夏、君に溺れた 【完】
大石エリ
愛しい人の胸で眠りたい
人生は嫌なこと続きだ。
必要とされていないんじゃないかって思うような寂しい事がいっぱいあって、思いだすだけで今すぐ泣ける。泣こうと集中したら、一秒で涙が出そうだ。
こんな時はあいつに会いたい。
薄情で、でも甘くて、麻薬のように惑わせるあいつに会いたくなる。どうしても、会いたくなるんだ。
お昼の十二時に駅前で男の人と待ち合わせをした。
初対面。マッチングアプリで知り合って、今日はお昼ご飯に行く。写真で顔は見たけど、正直普通。普通だけど、普通で良かった。別にかっこいい人じゃなくていい。ただ、優しくて誠実で安心感のある人ならよかった。
そのためにはかっこいい人じゃない方がいい気がした。
大抵、かっこいい人は世間慣れしていて、遊び人で、女を軽く見てるから。
それにしても、暑い。
うだるように暑い日差しが降り注ぐ中、ハンカチで額の汗を拭いながら柱にもたれた。の鳴き声がうるさい。外にいるだけでだるさでいっぱいになる夏は、一年で一番嫌い。
「初めまして。浅美ちゃんだよね?」
そう言って、来た男は到底写真通りじゃない野暮ったい人だった。
写真詐欺じゃん。普通以下じゃん、この人。
それにがっかりなのか、安心なのか、分からない溜息を吐く。イケてない男の方がきっと優しいと自分を納得させる。
……この人とキスができるか想像する。うーん……保留だな。今考えるのはよそう、お昼ご飯がまずくなる。
その男性とカフェに入ったけど、ランチをしながら、トークの八割は趣味の釣りの話なんてされた。何度目か分からない溜息を呼吸に見せかけて吐く。
失敗だ。
イケてない男イコール優しくて思いやりのある人は間違いなのか。分析はだめだったのか。最近の男運はすこぶる良くない。そう考えてみて、昔から全然よくなかったと思い直した。
「なに? つまんない?」
つまんないよ、ばか。ブラックバスに興味なんてあると思うか。
「……ああー……いやぁ。そういうわけじゃないけど、釣りってあんまりした事ないから」
精一杯愛想よく答える。しどろもどろになるのは仕方ないだろう。ほんとは今すぐ帰りたい気分だったんだから。
「そっか。じゃぁ今度一緒に行ってみない?」
一緒に!?
まじ勘弁。釣りについて文句言うつもりないけど、こんな男と絶対行きたくない。
ああーだめだ。私この男とキスできないや。
「ああー……そだね。うんっ。また今度予定が合ったら、ね」
「なんだよ。ノリ悪っ」
目の前の男はあからさまにぶすっとするから、それにははっと愛想笑いをしてカフェモカをこくっと飲んだ。はらわたは煮えくりそうだったけど、必死に抑えてにこにことした。
その後、駅で解散をして、一応社交辞令でメッセージを送る。
お昼代おごってもらったしね。もう絶対会わないけどね。
『今日はありがとうございました! 楽しかったです。また誘ってくださいね』
もう会う気がないなら自分から送らなきゃいいのに、そういうビクビクする癖直さないといけないよなぁ。八方美人というのかな。でも性格だから仕方ないかな……。
その後、家に帰って貴重な休日をお昼寝で潰した。
休日が有効活用できなくて気分が滅入る。起きて携帯を見ても、今日初めて会った彼から連絡はなかった。あんな野暮ったい男からも返事を返してもらえない。現実に打ちのめされそうになった。
てきとうにご飯を食べて、テレビをつけるとちょうど恋愛ドラマがやってた。苦いけど、結局甘く丸くおさまるドラマを一時間見て、溜息が出た。
現実はこんなにドラマチックじゃないし、タイミングよく嫌な事もいい事も起こらない。落ち込んでいる時に片想い中の彼に遭遇するなんて言う偶然もない。男に絡まれたところを助けてくれるなんてないし。正直、そんな嫌な事があったって、自分から連絡しなきゃきっと誰も気付いてなんてくれない。
世界は広くて、偶然街で出会う確率なんて期待してたら、その日は終わってしまう。
そう思うと、涙腺が緩くなって、急激に鼻の付け根が痛くなった。
ああ、…………泣きたい。
泣きたいけど、今化粧してるし泣いて崩したくない。別に誰と会う予定もないのに、そんなくだらない理由で泣くのを必死にこらえた。特にこれと言って、辛い事があったわけじゃなかった。
でも、寂しい。ただそれだけ。ずっと、ずっと寂しい。心の中がいつだって砂漠のように干からびている。愛が欲しいって叫んでいる。
だけど、自分を愛してくれる人なんて、必要としてくれる人なんて、この世にいないような気さえして、どんどん一人落ちていきそうになる。
メッセージを打った。マッチングアプリで出会った美容師。写真を送ると会いたい会いたいと連呼してくる人。
だから、くだらない愚痴メッセージをしても相手してくれるんじゃないかって甘えた気持ちで。もし優しくしてくれたら、今すぐ会ったっていい。
『今日は一日ついてなくて泣きたい気分です。こういう日は早く寝るべきなのかな? お仕事お疲れさま。頑張って』
ずるい自分。こうやって甘えてかまってほしくて。人生に慣れていくたびに、愛情が希薄になっていく気がする。このまま誰からも必要とされないなら、いなくなってしまいたい。
たまにどん底まで落ちる日があるけど、今日はそんな日だな。メッセージが届いて、携帯をすぐに手に取る。
『今日は俺も仕事のトラブルとかで結構疲れた。俺も早く寝た方がいいのかなー……。お互い成長して強くなろうな』
……違う。
こういう返事が欲しいわけじゃなかった。この人は会いたいなんて言うけど、私の事なんてまるで好きじゃない。
私が落ち込んでたって、「何があったの? どうしたの?」なんて言ってくれない。その理由すら聞いてくれない人だ。私が何で落ち込んでいようがどうでもいいんだ。
そっか。
「…………ふふ」
当たり前だ。
誰がマッチングアプリで出会った、会った事もない女の心配を本気でするんだ。馬鹿らしい。メッセージを真剣に待ってた自分がほんとに馬鹿らしい。いつだって学習をしない女だな。無駄に愛情を求めて、男性の周りをウロチョロして、いつだって大切な愛をもらえない。
鞄を持って早歩きで家を出た。
今日は何もかもうまくいかない日。空回りして寂しくなる日。
こんな最悪な日には、コウに会いたくなる。会って、可愛がってもらって、コウの胸で眠りたい。電車を乗り継いで、マンションまで向かった。
一人暮らしのコウの家。
部屋番号は知ってるし、表のオートロックの解除ナンバーも知ってる。部屋の前まで行ってから、扉に耳を当てる。毎回の日課のように。静まり返った部屋。いないのかな。
「ねぇー……明日何時に家出るのぉ?」
「んー……朝」
「だから具体的に聞いてんのー。目ざましセットできないじゃん」
ああ、女の人がいる。
どうしよう。帰ろうかな。引き返すべきかなぁ。迷っていると、ここまで来た自分がだんだん情けなくなってきた。
誰も私に愛情なんてくれない。誰もが私以外の人に愛情を向けている。それをわざわざ押しかけてまで見る必要なんてない。
くるっと方向転換して、かつかつとやけに音の鳴るヒールで廊下を歩く。
静かな夜によく響いてその音さえ目ざわりだった。
でも、わざとそのヒールの音をかき消さないように意識して歩く自分がもっとうっとうしい。
「…………浅美?」
ガチャっと扉が開く音がして、後ろから声がかかる。
ぶわっと涙が溢れて、その場でぼろぼろと高いヒールのパンプスに水滴が落ちた。
後ろを振り返って目を凝らすと、上半身裸のコウがいて、扉を開けてこっちを見ている。
気付いてくれた。
気付いてくれた。
私の存在に気付いてくれたっ。
自分でヒールの音をわざと鳴らしてたくせに、わざわざピンヒールを履いてきたくせに、たったそれだけでコウが私を見離してないなんて勝手に解釈する。
私は寂しい女だ。私からしたらコウは温かすぎて眩しすぎる。
……………………ああ。
コウが好き。大好き。女がいたってどうでもいい。お願いだから、私を見離さないで……。
思わず駆けて行って、彼の骨ばった腰に両手を回した。正面からぎゅっと抱きつく。
「コウっ! 寂しいっ。どうしよう……寂しいよぉ…………うえーん……寂しいよぉー……」
わんわん泣いていると、コウが頭上でふうっとため息を吐いて、私の背中をゆっくりと撫でる。めんどくさそうにされてもそれでもしがみついたまま。私にはコウしかいない。こんなめんどくさい私の相手を懲りずに見てくれる人なんてコウしか……。
そんな思いを込めて、高い位置にある顔を見上げると、煙草をくわえたままのコウが私を見下ろして溜息を吐いた。色っぽいコウ。
今の今まで女性とそういう状況だったのか、無駄に色気を垂れ流してくる。
「浅美。分かったから。分かったからな。とりあえず部屋ん中入れ。近所迷惑だから」
「……うん。ごめんね」
背中を押されて中に入る。
中には、私たちの様子を部屋の中から窺ってる綺麗な女の人がいて、その人に気付かない振りをして、コウにぎゅうぎゅうと抱きついた。
私はずるい。こうすればコウが私を拒めないのを知ってる。女の人を帰すのを知ってるんだ。いつだってそうだったから。
「ごめん。悪いけど帰って」
コウが、それを誰に言ったのかなんて私は聞かなくても分かる。
「え…………なんで」
「帰って」
女の人はコウを睨んで目で訴えてたけど、コウは怯えるほど冷たい目をその人に向けて私を部屋の奥へと招いた。
二人きりになった部屋のソファに腰掛けて、コウの大きな肩にもたれる。
背が高くてスタイルがよくて、きりっとした目と高い鼻。むんむんと染み出るような色気。コウはとてもよくモテる。
何もしてなくても、話さなくても女の人が寄ってくるくらいによくモテた。冷たくて、甘くて、薄情で、だけど接してみると優しい。
こんなに矛盾した男を私は知らない。そのせいで、一喜一憂させられる私の事も、コウはきっと知らない。
「どうした? 今日は何があった」
低くてお腹の底に響くような色っぽい声を耳元で囁かれる。
「……うん。マッチングアプリで出会った男からメッセージが返ってこないしね、美容師は話を聞いてくれないしね、ドラマがよくできすぎてる」
私はどうすればコウが私を見捨てないか、どう言えばコウが腹を立てるか全部知ってる。分かってて、全部分かってて、コウに甘えてる。最低の女なんだ。
「浅美は毎回意味が分かんねぇな。んで、お前またマッチングアプリなんてやってんの。危ないからやめろって言ってんだろ」
「今説教は聞きたくない」
コウははぁーっと分かりやすい大きなため息を吐いて、私をソファにどんと追いやった。
あ、冷たい。怒ってる。
コウは機嫌を悪くすると、溜息を何度も吐いて、こめかみをカリカリと掻く。私はその仕草をじっと見つめるのが好きだ。だって、コウは機嫌が悪くなっても私を見捨てたりなんてしないから。
立ち上がって不機嫌な顔をすると、冷蔵庫を開けてビールを缶のまま飲んでいる。
「浅美。お前、もう俺ん家来んのやめろ」
「…………なんで」
「そんなん自分で考えろ。それとも口に出して言ってほしいのか」
あ、怒った。
冷たくて、ころころと機嫌の変わるコウ。
それでも私を大切にしてくれる唯一の人で、本当に辛い時助けてくれるのはコウしかいないんだ。
「口に出して言ってみてよ」
そう言うと、唇の片端だけをあげて意地悪な笑いをしながら、煙草を吸う。
「女とろくに恋愛もできねぇ、セックスもでき……」
「それ以上言ったら本気で泣くよ」
わざと下の位置からコウを見上げて、下唇を噛みしめて言う。目にはもちろん涙を溜めて。
「…………お前はひでぇ女だよ」
情けない顔で苦笑したコウは、煙草を灰皿で急ぐように消して、私の顎を掬った。
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