第2話

 私は橋の上で立ち止まった。ここから飛び降りれば死ねる? ううん。死ぬならもっと高い所じゃなきゃ……。例えばそう、ビルとかね。あのビルとか良さそう。


『もう二度と家には戻りません。さようなら』


 公孝にメッセージを送り、私はスマホの電源を切った。そして、ビルの屋上。私は靴を脱ぎ、飛び降りる準備をしていた。


 これでやっと自由になれる。

 自由……? 自ら命を絶つことが自由だというのなら私の行く先は地獄ね。良い行いをすれば天国に行くのなら、私は今まで誰かを助けたことはないから天国には行けそうにない。


 彼に給料を渡していたのは彼を助けたことになるのかな? なんて、ね。

 私も誰かに助けられたいな。無理だよね。私みたいな何も無い人間は。取り柄なんかない。顔だって普通。仕事だって要領がいいほうではない。


 ほら。やっぱり私は悪い子。次、生まれ変わったら普通の人生が送りたい。愛されなくてもいいから、普通の家庭に生まれて、普通に学校に通って、普通に社会人をして。


 あぁ、一度でいいから、そんな妄想を現実にしてみたいな……。


「早まるな!」

「!?」


 飛び降りる直前、グイッと腕を引っ張られた。そのまま私は知らない人の胸の中にすっぽりと入った。


「馬鹿な真似はやめるんだ」

「っ……」


 なんて綺麗な人なんだろう。サラサラな黒髪にアーモンド色の瞳。誰が見てもイケメンと言ってしまうほど顔面偏差値が高く、背は百八十センチはある。


 スーツ越しからでもわかる筋肉質な身体。スーツはシワひとつない。腕には高級そうな時計がつけられていた。生活に困っていなさそう。私とは真逆の世界で生きている人だと察した。


「どうして飛び降りようとしたんだ? それと怪我はないか」

「大丈夫、です。すみません。迷惑でしたよね」


 バクバクと口から心臓が出そうなほど鼓動のスピードが早い。どんな状況でも死ぬのはやっぱり怖いんだ。


 それにしても名前もわからない私を助けるなんて、お人好しな人だな。こういう男性はきっと誰にでも優しいんだろう。私だけじゃなくてもいい。ただ優しくされたことに涙が止まらなかった。


「!? お、おい」

「なんでもないんです。気にしないでください」


 彼氏も昔は優しかった。私が泣いたら頭を撫でて慰めてくれた。そんな彼も今では変わってしまった。けれど、好きと言ってくれたことは一度たりともなかった。


「飛び降りようとしてたってことは、よっぽど辛いことがあったんだな」

「……っ」


 そういって頭を撫でてくれた男性。


「俺で良ければ話を聞かせてくれないか? っと、名前を言ってなかったな。俺は神宮寺隼人(じんぐうじ はやと)、よろしくな」

「私は露川紫音(つゆかわ しおん)です。よろしくお願い、します」


 手を差し出されて緊張からたどたどしい挨拶になってしまった。相手からの好意を拒絶するのは態度悪いよね?

 私は神宮寺さんを受け入れるように手を握った。それよりも神宮寺隼人……どこかで聞いた名前だ。


 それから私は自殺しそうになるまでの経緯を神宮寺さんに話した。

 両親から虐待を受けていたこと。学校でイジメられていたこと。社会人になってからは変なウワサを流され、会社でも居場所がないこと。彼氏がヒモになり私を暴力で支配してること。


 そして身体には過去の古傷がいくつも残っているということ。私は包み隠さず、全てを話した。神宮寺さんとは会ったばかりなはずなのに、どうしてだろう? こんなにも嘘偽りなく話せてしまうのは。


 今まで誰かに過去の話をすれば引かれてしまうんじゃないかという不安から誰にも言わず、自分の秘密にしてきたのに。それもこれも相談相手がいなかったから話す機会がなかったというのもあるのだが。


「そりゃあ屋上から飛び降りたくもなるわな」

「ちょっ……」


 ワシャワシャと髪を撫でられ、さっきとは打って変わって乱雑な手つき。お互い年齢は知らないはずなのに神宮寺さんは私にタメ口だし。よく言えばフレンドリー。悪く言えば雑な人だ。


「露川。これもなにかの縁だし、俺のとこに住まないか?」

「……え?」


 聞き間違いだろうか。神宮寺さんの家に住む?

出会ったばかりの男性宅に? いくら神宮寺さんが二度見するほどイケメンだからって、そんなの急すぎる。


「部屋は余ってるから俺と寝なくていい。ただ食事だけは一緒にしようぜ。恥ずかしい話、三十三にもなって独身なんだよ」

「は、はぁ……」


 えらくフラットに誘ってくるんだなぁ。神宮寺さんほどのイケメンなら合コンや婚活パーティーに行けばすぐにでも結婚出来そうな見た目をしてるのに。


 三十三歳、か。私よりも三歳も年上だ。社会人になってから三歳差なんてもはや誤差のようなものだけど。

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