星屑のように君は消えた 【完】
大石エリ
出会いは運命的に
高級な店やバーが立ち並ぶ通りに立っていた。ビルの柱に隠れて、もうすでに一時間が経つ。
なかなかお目当ての人物は出てこない。イライラしながら、寒さで冷えた体を温めるように体を縮めた。
薄いベージュのニットワンピに、白のロングコート。丈の短いニットワンピの下は、黒のニーハイソックス。髪は柔らかいハニーブラウンで、くるくると緩く巻いている。
流行がどうとかそんなことは関係ない。いつの時代もそんな女が嫌いな男はいない。
しばらく待つと、とうとうお目当ての人物が出てきた。柱にもたれていた身体を動かして、決めていた通りに飛び出た。
1,2,3!
勢いを付けて、人のいない道路で大げさにつまづいて見せる。
「きゃっ」
怪我は作らないように、服を汚さないように、十分気を付けながら。ズサッと大きな音をした派手なコケに、目の前の男性が驚いたらしくピタリと立ち止まった。
鞄の中身が飛び出して、車の通れない狭い通りに散乱した。これももちろん計算済みだ。
「……痛ぁー……」
ぼそっと呟きながら、座り込んだまま足をさする。男性は慌てたように私の目の前にしゃがみ込んで、「大丈夫ですか?」と声をかけて来た。
ほんの少し涙を潤ませながら、彼の顔を見つめ、こくりと黙って頷く。下唇を噛み締め、上目遣いをする。男は私の顔を覗きこんで、ハッと息を呑んだのが分かった。
その後、男はちょこまかと動いて、鞄の中身をかき集めると、動けない私へ鞄を渡してくれた。
「とりあえず立って下さい。綺麗な洋服が汚れてしまうから」
「……ありがとう」
大きな手が差しだされて、その手をそっと取る。起き上がった私の前に立つ男を見上げた。
茅島理人(かやしま りひと)、二十八歳。大手製薬会社社長の息子。三男坊で、後継ぎの心配もないため、製薬会社で新薬の研究に明け暮れている。
あそこの研究職はそこそこの年収らしいけど、この人のお金の使いっぷりはただの会社員じゃ到底無理だ。仕立てのいいチャコールグレーのロングコート。生地の良さそうなVネックセーターに、生地のしっかりとした黒いスラックス。
カシミアのマフラーに、ボッテガの革かばん。私に差しだした左手にはロレックスの限定もの。
ため息の出そうなお金持ちだ。
今、男性が出てきたバーも多分入って出るだけで一万円は取られるだろう。間違っても若者なんかは足を踏み入れないような店だ。
男の手を取って立ち上がった私は、そっと手を離した。外でずっと待っていて手が凍えていたので、きっと男を心配させることにも成功した。
「大丈夫? 痛くないですか?」
「はい。すみませんでした。びっくりさせましたよね、恥ずかしい」
「いえ」
「あのぉ、一つお願いがあって」
「ん?」
男の視線は優しげだ。
全てを持っているものの余裕というのだろうか、動じる気配はない。がっついた様子を見せない、上品なところに育ちの良さを感じる。夜中にミニスカートの女性と人気のない道路で向かい合っていても非常に紳士的だ。
だけど私を見る目は、ぐるぐると動く。私の全身を観察しているようだ。その視線を一つとってもかっこよさは微塵も感じられない。
粉雪が男の肩に小さく乗る。私の肩にも乗っている事だろう。
「今から家に帰って寝るのは寂しくて。一緒にお酒を飲んでくれませんか?」
ストレートに誘う。その方がこういう男は効果がある。
というより、女性にあんまり慣れてなさそうだから、曖昧な表現じゃ察してくれないかもしれない。はっきりと誘いかけた。男は動揺したようにまた目をきょろきょろと動かして、しばらくしてはにかんで頷いた。
「えっと、僕の行きつけの店でもいいですか?」
「はい、どこでもいいです」
にこっと微笑むと、男は耳を赤くしながら前を歩きだした。
だけど私が転ぶかもしれないと思ったのか、「路面が凍ってるので腕を掴んで下さい」と優しく声を掛けてくる。確かに路面はこの寒さで凍りつつあり、滑りやすくはなっている。
ただ、なんで腕なんて掴まないといけないんだ。内心うんざりしつつ、男のコートの裾をきゅっと掴むと、嬉しそうに頬を緩ませた。
男の顔は普通。特にイケメンと言えるわけではない。不細工というわけでもない。顔の造りだけでいうと特筆するところは見当たらない。
だけど、お金持ち特有の満たされた顔はしている。清潔感もある。髪だって特別おしゃれでもないけれど、適度に整えている髪は爽やかだ。そして大企業の誇らしい仕事をしているおかげか、尊厳や自負、余裕が男性から感じられた。嫌味っぽくは無い。彼の上品さに繋がっている。そういう佇まいは美しいとも言えた。
まぁしかしパッと見た印象は、平凡な男である。
振る舞いや動作も決して洗練されてはいないし、的外れているし、モテそうではない。穏やかで優しそうではあるけど。
「お酒は飲めますか?」
歩く道中で男が話し掛けてくる。
「うーん、飲むのは好きだけど、すぐ酔っちゃうかも」
「そう。じゃあ、カクテルのおいしい店に行きましょう。飲みやすいものがありますから」
男は私を見下ろして、優しげに笑う。にっこりと微笑み返した。微笑みをまともにくらった男性はやはり落ち着きなく視線を彷徨わせ、締まりの無い笑みを見せた。ダサい。
おしゃれな店に着いて、カウンターではなくテーブル席に通しされた。向かい合って座る前にコートを脱ぐと、ベージュのニットワンピだけになる。
コートを店員が預かってくれて、ついでに一杯目のドリンクを頼んだ。男は生ビールを最初に頼み、私はカシスオレンジを頼む。酔うわけにはいかないのだ。
お酒に弱いわけではないけれど、頭を働かせるにはほんのちょっとも酔うわけにもいかない。少しだけニットワンピを下に引っ張って整えると、胸の谷間がわずかに見えた。
男は生ビールを飲みながら、私の胸元をちらりと見た。
ほら。
こうやって無欲そうな男だって、男は全部同じ。酒と女が混じれば、あとに待っているのはどれも同じ。
「私、
「あ、僕は
「理人、さん」
「はい、なんですか?」
「ううん、呼んでみただけ」
「そうですか」
「…………」
そこで会話は終了してしまった。気の利いた言葉一つ出てこない男。女性とお酒を飲んでいるのに自分から話題を振ることもしない。私が誘ったわけだけど、向こうだって断らなかった。ある程度はその気のはずだ。
だって私を観察する視線は露骨。顔を見て、胸元を見て、髪を見て、目を逸らす。その繰り返し。
だけど、男の引き出しに、褒めるだとか、お世辞だとかいう調子のいい言葉はないのだろう。こりゃあモテないな。
いくらお金を持っていたって、冴えない上に、話のつまらない男は、一緒にいたくないもん。
「理人さんって何歳?」
「僕は二十八です。彩芽さんは?」
「私、二十一だよ」
「そっか、若いですね。大学生?」
「行ってるように見える?」
「どうでしょう」
ははっと笑うと、彼はよく分からないのか、どう答えていいのか分からないのか首を傾げた。鈍すぎて話も続かない。
にっこりと笑顔を浮かべる。
「行ってないよ、大学。高卒だもん、私」
「そうですか。お仕事は?」
「仕事って言うか、フリーター。色んなところでバイトしてる」
本当は何もしてないけどね。男から金を巻き上げて生きてるなんて言えるわけないし。
「大変そうですね。そういう生き方も楽しそうですけど」
ハッと乾いた笑いが零れそうになった。慌ててきゅるんとした笑みを作って、男を見上げる。
この人は、人を惨めにさせる天才だ。ついつい怒りで素が出そうになったけれど、なんとか我慢した。
「ねぇ」
「はい?」
「今日ね」
「なんですか?」
「家に帰りたくない」
じっと男を見る。男はごくんと息を飲みこんで、私を見た。
「えーっと、その、二軒目とか行きたい感じですか?」
「ううん。お酒はそんなにいらない」
「…………はい」
「一緒に休みたい」
じっと彼の目を見つめた。キョロキョロと彼の目が泳いでいるが、それでもじっと彼を見つめた。甘くねだるように。
「……僕の家でよければ、来ますか?」
「いいの?」
「はい、その、あぁー……散らかってますけど」
「……うん。大丈夫」
男がグラスを持つ手に手をそっと重ねると、ヒクンと彼の身体が揺れた。じっと目を見つめると、男の目元が赤く染まる。
膨れたような顔で、唇を尖らせて上目づかいで見つめる。
鈍たらしい男が私を見て、優しく微笑んだ。
「もう一杯飲んだら行こう?」
「はい、何飲みますか?」
このまま落ちてくればいい。
どろどろとどこまでも落ちてくれればいい。
バーを出た。
お会計は二人で一万八千円だった。
お互い二杯ずつしか飲んでいないし、適当なおつまみしか出てこなかったのに、なんでその金額なんだろうと疑問に思いながら、通りを歩く。支払いをした彼のクレジットカードは金色だった。
わざとふらついて歩くふりをする私を、彼が支えようと腰を抱えた。最初のように「腕を掴んで下さい」とは言われない。
少しの時間とお酒は男を大胆にさせる。それに甘えて、腕に腕を絡める。胸を当てる事も忘れない。
「すごくドキドキする」
彼の腕に顔を埋めて、照れながら話す。彼が頭上で「はい」と答えながら、愛おしそうに私の髪を撫でた。
タクシーに乗り込んで、後部座席で彼の肩に頭を預けた。彼は運転手に自宅の住所を告げると、座席にもたれかかる。
「酔ったのですか?」
「……うん」
「お酒弱いんですね」
嬉しそうに身体を揺らして笑われる。肩に頭を預けていると、彼はそれからピクリとも身体を動かす事はなかった。もたれているから気を使っているらしい。
律儀な人。だけど、そんな事で心が動かされる事はない。
一体この人からいくら引き出せるのだろうと、その事ばかりが頭を駆け巡っていた。
彼の家は、都内でも一等地にあるタワーマンションで、そこで一人暮らしをしていた。2LDKのその部屋は、一人暮らしには広すぎる。高そうな家具が配置されたそこはモデルルームみたいだ。チラリと見た寝室のベッドの上には脱いだ服が何枚か乗っかっていて、そこまで神経質な性格でもないらしい。
リビングのソファに案内されて、彼は温かい紅茶を手渡してくれた。
「ありがとう」
にこりと微笑むと、彼は戸惑ったように笑う。どうやら笑顔に弱いらしい。
彼は距離を空けながらも隣に腰かけて、コーヒーを口にした。おしゃれなマグカップ。薄く青く縁取られたこれもまた高い物なのだろう。
色々と観察しながら嘲笑いそうになった口元を押さえつつ、彼にもたれた。
「寝ますか?」
「うん」
「ベッドならあっちにあります」
「一緒に寝てくれないの?」
「あー……僕はその、まだ今日しないといけない仕事がいくつか残っているので」
「…………?」
一体何を戸惑っているのか分からない。家に呼んでおいて、一緒に寝ないとはどういう事なのだろう。先ほどいい雰囲気だったのに家に帰って我に返ったのだろうか。テンポの悪い会話にうんざりしながら、男の真意を探る。
「じゃあ、大人しく寝るから一回だけちゅうして。そしたら邪魔しないで寝るから」
「……ちゅ、え、でも、」
「一回だけだから」
隣に座っている彼の膝に足を引っかけて、体を密着させる。彼が私を見下ろして、ごくんと唾を飲み込んだ。遠慮がちに私の後頭部を引きよせてくる。唇が重なって離れる。何の変哲もない、触れるだけのキス。
男の唇は柔らかかった。ふんわりと掠めるだけのキス。
顔を離して、至近距離で俯いてみる。
「……恥ずかしいね」
「…………あぁー……」
彼がいきなり低い声で葛藤するように唸る。そのうち、意外に大きな手が私の顎をくいっと上げて、もう一度唇が重なった。
驚いて目を見開いたけど、今度のキスは押し付けるような、食むようなキスに変わって行く。
一度限りだったはずのキスは離れてはくっつき、十回ではおさまりきらず、彼はそのうち私の生足へと手を伸ばした。
私は彼の膝の上に体ごと乗っかって、隙間がないように身体を押し付ける。彼はやはり低く唸りながら、興奮したように熱い息を零した。
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