番外編:present6
「ねぇ、美佳」
「んー?」
美佳と二人で仕事が休みの日曜にカフェでランチ中。
一人で出かけると言うと、京が朝から盛大に拗ねたけど、夜一緒にご飯に行こうと説得すると何とか納得してくれた。
それでも随分ぶーぶー怒って、今までで一番最悪の日曜だとまで言われた。
そう言われても外に出たい理由があった。
別に急ぐような事じゃなかったんだけど、京の事はいつも美佳に相談する事にしているから、どうしても美佳の意見が聞きたかった。
「結婚ってさ、どうやってするものなんだろうね」
「え? 結婚? 結婚するの?」
美佳が大げさに驚いて、パスタを食べていたフォークをテーブルに置いて、私を見た。
くりくりした瞳が大きく見開いていて、思わず苦笑する。
「違う違う。最近高校の時の友達が結婚してさぁ、なんかそれ見てたらいいなぁとか思って」
「まぁ周りが結婚したら思うよね」
「うん。私も京も今二十四で、付き合って三年くらい経つし。私は結婚できたらいいなと思うんだけど、無理かなぁ」
「京からそういう話はないの?」
それにこくっと頷くと、美佳が天井を見上げて腕を組みながら、しばらくじっと考えていた。
私はチラッと美佳を見ながら、パスタを口に運ぶ。
別に悩む事じゃなかった。
京とはうまくいってるし、延長線上に結婚がある事を心配しなくてもいいのかもしれない。
京は男友達という存在がいないに等しいし、今は女友達もめっきり減って、土日も毎回私と過ごそうとするし、仕事が終われば寄り道せずに帰ってくる。
何の不満もない。
ないんだけど……。
「そもそもさ、京って結婚って事、具体的に分かってんのかな」
「やっぱり!? 美佳もそう思う?」
身を乗り出して訴えた私に、考え口調だった美佳がびっくりしたように笑った。
「なんかあの子の家って家庭仲あんまり良くないしさ、結婚って事に夢を持ってなさそうなんだよね。モラルとか道徳観念まるでないし。……まぁでも馬鹿じゃないから結婚を知らないわけじゃないか」
「で、でもね、この前結婚情報誌をこれみよがしにテーブルの上に置いてみたの」
「あははっ。おもしろっ。よっぽど結婚したいんだ!」
大声を上げて笑いだした美佳に、もうっと怒ってから話をする。
結婚はしたい。
別にこのままでも十分仲はいいんだけど、そういうんじゃなくて京のお嫁さんになりたいんだ。
「で? で? 京の反応は?」
美佳が身を乗り出して聞いてくる。
面白い内容だったのか、ご飯に興味は無くしたようで、まだパスタが残るお皿をテーブルの端に追いやっている。
「パラパラって雑誌めくって、ウェディングドレス着てる人見てさ」
「うんうん」
「佐希の方がもっと可愛いねって言って終わった」
「のろけかよっ!」
美佳に激しい突っ込みに、首を振る。
「違う違う! まともに取り合ってくれなかったって話」
「いやー、のろけに聞こえたね、完全に」
「もうー。違うってば」
「まぁ京に結婚とか、ましてやプロポーズなんてものは期待しない方がいいんじゃない。結婚なにそれって感じじゃない。宇宙人だから」
やっぱりそうか。
何となくそうかと思ってたけど……。
私が結婚してって言えば結婚してくれそうな気もするけど、やっぱり男の人からしてほしいよなぁ。無理な話かな。
「今度電話した時にでも私が探り入れといてあげるよ。ね?」
「うんありがとー美佳」
――美佳とのランチを終えて家に帰ると、京がリビングで私が置いて行った結婚情報誌をパラパラと読んでいた。
「あ、佐希。おかえり、言ってくれたら迎えに行ったのに」
「ありがと。でもまだお昼だから大丈夫だよ」
「ふぅん」
京は不満そうに返事をして、雑誌をパタンとたたんだ。
「おいで、佐希。可愛がってあげる」
「ん」
京の隣に腰を下ろすと、優しく髪を撫でて、頭に何度もキスをくれる。
それが気持ちよくてじっとしていると、至近距離にいる京が楽しそうに笑って私を覗きこんだ。
「佐希」
「なにぃ?」
「今日の服可愛い」
「ほんと? ありがと」
京は清潔感のある服を好む。
白とか淡い色が好きみたいで、私もだんだん影響されてそういう色味の服ばかりになった。
今は、薄いベージュのロングシャツに黒のひらひらの短めのスカートを重ねている。黒もエロさがあって好きらしく、結局私は京の好みどおりに仕立て上げられている。
京が強要したわけじゃないんだけど、好きな人の好みになりたいと思ったのは私だ。
「佐希」
「ん?」
「君がいないと何も楽しくない」
毎日こんな言葉をくれる。
プロポーズよりも嬉しいくらいの言葉をくれるから、もうこれ以上何も望まなくてもいいかもしれない。
十分幸せ。
「最近大好きな作家の新しい小説が出たって言ってたよね」
「ああ、あれ」
「読んだらいいのに」
「あれは佐希が出張に行ってる時にもう読んでしまった。期待外れだったな。話が暗すぎて読後感が悪かった」
「そっか。でも、京の好みはいつも難しいよ」
「でもあの作家のハズレはなかったのにな」
ぶぅっと拗ねる京に少し笑って、髪を撫でる。
ふわふわの髪は綺麗に整えられていて、美意識の高い京らしい。
それを崩すように髪に手を差し込んでも文句一つ言わずに、ただじっとしている。
「佐希。君はきっとマッサージ師にでもなれるね」
「あはは、気持ちい?」
「うん。眠ってしまいそう」
「寝てもいいよ」
「その前に俺の奥さんになってほしいんだけど、……だめかな?」
時が止まる。
言っている意味が分からなくてじっと考えてみるけど、頭の中は京の言葉がリピートするだけで動いてはくれない。
「やっぱり、だめ?」
「……」
「なら、また今度改めるよ」
京は勝手に自己完結をして、私の膝にごろんと寝転んで、綺麗な瞳を閉じてしまった。
まつ毛が頬に触れて綺麗な陰を作る。
こんなに綺麗な人と、結婚?
結婚をしたかったくせに、実際そんな言葉をさらりと出されると言葉がつっかえて出てこない。
それでも思わず京の方を揺さぶると、目をゆっくり開けた京が膝枕の状態のまま、こっちを見上げてくる。
「どうしたの?」
「け、」
「け?」
「結婚」
「……ああ」
「してくれるの?」
「俺がお願いしたんだよ、さっき。聞いてなかったの?」
京は相変わらず優雅にふふっと笑うと、膝に寝転んだまま、私の頬をするりと撫でた。
肌を滑る手をきゅうっと掴む。
そのまま握ると、真下にある京の顔が不思議そうに私を見ていた。
「ああ、君のきょとんとした顔も可愛いね」
京は結婚の話をさておいて、また私の頬に手を這わせる。
ぷにぷにとした感触を楽しんでいる京は、長いまつげをパシパシと瞬かせて、相変わらず綺麗に微笑んでいた。
「……京と結婚したい」
はっきり告げると、京は優しそうに微笑んで私の手をきゅっと握り返した。まるでそう言われる事が分かってたかのように。
優雅に微笑むだけ。
京はやっぱりどこまでいっても女たらしで、それが天然なのか計算なのか、私はいまだによくわからない。
「気が変わった? 奥さんになってくれるの?」
こくっと頷くと、京がそれを確認してからソファから立ち上がる。
長い足で歩きだすと、寝室に行ってしまった。
なぜかご機嫌で、てんとう虫のサンバの鼻唄を歌いながら。
何だろう。
放心状態のまま、ぼんやりと消えて行った扉の方を見ていると、京がなにかを持って戻ってきた。
どこかのブランドの綺麗な紙袋。
見た事のあるような、ないような。
「これ、佐希にあげる」
なぜかかなり得意げな顔をしている京の顔をしばらく見つめておずおずとそれを受け取った。
紙袋の中にはリボンが付けられた小さな箱が入っている。
これって。
まさかと思いながらも、丁寧にリボンをほどいて包装紙を剥がす。
そこから四角い箱が出てきて、それを開けると、綺麗なベルベットの生地のリングケースが出てきた。
涙が立て続けにぼろぼろっと零れた。
「えぇー……あはは。だめだ、涙が出てきた。うー……」
京はそんな私の様子を黙って見ている。
京は育ちがいいのかどんな時でも、大口を開けて笑ったりはしないし、人を馬鹿にしたように見る事もない。
性格がいいんだと思う。
慈愛に満ちた瞳を細めて、私を見ながらゆっくり隣に腰かけた。
ベルベットの箱を取り出して、パコッと音の鳴る箱を開けると、きらきらと輝く大きなダイヤの指輪。
シンプルなそれはとても輝いていて、今まで見た事もないような大きなダイヤだった。
「付けてあげるよ」
ぼろぼろと泣く私から箱を取りあげて、指輪を取りだす。
私の左手を取って、すっと薬指に指輪をはめてくれた。ぴったりはまったそれを見て、また涙が出てきた。
「うぅー……京、ありがとう」
「うん。それは俺が働いて買った一番高いものかな」
「うそ」
「ほんとだよ。ちゃんと自分の給料で買ったんだ。佐希に指輪をあげるために働いたよ」
親からの多大な援助で裕福に生活をしている京。
それなのに、お給料で買ってくれたんだ。
お給料なんて京からしたらちっぽけかもしれないけど、そのお金を貯めて買ってくれたんだ。
「嬉しい……っ。ありがとう、ほんとに」
「泣いてくれるとは思わなかったな」
「だってぇ」
「佐希」
ソファで座りながら泣きじゃくる私の前に、京がしゃがみ込む。
目線を合わせて、私の手をきゅうっと握る。
滲む視界の中、京を見ると、キメの細かい肌を少し緩ませて私を真剣に見ていた。
「君のいない日曜日でさえつまらないのに、君のいない人生なんて考えられない」
「……うん」
「俺の奥さんになってくれる?」
「うん……っ。お願いします」
両手を繋いで、泣きながら頑張って笑うと、京がふぅっと息を吐いた。
そのままソファに乗り上げてきた京に抱きしめられる。
私の上に跨って、長身の彼がしがみついてくる。
いつもスマートな京らしくない行動に少しびっくりする。
「緊張した。噛むかと思った」
「ふふっ。京でも緊張するんだ」
「佐希はたまに俺を人間として見ていない時があるね」
「あはは、そんな事ないよ」
「……君と結婚できるのかと思うと眩暈がしそうだ」
京はちゃんと結婚について考えてくれてたんだね。
嬉しくなってぎゅうっと抱きしめると、京は私の肩に顔を埋めてじっとしていた。
「京も結婚とか知ってたんだね」
「君は俺をほんとになんだと思ってるの」
呆れたように言われたから、思わず口を噤む。
京ってなんか普通の人と思考がかなり違うから、結婚なんて全く意識してないと思ってたのに。
嬉しいな。
本当に嬉しい。
「あの結婚情報誌なら、俺なんて一年も前からずっと買ってる」
「うそぉ!」
月刊で出る結婚情報誌。
それを毎月買ってたの?
「ほんと。結婚の事なんてまるで知らないから色々勉強したよ。結婚式の資金だって稼いだ」
「えぇーそんなに前から考えてくれてたの?」
「うん。ゴンドラで登場とかのオプションもつけてあげられるよ」
「そ、それはいらないけど」
まさかそんなに研究してくれてたなんて。
嬉しいな。
本当に嬉しい。
京のふわふわの髪に顔を埋める。
シャンプーの甘い香りが広がって、あまりの幸せにまた涙が滲んで来た。
「結婚したいって思ってくれたんだ」
「うん。君が俺と一緒にいる一番強い魔法だよ、結婚は。次に佐希に逃げられたら死んでしまうからね」
大げさな事を言う京。
相変わらず文学好きだからか、すらすらと詩のように言葉を紡ぐ。
左手薬指のきらきらとした指輪をじっと見つめた。
「今度一緒に結婚指輪買いに行こっか、京」
「うん。ペアリングってやつだね」
少し勉強したらしい京は、その後も結婚式の情報を饒舌に話した。
それが面白くて、私はひとしきり笑って、来週からは結婚式場を見に行く事を決めた。
「愛してるよ、俺の佐希」
「うん。私も」
「君は世界で一番ダイヤが似合うね」
訳のわからない事を言いだした京に苦笑いをしながら、それでもまんざらじゃなかった私は、自分から京にキスをした。
「冗談いいよ」
「冗談なんて言った事ないよ」
「……そ、そうですか」
呆れる私の手にちゅっちゅっと何度もキスを繰り返してくる。
どうやら結婚することにとっても喜んでくれているらしい。
喜ぶ京は子供のように無邪気なのに、瞳の奥はとろけるように甘かった。
――…
今日も美佳と一緒にランチ。
京はお留守番だけど、結婚が決まって最近機嫌がいいので、あまり文句は言わない。
「それで、結婚することになったわけ?」
「うん、そうなの」
成り行きを説明すると、へぇーっと言いながら、美佳も感心したように頷いている。
「京にもまともなところあったんだね」
「ふふふ、だよねぇ」
やっぱり美佳も同じ事を思っていたらしい。
イタリアンのランチを食べながら、ここはおいしいから今度京を連れてこようと考える。
「で? それでそんな機嫌が良さそうにしてるんだ」
「え? 顔に出てる?」
「出てる出てる。緩みきってるね」
「うそぉ」
「あの、たぶらかしの京の事だから、くさいセリフでも言ったんでしょ」
「ああー……そうだね」
「なんて?」
「世界中の誰よりダイヤが似合うね。って」
口にすると、美佳が唖然と口を開いた。
それをチラッと見ながら、パスタを口に放り込む。
きっと今顔が赤くなってる。
「……想像の斜め上いってたわ」
「ごめんね」
「いや、いいけどね。京ってほんとに思ってそうだから恐ろしいわ」
「ああー……まぁー……」
「今から一年は京と会うのやめるわ!」
「な、なんで?」
「盛大なのろけ聞かされそうだもん。それでなくても、電話してきて緊急事態なんだって言うから何事かと思ったら、新しいパジャマを着た佐希が可愛いとかくだらない事言うんだから」
「ごめんね、美佳」
「いいよ、私も嬉しいし。おめでとう」
美佳と笑い合ってランチを食べた。
早く家に帰ってあげよう。
それで一緒に指輪を見に行こうって言おう。
そしたら、京はまたきっと喜んで、私の事を可愛い、綺麗って、大げさなくらい褒めてくれるんだ。
おわり
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