
俺の情けない本能が、早くここから逃げろと叫んでいる。
でも俺が逃げたら……。
俺は倒れている母さんを見る。
「ぐっ!!」
俺はこぶしを握って鬼を睨んだ。
俺だ。俺が戦わなきゃ。
必死に鍛えた魔力を全身に帯びて身体能力を強化する。
そして鬼と目が合った。
『ウマソウナ魔力見ツケタ……オンナ? コドモ? ドッチタベル? ウウン……』
直後、鬼の首が縦に180度回転し、逆さまの顔でにちゃっと笑って俺を見る。
『二人……イッショニ食ウ』
――ぞわっ。
明確な殺意と不快を通り越して、不気味な姿に俺は恐怖した。
まるで俺の体じゃないみたいに、動かなくなった。
集中が切れて、魔力が無散し、無防備になる。
怖い、怖い、怖い!
立ち向かったら俺は死ぬ。潰され、引き裂かれ、あの牙でかみ砕かれる。
嫌だ!!
鬼は腕を振り上げる。
避けないと、避けないと殺される。潰される。
なのに……なんで体が動かないんだ。
『マズハ、良ク叩キマショウ!』
「夜虎!!」
俺はぎゅっと目を閉じる。
直後、まるで交通事故にあったような衝撃がきた。
しかし、思っていた痛みではない。
眼を開けると、俺は母さんに抱きしめられていた。
母さんが俺を抱きしめて守ってくれたんだ。
血だらけだった腹部を抑え、さらに魔力で体を強化したのだろう。
それでもあんな一撃を受けて無傷なわけがなく、左腕が曲がってはいけない方に曲がっていた。
「母さん!」
「……ゴホッ! 夜虎……逃げて……」
血を吐く母さん、俺は魔力を全身の行きわたらせて身体強化を行う。
そして、母さんを背負って逃げた。
必死に逃げた。
走れ、走れ、もっと、もっと速く! なんでこんなに遅いんだ。
もっと速く走れただろう!! なんでこんな体が重いんだ!!
だがまるで心と体が乖離したように、うまく前に進まない。
逃げた先は、神社の社だった。
俺はその建物の扉を開けて、中に逃げ込んだ。
だがそれはミスだった。
隠れたって意味がない。奴らは人の魔力をかぎ分けると聞いたことがある。
それに気づいて、慌てて戻ろうとしたが、すぐ外に鬼が迫っていた。
俺は追い詰められていた。
ドン!
神社の壁を殴っている。
鬼の体では狭くて入れない神社を、ベリベリと剥がしているのだろう。
『食ウ! 食ウ! 食ウ! オンナは頭カラ、コドモは足カラ! 丸ノミダ!』
身の毛がよだつような言葉を発しながら、楽しそうにべりべりと壁が壊れていく。
まるで発泡スチロールかのように、瓦造りの屋根は崩れていく。
怖いなんてものじゃない。
今すぐに発狂して、自ら命を絶ちたくなるほど俺は震えていた。
「夜虎……大丈夫?」
「か、母さん!!」
目を覚ました母さんは、俺の手を握った。
「ママが……頑張るから……夜虎は一人で逃げるのよ。できるよね」
「いやだ! 母さんと一緒に逃げる!! 一緒がいい!!」
「だめ!!」
ボロボロの体で母さんは、立ち上がろうとする。
傷が開いて、血が流れているのに、それでも立ち上がろうとする。
自分の死が近づいているのに、自分が死んででも俺を助けようとする。
自分じゃなくて、俺のことを第一に考えている。
なんでそんなことができる。
なんで……。
「だめ……あなたは私が守るの」
「なんで……そんなに、なんで……僕のために」
「……だってママだもん」
答えはシンプルだった。
無理して笑って見せるその笑顔は本当にそう思っている。
「違う……違うよ」
俺は泣きながら、それを否定した。
違うんだ。
違う。
俺は違う。
俺は……そんなに愛される資格なんてないんだ。
だって……。
「僕は……僕は……俺は……」
俺は泣きながら、言った。
「母さんの子供じゃないのに」
「え?」
「僕には…………前世の記憶があるんだ。僕は母さんが生んでくれたけど……母さんの子供じゃないんだ!!」
ずっと隠していたこと。
俺が転生者であるということを、俺は言った。
泣きじゃくりながら、心を吐露する。
怖くてどうにかなってしまいそうで、俺は半ば自暴自棄に叫んだ。
「だから守ってもらう理由も、愛してもらう理由もないんだ!」
ずっとわからなかった。
なんで母さんは、なんで父さんは、俺のためにあんなに頑張れるのか。
その答えが俺にはずっとわからなかった。
愛されるということがわからなかった。
「僕なんか、命を懸けて守る価値はない!! だから母さんが逃げてよ!!」
気持ち悪い子供だ。
前世の記憶を持っている子供なんて、親なら誰だっていやだろう。
命を懸けて守る価値がない、それが俺だ。
だから拒否する言葉を、否定する言葉を、ただ暴言を……俺は待っていた。
なのに。
「…………知ってるわ、夜虎になにか……記憶があることは」
「え?」
帰ってきた言葉は俺が想像していなかった言葉だった。
「な、なんで……」
「覚えてる? ママが体調悪くてソファで寝てた時……まだハイハイしたての赤ちゃんが布団を引っ張ってかけてくれたの」
俺は確かにそんなこともあったと思い出した。
「それだけじゃない。夜中、ママを起こさないように気を使って静かにリビングにいったり。一人で魔術の本を読んで、魔術を発動したり……びっくりすることばっかり。前世……とまではわからなかったけど……きっとこの子は何か特別な記憶を持ってる。特別な使命をもってる。そう思った」
「じゃ、じゃあなんで!! なんでそれでも僕を大事にしてくれるの!」
「わかんない」
「え?」
しかし明確な答えなんて帰ってこなかった。
でも、母さんは俺の頬を優しく撫でて微笑んでくれた。
「こうだから……愛してるとか……こうだから愛さないとか……そんなんじゃないの。ただ愛してるから……あなたを愛してるだけ。理由なんてない……ただ私があなたを愛してるだけ。あなたを……守りたいだけ。あなたを産んでから……ずっとその気持ちは変わらない」
「なんで……そんな……わからないよ!」
「じゃあ……ママだから」
そして、母さんは俺の頬を優しく撫でて微笑んでくれた。
「だからママの子じゃないなんて言わないで。あなたは生まれてからずっと……ずっと、ママの子よ」
前が何も見えないほど泣きじゃくりながら俺はその手を握った。
暖かい手、安心する手、いつも俺を抱きしめてくれた手だった。
「ママのところに生まれてくれて……ありがとう。ママは……あなたを世界で一番愛してる」
そしてたくさん愛してくれた手だった。
「逃げてね……ママが……あいつに……食べられてる……間に……絶対……だよ」
そして母さんが涙を流しながら、眠るように目を閉じた。
俺は慌てて、脈と心臓の音を聞いた。
呼吸はしてる。まだ息はある。死んではいない。出血による気絶だ。
でも早くしないと死んでしまう。
俺が助けないと死んでしまう。
ドン!!!
ついに壁が全て壊れて、俺の目の前に鬼が立つ。
『見ツケタ、見ツケタ。ウマソウナ魔力…………アレ? 逃ゲナイ?』
ゲラゲラと楽しそうに笑う鬼。俺はその鬼を見つめた。
――そして、立ち上がった。
いつの間にか、足の震えは止まっていた。
「おかしいよ。ありがとうって……普通気持ち悪いって思うよ。なのに愛してるって言ってくれたんだ」
『アリガトウ? キモチワル? アイシテル?』
「……毎日毎日、あんな糞まずい薬を飲んで、体調も最悪のはずなのに俺の魔力強化に付き合って! でも俺の成長を見るのが一番嬉しいって笑ってくれたんだ! 全部打ち明けても!! それでも生まれてくれてありがとうって!! それでも愛してるって言ってくれたんだ!!」
『意味不明。ナニ言ッテル?』
こぶしをぎゅっと握って鬼を見る。
少したりとも目を逸らさずまっすぐ鬼を見て、そして。
魔力を纏って、心から叫ぶ。
「この人だけは絶対に死なせないって意味だよ!!」
そして雷が俺を包んだ。
俺の属性――父さん譲りの雷が、全身に血を巡らせ、熱を巡らせ、魔力を巡らせ、雷を帯びる。
眩いばかりの雷光が、真っ黒な鬼を照らしだす。
魔力の放流で、かきあげられた髪、よく見える目で鬼の眼を見た。
もう微塵の恐怖も感じない。
体は動く、心は熱い。俺の中から溢れてくるのは、恐怖なんかより、母さんを死なせたくないという意思だけだ。
死に立ち向かう恐怖は、大好きな人を死なせることに比べれば微塵も感じなかった。
俺はやっとわかった。
母さんが、父さんが、俺のために頑張ってくれた理由が。
いや、違う。こうだからなんて具体的な理由なんてないんだ。
そして今、俺も全く同じ気持ちだ。
理解できなかった感情が、一度ももらえなかった感情が俺の中で溢れていく。
ただそうしたかったから、そうしたように。
ただ愛したかったから、愛してくれたように。
ただ守りたいから、守るんだ。
『オ前、逃ゲナイ?』
「逃げない。守る」
だから戦え、心のままに。
この胸を焦がす雷の熱と共に。
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