私はあなたのもの②
腕時計をチラリと見て、とっくに終電の時間が過ぎている事に気付いた。
どうしようかな。
タクシーで帰るしかないかな。
「あの、」
「ん?」
怜央が振り返って足を止めて、私を見た。
その少しの事が今までと何だか違うようで、顔が赤くなる気配がしながら声を出した。
「もう電車ないから、その、」
「うん」
「タクシー拾うから大通りに出てくれれば」
「お前は今日泊まるとか無理なのか?」
「え、あ、いやっ、」
「そうか。嫌なら送る」
「あっ、じゃなくて、その、家族に電話するからちょっと待って」
「いいのか?」
怜央が不思議そうにじっとこちらの顔色をうかがってくる。
「うん……っ」
嬉しい。嬉しい。嬉しい。
目の前の全てがキラキラした光景に見える。
家に電話をして泊まると言うと、連絡が遅いと怒られちゃったけど、そんな事さえ些細なことだった。
怜央は近くでビルの柱にもたれて私を見ていた。
小走りで駆け寄ると、ほんのわずかに怜央の頬が緩む。
目の前まで行って、怜央の腕をきゅっと握ると、背の低い私を覗き込むようにしてかがんで来た。
「どうした」
「ううん、あの、家族に言ったから。その、大丈夫。お泊り」
「そうか」
怜央はまた少しだけ微笑むと、私の手を引いて歩きだした。
周りからはやっぱり奇異な視線で見られた。怜央を見る熱い視線とは正反対に、私を見る目は決して歓迎のものではなかったけど、それさえも些細なことだった。
怜央が私を好きって言ってくれた。
これはなにかの夢かもしれない。こっそり手のお肉をつまんだけれどあまり痛みはなかったからやっぱり夢かもしれない。
それでもいい。
それなら、この夢から二度と覚めなければいい。
「亜子。お前また何か考えてんだろ。教えろ」
「あ、えっと。何も」
「嘘つくんじゃねぇぞ」
「う、うん」
怜央はふんとそっぽを向いて怒った様子で歩きだした。
歩幅の違う私たちはだんだんと私が怜央に引きずられる感じになって、それに途中で気付いた怜央は、「お前は足が遅いな」と楽しげだった。
それから怜央は私と同じ速さで歩きだして、「こんなに遅かったらいつまでも家に着かないな」とやっぱり楽しげだった。
私は気の利いたコメントは言えなくて、だけど、自分でもびっくりするくらいにこにこと笑いながら、怜央の指をきゅっと掴んだ。
怜央の部屋へと入った。
二度目の部屋は相変わらず寂しげな印象を受けた。
電気を点けて、明るくなった室内でさえ、どこか物寂しい。
家族と住んでいないと言っていた。
確かに家族の面影はこの部屋から感じられないし、怜央の偏った性格も家族の愛情を受けて育ったようには見えない。
触れると怪我をしそうなくらい尖った彼の雰囲気は、孤独からできたものなのかもしれない。
「……亜子、来い」
私の手を引いて、迷うことなく寝室へと連れて行く。黙ってついていきながら、大きな背中を見た。
さびしい人。孤独な人。
そう思うと、今まで恐ろしいくらい遠かった怜央が、身近に感じられた。
「お前、また何か考えてんだろ。言ってみろ」
ベッドに座らせたものだから、すぐにでも事に及ぶのかと思っていたのにそうではなかったらしい。怜央は私と向かい合って、伸ばした足の間に私を収めた。
「ううん」
あいまいに首を振る。
それに怜央は機嫌を悪くした様子で、ぶすっとした表情で私の髪を撫でた。
「言えって言ったのに、結局言わねぇし」
「そ、そういうわけじゃないよ」
「女はお前みたいにみんな難しいのか?」
「……どうだろう。怜央の方が分かるんじゃないの?」
とっさに含んだ物言いをしてしまった。
思ったよりとげとげしく聞こえた気がして、慌てて訂正しようとしたけど、怜央の言葉が遮った。
「さぁな。俺は今まで誰かの気持ちを知ろうとなんて思った事なかったからな」
「……うん」
「そんなことは必要なかったんだ。それで離れていくやつはいても気にはならなかったしな」
「うん」
「だから、今俺のそばにいるのは司しかいない。でも、それで良かったんだ。お前が出てくるまでは」
そこで言葉を切って、怜央は私の頬を一撫でした。
好きだと言われたからかもしれない。
どこか手つきが優しげに感じる。
怜央の瞳をじっと見ると、深い色味がまっすぐに私を見ていた。
「……嬉しい」
「そうか」
「すごく嬉しいよ」
「ああ」
「怜央は、寂しくなかったの?」
色んな事を含んで質問した。
本当は家族の事をはっきり聞きたかったけど、もしかしたらデリケートな領域かもしれないのだ。
土足で踏み込んで行く勇気はなかった。
「寂しいか。そんな感情は思った事ないな」
「そっか」
それもまた寂しいなと、思った。
私の感情が視線に出ていたのか、怜央が不思議そうに私の瞳を見つめる。
「何が言いたい」
「ううん。ただ、怜央は一人で生きていけて強いなと思って」
「……まぁ、一人で生きないといけない状況しかなかったからな」
「あ、ごめんなさい。私そんなつもりじゃなくて」
怜央が困ったように喋るのを聞いて、さぁーっと血の気が引いた。
言葉を選んでいたつもりなのに、無神経に踏み入ってしまった。
そんなつもりはなかったのに。
「いや、いい。家族の事だろ?」
「……ごめんなさい」
「亜子の家族構成は?」
「両親とお姉ちゃん」
「そうか。家族はどんな感じだ?」
涙が込み上がってきた。怜央があんまりにも優しい表情をするから。
ああ、この人はもう自分の境遇を受け入れているんだなって思うと、勝手に寂しくなった。
「なんで泣く」
黙って首を振る。
私はこうして、いつだって気持ちを伝えるすべを知らない。
「お父さんはサラリーマンで家に帰るとお酒を飲んで説教するの。だけど、うちはお母さんが強くて、お母さんには誰も頭が上がらなくて。お姉ちゃんは大学生で私よりとても優秀で、優しいの」
「お前はそんな人たちに囲まれて育ったんだな」
「……うん……っ」
「お前を見てると家族っていいものなんだろうなって思うんだけどな、」
その後に続く言葉を、怜央は口にする事はなかった。
切なくなって。勝手に悲しくなって。
怜央にぎゅっと抱きついた。本当は抱きしめてあげたかった。
この人は平気なんかじゃない。
仕方ないって受け入れているだけで、平気だなんて思えるはずがない。
「なんだ、お前。俺に同情してんのか?」
大人しく抱きしめられている怜央が、嘲笑うように言葉を零す。
ハッとして離れようとすると、強い力で抱きしめられて、結局離れる事はできなかった。
「別に同情されてもかまわねぇよ。嫌じゃない」
「うん」
耳元で喋る怜央は、いつもより大人しい。
近寄ったら噛みつかれそうな雰囲気は、どこかに消えていた。
「亜子、抱きたい」
「……うん、いいよ」
怜央が身体をわずかに離して、私の頬を撫でる。
やっぱりいつもより優しい気がする。
「なんか、優しいね」
「そうか?」
怜央はびっくりしたように目を見開いて、それからほんの少し頬を緩めた。
顔が近づく気配がして、目を閉じる。少ししてぶつかった唇は、私の唇を容易に塞いだ。
離れようとする唇を思わず追いかけると、怜央が驚いたように口先から息を零した。
私の頬に手を触れ、もう片手は腰を抱き寄せるようにしてくる。
再び唇を触れた時には、開いた唇の隙間から舌が入りこんできて、歯列をなぞった。
「んぅ……」
なまめかしい肉厚の舌に、背中が粟立って、全身を電流が駆け抜けていく。熱い粘膜が触れあうとだめだった。
漏れ出る熱気が抑えきれなくて、はぁっと重い息を吐いて、怜央を見上げた。
その瞳は確実に欲を孕んでいて、思わずドクンと心臓が疼く。
「や、れぉ……」
「やじゃねぇだろ? ん?」
上からのしかかるように塞がれたキスは、抗うなんて事はまるでできなくて、されるがままになる。
「嫌じゃなくて、なんて言うんだ? ん?」
「ん、んぅ、すきぃ」
混じり合った唾液が、口の端から垂れていく感覚に、ゾクリと体が震えた。女心は分からないくせに、こういう時は私の考えなんて何もかもお見通しみたいだ。
唇が離されて、上から見下ろされる。
両手が私の顔の真横に固定されていて、ベッドに押し倒されたまま、ごくっと息を飲んだ。
「亜子、おねだりは?」
「……ぁ、怜央」
「言え」
「……もっと」
「もっとなに」
「もっとキスしたい」
きっと私の瞳はとろとろに溶かされている。怜央の首にするすると両腕を回す。
途方もなくドキドキする。
好き。好き。その言葉以外出てこなくて、追いすがるように怜央を見上げた。
「好き。怜央、大好き」
獰猛な瞳をした怜央が覆いかぶさってきて、今度こそ私の口内をひどく簡単に蹂躙した。自分の物かのように遠慮なく踏み入られる。
それがただ嬉しい。
食らいつくように深く口づけられながら、怜央の長い指は私の体に踏みこんでくる。
彼の物になりたい。
溶け合って、彼の糧となり、一部になれれば幸せなのに。
貪欲になる自分がいて困る。
熱い焔を瞳に浮かべるこの人は、そんな私を受け入れてくれるのだろうか。
「怜央。……怜央、れお」
「ん?」
余裕のなさそうな笑みを形取りながら、こちらを見てくる。
ねだるように体を擦り寄せる。はしたないって笑うだろうか。みっともないって蔑むだろうか。
でも、それも全部好きだから。
認めてほしい。
「怜央のものになりたい」
ぼろりと涙がこぼれた。
怜央がそれを黙って、舌で掬い取る。
「お前は俺のものだ。俺のものにしてやるから何でも言え。口を噤むな」
「……うん……っ」
「好きだ、亜子」
怜央の瞳に柔らかい光が浮かぶ。
それはとても幸せな輝きに帯びていた。
獣のように舌で涙を絡め取った後。
怜央は本格的に私の身体を愛撫しだした。
「んぅ……あ、あ、やぁ……」
「抱いてる時はよく喋る」
からかうように言われて、全身の熱が上がった気がした。
獰猛な視線を隠そうとせずに見つめられて、体が焼け焦げそうになる。
彼が自分を欲しているならとてもうれしい。
他でもない自分を見つめてくれているならとても幸せ。
怜央が痺れを切らしたように、Tシャツを脱いで投げ捨てると、素肌同士が触れ合った。
触れる肌が焼けるように熱い。隆起した筋肉が私の胸を押しつぶす。堅い肌にお腹の奥がぎゅうっと音を立てた。
私はいつの間にかすっかり裸にされていて、彼の熱いものが太ももに押し当たる。それだけで身をくねらせて感じてしまい、はしたない声を上げる。
「あぁ、や、やぁ、……あ、ん」
「……はっ」
彼が吐息のような声を上げる。
私は彼の愛撫に余裕を無くし、ただ声をあげながら、ふと思いついた事を口にしてみた。
「れお」
「あ?」
「……そ、それ」
「どれ」
「……それ」
「……」
視線をそこにやると、怜央はその視線を辿って、体を固まらせた。
「それ、その、……舐めたり、したい」
「…………」
怜央の顔が発火したように一瞬で赤くなった。
手も舌も動きを止めて、呆然としたように私を見た。
その後、ぎゅうっと眉間に皺を寄せると、片腕で顔を隠すように覆って、うなだれてしまった。
なんだか失敗したらしい。
「はぁ? そんな事言うか?」
「あ、いや、嫌ならいいから、ごめんね」
「そうじゃなくてっ。ていうか、もうやばいから、今はいい」
怜央はカチャカチャとベルトを外すと、私の膝を抱えた。
ふぅっと長い息を吐いた怜央は、私の頬に手を添えて、一度深いキスをした。
それはさっきまでの食らい尽くすようなものではなく、ゆっくりとした甘いキスだった。
「俺の、お前」
「うん。怜央のもの」
言いたい意味を掴んで、そう返事をする。
怜央が満足そうに不敵な笑みを浮かべた。
「あぁっ……あ、やぁん」
その後、体の奥深くを貫かれた。怜央が顎を上げて目を伏せた。
同時に、はぁっと色っぽい吐息を零している。見惚れてじっと息を止めて釘付けになった。
「気持ちいい?」
「あぁ、最高。イきそう」
嬉しくなって深く笑うと、怜央が私を恐ろしいほど冷たい瞳で見下ろした。
その瞳の奥には、強い征服欲。
私は心身ともに怜央のものになった。
滴る汗を拭う怜央の首を抱き寄せて、キスをねだった。
涙と唾液でぐずぐずになった私の顔を、何度も舐める怜央に、ただただ声を上げ続けた。
私は怜央のもので、怜央は怜央だけのもので。
それで良かった。
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