リターンズ:ユージ、大阪に行く?

「しほ。コーラ頼んで」

「はいよー」


小さな変化がちらほら。コージは最近しほりんの事を、しほと呼ぶようになった。


「よっちゃん! だからそれ、私のaikoだってば!」

「…………」

「おい、もしかしてまだ絶交中?」

「…………つーん」

「え、つーんって言っちゃってるけど? 喋っちゃってるけど?」


そう言ってくすくすと笑う私にも、よっちゃんはそっけなく「つーん」と繰り返した。げらげらと声に出して笑う私の横を大きく陣取ったユージ。ユージは足で小さくリズムをとりながら、裏声だらけのよっちゃんの歌をちゃんと聴いている。

塩焼きそばを豪快に食べながら、私の方をチラリと見た。


「食うか?」

「パフェ食べたい」

「勝手に頼めよ」

「ありがと」


注文の電話をしようと立ち上がろうとした私の肩をユージは軽く押さえつけた。自分が立ち上がって、電話でパフェを注文してくれると、トイレに出て行った。


「ねぇ、美代子。ユージさ、大阪の大学結局行くの?」

「え? …………大阪?」

「あ、知らなかった?」

「しほ。勝手に言うなよ。ユージに怒られるぞ」

「あー…………美代子、ごめん。聞かなかった事にして」


しほりんが手を合わせて謝るのを聞きながら、私はぼーっと意識を遠くに飛ばした。 

ユージが大阪に?

そんなこと聞いてない。三人は黙り込んでいるところを見ると、どうやら知らなかったのは私だけらしい。よっちゃんは絶交しているから喋ってないだけかもしれないけど。

しばらくよっちゃんの歌声だけが流れる部屋には気まずい雰囲気が流れていた。ユージが帰ってきたことで空気が変わる。


「みーこっ。パフェ食おうぜ」

「まだ届いてないよ」

「えー、じゃあ一緒に塩焼きそば食べよ?」

「一緒がいいの?」

「うん。佐原はなーんでもみーこと一緒がいい」

「…………そっか」


私がにこっと笑うと、ユージがふにゃっと端正な顔を崩す。

視界の端でしほりんがホッと息を吐いたのが見えた。どうやらさっきのことはユージのトップシークレットらしい。なんで私には何も相談してくれないんだろう。隠し事はなしだって言ったのはユージのくせに。

いつだって嘘をつかないことが取り柄のくせに。


「ユージ。今日泊まりに行っていい?」

「ん? 今日は何プレイだ、みーこ」

「説教プレイ」

「ふむ。いわゆるSMってやつだね。了解した! ところでその場合、佐原がS? そこ重要なんだけど、どっち?」

「ユージがM」

「…………みーこさん。みーこさんSだったの? 佐原のリサーチ不足だったね。よし、Mになる訓練今からする」


おばかな発言も今は一緒になって笑えない。コージがフォローするように、ユージを殴るふりをする。

「はあああんっ」ってわざとらしく声を出すユージを横目で見ながら、私はぼーっと考えていた。ユージのサザンを歌いながらじっと私を観察していたのは、よっちゃんだった。


カラオケが終了して、私とユージは二人で歩く。少し暗くなった舗道に、私たち二つの影が長く伸びて、ユージの影を踏んでいるうちに私の方が随分前を歩いていた。


「ユージっ」

「ん?」

「私になにか言いたい事ないー?」


努めて明るく言葉を吐いた。少し離れた距離から大きめの声でやり取りをする。後ろを振り返しながら歩くと、ユージがきょとんとした顔をしてしばらくするとにやっと笑った。

 

「あいらぶゆー」

「…………外人か」

「だからアイスランドとロシアのハーフだって」

「それ久しぶりに聞いた」

「忘れんなよ、佐原の事」

「…………忘れないよ」


ぼそりと呟くように言うと、ユージには聞こえなかったのか近くに寄ってきて、私の手をかっさらった。


「みーこ。今日は何して遊ぶ? 寝るまでまだ時間あるべ。韓ドラでも見る?」

「うーん、ううん。今日はお話したい」

「お話?」

「うん」

「なんか佐原に話したいことある感じ?」

「……うん」

「なーんか、みーこのテンション的にやな予感」

 

ユージは無表情のまま、隣をじっと歩いた。何を予想しているのかは分からない。私だって聞きたくないし、できるならなかった事にしたいけど、それでもやっぱりユージから真相を知りたい。


二人とも無言でユージの部屋に着いた。離れのようになっているこの部屋はとても静かだ。ユージが本宅からたくさんのご飯を持って帰って来た時も、私の頭の中はユージの大阪の事でいっぱいだった。


「飯食う?」

「え、うん。食べる」

「それか話したい事あるなら先聞いてもいいけど。佐原もお前の事になると心臓弱いし、飯うまく食える気しない」


私の話がよほど深刻だと言う事は伝わっているのだろう。

いつものテンションではない。私をじっと見据えるユージは、“黙っていたら男前”とよく言われているだけに、直視できないほど眩しい。


「じゃあ、ご飯食べる前に言う」

「……ああ。なに」

「…………うん」

「なんだよ、そんな言いにくい事? なに、好きな奴でもできたわけ? 誰だよ、言えよ」


予想外の言葉が飛び出して、私はパッと顔を上げた。今まで見た事がない表情をしていた。苦しそうに眉をひそめて、泣く一歩前のような顔をしている。

私まで苦しくなって涙がじわりと込み上げた。

 

「早く言えって! 心臓つぶれちまう」


ユージの怒鳴り声に体がビクンと跳ねた。切なすぎる声音に、心臓が糸でぐるぐる巻かれたような締め付けを感じる。


「ユージ…………っ。違うの」


隣に移動して、ユージをぎゅっと抱きしめた。力を無くしてだらんと腕を下げているユージに抱きついても、いつものように熱く抱き返してはくれない。


「なんだよ。好きなんだよ。俺から離れるとか言うなよ。みーこの事しか頭にないなんて馬鹿みてぇじゃん。……好きなんだよ」


涙が零れ落ちた。ユージはなんでそんなに恐れているんだろう。私はユージを大好きで、ユージも私を大好きで、そんな単純な事はずっと前からお互い分かりきっているはずなのに。

少し状況が変わるだけで、人の気持ちって言うのは分からなくなるのか。

ユージの泣きそうな声は脳天を刺激して、ズキズキと胸を針で刺した。


「ユージ、好きだよ。ちゃんと大好きだよ。別れるなんて一言も言ってないじゃん」

「……じゃあ、なんだよ」

「……大阪。行くの?」


抱きしめたユージの体がビクンと跳ねた。

ああ、やっぱり嘘じゃないんだ。本当なんだ。大阪に行きたいんだ。


「…………なんだよ、その話かよ。誰から聞いたんだよ、くそ。行かないよ、大阪」

「なんで? ずっと行きたかったんじゃないの?」

「別に……」

「私に嘘はつかないでよ、ユージ」

「…………大阪よりみーこが大事だった。それだけ。はい、話は終わり。飯食おうぜ。ああー、いらねぇ神経使って腹減ったわ」


ユージが話を終わらすかのように、部屋の空気を変える。

私はユージの隣に座りこんでじっと考え込んでいた。


「ユージ、なんで大阪に行きたかったの?」

「もういいべ、その話は」

「いいから教えて。知りたい」

「…………佐原はずーっとバイオに興味があって。バイオテクノロジーで生物工学ね。親父の知り合いに大阪の大学の教授がいて。その人からずっと小さい頃から話を聞いてたんだよ。バイオの難しい話。それで佐原は感化されて淡い夢を持ってたわけ」


うそだ。

淡い夢だなんて嘘だ。ぐるりと部屋を見渡しただけで、数え切れないほどのバイオの文字。

たくさんの分厚い本に今までは見向きもしなかったけど、よーく見ると随分使いこまれているのが分かる。

ユージが早朝から、眠っている私の隣でその難しい本を読んでいた事だってあった。

勉強が嫌いだから、ユージが難しい勉強をしている事に何も興味がなかったけど、ユージはそうやって今までずっと夢を追いかけて来たんだ。

私がいるから諦めるの? 私といるために?


「……大阪、行きなよ。別にそんなに遠くないしさ、会おうと思えば週末には会えるし、私は別に遠距離でも大丈夫だし。夢あるなら、行きなよ」

「……いや、いい。佐原はみーこと離れたくないから。それが何を差し置いても最優先事項だから。離れたって大丈夫とかさ、誰が分かんだよ。そんなの誰にも分かんねぇよ」

「…………」

「そんな不確かなものを信じて、結局ダメでしたってなるのなんて、佐原はごめんだね」


ユージの瞳には、強い意志がきらきらと光っていた。

いつもその瞳が好きだった。


「……ユージ」

「俺は、何が一番大事か、ちゃんと自分で分かってる。それを無くさないためにどうすればいいかも分かってる。だから、そうしてるだけ。何も後悔しないし、自分の道は正しいって信じてる」

「でも、夢は……」

「じゃあ、みーこ。大阪に一緒に来てよ。友達も家族もおいて、佐原についてきてよ。佐原のためだけに大阪に来いよ」


私はその言葉の重みに、息をすることさえ忘れて押し黙った。

じゃあ行く! とすぐに返事ができる内容ではない。

愛があるとかないとかそういう事じゃなくて。大阪についていって、ユージにぶらさがって、ユージの邪魔になって。

私は何もする事がなく、ユージの夢をただ見つめるなんて、そんな事。ユージの世話になって、うっとうしがられていくなんて、そんなの嫌だ。


「それは……」

「だろ? 佐原はみーこの事、よーく知ってんの。そんな簡単な事じゃないわな。みーこには家族も友達もいるし、佐原だけを取れないってちゃんと分かってる」

「ユージ……」

「佐原は、みーこが何を差し置いても一番だけど、みーこは他も同じくらい大事にしてるもんな」

「でも私はっ……ちゃんとユージのこと」

「知ってるよ。佐原はねー、みーこの愛情ですくすく育ってるからね、全部知ってる。知ってて、大阪行きはやめたんだ」


そう言われちゃうともう何も言えない。

ユージが何も考えていないはずはなく、私の何倍も悩んで、そして決めたんだろう。その理由には私も少なからず入っているわけで、責任がずしりとのしかかった。純粋にユージが将来の夢を諦めるのは嫌だと思う。


だけど、このまま何も言わなければ、ユージのそばに、変わらない環境でずっと一緒にいられるのにとも思う。汚い自分がはびこって、正しい答えを押しつぶそうとする。


ユージの一生の話なんだ。

大切な大切な未来の話なんだ。

ユージの未来はユージのもので、付き合っている私が左右していいものじゃない。


「ユージ、大阪行ってよ」

「は? みーこさっきからなんなわけ? 佐原の話聞いてなかった?」


ユージがイラッとしたのが分かったけど、引き下がる事はできなかった。私はキッと目に力を込めて、ユージをまっすぐ見据える。ご飯を食べようとしているユージの手を掴んで、ちゃんと向かい合った。


「なに、みーこ。飯冷めるんだけど」

「ユージ、大阪の大学行こうよ。私とは遠距離でいいし、ちゃんと会いに行くよ。ユージの未来を大切にしようよっ」


訴えるように話す。

反応が怖くて下にうつむいていたけど、いつまで経ってもユージの返事がないからうかがうように上を見上げた。見た事もないユージと視線がかち合った。こんなに冷たい視線を向けられたのは初めてだ。


「みーこ。佐原は、聞き分けのないみーこは好きくない」

「…………ユージ」


声に温度があるなら、その声は確実に凍っていた。

それほど冷たい声だった。


「みーこはさ、そうやっていい人になろうとしてるけど。佐原からしたら、それは、佐原と離れてもいいって言ってるみたいに聞こえるよ」

「そんなことっ」

「だって、そうだろ? 一緒じゃん。みーこは佐原と会えなくなったって生きていけるってことでしょ。佐原は無理だよ。自分が一番知ってる。みーこが毎日どこで何してるかさえ分からないなんて耐えられない。みーこは佐原のだ。やっと手に入れたんだよっ。簡単に手放してやるもんか……っ」


ああ。そうか。

ユージはまだ私を追いかけているんだ。

付き合っていたって、ユージは私に片思いをするようにずっと想い続けている。だから、ずっと安心できずにドキドキして。

私の言動一つに揺れ動いて。

私が何の気なしに好きと言った言葉一つに舞い上がって、冷たい言葉を吐くとその真意を探って傷ついて。

それほど私の事が好きなんだ。


「ユージ…………」

「悪いけど、そういう考えを持ったみーことこれ以上話しあいたくない。佐原が傷ついて終わるだけだ。もう話はやめにしよう」


結局話はそこで終わりになった。

だけどお互いの中でくすぶっているものは消えなくて、次の日に学校に行っても私は黙って考え込んでいた。

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