春風は君を連れて
‐‐‐‐‐-----―――
ある一人の人間のそばにいると、
他の人間の存在など
全く問題でなくなることがある。
それが恋というものである。
ツルゲーネフ
‐‐‐‐‐-----―――
私は高校を卒業して、東京でも有名な私立大学へ入学した。
文学部英文学科という、全く明穂には似合わない場所へと踏み込む事になった。
佐々木家はそこそこ裕福な家庭で、特に子供の学業へは支援を惜しまない。
私が大学に行く事もとても応援してくれて、私たちの誇りだと褒めてくれる家族は、私にとって大好きな人たちだ。
入学式。
スーツ姿の初々しい生徒たち。
髪を染めていたり、ピアスを開けていても、どこか知的な雰囲気の漂う彼らは、いい家庭で育ってきたのだろうと思わせた。
「美亜。いい大学ねー。お母さんもこんなとこ通いたかったわ」
「ふふ、綺麗だよね。あ、小川とかあるよ」
大学内は小さな川が流れ、桜の花びらが視界いっぱいに咲き誇る。
広大な敷地でサークル勧誘のビラを配る在校生。
スーツ姿の私はどんどんとビラを配られ、持ちきれないほどの多さになる。
入学式を終えると、最初に分けられるゼミのクラスを発表されて、今後の日程表を配られて解散になった。
お母さんと電車に乗りながら、ゼミのクラス分け表を見る。
男女比は圧倒的に女子が多い。
文学部なのだから当たり前だけど、だいたい七対三の割合だ。
仲良くなれたらいいな。
陸上のサークルにも入りたいし。
「美亜、また陸上するの?」
「うん。するよー。まぁタイムはなかなか伸びないけど趣味の範囲で」
「一日中外にいるわりに色白いわね。美亜の色白はお父さん似ね」
「そうかも。お父さんって足とか真っ白だもんね」
セレモニースーツのお母さんが、上品に笑う。
お母さんよりも色が白い私は、相変わらず陸上をしていた。
と言っても、運動神経はよくないから、いまだに大会で優勝できた事はおろか、ベスト八にも入れた事はない。
だから、あくまでも趣味の範囲と言う事で、大学では陸上部じゃなく、陸上サークルに入ろうかなと思っている。
今の私は走る事以外にも、色んな興味があるのだ。
「お母さんとお父さんって幼なじみだったんだよね?」
「うん、そうよー。小学校から一緒だったのよ」
「どっちが最初に好きになったの?」
「お父さんかな。私が中学になって引っ越しで転校する時に告白されたの」
「へぇ! 初めて聞いたぁ」
「ふふ。お父さんよくモテたのよ?」
「えぇー、うそだー」
お母さんは幸せそうに笑った。
私も一緒になって笑った。
生きていると言う事はそれだけで幸せな事だ。
家族を、友人を、傷付ける事がないというだけで尊いことだと思う。
「お母さん、育ててくれてありがとうね」
「どしたの? ふふ、こちらこそ。私のそばで成長してくれてありがとう」
伝えなきゃいけない言葉は、恥ずかしさや照れくささに負けないで伝えるんだ。
ずっとそう決めている。
明日が必ずあるとは限らないと。
私はもう知っているから。
混んでいる電車に揺られながら、家族の顔を思い浮かべてみた。
今隣にいる母親と、大手企業で課長をしている父親、楽しそうに中学に通う亜子の姿が、まぶたの裏に浮かんだ。
私の家族は、この愛しい人たち。
「お母さん、ご飯食べて帰ろうよ」
「何食べたい?」
「お寿司!」
佐々木美亜、十八歳。
――とても、とても、人生を愛している。
――本日、健康診断とゼミのオリエンテーションがある私は、一人で大学へと向かっていた。
今日から私の大学生活が本格的に始まる。
いくらダイエットをしても細くはならない美亜は、太っているわけでもないけど、ぷにぷにしている。
いつかの誰かと違って、勝手に実に女らしい体型へと成長した。
健康診断でも変わらずの体重にため息を吐きながら、十三組のゼミ教室へと移動する。
配られたゼミ分けのプリントには佐々木美亜の名前が十三組に書かれていて、どうやらゼミが今までで言うクラスのような存在になるみたいだ。
女の子ばっかりかな。
まぁどっちでもいいけど、高校は女子高に行ったせいで、佐々木美亜はあまり男への免疫がないのだ。
精神年齢三十オーバーの私が言うのもおかしな話だけれど。
ゼミの教室へと入ると、もうすでに人はチラホラいる。
てきとうに空いている席に腰掛けると、隣に座った女の子が声を掛けてくれた。
「ねぇねぇ、初めまして」
「あ、初めまして」
愛想よく返事を返す。
ショートカットの女の子は、くりっとした目が印象的でそわそわと小刻みに体を動かしている。
「私さ、入学式の時から可愛い子いるなーと思ってて、まっさか同じゼミとは! 名前とか聞いちゃってもいい?」
「ええっ、私の事? いやいや、可愛いとかないよー。佐々木美亜です。よろしくね」
にこりと笑うと、テンションの高い彼女は前に乗り出してくる。
「え、まさか自覚ない系? うっはー、こりゃまずいよ。少数の男子を全部持ってちゃう感じだね? それでもいいよ! むしろ全部持ってっちゃおう。あ、私、三枝寛子(さえぐさ ひろこ)。よろしくねー」
やたらとハイテンションな彼女は、一人でベラベラと喋る。
その言動がおかしくて笑っていると、次第に女の子が集まってきて自己紹介が始まった。
なんか仲良くなれそうで嬉しいな。
男の子はまだ来ていないのか、かなり少ない感じで、それとも今いる五人で終わりなのかもしれない。
ゼミ分け表ではどうだったっけな。
確か二十人くらいのゼミだった気がするけど。
「ねぇねぇ、うちのゼミの教授、超かっこいいの知ってた?」
三枝さんが真ん中で大きな声を出す。
「えぇーそうなの?」
近づいてきた女の子が興味津々で声を出した。
私はそれをぼんやり眺めながら、教授は厳しい人じゃないといいなぁとこっそり思う。
「普通にかっこいいじゃないんだよ? 超! 超ーーーーかっこいいの!」
三枝さんが身振り手振りをまじえて、相変わらずのテンションで喋っている。
それが面白くて笑っていると、今度はうーんと唸りだした。
「名前なんて言ったかなぁ。なんとか山……えーっと」
「三枝さんよく知ってるねー」
「私のお姉ちゃんがさ、ここの卒業生で、うちのゼミの教授大人気だったって教えてくれたんだよねー。ってか、三枝さんとかやめよやめよ! 下の名前で呼んでよ」
「あ、えっとじゃあ、ひろちゃん?」
「うんうん。私は美亜って呼んでい?」
「うん、いいよー」
ひろちゃんと携帯のアドレスを赤外線で交換していると、ガチャリと扉が開いた。
さっきチャイムが鳴ったから多分教授なんだろう。
みんなが自然と扉へ目をやる。
手で浮かしていた携帯が、力を失ったように机に落ちて、大きな音を立てた。
みんなの視線が私へと集中して、離れていく。
教授も同じように私をチラリと見て、にこやかにほほ笑んだ。
「携帯はとりあえず後にね」
「はーい、すみませーん」
ひろちゃんが私の代わりに謝る。
私は心臓が容赦なく音を立てるのを聞きながら、震える手を抑えて携帯を鞄の中に入れるだけで精いっぱいだった。
がやがやしている教室内が無音になったように、耳がゴーっと音を立てた。
息が詰まる。
鼓動が尋常じゃない音を立てる。
冷や汗が背中をさーっと伝うのを感じて、ブルブルと寒気がした。
気を抜いていると涙が出るんじゃないかと。
心配になった。
「はい、今日から君たちのゼミの担当になります、城山千里です。よろしく」
いつか願った事がある。
――生まれ変わるならば、どうか君のそばで……。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます