第27話 制限だらけの生活は、羨むようなものですか?

 ネルが眠ったのを確認してから、初田は保健室に入ってきた東堂と四人の女生徒と顔を合わせた。


 初田が最初に保健室に来た時点では、まだネルは眠っていた。

 養護教諭も、普段なら昼休みに入ってすぐ来るネルが保健室に来ないのを心配していたそうで、こんな事態になったことを何度も初田に謝罪した。


 一年と二年では担任がクラスメートに事情を周知してくれていたが、三年になり担任とクラスが替わった。

 新しいクラスでは事情を知らない生徒ばかりだから、こういうことが起きてしまったんだろう。


「さて、大まかな話は東堂君から聞きました。あなたたちがネルさんを無理矢理連れ回して休憩できないようにさせていたと。なぜそんな真似をしたのですか」

「だって、それは……あたしたちは善意のつもりだったし、寝てばかりだと体に悪いわ。それなのに倒れるなんて思わなくて」


 四人の中ではリーダー格らしい、ショートヘアで背の高い生徒が答えた。名札には花森はなもりと書かれている。

 他の三人も「ねー。よかれと思って。善意は受け取るべきよねー」と示し合わせたように言い合う。

 出てくる言葉は、謝罪ではなく保身だった。


 養護教諭と東堂が怒鳴りそうになるのを、初田が手で制した。


「善意、ですか。ではこれを差しあげましょう」


 初田は自分の胸ポケットにさしていたボールペン二本のうち、古い方を花森に差し出す。


 インクが切れかかっていて、文字がかすれる代物だ。クリアデザインなのでインク切れが一目でわかる。


「は? なにこれ。こんなゴミ要らないわよ!」

「善意です。善意は受け取るべきなんでしょう? どうぞ使ってください」

「意味がわからないんだけど」

「あなたと同じことをしただけです。あなたがゴミを要らないと言ったように、ネルさんも、あなたの言うところの善意・・は要らないものだった」

「でも、あたしたちあれくらい動いたってなんともないのに」


 憤慨ふんがいする花森に、三人の女生徒が同意する。

 

「健康な人間なら一日十四時間起きて活動することができますが、ネルさんはナルコレプシー。毎夜に睡眠を取っていても、普通の人が三日貫徹したような強い眠気を伴います。だからこまめに休息を取らないと体を維持できない。そんな病人の体に鞭を打って、なにが善意なんですか。相手が望まないことを強要するのは善意と言いません」

「そ、それは」


 初田はただただ穏やかに、四人に質問する。


「もう一度聞きます。なぜこんな真似をしたんですか」

「…………って、ずるいじゃん。あたしたち毎日放課後もバスケ部でしごかれてるのに、根津美さんは昼休みに保健室で寝ている上に帰宅部なんだもん。コーチは鬼厳しいし」

「自分からバスケ部に入ったのに、寝ていられるネルさんはズルいと」

「だって、あたしらが昼休み保健室で寝たいって言っても、元気な子は使っちゃ駄目っていわれるし! なんで根津美さんは毎日使えるのって、思ったら悔しくて」


 花森は感情を昂ぶらせ、泣き出してしまう。

 他の三人がそっと花森の肩に手を添えて、「もう責めないで」というように初田を見上げる。少女が泣いたくらいでたじろぐ初田ではない。


「ネルさんは好きで昼休みに寝ているんじゃありません。移動中に発作が起きることを考えて、修学旅行も辞退したくらいです。普通に就職することも困難です。人より制限の多い生活が、それでも羨ましくてズルいですか?」


 四人とも言葉もなく、自分の足元を見つめる。

 昼休みに眠れるという点を除けば、不自由だらけの生活だ。

 楽しく遊び回ることができなくて、就きたい職業に就けない可能性もある。その意味をきちんと考えはじめた。

 しばらく沈黙した後、花森は涙をぬぐいながら顔を上げた。


「……ごめんなさい」

「それはネルさんが起きているときに、本人に言ってあげてください。今日はもう帰るので、明日にでも」

「はい」


 四人は頭を下げて大人しく保健室を出て行く。来たときの不遜さはなりを潜めていた。

 ずっと見守っていた東堂は、ほう、と息を吐く。


「本物の医者ってすげえんだな。俺、かっとなって殴りそうになった」

「これでも精神科医ですので」


 初田は基本声を荒らげたりはしない。

 親の離婚や父の葬儀でも涙一つ出なかった人間だ。

 怒りや悲しみという感情を母親の腹に置いてきたんじゃないかと揶揄われるくらいだ。

 笑顔以外の感情を人に見せないため、狂った帽子屋マッドハッターというあだ名はまさに的を射ていた。


「昨日に引き続き、君には助けられたよ。何かお礼をしないといけないね」

「そんな、礼なんて要らないです。俺は困っている人を放っておけないだけで」

「君は警官や消防士のような仕事に向いていそうだね。緊急時、即座に動ける判断力もある」

「なんでわかったんです? 俺、消防士の学校を希望していて」


 本当に根っから人を助けるために走り回るタイプの人間らしい。性格から言っても向いているし、きっと現場で活躍するだろう。


「人間観察が趣味なもので」

「変な趣味ですね」


 変な趣味という自覚はあるので、初田は笑って白衣のポケットに手を突っ込む。


「お礼にあげられるものがこれくらいしかないけど」


 ネルが気に入っているから買い置きしている、イチゴ味の飴だ。

 それを渡すと、東堂はなぜかお腹を抱えて笑い出した。養護教諭も笑っている。

 

「これ、きのう根津美からもらった」

「私もよくネルさんからもらいます。兄妹そろって同じことをするものだから、おかしくって」


 知らないうちにネルと同じことをしていたらしい。

 遠縁だから血のつながりは薄いはずなのに、いつの間にか行動パターンが似てくるなんて面白いこともあるものだ。初田もなんだか笑ってしまった。



 後日、東堂と花森がクラスメートに話してまわってくれたようで、ネルはこれ以降嫌がらせなどをうけることなく高校を卒業することができた。

 友子も「ネルが卒業できてよかった」と、ハンカチを五枚も濡らして喜んだ。

 高校卒業後はマンションから通えるところにある医療事務の専門学校を出て、希望通り医療事務の試験に合格した。


 初田も五年の後期研修を終えて、自分のクリニックを開く準備が整った。

 開業の前日。かねてからの宣言通り、白兎が壁掛けの時計を持ってお祝いに駆けつけた。友子と初音も来てくれて、みんなでお茶会を開く。


 こうして、初田とネル二人三脚で営む初田ハートクリニックが開業した。

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